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「か」に点々をつけると「が」になります。「た」に点々で「だ」になります。そんなことは当たり前だと思う方が多いと思いますが、よく考えてみると、これはすごいことです。
たとえば英語の綴りを見てみると、「キャップ」は cap ですが、「ギャップ」は c"ap ではなくて gap ですね。同じく、「タイム」は time ですが、「ダイム」は t"ime ではなくて dime です。
どうして日本語はこういう書き方をするようになったのかということは、とても興味深いことですが、この問題はひとまず脇へ置いておいて、まずは清音と濁音のことを考えてみましょう。
日常の会話では、点々の付いていないほうの文字の音を「澄んだ音」とか「濁らない音」と呼び、点々をつけると「濁った音」になる、とか言いますが、正式には、点々の付いていない音を清音、点々の付いた音を濁音と呼びます。ちなみに、「点々」のことは濁点と呼びます。
ふつう、濁音と清音とは、濁るか濁らないかの違いだけで、発音のしかたは全く同じです。
「か」「が」、「さ」「ざ」、「た」「だ」と交互に発音してみて下さい。「た」と「だ」の場合、どちらも発音するたびに、舌の先の同じ部分が、上顎の歯ぐぎの辺りに付いたり、離れたりするのが分かると思います。「か」と「が」の場合は、ちょっと分かりにくいですが、どちらも、舌の先ではなく後ろの部分が、口の天井(正確には軟口蓋)に付いたり離れたりします。鏡で見ながら発音してみると、舌の後ろの方がぐっと盛り上がるのが見られると思います。(「さ」と「ざ」については項を改めて書きます。)
ところが、「は」と「ば」は、発音のしかたが全く違います。「は」「ば」「は」「ば」とくり返して見て下さい。「ば」は、唇をつかって発音しますが、「は」は唇は全く使わないで、喉の奥の方から出て来ることがお分かりになると思います。
ですから、改めて考えてみると、「は」に点々をつけると ba と読むということは、とても不思議なことなのです。
無声音と有声音
「か」行、「さ」行、「た」行の清音と濁音は、音声学で言う「無声音」と「有声音」に相当します。無声音というのは声帯を震わさずに息だけで出す音、有声音とは声帯を震わせながら出す音です。
( 気管の上部、ちょうど、のど仏のあたりに声帯と呼ばれる2つの膜があります。声帯は門のように開いたり閉じたりして、肺から出る空気の流れを制御します。空気が通る時にこの声帯が震えると、その振動が声となります。)
のど仏のところに手を当てて、「あ、あ、あー」と言ってみて下さい。次に、ロウソクを吹き消す時のように「フッー」と息を出して下さい。この2つを交互にくり返してみて下さい。「あ」の時は声帯の振動が手に伝わってくると思います。「フッー」の時は振動しませんね。のど仏を触るかわりに、両耳を手でおおっても振動が分かります。
「あ、い、う、え、お」などの「母音」は典型的な有声音です。その他、いわゆる濁った音の子音( g、z、d、b など)と、「な」行、「ま」行、「や」行、「ら」行、「わ」行の子音( n、m、j、r、l、w )なども有声音です。これに対して、いわゆる清音の「か」行、「さ」行、「た」行、「は」行、及び半濁音と呼ばれる「ぱ」行の子音( k、s、t、h、p )などは無声音です。
「は」行の有声音
それでは、「は」行と「ば」行の子音は、無声音と有声音の関係にあるでしょうか。答えは否です。確かに、「は」行に点々を付けると濁音と呼ばれます。しかし、それは「は」行の子音を有声音にした、とは言えないのです。他の行では言えたことが「は」行については言えないことになります。
「ば」行の子音 [ b ] は、唇で出す音です。唇をいったん閉じたあと、圧力の高まった空気を破裂させるようにパッと出します。両手の人さし指を口に入れて左右に引くと、唇を合わせることができませんから、「ば」行が発音出来ません。小学校の頃、この状態で「学級文庫って言ってごらん」という遊びをしたことはありませんか。
一方、「ぱ」行の子音 [ p ] も [ b ] と同じようにして唇で出す音です。「パパ」とか「ポピー」とか言ってみれば、[ b ] と同じように、いちど口を閉じなければ言えないことが分かると思います。こんどは、のど仏に手を当てたまま、息だけで「ぷっ、ぷっぷっ [ p, p, p ]」、次になるべく母音「ウ」を入れないようにして「ブッ、ブッ、ブッ [ b, b, b ]」と言ってみて下さい。[ p ] では声帯が全く振動しませんが、[ b ] では振動が感じられると思います。
つまり、[ p ] と [ b ] は無声音と有声音に関係にあるのです。音声学では [ p ] と [ b ] を「両唇破裂音(または両唇閉鎖音)」と呼んでいます。
「は」が濁ったらなんて読む?
「は、へ、ほ」の子音 [ h ] は、喉の奥の方から出る音で、[ b ] や [ p ] のように唇のところで出す音ではありません。「声門摩擦音」と言って、声門(声帯の間のすきま)のところで、肺から送られて来た空気が摩擦を起こして出る音です。
[ h ] の有声音は、当然ながら、やはり「声門摩擦音」です。どのような音かを言葉で説明するのは、非常に難しいのですが、「おはよう」の「は」の子音が有声音になることがよくあります。そのときには「おあよう」のように聞こえますが、普通の「あ」とは違って、軽い摩擦が聞かれます。また、英語の ahead の / h / も有声音になることがあるそうです。そうすると、「アヘッド」ではなく、「アエッド」のように聞こえるはずです。
テレビでニュースを聞いていると、かなりベテランのアナウンサーの中にも「日本政府」を「ニオンセーフ」などと言っている方がいます。[ h ] が母音(有声音)挟まれたため有声化した結果と思われます。「ケーサツオンブ」というのも聞きました。「警察本部」のようです。「補欠選挙」もありましたが、これは敢えて書きません。
Ofer は何と読む?
一般に、有声音にはさまれた無声音は、有声音になる傾向があります。ハングルの書き方では普通のことですが、フランス語でも有声音にはさまれた s は必ず [ z ] と読みます。また、5世紀〜11世紀の古英語では、有声音にはさまれた f は必ず [ v ] と読むので、v の文字はありませんでした。つまり、over は ofer と書かれたのです。(参照:は行転呼音)
「ひ」が濁ると何て読む?
