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アッシュ、シュワー、シータ、エズ、エシュ、エジュ、エング
英語など外国語の辞書を引くと、単語の後ろに [ ] や / / で挟まれた発音記号が書いてあります。英語の文字と同じものもあれば、見たこともない変な文字もあります。一見とっつきにくく見えますが、ひとたび覚えてしまうと、言葉の発音を知る上で大変便利なものです。
個々の発音記号の発音の仕方については各辞書に詳しく載っていますので、それを参照していただくことにして、ここでは、いくつかの発音記号の名前を御紹介します。
発音記号にはすべて名前があります。多くは、単に「小文字のA」とか「小文字のB」とか言う当たり前の名前、また、「逆さのV」とか「逆さのM」とか特に珍しくもない名前ですが、中には上に挙げたように、ちょっと変わった名前もあります。
注:ただし、「小文字のA」というのは普通の活字体の小文字 a でなければいけません(図の1)。「筆記体のA」というのもあって、これは発音が異なります(図の2)。また、「逆さのV」とか「逆さのM」というときの V や M も小文字です(図の5と6)。
「筆記体のA」はアメリカ英語の hot の母音で、ほとんど日本語の「ア」と同じです。ですから、アメリカ人が「暑い」というと「ハット」に聞こえます。イギリス英語の hot の母音は口を丸くして出す「ア」と「オ」の中間のような音で、発音記号では「逆さ筆記体のA」(図の3)になります。ただし、日本の辞書では普通この記号は使われず、図4の「開いたO」で表されています。「開いたO」は活字としては「逆さのC」を使います。
「逆さのV」(図の5)は mother や uncle の母音で、イギリス英語では日本語の「ア」とほとんど同じですが、アメリカ英語では少し「オ」のような響きがあります。ただし、口は丸めません。「逆さのM」(図の6)は日本語の「う」で、英語と違って口を丸くすぼめずに発音します。
アッシュ
図の7の記号は「アッシュ ash」と呼ばれています。発音記号としては、「ア」と「エ」の中間のような音で、大きめに口を開けて「エ」を言うか、口を横にぐっと引きながら「ア」を言うと、大体この音が出ます。名古屋弁で「ダイコン」と言うときの「デアーコン」の「エアー」という母音もこれに近いと思います。
この文字は元々は a と e の合字(ligature)で、6世紀、ラテン・アルファベットと共にイギリスに導入され、古英語(450年〜1100年)を表記するのに使われました。中英語の時代(1100年〜1500年)になって次第に使われなくなりましたが、アイスランド語では現在でもまだ使われていて、「アイー」という名前です。
ラテン・アルファベットが導入される前、イギリスではルーン文字が使われており、F のような文字(2本の横棒が斜に下がっている)が / æ / を表し、「アッシュ」と呼ばれていました。「アッシュ ash」というのは ash-tree(トネリコ)のことですが、なぜ「アッシュ」かと言えば、単に記憶を助けるための名前(mnemonic name)です。つまり、覚えやすいように / æ / で始まる単語を当てただけで、別に apple / æpl / でも良かったのです。mnemonic(ニモニック)参照
シュワー
図8の記号には「シュワー schwa」という名前があります。また、英語としては「シュヴァー」と呼ばれることもあります。「あいまい母音」とも呼ばれるように、口を緩く開けてあいまいに発音する「ア」のような「ウ」のような音を表します。アメリカ英語の「逆さのV」とほとんど同じような音ですが、「シュワー」は弱母音としてしか使われません。つまりアクセント(強勢)のない音節にだけ使われます。(ただし、シュワーの後に / : / が付いた記号は弱母音のシュワーとは別物と思って下さい。発音の仕方はほとんど同じですが、service や courage の第一音節のようにアクセントが付きます。注:一般に英語の発音記号では / : / は単なる長音符号ではありません。これが付いた記号と付かない記号では、発音に違いがあります。)
「シュワー」は、単語の綴りとしては a、e、i、o、u のいずれにも対応します。したがって、 about、pocket、acid、today、album など単語の強勢の無い音節はすべて「シュワー」になります。ですから、about は「アバウト」ではなく多少「ウバウト」っぽく言うと英語らしくなります。ただし、強勢のある部分をしっかり強く発音して弱母音「シュワー」との違いを際立たせることが肝要です。
「シュワー」という名前はヘブライ語の「シェウァー」に由来します。現代ヘブライ語では「シェヴァー」と呼びますが、これは子音文字の下に付けられた、縦に並ぶ2つの小さな点の名前です。この記号は、2つの用法があって、一つはその子音に母音が付かないこと(無音シェウァー)、もう一つは、非常に短く発音される / e / の音(有音シェウァー)を表します。有音シェヴァーの場合、普通の短母音の半分くらいの時間でごく軽く発音しますので正に「シュワー」の名に相応しいと言えます。ちなみに、ヘブライ語のシェウァーという単語は「シーン (sh)、ワーウ(w)、アレフ(声門閉鎖音 ')」という3文字から成りますが、この3文字の語根の基本的な意味は「何もないこと」だそうです。
注:ヘブライ語では他のセム語(アラビア語、フェニキア語、など)と同様、普通3文字から成る語根によって、単語の基本的な意味が決まります。また、ヘブライ語、アラビア語では、特に母音を表記したい場合は、子音文字に付加される記号で表します。
シータ
図9の記号は「シータ theta」という名前です。「テータ theta」と呼ぶこともあります。英語の Thank you. や third、bath に出てくる th の音です。アメリカ英語では、舌の先を上下の歯の間に挟み、息を摩擦させながら出して発音します。イギリス英語では舌先を挟まずに、上の歯の先端に付けて息を出します。
日本語でも時々 [ s ] の代わりに [ θ ] を使って、たとえば「せんせい」を [ θenθe: ] のように発音する人がいます。日本語では [ s ] と [ θ ] の区別がないので誤解されることはありませんが、英語では mouse を [ mauθ] と言ったのでは「ネズミ」が「口」になってしまいます。
この記号はギリシャ・アルファベットの第8字(Θ、θ)の小文字を利用しています。(ただし、発音記号としては、もっと直立した形を使います。)このギリシャ文字はフェニキア文字の第9字に由来し、古代ギリシャ語では「テータ」と呼ばれていました。(ただし、「テ」は帯気音で、「テヘータ」のように強く息を出しながら発音します。)現代ギリシャ語では、まさに [ θ ] の音を使って「シータ」と言います。つまり、この「シー」は日本語の「シー」ではなく、英語の see や she でもなく、thief や theme の /θi: / です。
ちなみに、 θ は数学の記号としても使われていて、「角度」や、「敷居値」あるいは「閾値(いきち)」( threshold value )を表すそうです。
エズ
図10の記号は「エズ eth」と言います。エズは英語の this や bathe の th を表す記号です。つまり/ θ / の有声音(俗に言う濁った音)で、舌の先を上下の歯の間に挟み、息をこすらせるように出しながら、「ウー」とうなるように声帯を震わせて発音します。音声学的に言うと、シータが無声の歯摩擦音を表すのに対し、エズは有声の歯摩擦音を表します。
6世紀、当時の英語を書き表わすためにラテン語のアルファベットが採用されたとき、シータとエズの音はどちらも th を使って表されました。th はラテン語においてギリシャ語の θ 、つまり t の帯気音を転写するために作られた綴りです。
現代英語でも、thin と this、author と mother、tooth と smooth などのように、シータとエズのどちらにも th が使われています。
ただし、古英語では、現代英語と異なり、th がどちらの音であるかは語中の位置によって明らかでした。すなわち、母音と母音、あるいは母音と有声子音とに挟まれたときは有声のエズ、それ以外では無声のシータを表します。したがって、古英語では this は /θis / と発音されました。
8世紀の後期になると、シータとエズの音を表すのに d もしばしば使われました。アイルランドで d が慣用的に有声の摩擦音に使われることがあったのを応用したのです。また、「ソーン thorn」と呼ばれるルーン文字もラテン・アルファベットに混じって使われるようになり、さらにエズの文字も作られました。
エズは、イギリス及びアイルランドに独自のアルファベット書体である島嶼体(insular script)の d(数字の6の鏡文字のような字)に横棒を引いたもので、「横棒付きの d (crossed d)」 とも呼ばれます。
9世紀までにはシータとエズの音(歯摩擦音の無声音と有声音)に対してソーンとエズの文字が区別なく使われるようになりましたが、これらの文字は中英語の時代(1100年〜1500年)になって徐々に th によって置き換えられていきました。
興味深いことに、アイスランド語では現在でも、前にお話した æ と同様、ソーンとエズの文字が使われています。ただし、名称は「ソトゥン θotn」と「エーズ」です(「エー」は口を広く開けた /ε: /)。発音は英語の th に当たりますが、アイスランド語では常にソトゥンは無声音、エーズは有声音です。
エッシュ
図11の記号は「エッシュ esh」と言います。これによって表される音は日本語の「シャ、シュ、ショ」の子音と似ていますが、英語の場合にはもっと唇を丸めて発音します。この記号は s を引き延ばして図案化したものだと思います。ちょっと s に似ているが s ではない、ということでしょう。
私の知る限りでは、これを文字として使っている言語はありません。ただ、ハンガリー語では、s の文字を「エッシュ」と呼んでいます。ちなみに、数学では積分の記号として ∫ を使っています。こちらは恐らく、Σ(シグマ、ギリシャ文字。ラテン文字のSに当たる)と同様、sum の頭文字に由来するものでしょう。
英語では普通 / ∫ / の音を sh の文字で表記します。たとえば、sharp や ship、bush などたくさんあります。中には Chicago や Michigan、chaperon、machine のように ch で表す単語もありますが、これらはフランス語に由来します。また、conscience、musician、nation、mansion などのように sci、ci、ti、si で / ∫ / を表している語もあります。
横道にそれますが、かつてバーナード・ショウは英語の綴りの複雑さを皮肉って、ghoti で fish と読める、と言ったことがあるそうです。gh は enough で / f / を表し、o は women で / i / を、ti は nation などで / ∫ / を表すからです。
英語以外の言語を見ると、ドイツ語では sch を使い、フランス語では ch、ポーランド語では sz を使います。ロシア語やヘブライ語、アラビア語、ヒンディー語などのように、それ独自の文字を持つ言語もあります。
面白いことに、ハンガリー語では、s が / ∫ / を表し、sz が / s / を表します。ですから、英語の chance に当たるポーランド語の szansa(シャンサ)をハンガリー人は「サンシャ」と読んでしまうかも知れません。
ちなみに、ハンガリー生まれの偉大な指揮者、ゲオルグ・ショルティとジョージ・セルの名前はそれぞれ Georg Solti、George Szell と書きます。
エッジュ
図12の記号は「エッジュ ezh」と言います。前項のエシュに対する有声音です。形としては Z にしっぽを付けたもので「尾付きの Z , tailed Z」とも呼びます。
フランス語の Japon、jour、genre などはこの音で始まります。カタカナで書けば「ジャポン、ジュール、ジャンル」ですが、日本語の「ジャ、ジュ、ジョ」とは違います。
日本語の「ジャ、ジュ、ジョ」の子音は、特に語頭では、図15に近い音です。この記号は D とエッジュを合わせたもので、「Dとエッジュの合字、D-Ezh ligature」と呼ばれています。エッジュとの違いは、発音するときに舌先を歯ぐきの後ろよりに付けてから発音するということです。つまり、エッジュの場合は舌先を歯ぐきに付けずに、ただ近付けて、その隙間を通る息を摩擦させるのですが、この Dとエッジュの合字の場合は、一度舌を歯ぐき後部に付けてから、パッと離すと同時に前述の摩擦を行うのです。音声学では、エッジュは後部歯茎摩擦音、Dとエッジュの合字は後部歯茎破擦音と呼ばれます。
英語のエッジュ
英語の「ジャ、ジュ、ジョ」の子音は、一部の語を除いて、Dとエッジュの合字の音です。ですから、アメリカ人も日本人と同様、フランス語を発音するときは気を付けなければなりません。Je parle japonais. の j の音がフランス人には訛って聞こえます。
英語では、エッジュで発音されるのは fusion、conclusion、explosion などの -sion の他、leisure や pleasure、treasure、disclosure、seizure など少数の語に限られます。カタカナで書くと同じ「ジャー」でも major や procedure、manager などは破擦音(Dとエッジュの合字の音)ですから区別しなければなりません。特に、leisure と ledger、pleasure と pledger のように「ジャ」のところの違いだけで区別される語もあります。(ただし、leisure はアメリカ英語では「レジャー」ではなく、「リージャー」という感じで発音されますので ledger との違いは「ジャ」だけではありません。)
エッジュに似た音
最近、音楽会のパンフレットなどで、ドボルザークのことを「ドヴォジャーク」と書いてあるのを見つけます。チェコ語の Dvorak( r の上には v 形の記号が付き、a の上には普通のアクセント acute accent が付く)をなるべく原語に近く表記しようとしたものと思います。チェコ語の v 形の記号が付いた r はチェコ語を学習するときの難関の一つですが、巻舌の R に摩擦を加えたような音だそうです。R の響きを含みますので、これまで日本語で「ルザ」と表記してきたのもうなずけます。英語ではこれをエッジュで発音しますので、「ドヴォジャーク」に近いです。
ポーランド語の rz または z の上に点を付けた文字は、エッジュに近い音を表します。かつて、ケネディー及びジョンソン大統領の補佐官を努めた Brzezinski は、日本では「ブレジンスキー」と呼ばれましたが、英語ではエッジュを使って、「ブジェズィンスキー」のように発音します。
中国語の r は特有の反り舌音で、どちらかと言えば「ラ行」の音ですが、かなり摩擦を伴い、時にエッジュのように聞こえます。「日本人」を表す ribenren も「ジーベンジェン」のように聞こえることがあり、マルコ・ポーロが日本を「ジパング」としてヨーロッパに紹介したのももっともなことに思えます。
エング
図13の記号は「エング eng 」と言います。N の小文字にしっぽを付けて作り出したものです。「あんかけ」とか「そんがい」の「ん」が、この音です。ローマ字では ankake、songai のように n を使っていますが、実際は [ n ] ではなくて、エングで発音されます。また、鼻濁音を使う人は「そんがい」の「が」の子音もエングです。
エングは音声学では有声軟口蓋鼻音と言います。舌の後部を軟口蓋(口の天井の後ろの方)に付けたまま、ハミングをするつもりで声を出しながら鼻から息を抜くことで発音します。発音の場所からすると、/ k / や / g / と同じ仲間に入ります。/ k / と/ g / も舌の後部を軟口蓋に付けるという点は同じですが、息を鼻に抜かず、行き所のなくなった息を、パッと舌を離すことで口の方に爆発的に出すことにより発音します。/ k / と / g / は軟口蓋破裂音です。