「ひ」の子音が [ h ] でないことは、「なぜ「ひ」は hi でないのか?」のところにも書きました。「ひ」の子音は、「ひゃ、ひ、ひゅ、ひぇ、ひょ」の子音で、舌の前の方のかなり広い部分を、口蓋(口の天井)に近付けて、その狭い隙間で息を摩擦させて出す音です。ドイツ語の「私」ich(イッヒ)の「ヒ」、発音記号で書けば [ ç ] に近い音です。
同じ発音の仕方で声帯を振動させ、有声音を出すとどうなるでしょうか。意外なことに、 [ ç ] の有声音は「や、ゆ、よ」の子音 [ j ] に近い音になるのです。日本語の「や」行には「イ」段がありませんから、日本人にとって、これを発音するのは非常に難しいのですが、例えば、英語の yeast(酵母、イースト)は east(東)とは違います。発音記号で書き分ければ / ji:st / と / i:st / です。Year と ear も違います。
/ ji / を発音するときは、舌の前の方のかなり広い部分を口蓋に近付けて、軽く摩擦させる気持ちでやってください。「ヤ、イ、ユ」と続けて言ってみて、舌の位置をつかんで下さい。最初にちょっと「ユ」を言うようなつもりで「イ」と言ってみるのもよいかもしれません。また、「ヒ」と言った後、その舌を保ちながら「ヒ、イ、ヒ、イ」とくり返してみるのもよいでしょう。
「ふ」が濁ったら何て読む?
「ふ」の子音が [ h ] でないことは、「なぜ「ふ」は hu でないのか?」のところにも書きました。「ふ」の子音は「ふぁ、ふぃ、ふ、ふぇ、ふぉ」の子音で、ロウソクを消す時のように、丸めた唇の隙間から息を吹き出して出す音です。音声学では「両唇摩擦音」と呼び、発音記号では [Φ] と書きます。この記号はギリシャ文字の「ファイ」を利用しています。
ヘボン式ローマ字では、「ふ」を fu と書きますが、「ふ」の子音は [ f ] ではありません。[ f ] は下唇を上の前歯で押さえるようにして、その隙間から息を摩擦させて出しますが、日本語の「ふ」では歯を使いません。そのため、英語の fan や film を日本人が発音すると「ファン Φan」や「フィルム Φirumu」になりがちですから注意が必要です。
さて、「ふ」の子音 [ Φ ] の有声音は何でしょう。「ぶ」の子音 [ b ] ではありません。[ b ] は一度しっかりと唇を閉じた後、たまった息を破裂させるように出す音で、[ p ] の有声音に当たります。 [ Φ ] は唇を完全には閉じませんから、[ p ] や [ b ] とは発音のしかたが違います。
[ v ] でもありません。[ v ] は [ f ] の有声音で、やはり上の前歯で下唇を噛むようにして出す音です。
[ Φ ] の有声音は、やはり、「両唇摩擦音」のはずです。 「ふ」の時と同じように、唇をすぼめて息を吹き出しながら、「ウー」という気持ちで声帯を震わせてみて下さい。唇が擦れる感じになれば成功です。この音は発音記号では [ ß ] と書きます。これはギリシャ文字の「ベータ」の小文字と同じです。
スペイン語では、単語の最初と m, n の後以外は、b と v をこの音で発音します。(スペイン語には b と v の区別がありません。) したがって、Vino(ビーノ、葡萄酒)や sombrero(ソンブレロ、帽子)には [ b ] を使いますが、trabajo(トラバーホ、仕事)や por favor(ポル・ファボール、どうか、お願いします)は [ ß ] で発音します。
日本語でも、「あばれる」「あぶない」「さびしい」「こぼれる」などで、しばしば「ば」行が [ b ] ではなく、 [ ß ] で発音されます。母音にはさまれた場合、きちっと口を閉じて [ b ] を発音するより、この方が楽なのかも知れません。そもそも「母音」というのは、肺から出てくる息が、口を閉じたり舌を口蓋につけたりといった邪魔をされずに、出てくる時の音なのです。
ただし、「あきばれ(秋晴れ)」「こびと(小人)」「わたしぶね(渡し船)」など、元は「は」行であったものが複合語になって「ば」行になった場合は、しっかりと [ b ] で発音します。あとで、また書きますが、「濁音」というのは複合であることを示す大事な指標なのです。
語頭や m の後(「ばしょ」「さんばい」など)では [ b ] が使われます。つまり、唇をしっかり閉じてから破裂させるようにして発音します。しかし、最近の子供たちの中には、こういう時も、唇の閉じかたが弱く「摩擦音」の [ ß ] になってしまっている子が多いように思えます。
は行転呼音
[ ß ] を発音する時に、口のすぼめ方が足りないと、摩擦がなくなって [ w ] の音になります。 [ ß ] と [ w ] はそれほど近い音なのです。平安時代の中期以降に、語の始め以外の「は」行が「わ」行に変わったことにも、この2つの音の近さが関係していると思われます。
じつは、奈良時代以降、江戸時代に入るまで、「は」行は現在のような [ h ] ではなく、 [ Φ ] で発音されていました。つまり、「ふぁ、ふぃ、ふ、ふぇ、ふぉ」だったのです。それが、平安時代の中期以降、語頭以外では [ wa, wi, u, we, wo ] の音に変わりました。これを「は行転呼音」と言います。( [ wu ] は古代日本語にもありませんでした。)古文を習いはじめたとき、たとえば「いはゆる」と書いて「いわゆる」と読むということに戸惑いを覚えたことがあるかと思いますが、それはこういう事情によるのです。
これは、母音に挟まれた [ Φ ] が有声化する際、摩擦を失ったために、[ ß ] とならず [ w ] になったとも解釈できます。また、[ ß ] となったのでは、元からあった[ ß ] あるいは [ b ] との混乱が生ずる恐れがあったので、それを避けるために、[ w ] になったという考え方もあります。
後に、この [ w ] も「わ wa」以外では発音されなくなりました。「おもひで」が / omowide / ではなく、「おもいで」となったのはこのためです。
一方、語頭ではずっと [ Φ ] の音が使われていましたが、江戸時代に入って [ h ] に変わりました。ここで始めて、日本語に [ h ] の音ができたことになります。
川:kawa < kaΦa
貝:kai < kawi < kaΦi
苗:nae < nawe < naΦe
墓:haka < Φaka
昼:çiru < Φiru
鮒:Φuna
現代日本語では、「ひ」が [ hi ] ではなく[ çi ] になっていますが、これは母音「イ」 の影響です。つまり、日本語の「イ」を発音する時には、舌の前のほうのかなり広い部分を硬口蓋(口の天井の前より部分)に近付けますので、その影響で前の子音が変化してしまうのです。この現象を子音の「硬口蓋化」と呼びます。
このことはイ段の他の音にも言えます。「た」行、「さ」行のイ段が英語のような「ティ ti 」「スィ si 」ではなく、「チ」「シ」となるのもこのためです。
[ çi ] が [ Φi ] から直接変化したのか、一度 [ hi ] になってから変化したのかは分っていません。また、「ふ」は母音「う」の円唇性のために今に至るまで一貫して [ Φu ] の音を保ってきたと思われます。
このように、日本語の「ひ」「ふ」が英語の / hi / や/ hu / と異なることは、英語学習の際には頭に置く必要があります。日本人が発音する heat や who はかなり訛って聞こえることでしょう。He を [ çi: ] と発音したのでは、かなり she に近くなると思います。(参照:なぜ「ひ」は hi でないのか?)