軟口蓋に舌の後部を付けると言われてもよく分からない方が多いと思いますが、鏡を見ながら、ゆっくり「か、き、く、、、」と言ってみると、舌の後部が盛り上がって口の奥の方の天井にくっつくのが見えると思います。そこが軟口蓋です。
軟口蓋の奥は細く垂れ下がって口蓋垂(のどひこ、俗に、ノドチンコとも言う)になっています。口蓋垂は喉から鼻に行く通路を閉じたり開いたりしている大切なものです。
日本語のエング
日本語では「カ行」と「ガ行」の前の「ん」がエングになります。たとえば、「さんかい」とゆっくり言って下さい。「ん」と「か」の間を少し引き延ばして言ってみて下さい。「か」を言う前の「ん」がエングです。「しんけん」でも「はんごう」でも同じです。
また、鼻濁音の子音もエングです。日本語の共通語では、母音と母音、あるいは「ん」と母音に挟まれた「ガ行」は鼻濁音になります。「しょうがっこう」「うぐいす」「なまあげ」「せんげんじんじゃ」などの「ガ行」は鼻濁音ですから、エングで発音します。
最近は鼻濁音を使う人が少なくなったようですから、上の説明がピンと来ない人もいるかもしれません。演歌では使われるが、ロックの歌では使わないということも聞きますので、鼻濁音はもう古風なのかもしれませんが、たまには古風に演歌なども良いのではないでしょうか。他のところの説明も参考に鼻濁音をマスターしてみて下さい。(ただ、共通語でも鼻濁音にならない場合があります。「かいわがっこう」の「が」のように、複合語がまだ一語として熟していないような場合です。)
英語のエング
現代の英語ではエングは ng の綴りで表されます。たとえば、young や sing、long などの語尾の ng がそうです。日本人の中には「ヤング、スィング、ロング」などと、語尾に / g / を発音してしまう人が多いので注意が必要です。「ヤン、スィン、ロン」などと「グ」を言うつもりで「ン」を言って、「グ」は言わない、というようにするとエングの音が出ます。
また、singer や hanger の ng もエングです。鼻濁音を使わない日本人は「スィンガー、ハンガー」の「ガ」をエングではなく / g / で、つまり、普通の濁音の「ガ」で発音してしまいますから気を付けなくてはいけません。逆に、鼻濁音を使う人は tiger や August の「ガ」がエングにならないように気を付ける必要があります。
English や angry などでは、語尾の ng と異なり、エングを発音したあと / g / も発音します。また、longer は long の比較級としては / g / を発音、「切望する」という意味の動詞 long に er を付けたものとしてはエングのみで発音します。つまり、「ロンガー」の「ガ」を普通の濁音で言えば「より長い」、鼻濁音で発音すれば「切望する人」になります。
エングの文字
エングを文字として使っている言語はないと思いますが、エングの音を表す特別な文字を使う言語はいくつかあります。
英語でもルーン文字で書かれていた頃にはエングに当たる文字がありました。この文字は「イング」と呼ばれていたようです。ルーン文字の名前はふつう頭音書法(acrophony)で付けられているのですが、英語にはエングの音で始まる言葉がありませんので、次善の策としてエングを含む名前を取ったものと思われます。「イング」はゲルマン民族の神あるいは英雄の名前のようです。
英語以外の言葉を見てみると、私の知るところでは、ヒンディー語などを表すデーヴァ・ナーガリー文字や、タイ文字、ビルマ文字などにエングを表す独特な文字があります。ビルマ語では「俺」にあたる(多分少しぞんざいな)言葉は「ガー」と言うそうですが、これはエングで始まります。(一般向けの会話の本などではたいてい「ンガー」のように書いてあります。)また、中国語の普通話では「私」に当たる「我」を「ウォー」のように言いますが、広東語や上海語ではエングで始まって「ンゴー」のように言います。
日本語の「ん」
日本語の「ん」は使われる場所によって様々な異なる音を表します。ローマ字では普通 n で書かれますので [ n ] を表すと思っている方が多いと思いますが、それほど単純ではありません。場合によって千差万別なので、私にはとても説明し切れませんが、以下のようなことは言えます。
「かんばん」「あんぱん」「うんめい」など、次の音が「ば行、ぱ行、ま行」の場合、「ん」は [ m ] として発音されます。後に続く [ b, p, m ] に影響されるわけです。ヘボン式ローマ字ではこのような場合、kamban、ampan、ummei のように m を使って綴ることもあります。
「かんたん」「せんでん」「あんない」などのように、後続の音が [ t, d, n ] のように舌を歯茎に付けて発音するものの場合は、「ん」も歯茎音の [ n ] になります。
また、「せんこう」や「あんがい」のように次の音が [ k, g ](またはエング)の軟口蓋音の場合は「ん」もそれに合わせて軟口蓋音のエングになります。
さらに面白いことに、「ん」の後に母音が続く場合は、その後続する母音に影響された鼻母音のようになります。「ぜんい」の「ん」は「い」の鼻母音のように、つまり、鼻から息を抜きながら「いん」という感じで発音します。同じように「ほんを読む」の「ん」も「お」の鼻母音のようになります。よく、日本語を習い始めたばかりのアメリカ人やイギリス人が「ほんのよむ」と言うのを聞きますが、これは hon o yomu というローマ字を見て「ん」を 英語の [ n ] と思ってしてしまうためです。
また、後に続く音がない場合、「ん」は前の母音に影響された鼻母音や「エング」に近い音になります。ただし、「エング」に近いといっても舌は軟口蓋か口蓋垂に近付くだけで完全に付くことはないようです。いずれにせよ、英語の [ n ] とは違いますから、日本人が英語で Yes, I can. とか I was sleeping then. などと言うときは、最後の n の発音に注意しないと英語らしく聞こえません。Sin が sing に、ton が tongue に聞こえてしまう恐れがあります。
/ N /
日本語の「ん」は発音記号では「小型大文字 N ( Small capital N )」で表します。上述のように、私たちの多くは 「ん」を一つの音だと思っていますが、実は / N / は場所によっていろいろな音を代表しています。
/ N / は日本語の一つの音素です。ある言語の話し手たちが同じ一つの音だと思っている音を、その言語の「音素」と呼びます。「音素」は他の言語の話し手から見ると異なったいくつかの音を含んでいるかも知れません。
日本語では / h / も興味深い音素です。日本人にとって、「は、ひ、ふ、へ、ほ」の子音はすべて同じ / h / ですが、たとえばアメリカ人にとっては、日本語の「フー」は who や hooligan の [ hu: ] と全く異なります。唇を使うという点で、むしろ [ fu ] に近く聞こえます。ですからアメリカ人 ジェームズ・J・ヘボンはヘボン式ローマ字で「ふ」を fu としたのです。日本語の「ふ」の子音はもう少し厳密に書くと [ φ ] に近い音です。また、日本語の「ひ」の子音は、[ ç ] に近い音です。つまり、ドイツ語の「私 ich 」の「ヒ」の音です。日本語の「ひ」は、ドイツ人には [ hi ] と全く異なる音に聞こえます。(参照:もしもドイツ人がローマ字を作っていたら)
英語の / k / という音素も、英語では一つの音ですが、たとえば、アラビア語の話し手にとっては、key と caw の / k / は全く別の2つの音に聞こえます。/ k / は軟口蓋破裂音と言って、舌の後部を口の天井の後ろの方にくっつけてから発音しますが、このくっつける位置が、key の場合は「イー」という母音の影響で前よりになり、caw の場合は「オー」という母音の影響で後ろよりになります。これにより発音が微妙に違ってくるのですが、英語を話す人はその違いを意味の区別に利用することはないので、違いに気が付きません。それに対し、アラビア語を話す人々にとっては、たとえば日本人やアメリカ人にとって同じに聞こえる「キー」でも、前よりの子音を使うか、後ろよりの子音を使うかで、別の単語になってしまうのです。
「音素」は / / に挟んで表示します。それに対して実際に発せられる「音声」を表示するときには、[ ] で挟みます。辞書などに書いてある発音記号は基本的には音素表記ですから / / を使うのが正式ですが、[ ] を使ってある辞書もあります。辞書では、厳密な「音素」表記というよりも、少し「音声」を加味した書き方をしてあるのかも知れませんが、本当に実際の「音声」を表記しようとすると、上述の2つの k を区別することを始め、いろいろな記号を使った非常に煩雑なものになる可能性があります。
T とエッシュの合字
図14の記号 t∫ は「 T とエッシュの合字、T-Esh ligature」と呼びます。図15の「D とエッジュの合字」に対する無声音で、日本語の「チャ、チュ、チョ」の子音に近い音です。
英語では chance の最初の音、また、teach の最後の音です。英語では普通、ch の綴りが / t∫/ を表しますが、フランス語から入った語の場合、ch はエッシュの音 /∫/ になりますので、注意が必要です。たとえば、chandelier、parachute、cache、chauffeur、chagrin、chaperon などです。しかし、中には chassis(シャスィー、チャスィー)や niche(ニッチ、ニーシュ)のように、人によってどちらにもなる語もあります。
いろいろな国の ch
ちなみに、「千葉」と書くつもりで Chiba と書いても、フランス語では「シバ」、イタリア語では「キバ」、ドイツ語では「ヒバ」になってしまいます。
フランス語では chance は「チャーンス」のように読みますが、これを中国(北京)語として読むと、「チャンツァ」のようになります。ただし、中国語のローマ字では ch は反り舌の帯気音です。中国の chan は声調にもよりますが、「纏、禅、蝉、讒、など」を表します。ce はやはり帯気音で「ツァ」と読み、「側、測、厠、策、冊、など」を表します。ついでながら、反り舌の無気音の「チャ行」は zh で表します。zhan は声調によって「占、粘、斬、展、など」を表します。
ベトナム語の ch は「チャ行」に近い音ですが、無声音です。英語の ch は特に語頭ではかなりの呼気を伴い帯気音になりますので、ベトナム語の ch は英語とは異なります。「お父さん」は cha ですが、呼気を抑えて、柔らかく、高めの音で平らに「チャー」と言うのだそうです。(ベトナム語には声調があります。)
また、ベトナム語では tr の綴りも「チャ行」に近い音を表します。北部では ch と同じように発音されるということですが、南部では中国語の zh と同じような反り舌の無声音です。たとえば、tra は「調べる」という意味の動詞ですが、舌を反らせて口蓋にあて、呼気を抑えて、柔らかく、高めの音で平らに「チャー」と言うのだそうです。
いろいろな国の / t∫/
「 T とエッシュの合字」に近い音は言語によっていろいろに表記されます。上に述べたもの以外では、ドイツ語では tsch、フランス語では tch、ポーランド語では cz、ハンガリー語では cs、チェコ語では c の上に v のような記号が付いた文字を使います。
これらの言語から英語に取り入れられた単語は、英語としては変わった綴りになります。「チェコ共和国」は英語で the Czech Republic と書きますが、なぜ cz の綴りを使うのでしょう。ポーランド語の綴りと取り違えたか、あるいは旧式の綴りではこうだったのかもしれません。ハンガリーの民俗舞曲「チャルダーシュ」も csardas ではなく、czardas と綴られることが多いようです。英語の発音では「チャーダッシュ」あるいは時に / z / を使って「ザーダッシュ」と言われます。ちなみに、ロシア語から入った「ロシア皇帝」を意味する czar は tsar や tzar と綴られることもありますが、いずれも / z / で始まり「ザー」のように発音されます。日本では「ツァーリ」と呼びますが。
「チャイコフスキー」は英語では Tschaikovsky または Tchaikovsky と綴ります。Tsch- や Tch- という綴りはドイツ語やフランス語の影響でしょうか。ちなみに、ロシア語には / t∫/ に近い音を表す特別な文字があります。また、「ツァーリ」の / ts / を表す文字もあります。
参考文献:
国際音声記号ガイドブック(竹林滋・神山孝夫訳、国際音声学会編、2003)
英語アルファベット発達史(田中美輝夫著、開文社出版、1981)
The Elements of Old English ( Samuel Moore & Thomas A. Knott, The George Wahr Publishing Co., 1965)
エクスプレス・アイスランド語(横山民司編、白水社、1990)
ヘブライ語入門(神藤耀、阿部望、那須雄二編集、キリスト教聖書塾、1985)
Hebrew( R.K.harrison, Teach Yourself Books, 1968)
エクスプレス・ポーランド語(石井哲士朗著、白水社、1989)
エクスプレス・ハンガリー語(早稲田みか著、白水社、1994)
言語学の開かれた扉(千野栄一、三省堂、1994)
エクスプレス・ヒンディー語(田中俊雄/町田和彦著、白水社、1987)
エクスプレス・広東語(千島英一著、白水社、1994)
エクスプレス・上海語(榎本英雄/范暁著、白水社、1993)
ルーン文字はゲルマン民族が使っていた文字です。現在発見されているもっとも古いものは、2世紀のものですが、その完成度から推定して西暦紀元頃に使いはじめられたものと思われます。
ルーン文字の中の一つ一つの文字のことを英語で rune(ルーン)と呼び、ルーン文字全体のことは runic(ルーニック)または the runes と言います。あるいは最初の6文字をとって futhark(フサーク)とも言います。ちょうどラテン・アルファベットをギリシャ文字の最初の2文字から「アルファベット」と呼び、「ひらがな」を「いろは」と言うのと同じです。
ルーネ文字と呼ぶこともありますが、これは rune のドイツ語読みから来ていると思います。(ドイツ語では最後の e を「シュワー」の音で読みます。実際の発音は「ルーネ」のような「ルーナ」のような音ですが、ドイツ語の語尾の e をカタカナ表記する場合、「エ」を使うのが伝統です。Karte を「カルテ」と言うように。)
ルーン文字には使われた地域や時期によっていくつかの変異形がありますが、初期の形は下に挙げる24文字であったろうと思われます。また時に、特に偶数行は、右から左に書かれることがあり、その場合は鏡文字の形になります。

ルーン文字を記した遺物はそのほとんどがスウェーデンを中心とするスカンジナビアで発見されたものですが、イギリスのイングランド北部やマン島、ドイツ、ルーマニア、ロシア西部でも発見されています。ラテン・アルファベットやギリシャ・アルファベットとの類似から、イタリア北部かスイスの辺りにいた民族か、あるいはもっと東のドナウ川沿いにいた民族が使い始めたものという説が有力ですが、ドイツ北部やデンマークにいた民族に起源を求める説もあり、意見は一致していません。
いずれにせよ、この文字はヨーロッパのほぼ全域にわたってゲルマン民族のさまざまな人々に使われました。それによって記されている言語は、ゴート族やフランク族の言語を始め、さまざまなゲルマン諸語です。英語や、スウェーデン語、ノルウェー語、デンマーク語、ドイツ語などの古い形もこれに含まれます。
イギリスでは6世紀にラテン・アルファベットが導入されるとともに急速に使われなくなりましたが、北欧では中世まで使われ、さらに19世紀に入っても装飾用の文字として使われていたということです。(発音記号のところで述べましたように、イギリスでは8世紀になって th を表す「ソーン」と w を表す「ウェン」が復活し、ラテン・アルファベットに混じって使われました。また、アイスランド語では「ソーン」が今でも使われています。)
ルーン文字は一つではない
広い地域にわたって使われたルーン文字には、早くから様々な変異体がありました。文字の数もドイツでは24、イギリスでは31、北欧では16と、ばらつきがありますが、初期の段階では上の図に挙げた形で、文字数は24だったと推定されています。