むかし、母は「ふぁふぁ」だった
「は」行の子音は、奈良時代以降、江戸時代に入るまで、 現代語の [ h ] ではなく、[ Φ ] で発音されていました。つまり、「はは」は「ふぁふぁ」だったのです。また、平安時代中期からは「ふぁわ」という発音もあったようです。16世紀始めのなぞなぞに、次のようなものがあります。
母ニハ二度アフテ、チチニハ一度モアハズ クチビルトトク
(「体源抄」豊原統秋、1512)
ははには二度あへども、ちちには一度もあはず
(「後奈良院御撰何曾」、1516)
(前者は後掲「日本語の音韻」より、後者は「日本語の歴史」より引用)
つまり、「はは」の時は2回合わさるけど、「ちち」の時は一回も合わさらないものはなーんだ、ということで、「くちびる」が答えになっています。現代語の / haha / は喉の奥の方で発音しますので、唇は使いませんが、この当時の /ΦaΦa / あるいは /Φawa / という発音では唇を二回すぼめることになります。/ papa / であれば、もっと完璧に唇が合わさるのですが、この当時はもう / papa / ではなくなっていました。
この [ Φ ] の音は江戸時代に入ってから [ h ] の音に変化しまが、それまで日本語には現代の「は、へ、ほ」の音がありませんでした。「海」「漢」が、元になった中国語の発音からすれば「はい」や「はん」となるはずであったのに、「かい」「かん」となったのは、古代の日本に [ h ] の音が存在しなかったので、近い音である [ k ] を当てたためなのです。
原始、母は Papa であった
「は」行と「ば」行が清音と濁音の関係にありながら、無声音と有声音の関係にはない、ということはとても不思議なことですが、どうしてこんなことが起こったのでしょう。
実は、大昔、「は」行は [ p ] で発音されていたのです。「母」は / papa / であり、「花」は / pana / でした。ですから、この当時は、ちゃんと「は」行と「ば」行は無声音と有声音の関係だったのです。
ただし、これは奈良時代に入る以前のことです。いろいろな文献が書かれるようになったころには、すでに「は」行は [ p ] ではなくなっていました。現在の通説では、「は」行は、始め [ p ] であったが、奈良時代には [ Φ ] になり、江戸時代に入って [ h ] に変わって今日に至った、とされています。
それでは、どうして、「は」行が昔は [ p ] であったと分かるかということには、次の根拠が擧げられています。
では、「ば」行の方はなぜ、変わらずに [ b ] のままだったのかという疑問が生じます。これは、「は」行が [ p ] でなくなったと言っても、すべての「は」行がそうなったわけではなく、擬音語などに [ p ] の音が残ったために、「ば」行はそれとの関係で [ b ] を維持した、と考えられます。
また、「ば」行が [ ß ] や [ w ] に変わってしまうと、前からあったそれらの音と混乱するので、それを避けるために [ b ] のまま残ったという考え方もあります。
「は」行の万葉仮名
奈良時代の万葉仮名では、「は」行は次のように、[ p ] または、その帯気音で発音される文字を使って書かれていました。このことは当時の「は」行が中国語の [ h ] ではなく [ p ] に近かったことを示しています。
ハ 波、破、簸、巴、播、、、、
ヒ 比、必、卑、臂、避、、、、
フ 布、不、否、負、府、、、、
ヘ 敝、弊、幣、陛、覇、、、、
ホ 保、朋、褒、富、凡、、、、
ただし、これが即座に、「は」行の子音が [ p ] そのものであったという根拠になるわけではありません。他の理由で、この当時の「は」行はすでに [ p ] ではなく、[ Φ ] であったと考えられています。
円仁(慈覚大師)が「在唐記」(842年頃)の中で、サンスクリット語の pa を次のように説明しています。
唇音、以本郷波字音呼之、下字亦然、皆加唇音
つまり、pa は唇で出す音である。我が国の「波」の字の発音でこれを発音せよ。pi、pu、pe、po なども同じように。みな唇の音を加えよ。という訳です。最後にことさら「加唇音」とくり返しているのは、「波」の子音は [ Φ ] であったので、さらに強く唇を使わないといけないことを強調するためと思われます。
「ぱ」行はなぜ「半濁音」なのか
「ぱ、ぴ、ぷ、ぺ、ぽ / pa, pi, pu, pe, po / 」は半濁音と呼ばれています。「半分濁っている」とはどういう意味でしょう。そもそも / p / は濁っているでしょうか。無声音・有声音ということでは / p / はもちろん無声音です。
前項に書きましたが、奈良時代以降、清音・濁音の関係は必ずしも、無声音・有声音の関係になっていません。しかし、そもそも、濁音の働きは単に有声音を示すというだけではないのです。
たとえば、「か」と「が」の違いは、「カラス」と「ガラス」を区別するのに役立ちます。他にも「はし(橋)」と「はじ(恥)」、「たく(炊く)」と「だく(抱く)」など、清音と濁音で区別されている言葉はたくさんあります。英語でも、cap と gap、seal と zeal、time と dime のように無声音と有声音で区別される単語はたくさんあります。