御覧になって分かるようにルーン文字には、(少なくとも初期のものには)曲線や水平な線がありありません。これは初期のルーン文字が、木の枝を削って平らにした表面にナイフで刻むようにして書かれたことをうかがわせます。曲線は木目に邪魔されて刻みにくいでょうし、水平線は木目に隠れてしまうからです。また、英語の write(書く)の語源を探ると古英語の writan(刻み込む)に行き着くとのことです。
アングロサクソン・フソークとも呼ばれるイギリスのルーン文字は、Reading the Past, Runes (R.I.Page) によれば右の図の31個です。数が多いだけでなく、いくつかの文字は初期のものと形が変わっています。
特に興味深いのは6番、12番、22番の文字です。初期の段階では前掲の図のように他の文字に比べると小型でした。ルーン文字を使っていた人々はこのことが気に入らなかったらしく、これらの文字はイギリス以外でも、時代とともに変化しています。
また4番、25番、26番には似通った文字が入っていますが、初期のものと比べると、4番の文字の発音は o となり、初期の4番の文字は26番に移っています。どういう経過を経てこうなったのかは「文字と名前の関係」の項でお話します。
ルーン文字の名前
ルーン文字の一つ一つには名前が付いています。大部分は頭音書法(アクロフォニー、acrophony)の原則に基づいて、名前の最初の音をその文字の音価としていますが、「エング」のように、英語では語頭に立てない音の場合は、しかたなく、その音を含む語を名前としています。
初期の24文字の名前をゲルマン諸語の祖語に遡って復元した形とその意味を下に挙げます。(* は復元形を示しています。また、? は不確かであることを表します。長音は表記しません。)
(1) *fehu (cattle, wealth), (2) *uruz (?wild ox), (3) ?*thurisaz (giant, monster), (4) *ansuz (god), (5) *raido (carriage), (6) cen (torch in Old English), kaun (ulcer in Old Norse), (7) *gebo (gift), (8) *wunjo (joy), (9) *hagalaz (hail), (10) *naudiz (necessity), (11) *isa (ice), (12) *jera- (year), (13) *i(h)waz/*eihwaz (yew-tree), (14) ?*perth-(意味不明), (15) ?*algiz(意味不明), (16) *sowilo (sun), (17) *tiwaz/*teiwaz (the god Tiw), (18) *berkanan (birch-twig), (19) *ehwaz (horse), (20) *mannaz (man), (21) *laguz (water), (22) *ingwaz (the god Ing), (23) *othila-/*othala- (hereditary land), (24) *dagaz (day) Reading the Past, Runes (R.I.Page)より
共通の祖語に由来する言語も時が経つにつれて変化し、異なった形になって行きます。イギリスで使われたアングロサクソン・フソークは、9世紀の文書によって各文字の名称が分っていますが、スカンジナビアのルーン文字については、その少し後に書かれた文書からその当時の16文字の名称だけが分っています。その他のゲルマン諸語で使われたルーンについては名称を記した文書がなく、ゴート文字の名称から類推はできるものの、全体的には不明です。
下に、アングロサクソン・フソークの名称を挙げます。( æ はアッシュを、y はドイツ語の Uウムラウトあるいはフランス語の Uを、dh は [θ] の有声音のエズを表します。)
(1) feoh, (2) ur, (3) thorn, (4) os, (5) rad, (6) cen, (7) gyfu, (8) wynn, (9) hægll, (10) nyd, (11) is, (12) ior, iar, (13) eoh, eow, (14) peordh (15) eolx, (16) sigel, (17) tir, (18) beorc, (19) eh, eoh, (20) man, (21) lagu, (22) ing, (23) ethel, (24) daeg, (25) ac, (26) æsk, (27) yr, (28) ear, (29) gar, (30) calc, (「世界の文字の図典」より。ただし、この本には上の図の31番に当たる文字は載っていない。14番の P に当たる文字は上の図と異なるものが載っている。また、26番の æsk はアッシュを指すものと思われる。アッシュは古英語では æsc と綴った。)
文字と名前の関係
それぞれの名前はそれ自体が意味のある単語ですが、別にその「意味」に重要な意義があるわけではありません。ルーン文字が呪術に使われたという説を唱える人々は、文字の名前自体に呪術的な意義を見い出そうとするようですが、そういう考えは現在の主流ではないそうです。
文字の名前は、フェニキア文字の項で書きましたように、記憶の補助のための名前(mnemonic name)です。ただし、フェニキア文字の場合と異なり、ルーン文字の名前は単なる名前以上の働きをすることもありました。
その1つ:ある文字をその文字の名前が表す単語の代わりに使うことがありました。10世紀のラテン語祈祷書に付けられた単語集の中に、man と day という語の代わりに m と d に当たるルーン文字(20番と24番)を使っている例があります。
その2:ある文字の名前をその意味と関係なく、綴りの一部として使うことがありました。"Solomon and Saturn" というアングロサクソンの詩の中では Solomon という名前を書くのにSALO とルーン文字で書いたあと残りの MON を20番の文字だけで済ませています。英語にも同じような例があって、なぞなぞですが、RUBZ? で Are you busy? と読ませるものがあります。また、IOU(借用証書)が I owe you. に通じるのもこれに似ています。
その3: 言葉はすべて時間と共に変化しますので、文字の名前として使われていた言葉も時の流れと共に変化しました。ある名前の語の頭音が変わってしまうと、もうその名前は同じ文字の名前としては役に立たなくり、別の名前を考えなければならないはずですが、ルーン文字を使っていた人々はそうせずに、逆に文字の音価の方を変えました。鶏が先か卵が先かという話もありますが、これはまるで犬が振るはずの尾に、犬が振られてしまったような感があります。
例を挙げますと、初期の12番の文字は / j /(「ヤ、ユ、ヨ」の子音)を表していましたが、古代スカンジナビア語では600年頃に語頭の / j / が落ちるという変化が起きたために、この文字の名前は初期の推定形 *jara から ar ( year) に変わり、それに伴ってこの文字の音価も / a / になってしまいました。その結果、スカンジナビアではしばらくの間 / a / を表す文字が2つありましたが、やがて4番の文字の名前が *ansuz から oss のように変わり、音価も / o / になりました。
イギリスでも同じ変化が起こり、4番の文字は / o / に成りました。(そのためにアングロサクソンのルーンを「フサーク futhark」ではなく「フソーク futhork」と呼びます。)
しかし、アングロサクソンの人々は4番の文字をそのまま / o / にしてしまうのではなく、少し形を変えました。それは、まだ / a / を表す文字も必要だったからです。しかも、なお複雑なことに / a / は一部で / æ / に変化しており、この文字も必要でした。結局、彼らは4番の文字を少し変えたものを / a / として25番に加え、更に元々の4番の文字は / æ / として26番に移しました。
さて、元々あった23番の / o / はどうなったかと言いますと、これは唇を / o / の時のように丸く保ったまま「エ」を言おうとするときに出る音(フランス語で使う o と e の合字の発音)、あるいは / e / の音に変わりました。それは、この文字の名前(推定 *othila-)の語頭の発音が、後ろの / i / の影響で前寄りになった(普通の / o / よりも下をもっと前に出して発音するようになった)ためです。
参考文献:
Reading the Past, Runes (R.I.Page, British Museum Press, 1993)
世界の文字の図典(世界の文字研究会編、古川弘文館)
韓国・朝鮮語を習うと「アンニョンハセヨ(こんにちは)」とか「カムサハムニダ(ありがとう)」などが、「安寧」や「感謝」という「漢語」を使った表現であることを発見します。
しかし、ベトナム語の中にも多くの漢語が使われていて、全語彙に占める漢語の割合は日本語以上だと聞くと、ちょっと驚きませんか。考えてみれば、ベトナムと中国との間には、韓国・朝鮮や日本と比べて勝るとも劣らない歴史的関係があるのですが。
そもそも「ベトナム」という国名も「越南」のベトナム語読み「ヴィエト・ナム Viêt Nam」から来ています。これは「南の越」を意味します。「越」という地名あるいは民族名は既に中国の戦国時代から歴史に登場しています。(「越の南」ではありません。ベトナム語では形容詞は後ろに付くのが普通です。)
ベトナムの首都ハノイは漢字で書くと「河内」です。また、ベトナム戦争の頃日本でもよく耳にした人名を挙げると、ホー・チ・ミンは「胡志明」、グエン・バン・チューは「阮文紹」、グエン・カオ・キは「阮高祺」、ファン・バン・ドンは「潘文同」、ボー・グエン・ザップは「武元甲」というのが元の漢字だそうです。
左に挙げたのはクォック・グーと呼ばれる文字で書かれたベトナム語です。基本的にはラテン・アルファベットですが、多少の変形や記号が付いてエキゾチックな印象を与えますね。しかし、実はこれらはすべて漢語なのです。
まず、カタカナで大雑把な読み方を示します。日本語にはない音もありますし、声調もありますので正確には書けません。あくまでも参考です。
1. テーゾイ、2. ディエントワイ、3. コンキ、4. ガンハン、
5. ベンヴィエン、6. チュギアー、7. サホイ、8. ドンヴァト
元の漢語を想像できますか? よろしければ、答の前に、もう少し正確な読み方を御説明しますのでお読み下さい。
ベトナム語の文字と発音
ベトナム語の文字は「クォック・グー」と呼ばれています。漢字で書くと「国語」ですが、あくまでも文字のことで、言語のことではありません。この文字は表音文字ですから、読み方を覚えれれば規則的に読むことができます。
まず、声調から。
中国語に4つの声調があることはよく知られていますが、ベトナム語にも声調があります。しかも、北部方言で6つ、南部方言で5つの声調があります。(南部では第3声が第4声に同化。)
第1声:無記号。普通の声よりやや高めに始め、平らに。
例: ma 、幽霊
第2声:符号は逆向きアクセント( grave accent、仏語のアクサン・グラーヴ)。普通の声よりやや低めに始まり徐々に最も低い声まで下げる。
例 mà、(接続詞)
第3声:符号は小さなグロッタル・ストップ(?から点を除いた記号)。やや低く始めゆっくり下げた後、徐々に始めよりやや高い音階まで上げる。
例:må(この符号はネットで書けないので、代わりの符号を書きます。イメージとして受け取って下さい。)、墓。
第4声:符号はティルデ( ˜。tilde はスペイン語の「エニェ」や、鼻母音を表す発音記号としても使われる)。少し高めに始め一瞬下げてから音を断ち、急に高めて止める。たとえば ã は「アッア」のように聞こえます。(2番目のアは高い音程で)
例:mã、外観
第5声:符号は普通のアクセント(acute accent、仏語のアクサン・テギュ)、やや高く始め急に高める。
例:má、頬
第6声:符号は文字の下に点を付ける。やや低く始め急に下げて止める。
例:ma(下の点は書けませんので省略)、稲の苗。
次に母音の文字を説明します。
a の文字には、単なる a の他に、上にお皿のような記号(両端が上に反った曲線。しばしば短音を示すために使われる記号)が付いたものと、上に ˆ が付いた â があります。それぞれ、「奥舌のア」「前寄りのア」「シュワーのような曖昧なア」です。( ˆ はアクサン・スィルコンフレクスとしてフランス語のアクセントの一つにも使われています。)
e の文字には、単なる e と、上に ˆ が付いた ê があります。それぞれ、「広いエ」と「狭いエ」です。
i と y はどちらも「イ」ですが、微妙な違いがあります。詳しくは語学書を御覧下さい。
o には、単なる o と、上に ˆ が付いた ô、アポストロフィーが付いたものがあります。それぞれ、「広いオ」「狭いオ」「曖昧なア â の長音」です。
u には、単なる u と、アポストロフィーの付いたものがあります。それぞれ、英語、フランス語のような「唇を丸めるウ」と、日本語のような「唇を丸めないウ」を表します。
次に、子音ですが、上に挙げた語に含まれるものだけを説明します。詳しいことや、他の子音については語学書を御覧下さい。
1. テーゾイ
th は帯気音の t です。上記の語の「テー」は、強く息を吐きながら「テー(第5声)」と言って下さい。
gi は / z / を表します。たとえば、già は「ザー」と読んで「年とった」、gió は「ゾー」で「風」を意味します。
ただし、南部では「ヤユヨ」の子音(半母音)を表しますので、前出の語は「ヤー」「ヨー」となります。
注:a に grave accent の付いた à と o に acute accent の付いた ó は他の文字より小さく見えていると思いますが、実際は他の a や o と同じ大きさです。)
o にアポストロフィーが付いた文字は「ア」のような「ウ」のような曖昧な音です。「ゾイ」と書いてありますが、第5声で曖昧に「ズーイ」という感じで言って下さい。
2. ディエントワイ
d に横棒の付いた文字は「デー」という名前で、英語の d と同じく / d / を表します。大文字は D の左縦線に横棒が付きます。この大文字は、たまたまアイスランド語の「エーズ」の大文字と同じですが、こちらの方は英語の that の th の音を表し、その小文字は発音記号の eth としても使われています。
面白いことにベトナム語では、ただの d は「ゼー」という名前で、gi と同じく/ z /の音を表します。したがって、do と書いたらベトナム語では「ゾー」と読むことになります。ただし、南部では gi と同様、「ヤユヨ」の子音(半母音)を表します。
th は上に書いたように帯気音ですから強く息を出しながら発音して下さい。diên も thoai も下に点が付いて、第6声になっていますから、低く押さえるようにディエン・トワイと言って下さい。
3. コンキ
kh はドイツ語 Bach の ch や、ロシア語及び現代ギリシャ語の X と同じ軟口蓋摩擦音です。喉の奥を空気で擦るようなつもりで、強く息を吐きながら「ハ」「ホ」「ヘ」と言ってみて下さい。母音の / i / や / u / が続く場合も同じように喉の奥から出すように気を付けて下さい。特に日本語の「フ」は唇で出す音ですから全く異なります。
kh を「カ行」で書き表わしている入門書が多いですが、日本語の「カ行」とも「ハ行」とも違う音です。上の語には「コンキ」と書いておきましたが、本によっては「ホンヒ」と書いてあるかも知れません。どちらにしても正確ではありませんが、どちらかと言えば、上に書いたようなことを注意しながら「ホンヒ」と言うのが近いのではと思います。
注: kh という綴りはサンスクリットやヒンディー語などで、K の帯気音を翻字するのにも使われます。しかし、こちらは強く息を吐きながら「カ行」を言う音ですから、ベトナム語の kh とは異なります。古典ギリシャ語の Xを御参照ください。
4. ガンハン