しかし、日本語の清音・濁音の働きは、このように単に、異なった音として単語を識別するだけではありません。
一つには、「親がらす」「子がらす」のように、複合語を示す働きがあります。「親からす」「子からす」と言ったのではまとまった一つの言葉のような感じがしません。「か」が濁音に変わることで、元々は別の言葉であったものが一体化するのです。「親がらす」と聞いて「ガラス」の一種かと思う人はいません。誰でも「からす」のことだと分かります。同じように「塩ざけ」と聞いて「ザケって何?」と言う人もいません。ですから、ここでは清音・濁音は、上で述べたような言葉の区別とは違う働きをしていることになります。これに対して、英語では、複合語になったからといって無声音が有声音になるということはありません。「野球帽」が baseball gap になっては困るのです。
ただし、日本人が意識して清音を濁音に変えているわけではないと思います。変化そのものは音声学的な法則によるものでしょう。しかし、長いあいだの習慣によって、清音・濁音にそういう働きを感じ取るようになった、ということはできます。
また清音・濁音は、擬音語や擬態語の中で、下の組み合わせのように、共通の意味を保ちながら細かい意味の差を表してもいます。
かりかり、がりがり(何かをひっかく)
こーん、ごーん(と鐘がなる)
とんとん、どんどん(ドアをたたく)
さわさわ(という風の吹く音)、ざわざわ(という人の騒ぐ声)、など。
以上のように、清音・濁音は、無声音・有声音として語を識別するのとはむしろ逆に、細かい意味の違いを付け加えつつ、なおかつ同類の言葉としてのまとまりを示しているのです。その意味では、清音・濁音は「同じ音」を表していると言うことさえ出来ます。
こういう目で、/ h / と / p / を見てみると、
ひっぱる < 引き+はる
さっぴく < 差し+ひく
つっぷす < 突き+ふす
などの複合語に見られるように、上に書いた清音・濁音の関係と良く似ていることがわかります。また、
ひゅうひゅう、ぴゅうぴゅう、びゅうびゅう(風が吹く)
ひいひい、ぴいぴい、びいびい(泣く)
はらはら、ぱらぱら、ばらばら(落ちる)
へこへこ、ぺこぺこ、べこべこ(おじぎする、へこむ)
などの擬音語・擬態語をみると / h, p, b / が同じようなまとまりを持っていることが分かります。
前に書きましたように、/ p / は、奈良時代に入るまでは、「は」行の音として、濁音「ば」行に対する清音の位置を占めていました。ところが、やがてその位置を / Φ / に奪われ、自らは、擬音語・擬態語の中に細々と残るだけとなりました。音声学的には / b / に対する無声音であり、清音と呼ばれて当然のものなのですが、「ば」行に対する清音の位置にはすでに / Φ / があります。/ p / は、いわば、はみ出されたかっこうになってしまったのです。清音でありながら、清音とは呼ばれない。上に書いたように濁音と同様の働きを持ってはいても濁音とも呼べない。そんなことから、「半濁音」という見るからに中途半端な名前を戴くようになったものと思われます。
( Jun. 2003 )
参考文献:
日本語の音韻(日本語の世界7、小松英雄著、中央公論社、1981)
国際音声記号ガイドブック(竹林滋・神山孝夫訳、国際音声学会編、2003)
日本語の歴史(日本語講座6、阪倉篤義著、大修館書店、1977)
日本語をさかのぼる(大野晋、岩波新書、1974)
言語学大辞典(三省堂、1989)
日本国語大辞典(小学館、1974)
ところで、「ぱ」行の右肩に付ける小さな○、つまり「半濁点」は、どこから来たのでしょう。16世紀末の切支丹文献の中でポルトガル人宣教師たちが使ったのがその始まりだそうです。ただし、小さな○を付けること自体はポルトガル人たちの発明ではありません。実はこの○は、もっと前から別の目的で使われていたもので、ポルトガル人宣教師はそれを転用したにすぎないのです。
室町時代から江戸時代にかけての文献の中には、たとえば「いかた」の「た」の右肩に小さな○を付けたような例が見られます。これは、「いかだ(筏)」ではなく「いかた(鋳型)」であることを示すために付けられているのだそうです。この当時はまだ濁った音に濁点を付けるという習慣が固まっておらず、むしろ濁点を付けないことが多かったので、人々は内容から清濁を判断していました。そういう中で、特に濁っていないことを表したいときには、小さな○を付けるということが行われたのです。これを「不濁点」と呼びます。
本居宣長著「古今和歌集遠鏡」巻一の中には、「鶯の谷より出るこゑなくは春くることを誰か知らまし」という歌の「は」と「し」の右肩に不濁点を付け、「清」という文字を添えた例があります。そうすることで、「声なくば」「知らまじ」と読むことがないように注意を喚起しているのです。( May 2003 )
「濁点」はどうやってできたか?
万葉仮名では、清音と濁音は異なる漢字を使って書き表わされていました。それなのに、ひらがなやカタカナには濁音専用の文字はありません。清音に「濁点」と呼ばれる点々を付けて表します。どうしてそうなったのでしょう。また、なぜ、点は一つではなく2つ打つのでしょう。それに、なぜ、左肩や右下ではなく、右肩に打つのでしょう。
そもそも、ひらがなやカタカナは「仮名」という名のしめすように、真名(=漢字)に対する仮のものとして始まりました。ひらがなは漢字の草書体から、カタカナは漢字の一部からできたという違いはありますが、どちらも始めはちょっとした走り書きや、私的な覚え書きに使われたものと思われます。ですから文脈などから分かるかぎり、わざわざ清濁の書き分けをしようとは思わなかったようです。たとえば、ある程度の教養のある人にとって、「煩」の字を「ハン」ではなく、「ボン」と読むべきことをメモしておきたい時は、ただ「ホ」と書いておくだけで十分です。ことさら「ボ」に当たる仮名を作るよりも、このほうが簡単で便利です。なにしろ、これによって、ガ行、ザ行、ダ行、バ行の計20個の仮名を余分に作らなくても済むのですから。
そもそも、もともと日本語には濁音で始まる語がなかったこともあって、辞書のように厳密に発音を記する必要のある物を除いては、清濁を書き分けなくてもそれほど不便はなかったようです。点々を付けて濁音を表すという仕組みがちゃんと出来上がった後でも、むしろそれを付けないことが多く、それが現在のような慣習と成るのはずっと後のことでした。大日本帝国憲法の第3条に、かの有名な「天皇ハ神聖ニシテオカスヘカラス」という条文があるのを始め、明治40年に作られた刑法も、平成7年に改正されるまでは、第1条「本法ハ何人ヲ問ハス日本国内ニ於イテ罪ヲ犯シタル者ニ之ヲ適用ス」という調子でした。現行の法律の中にも未だに濁点なしのカタカナで書かれたものがあるのではないかと思いますが、法律のことは詳しくありませんので、六法全書で御確認下さい。
濁点は「声点(しょうてん)」と呼ばれるアクセントを示す記号から発展して出来たと思われます。承暦3年(1079)の識語を持つ大東急記念文庫蔵「金光明最勝王経音義」では、漢字の読み方を示すために万葉仮名が使われていますが、その万葉仮名の周りに点を付けることでアクセントをも示しています。たとえば、「織」という漢字の訓を万葉仮名で「於留」と表した上で、「於」の左肩に一つの点を付けてそれが高く平らに発音されるべきことを示し、「留」の左足下に一つの点をつけて低く平らに読まれるべきことを示しています。つまり、現代共通語の「おる」と同じ読み方とアクセントを示していることになります。
この「金光明最勝王経音義」にはアクセントの凡例が載っています。文字を正方形□で代表させ、その□の左肩に一点を付けて「上」と記し、左膝あたりの一点には「東」、左足下の一点に「平」、右足下の一点に「入」、右膝あたりの一点に「徳」、そして、右肩の一点に「去」と記しています。これは、それぞれの点の位置によって、中国語のアクセントである「声(しょう)」を示したもので、この点を「声点」と呼びます。
「上、東、平、入、徳、去」はそれぞれ「上声、東声、平声、入声、徳声、去声」を表します。「上声」は高く平らに、「平声」は低く平らに、「東声」は高いところから下降するように、「去声」は低いところから上昇するように発音します。「徳声」「入声」はそれぞれ、「上声」「平声」のあとに p, t, または k が付いて終わる音節のためのアクセントで、漢字音専用です。
(「こんこうみょうさいしょうおうきょうおんぎ」は仏教教典の一つである金光明最勝王経の語句の発音と意味を注釈した本です。)
声点は本来、漢字のアクセントを示すために工夫されたものでしたが、上に見るように、いつからか、漢字の読み方を示す万葉仮名にも付けられるようになり、さらにカタカナにも付けられるようになりました。そして、誰かは分かりませんが、濁音には声点を2つ付けるということを思い付いた人がいたようです。
1100年前後に編纂されたと推定される図書寮本「類聚名義抄」では、「アカク」という仮名に対し「ア」の左足下に1つ、「カ」の左足下に2つ、「ク」の左肩に1つの声点が付けられています。現代語とはアクセントが違いますが、これで「あがく」をあらわしているのです。ここでは「濁点」が左足下にあることに御注意下さい。他に左肩に付けられた例も載っています。
濁音の右肩に2つの点が打たれた例は、鎌倉時代の観智院本「類聚名義抄」に見ることが出来ます。ここでは、「タカイニ」という仮名に対して、「タ」の左足下に1つ、「カ」の右肩に2つ、「ヒ」の左肩に1つの声点が施されています。「たがいに」のアクセントはこの当時も現代と同じであったので、「カ」の声点は「左」肩にあるはずなのに、それを無視して、現代の濁点と同じ「右」肩に付いているのです。
(「るいじゅみょうぎしょう」は平安末期の漢和辞典です。今日残っている写本には「書陵部本」「高山寺本」「観智院本」「蓮成院本」「西念寺本」があります。完本は「観智院本」だけ。*参考文献「日本語の音韻」に「図書寮本」とあるのは「書陵部本」に同じかと思います。)
アクセントを表示するための「声点」から生まれた「濁点」でしたが、いつも「声点」と組み合わせなければ表示できないというのは、やはり不便を免れません。そのうち、濁音にだけ2点の「声点」を付け、清音には何も付けないという試みもなされましたが、この場合は「濁点」が左肩に付いたり、左足下に付いたりすることになり、やはり、「声点」の影を引きずっています。いつしか、「濁音」だけを現在と同じ右肩に付けるという習慣ができました。右肩は「去声」の位置ですが、「去声」アクセントは和語では語の始めに来るのがほとんどであり、それに対し濁音は語頭には来ませんので、たまたまこの位置なら両者がかち合うことがなかったのです。
一方、「声点」は次第に使われなくなっていきました。「濁音」の成立と共に、ことさらアクセントを付けなくても、語の識別が可能になったということもありましょうし、また、14世紀ごろ日本語にに大きなアクセント変化が起こり、アクセントを表示することが却って混乱の元と成りかねなくなったという事情も働いたものと思われます。
以上の記述はほとんどを小松英雄著、日本語の世界7「日本語の音韻」に拠っています。詳しいことは本書をお読み下さい。
( Jun. 2003 )
参考文献:
日本語の音韻(日本語の世界7、小松英雄著、中央公論社、1981)
日本国語大辞典(小学館、1974)
小学校で「ひらがな」を習うとき、「あ、い、う、え、お」から始まって、「か、き、く、け、こ、さ、し、す、、、」と続く五十音図を教わります。また、国語辞典や百科事典などを引くときも、五十音図の順番で項目をたどります。私たちが当たり前のように受け入れている五十音図ですが、ふと考えてみると不思議なことがあります。