ng は鼻濁音の「ガ行」を表します。「案外、あんがい」というときの「ガ」の子音です。鼻濁音の「ガ」を語頭で発音するのは日本人にとっては難しいことですが、ベトナム語にはこれがあります。上の語には「ガンハン」とカナを振りましたが、最初の「ガ」は「外国、がいこく」の「ガ」とは異なります。(注:日本人でもふだん鼻濁音を使わない人がかなりいます。鼻をつまんで「しょうがっこう」と言ってみて下さい。問題なく言える人はふだん鼻濁音を使わない人ですから、特に注意して下さい。)
「クォック・グー」の「グー」は ngu’で、日本語の「グー」とは異なります。第4声ですから、「ングーッウ」という感じです。u にアポストロフィーの付いた文字は日本語のような唇を丸めない「ウ」を表します。
「ガンハン」の2つの「ン」は発音が違います。後ろの方は ng ですから、上に説明した鼻濁音の子音です。日本人が普通に「ハン」と言うとだいたいこれに近くなりますから余り問題はありません。(より正確には、日本語「ハン」の「ン」は鼻母音の / ã /のような音になるらしいですが。)
気を付けなければいけないのは「ガン」の「ン」の方です。これは / n / ですから、舌の先をしっかりと歯茎に付けて発音しなければいけません。
注:多くの日本人が言う can や pen は英米人には cang や peng のように聞こえています。そういう言葉がないので通じてはいますが、sin と sing や ton と tongue などのように誤解される場合もありますので、注意が必要です。エングを御参照下さい。
5. ベンヴィエン
nh は日本語の「ニャ、ニュ、ニョ」の子音です。ベトナム語では「家」を nhà(ニャー)と言います。
ついでながら、ポルトガル語の nh も同じ音を表します。ポルトガル語では vinho は「ヴィーニョ、葡萄酒」です。また、フランス語では、この音を gn で表します。たとえば、signal は「スィニャル」で、英語のように「スィグナル」ではありません。
nh を語尾で発音するのは日本人には容易ではありません。舌を口の天井にべたっと付けて「ン」と言って下さい。入門書には「ベニュ」と書いてあるものもありますが、日本語式に「ニュ」と言ってしまうと母音が入りますから同じではありません。
v は英語と同じように上の歯で下唇をかむようにして出します。
6. チュギアー
ch は「チャ、チュ、チョ」の子音に近い音ですが、無気音ですから息をあまり出さないようにそっと発音します。中国語のローマ字では ch は帯気音で、しかも反り舌音ですからこれとは全く違います。ベトナム語の cha は「チャー」で「父」の意味ですが、中国語の cha「茶」ではなく jia 「家」と似た発音だと思います。
ngh は ng と同じです。後ろに i や e が続くときは ngh と書きます。したがって、nghia は鼻濁音ですから、上の「ギアー」は英語の gear(ギアー)のように言ってはいけません。「しんぎあん、審議案」の「ぎあ」のように言って下さい。
7. サホイ
x は / s / を表します。xe と書くと「セー」と読んで「車」のことです。ちなみに、s はベトナム北部では x と同じく / s / ですが、南部では中国語の sh と同じように反り舌の「シュ」の音です。ですから南部のベトナム人が san を読むと中国語(北京語)の shan(シャン、山)のようになることでしょう。
8. ドンヴァト
上に説明したように d に横棒を引いた文字は英語の d と同じです。
「ヴァト」は英語の vat と同じ要領ですが、最後の t はただその口の構えをするだけです。つまり舌の先を上の歯茎に付けて息を止めます。英語のようにその後に破裂させてはいけません。ですから、「ヴァッ(ト)」と言うようなつもりで、(ト)は言わないようにします。
同じように / k / や / p /、また ch の音(/ t∫/のような音)も語尾では構えを作るだけで破裂させませんから、ベトナム人が英語の sit、sick、sip や pat、pack、pap、patch を言うと、慣れない耳にはどれも同じに聞こえます。
「クォック・グー」の「クォック」は quôc と書き、語尾の c は破裂しませんから「クォッ」のように聞こえます。母音は狭く唇を丸めた「オ」、声調は第5声です。ただし南部では、qu は北部の / kw / ではなく / w / ですから、quôc は「ウォッ」になります。
9. その他、いくつかの子音を説明します。
c は k と同様 / k / を表します。cao は「カオ」と読んで「高い」の意味です。中国語式ローマ字では「高」を gao と書き、無声音で「カオ」と発音します。ベトナム語の「カ行」には有声・無声の区別がありません。
g は現代ギリシャ語の γ と同じく有声の軟口蓋摩擦音です。日本語の「ガ行」や英語の / g / とは異なります。
ph は英語の f と同じです。
r は北部では d や gi と同じく / z / の音です。南部では反り舌の摩擦音で、中国語の r と同じように、舌を反り返らせて先端の裏面を硬口蓋(口の天井の前部、上歯の歯茎の近く)に近付け、その隙間を擦るように息を吐きながら、「ズ」のような「ル」のような声を出します。
tr は、北部では上に説明した ch と同じ音ですが、南部では反り舌の摩擦音です。舌を反らせて先端の裏面を硬口蓋に付け、息を穏やかに吐きながら「チャ行」の音を言います。
v は北部では英語のような / v / ですが、南部では英語の pleasure の「ジャ」の子音、または「ヤユヨ」の子音(半母音)です。
元の漢語は
上に挙げた8つの言葉の元をただせば下のような漢語です。
1. 世界、2. 電話、3. 空気、4. 銀行、
5. 病院、6. 主義、7. 社会、8. 動物
ついでにこの漢語が韓国・朝鮮語になると次のようになります。
1. セギェ、2. チョンホワ、3. コンギ、4. うンヘン、
5. ピョンウォン、6. チュイ、7. サホェ、8. トンムル
ここではカタカナでしか書けませんが、韓国・朝鮮語は本来「ハングル」と呼ばれる文字で書かれます。ときどき勘違いしている人がいますが、「ハングル」というのは「クォック・グー」と同様、文字の名前です。言語のことではありません。
韓国・朝鮮語には日本語にない母音や子音がありますのでカタカナでは書き表せません。上のカタカナはあくまでも参考です。たとえば、韓国・朝鮮語にも上記の4(ガンハン)で説明した n と ng の区別があります。上の例では 2. チョン 、4. うン、5. ウォン の「ン」は n ですが、3. コン、4. ヘン、5. ピョン、8. トン の「ン」は ng です。また、「うンヘン」の「う」は「イ」のように唇を左右に引いて「う」と言う音です。「うンヘン」は実際には「うネン」のように聞こえます。
さらについでに、上の漢語は中国語(北京語)では下のようになります。
1. シィジエ、2. ティエンホゥア、3. コンチィ、4. インハン、
5. ピンユァン、6. チューイー、7. シャーホゥェ、8. トンウー
これをピンイン(ピンインツウムウ、中国式表音ローマ字)で示すと以下のようになります。カッコの中の数字は声調を表します。(「ピンイン」の「ピン」は「併」のニンベンをテヘンに替えた文字、「イン」は「音」「ツウムウ」は「字母」)
1. shijie (44)、2. dianhua (44)、3. kongqi (14)、4. yinhang (22)、
5. bingyuan (44)、6. zhuyi (34)、7. shehui (44)、8. dongwu (44)
中国語も日本語にはない音がたくさんあり、それに加えて声調もありますので、カタカナでは書き表せません。ピンインを使えば正確に書けますが、ピンインにはそれ独自の特別な読み方がありますので注意が必要です。たとえば、d や b、g などはいわゆる濁音ではなく(北京語には有声音がありません)、無気音の / t、p、k / を表します。したがって dian(電)は「ディエン」ではなく、ロウソクの火が揺れないくらいに息をそっと出しながら「ティエン」と言います。tian と書くと帯気音になって「天(1)、田(2)」などになってしまいます。逆に、kong(空)も qi(気)も帯気音です。強く息を吐きながら発音します。同じ「コン」でも韓国・朝鮮語「コンギ」の「コン」は無気音です。