まず第一に、母音と子音が整然と組み合わされている、その構成です。「あ、い、う、え、お」という母音に続き、次は、その母音に子音 / k / を加えて「か、き、く、け、こ」、さらに子音 / s / を加えて「さ、し、す、せ、そ」など、など。同じく仮名を唱えるのでも「いろはにほへと、、、」とは大きく違います。
いったい誰が、何のためにこれを作ったのでしょうか。ひょっとしたら文部省がと思っていらっしゃる方がおいでかもしれませんが、文部省ではありません。ちなみに、「五十音図」という呼び方は契沖の「和字正濫抄」(1695年刊)以後のことで、それ以前は単に「五音」と呼ばれていたのだそうです。
第2に、「あ、い、う、え、お」の次はなぜ「か、き、く、け、こ」なのでしょう。「ら、り、る、れ、ろ」でも「ま、み、む、め、も」でもよさそうなものです。英語ならA、B、C、、、の順ですから、「あ、い、う、え、お」の次は「ば、び、ぶ、べ、ぼ」でもよかったはずです。「あ、か、さ、た、な、は、ま、や、ら、わ」という順番はどこから来たのでしょう。
面白いことに、この順番は日本語に限ったことではありません。ビルマ文字やチベット文字、タイ文字も、ごく大雑把に言えば「カ、サ、タ、ナ、、、」の順番に並んでいます。これらの言語は、特に日本語と親戚というわけではありません。言語学的には中国語に近い言語とされています。
何か、共通点があるとすれば、そう、チベットもビルマもタイも仏教国だと言うことでしょうか。そう言えば、さらに、仏教の発祥の地、インドでも、ヒンディー語、ベンガル語などインド系言語の文字のほとんどすべてが、「ア、カ、サ、タ、ナ、、、」の順番に並んでいます。実は、五十音図の成立には仏教が関係しているのです。
(注:ビルマ文字、チベット文字、タイ文字には母音専用の文字がありません。母音は声門閉鎖音を表す文字に母音記号を付けて表します。)
ただし、これらの言葉には日本語にない音がかなりあり、濁音を表す専用の文字もあります。ですから、「ア、カ、サ、タ、ナ、、、」の順番に並んでいるというのは、日本語にない音の文字を除いたり、似た物をまとめたりしての話ですが、それにしても、類似は明らかだと思います。
また、これらの文字では、子音文字の基本形はすべて、母音 / a / を伴っています。つまり、日本語の「ア段」に当たる文字です。日本語では「イ段」の「キ」や「ウ段」の「ス」などにそれ専用の文字がありますが、これらの言葉では「イ段」や「ウ段」などの専用の文字はありません。「ア段」以外の音は基本形に独特の母音記号を付けて表します。
これは日本語とは大きく異なる表し方ですが、しかしながら、却ってこういう原理に接したことこそが、「カ、キ、ク、ケ、コ」が同じ子音を共有するということに気付かせてくれたのではないでしょうか。仮名だけを見ていたのでは、「カ行」「サ行」などと、共有する子音ごとにまとめるという発想は出てこなかったかも知れません。インド系文字に接した「カタカナ」が五十音図にまとめられる一方で、「ひらがな」がずっと「いろはにほへと、、、」と唱えられてきたことと比較してみて下さい。
インド系文字について、もう少し詳しくお知りになりたい方はデーヴァ・ナーガリー文字の説明を御覧下さい。これは今日、ヒンディー語を始め、ネパール語、マラーティー語、およびサンスクリットを書き表わすのに用いられているインドの代表的文字です。
また、これらのインド系文字では、日本語の「ハ行」に当たるところは / p / の文字になっています。これについては「原始、母は Papa だった」など、「は行」についての項目を御覧下さい。
インドの文字はどうして「ア、カ、サ、タ、ナ、、、」?
インドでは様々な文字が使われていますが、そのほとんどすべてがブラーフミーと呼ばれる文字に起源を持ちます。ブラーフミー文字自体の起源については諸説があり、はっきりしません。フェニキア文字と同じく北セム系とする説が有力ですが、マウリヤ王朝のアショーカ王が作らせたとする説や、インダス文字に結び付けようとする試みもあります。
ともあれ、仏教に帰依したことで有名なアショーカ王(紀元前268頃〜232頃)がインド各地に立てた碑文の多くはこの文字で刻されています。この文字はやがて地方によって字体が変化し、大きく北方系、南方系に分かれます。そしてさらに変化して、やがて今日使われている多くの文字になっていくのですが、北方系ブラーフミー文字は4世紀に興ったグプタ王朝の下でグプタ体と呼ばれる形に発展します。そして、このグプタ体から、今日ヒンディー語やサンスクリットの表記に使われるデーヴァ・ナーガリー文字や、仏教と共に中国や日本に伝わった悉曇(しったん)が生まれます。
チベット文字は、伝承によれば、紀元7世紀の英主ソンツェン・ガンポが開国の当初、トンミ・サンブホータをインドに派遣して作らせたと言われています。モデルとされたインド系文字がどれであったのか明らかではありませんが、字の形から考えてグプタ文字を模倣したとする説が有力です。
ビルマ文字とタイ文字の起源は未だ確定されていないようですが、表される音の種類や文字の順序はインド系の文字と酷似しており、やはりブラーフミーに起源を持つとする説が有力です。少なくとも、インド系の文字の強い影響を受けていることは確かでしょう。
インド系文字がすべて同じ順序になっているのは、上に述べたように、起源が一つだからですが、それでは、その順序はどのようにして決まったのでしょう。デーヴァ・ナーガリー文字の説明の中に示しましたように、母音、子音と分け、更にその子音を発音の仕方によって整然と分類したこの順序は、自然にできたものではありません。
サンスクリット
実は、これは、サンスクリットと呼ばれる言語と、パーニニという紀元前4世紀の学者に帰するのです。サンスクリットは古代インドの文章語で、プラークリットと呼ばれる一般民衆の言葉に対し、文法的に規範化され、洗練された言語です。サンスクリットは、古代インドで世界の創造主と考えられていたブラーフマン(梵天)が伝えた言葉とされ、日本や中国では梵語とも呼ばれています。ともあれ、サンスクリットは聖なる言語ですから、古代から多くの研究がなされていましたが、パーニニがまとめた音韻論・形態論が余りに優れたものであったため、それ以前の研究は忘れられ、それ以後はパーニニが絶対とされました。ということで、文字の形は変わってもパーニニが定めた順序が変わることはなかったのです。
ただし、パーニニは統語論については規定しなかったので、その後サンスクリットはパーニニの規則を守りつつも、彼が予想もしなかった言語に発展しつつ現在に至っています。そういう意味で、サンスクリットは決して死語ではありません。(これを現代でも使っている人々がいるということが宮坂宥洪著「インド留学僧の記」人文書院、1984 に書いてあります。)
五十音図に影響を与えた文字は?
日本語の仮名は漢字をもとに作られたものですから、インド起源でありませんが、五十音図の配列にインド系文字の影響があったことは確かです。
初期の五十音図が現れた頃、日本の僧侶たちの間では、悉曇文字およびそれで書かれた梵語(サンスクリット)の研究が行われていました。これを悉曇学あるいは梵学と言います。日本では、この両者はしばしば同じ意味で使われ、また、悉曇、梵字、梵語、などの言葉が、文字、文法、言語それ字体の区別なく使われることがありますが、どちらかというと悉曇学は文字とその発音、梵学はサンスクリットの文法、語義解釈を対象としています。
現在では、サンスクリットはデーヴァ・ナーガリー文字で書かれますので、デーヴァ・ナーガリ文字も梵字ということになりますが、この当時、梵字と言えば悉曇文字でした。「悉曇(しったん)」は「シッダム(完成されたもの)」を漢字で表したもので、グプタ文字のシッダマートリカ体を指します。唐の玄奘三蔵がインドでサンスクリットを学んだ頃はこの文字で書かれていました。中国には7世紀始めに伝わりましたが、三蔵の帰国と共に研究が大いに進み、日本へは、遣唐使と共に入唐した空海などの学僧によってもたらされました。
インドでは7世紀頃から、シッダマートリカ体から分かれてナーガリ文字が生まれ、前者の衰退と反比例するように広く普及しました。そして、10世紀以降シッダマートリカ体に取って代わるに及び、名前も「神」を意味する「デーヴァ」を冠して、デーヴァ・ナーガリ文字と呼ばれるようになりました。
初期の五十音図
行の順序が現代と同じ五十音図が現れたのは鎌倉時代のことですが、すでに平安時代末期には、行の順序が部分的には異なるものの、五列十行の五十音図が天台宗の学僧明覚(みょうがく)によって作られていたそうです。
日本最古の五十音図は、11世紀初頭の書写と推定されている醍醐寺三宝院蔵の「孔雀経音義」の末尾に付載されたもので、カタカナで、
キコカケク シソサセス チトタテツ イヨヤエユ ミモマメム
ヒホハヘフ/ヰヲワヱウ(この2行は並列) リロラレル
の順序になっています。(ちなみに、五十音図は「カタカナ」です。「ひらがな」は「い、ろ、は、に、ほ、へ、と、、、」で書かれます。)
また、承暦3年(1079)の識語を持つ大東急記念文庫蔵「金光明最勝王経音義」の本文のあとには「五音又様」「五音」として2種類の音図が付載されています。
五音又様:
ラリルレロ ワヰフヱヲ ヤイユエヨ アイウエオ マミムメモ
ナニヌネノ 已上清濁定音
ハヒフヘホ タチツテト カキクケコ サシスセソ 已上随上字音清濁不定也
五音:
ハヘホフヒ タテトツチ カケコクキ サセソスシ 已上清濁不定也
ラレロルリ ナネノヌニ マメモムミ アエオウイ ワヱヲフヰ ヤエヨユイ 已上清濁不替也
「五音」の方では、最初の行にあるものは「清濁不定」つまり清音になることも濁音になることもあり、次の行では「清濁不替」つまり清濁は変わらない(一定)と注釈をしています。
「五音又様」では注釈の言葉が「清濁定音」と「清濁不定」と分かりやすくなっており、その上、2行目では「上に来る音によって清音になったり濁音になったりする」というふうに詳しく書かれています。「五音又様」のほうが先きに載せられていますが、内容からすると「五音」を改善したもののようです。
(「くじゃくきょうおんぎ」は孔雀経の語句の発音と意味の解説書(観静著)、「こんこうみょうさいしょうおうきょうおんぎ」は金光明最勝王経の語句の発音と意味の解説書です。)
以上のことを見てみると、五十音図の始まりは、単純にサンスクリットの文字の順序を真似したわけではないようです。漢訳仏典の注釈書に載せられていることから見て、五十音図製作の動機は、漢字の読み方を記す手段としてのカタカナを整理する、ということにあったと思われます。また、製作者は、悉曇学や中国音韻学の知識のある真言宗あるいは天台宗の学僧であったことはまず確かだそうです。
サンスクリットの研究そのものが動機であったならば、また、当時の僧侶がサンスクリットで書かれた仏典を研究対象としていたならば、五十音図も最初からサンスクリットと同じ順序になっていたかもしれません。しかし、実際は漢訳仏典が対象であったことが、五十音図が上に見たような形から始まった理由と言えるでしょう。また、悉曇にはある濁音が五十音図にはないということも、そのような経過を考えれば、納得が行くのではないかと思います。
( Jun. 2003 )
参考文献:
日本語の音韻(日本語の世界7、小松英雄著、中央公論社、1981)
般若心経を梵語原典で読んでみる(涌井和著、明日香出版社、2003)
Teach Yourself Sanskrit ( Michael Coulson, 1976 )
華麗なるインド系文字(町田和彦編著、白水社、2001)
インド留学僧の記(宮坂宥洪著、人文書院、1984)
日本国語大辞典(小学館、1974)
(その他、私は読んでおりませんが、「五十音図の話」馬渕和夫著、大修館書店)
万葉仮名は、たとえば「はな」を「波奈」というように、漢字の意味とは関係なく音だけを使って日本語を表記しようとしたものです。
「万葉集」の中に特徴的に見られるので「万葉仮名」と呼ばれますが、実際はもっと以前から使われていました。
「阿伊宇愛於」は「あいうえお」に当たる万葉仮名で、712年成立の「古事記」に使われたものです。ただし、万葉仮名は一つの音に対して一つの漢字とは限りません。古事記の場合、「あ」と「い」はそれぞれ「阿」「伊」だけですが、「う」「え」には2種、「お」には3種の漢字が使われています。
720年成立の「日本書紀」はもっとすごくて、「あ」に3種、「い」に5種、「う」に6種、「え」に3種、「お」に7種の漢字が使われています。日本書紀というのはそもそも、日本にはこんなに立派な歴史があるのだと、対外的に喧伝する目的で書かれたもので、文体は正格の漢文ですし、万葉仮名もまるで知識を見せびらかすように多くの、しかも難しい漢字が使われているのです。
ちなみに、現在の「あいうえお」の元になった万葉仮名は「安以宇衣於」、「アイウエオ」の元になったのは「阿伊宇江於」です。
万葉仮名がすべてではない
万葉集がすべて万葉仮名で書かれていたわけではありません。漢字だけで、漢文まがいに書かれたものや、助詞だけを万葉仮名で書いたものなど、種々の表記があります。
春楊葛山発雲立座妹念
(春楊[やなぎ]葛城山にたつ雲の立ちても坐[ゐ]ても妹をしぞ思ふ、巻十一、2453)
上の歌ではすべての漢字が、万葉仮名ではなく「正訓」として使われています。「正訓」というのは、たとえば「波」を「なみ」と読み、「波」の意味で使ったものを言います。これを「波奈」のように、「春」を表記するために使うと「万葉仮名」ということになります。
春過而夏来良之白妙能衣乾有天之香来山
(春過ぎて夏来たるらし白妙の衣干したり天の香具山、巻一、26)
ここでは、春、過、而、夏、来、白妙、衣、乾、有、天、之(の)、香来山は「正訓」として使われていますが、良(ら)、之(し)、能(の)は万葉仮名として使われています。
ふつうの万葉仮名
万葉仮名の多くは漢字の「音読み」を用い、1字で1音節を表します。たとえば、山上憶良の「うりはめば」という有名な歌は、万葉集の中に次のように書かれています。
宇利波米婆 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯弖斯農波由 伊豆久欲利 枳多利斯物能曾 麻奈迦比爾 母等奈可々利堤 夜周伊斯奈佐農
(瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲ばゆ いづくより 来たりしものそ まなかひに もとなかかりて 安寝[やすい]し寝[な]さぬ、巻五、802)
また、「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」という歌は、古事記と日本書紀でそれぞれ次のように記されています。
夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久流 曽能夜幣賀岐袁
夜句茂多菟 伊弩毛夜覇餓岐 菟磨語味爾 夜覇餓枳菟倶慮 贈迺夜覇餓岐廻
(注:上の例の「迺」は参考文献「日本語の世界7」では「しんにょう」ではなく「えんにょう」になっています。)
訓読みを使った万葉仮名
中には「訓」を使った万葉仮名もあります。たとえば、「やま」を「夜麻」と書けば「音読み」を使った万葉仮名ですが、「八間」と書けば「訓読み」を使ったことになります。
次の、最初の例では「夢」を「湯目」と、訓を使った万葉仮名で表しています。これを音で表せば、たとえば「由米」のようになります。また、次の例では「朝凪ぎ」を「正訓」の「朝」、訓仮名「名(な)」、音仮名「藝(ぎ)」で表記しています。
恋為道相与勿湯目(恋する道に相こすなゆめ、巻十一、2375)
松帆乃浦尓朝名藝尓玉藻苅管(松帆の浦に朝なぎに玉藻苅りつつ、巻六、935)
さらに変わった万葉仮名
漢字1つで2つの音節を表すもの、逆に漢字2つで1つの音節を表すもの、などもあります。更にそれが進んで「なぞなぞ」のようになっているものさえもあります。
たとえば、「山上復有山」は「山の上にまた山がある」ということから「出」となり、「出づ(いづ)」と読むのだそうです。
万葉集の中には他にも色々変わった万葉仮名が使われています。下にそのいくつかを御紹介します。
(1) 2音節に読む音仮名(漢字の「音」を使った万葉仮名)
下の例では、険(けむ)、南(なむ)、覧(らむ)、瞻(せみ)、散(さに)、篇(へり)、欝(うつ)、越(をち)、乞(こち)、颯(さふ)、のように、漢字音の語尾 -m を「む」「み」と読み、語尾 -n を「に」「り」に当て、語尾 -t を「つ」「ち」、語尾 -p を「ふ」と読んでいます。
これは現代の我々が英語をカタカナ化するときに、ham を「ハム」、cup を「カップ」、strike を「ストライキ」「ストライク」などと読むのと同じです。
(注:英語の ham、cup、strike は一音節の語です。)
ただし、上のような万葉仮名の使い方は、万葉集以外では見られないものです。「散」と「越」は他のところでは「さ」「を」として使われています。
古尓有険人母(いにしへにありけむひとも、巻七、1118)
大宮人者去別南(大宮人はゆきわかれなむ、巻二、155)
風尓加妹之梅乃散覧(風にか妹の梅の散るらむ、巻十、1856)
欝瞻乃世人有者(うつせみの世の人なれば、巻四、729)
散頬相色者不出(さにつらふ色には出でず、巻十一、2523)
愛等思篇来師(うつくしと思へりけらし、巻十一、2558)
吉野川奥名豆颯(吉野の川のおきになづさう、巻三、430)
百礒城乃大宮人毛越乞尓思自仁思有者(ももしきの大宮人もをちこちにしじにしあれば、巻六、920)
(2)
一字で二音節または三音節以上を表す訓仮名(漢字の訓を使った万葉仮名)
下の例では、金(かね)、鶴(つる)、慍(いかり)が万葉仮名として使われています。「慍」は「怒る」という意味です。
流涙止曽金鶴(流るる涙止めぞかねつる、巻二、187)
大船香取海慍下(大船の香取の海にいかり下し、巻十一、2436)
(3)
二字で一音節を表す訓仮名
下の例では「五十」を「い」と読んで、「いかだ」を「五十日太」と書き表わしています。
百不足五十日太尓作(百[もも]足らず筏に作り、巻一、50)
(4)
二字または三字以上で二音節を表す訓仮名
下の例では、「十六」で「しし」、「八十一」で「くく」を表しています。
十六社者伊波比拝目(鹿[しし]こそはいはひをろがめ、巻三、239)
高北乃八十一隣之宮尓(高北のくくりの宮に、巻十三、3242)
(5)
正訓を兼ねた音仮名
音仮名を使用しながら、同時に意味をも示そうとしたと思われる万葉仮名も有ります。
烏梅(うめ)、波流楊那宜(はるやなぎ)、河波知登里(かはちどり)、麻通羅左用嬪面(まつらさよひめ)、など
(6)
戯書
上のような技工が更に極端になったものを「戯書」と呼びます。次の例では、「馬声(い)」「蜂音(ぶ)」「石花(せ)」「蜘蛛(くも)」「荒鹿(あるか)」と五種の生物を並べ、須(す)十(そ)二(に)四(し)宝(ほ)三(み)都(つ)では意識的に数字を並べています。(「い」「ぶ」はそれぞれ馬の鳴き声、蜂の羽音です。)
垂乳根之母我養蚕乃眉隠馬声蜂音石花蜘蛛荒鹿異毋二不相而
(たらちねの母が養[か]う蚕[こ]の繭ごもりいぶせくもあるか妹に会はずして、巻十二、2991)
珠裳乃須十二四宝三都良武香(珠喪の裾に潮満つらむか、巻一、40)
(Jun. 2003)
参考文献
日本語の世界5、仮名(築島裕、中央公論社、1981)
日本語の世界7、日本語の音韻(小松英雄、中央公論社、1981)
講座国語史2、音韻史・文字史(築島裕、他、大修館書店、1972)
現代語訳対照・万葉集(上、中、下)(桜井満訳注、旺文社文庫)
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