北京語の声調は4つです。
第1声:高く平らに。記号は母音の上に横棒。第1声で「マー」と言うと「女偏に馬」を書いて「母」の意味。
第2声:低い音程から素早く高い音程に上げる。記号は普通のアクセント( acute accent )。第2声で「マー」と言うと「麻」。
第3声:低く押さえて徐々に上げる。記号は小さな V、あるいはフランス語のアクサン・スィルコンフレクス(ˆ) を天地逆にしたもの。第3声で「マー」と言うと「馬」。ただし、後ろに他の声調が続くと低く押さえるところだけで、すぐ次の声調に移る。第3声が続くと前の第3声は第2声に変わる。
第4声:高い音程から素早く下げる。記号は逆向きのアクセント( grave accent )。第4声で「マー」と言うと「罵」
あと、「軽声」と呼ばれるものがあります。これには何の記号もなく、前の音節に軽く添えるように発音します。第3声に続く時だけは高い音程になりますが、他の声調に続く時はストンと落ちるように低く軽く添えます。
さらにいくつか
ベトナム語の元になっている漢語が、日本語、中国語(北京語)、韓国・朝鮮語に共通なものを更にいくつか挙げます。( 中国語音は省きます。)
クォック・グー | カタカナでは | 元の漢語 | 韓国・朝鮮語 |
Trung Quôc | チュン・クォッ | 中国 | チュン・グッ |
Nhât Ban | ニャッ・バン | 日本 | イル・ボン |
van hoa | ヴァン・ホア | 文化 | ムン・ホア |
chinh phu | チン・フ | 政府 | チョン・ブ |
nam nu | ナム・ヌー | 男女 | ナム・ニョ |
tham gia | タム・ザー | 参加 | チャム・ガ |
diêu kiên | ディェウ・キエン | 条件 | チョ・ゴン |
su dung | ス・ズン | 使用 | サ・ヨン |
chu y | チュー・イ | 注意 | チュー・イ |
quôc gia | クォッ・ザー | 国家 | コッ・カ |
gia dinh | ザー・ディン | 家庭 | カ・ジョン |
tuong tuong | トゥァン・トゥァン | 想像 | サン・サン |
thuc vât | トゥッ・ヴァッ | 植物 | シン・ムル |
注意:カタカナはあくまでも参考です。クォック・グーも様々な記号が省かれていますので正確ではありません。一例を挙げますと、d はそのままでは「ザ行」を表し、「ダ行」を表す場合は横棒があります。母音では「tuong tuong(想像)」の uo にはそれぞれアポストロフィのような記号が付き、日本語のような唇を丸めない「ウ」と「曖昧なア」の二重母音です。また、前半は第3声、後半は第6声の記号が付きますので、同じ「トゥァン」ではありません。(韓国・朝鮮語には声調がなく、2つの「サン」は同じです。)
日本語と異なる漢語
ベトナム語の元になっている漢語が日本語と異なる場合をいくつか挙げます。
注:中国語(北京語)は日本語と同じですが、教科書を「課本」と言うこともあり、また文語では「留学」の意味で「遊学」と言うこともあります。
クォック・グー | カタカナ | 元の漢語 | 日本語では |
thoi tiet | トイ・ティエッ | 時節 | 天気 |
nhiet do | ニェッ・ドー | 熱度 | 温度 |
ban do | バン・ドー | 版図 | 地図 |
du hoc | ズー・ホッ | 遊学 | 留学 |
giao trinh | ザオ・チン | 教程 | 教科書 |
注意:カタカナはあくまでも参考です。クォック・グーも様々な記号が省かれていますので正確ではありません。語尾の「ッ」については子音の説明の「8. ドンヴァト」の項、「ン」については「4. ガンハン」の項を御覧下さい。
ベトナム製漢語
次に、ベトナムで作られた漢語を挙げます。
クォック・グー | カタカナ | 漢字では | 意味 |
lich su' | リッ・スー | 歴事 | 清楚な |
quan trong | クワン・チョン | 関重 | 重要な |
hanh diên | ハン・ズィエン | 倖面 | 鼻高々の |
日本製漢語
こんどは、日本で作られた漢語が中国語経由でベトナム語に入ったものをあげます。
クォック・グー | カタカナ | 元の漢語 | 中国語音 |
tru'o'ng ho'p | チュアン・ハッ | 場合 | チャン・ホー |
lâp tru'o'ng | ラッ・チュアン | 立場 | リー・チャン |
thu tuc | トゥー・トゥッ | 手続 | ショウ・シュウ |
逆向き漢語
次に、日本語や中国語とは語順が逆になるものを挙げます。ベトナム語は、フランス語の「モン・ブラン(山・白い)」や「フォア・グラ(肝臓・太った)」と同じように、形容詞の後置が原則です。
クォック・グー | カタカナ | 漢字では | 日本語は |
xe diên | セ・ディエン | 車電 | 電車 |
tru'o'ng hoc | チュアン・ホッ | 場学 | 学校 |
du bao tho tiêt | ズー・バオ・トイ・ティエッ | 予報時節 | 天気予報 |
chu nghia xa hôi | チュ・ギア・サー・ホイ | 主義社会 | 社会主義 |
純化の動き
借用語を固有のベトナム語に置き換えようとする努力もかなりなされていますので、その例をいくつか挙げます。
借用語 | 元の語 | 日本語 | 言い換え | 語の構造 |
quôc gia | 国家 | 国家 | nha nu'o'c | 家+国 |
phi co' | 飛機 | 飛行機 | may bay | 機械+飛ぶ |
không phân | 空分 | 領空 | vung tro'i | 区域+空 |
ghi dông | guidon | ハンドル | tay lai | 手+操る |
phim, xi nê | film, cinema | 映画 | chiêu bong | 映す+影 |
注:
1. 「ハンドル」と「映画」の元の語はフランス語です。フランス語からの借用語もかなりあります。
2. 正しくは「空分」の「分」にはニンベンがあります。
3. カタカナは添えませんでしたが、今までの説明を御参照さい。
なお、gh は g と同じです。i や e の前では gh と書くことになっています。
(Apr. 2004)
参考文献:
漢字音、すぐに役立つ日中朝ベトナム共通語彙408(藤井友子著、朝日出版社、1986)
言語学大辞典(三省堂、1989)
ベトナム語を学ぶ(細井佐和子著、あるむ、2001)
エクスプレス・ベトナム語(川口健一著、白水社、1992)
こうすれば話せるベトナム語(川口健一、春日淳共著、朝日出版社、1998)
中国人と日本人は同文同種と言われることがあります。確かに外見が似ており、漢字を共有しているとはいうものの、これが案外と落とし穴、物の考え方はずいぶん違うのだそうです。漢字も、共通のものがたくさんある一方で、思いもかけず違った意味になるものがあります。
たとえば、「鮎」は日本では「アユ」ですが、中国では「ナマズ」のことです。「花子」は日本ではよくある女性の名ですが、中国語では「乞食」のことです。(全国の花子さん、もし中国へ行かれたら御自分のお名前を中国式に huazi ホワズ と読ませてはいけません。hanako と読ませるように頑張って下さい。)
下にいくつか、日本と中国で大きく違う例を挙げます。まず、有名な「手紙」の例ですが、中国での意味は「トイレットペーパー」になります。中国語では「てがみ」は「信」と書いて xin(シン)と言います。(*印の付いたものについては注を御覧下さい。また、中国では簡体字と呼ばれる字体を使っていますが、この表では日本の漢字を使います。簡体字についても、いつか書きたいと思っています。)
日本語 | 中国語での意味 | 中国語では何と言うか |
手紙 | トイレットペーパー | 信 |
汽車 | 自動車 | 火車 |
新聞 | ニュース | 報 |
告訴 | 告げる、知らせる | 起訴、控告 |
*愛人 | 夫、妻、配偶者 | 情夫、情婦、第三者 |
老婆 | 妻、女房 | 老太婆、老婆婆 |
妻子 | 妻、女房 | 妻子児女、*妻子 |
娘 | *お母さん | 女児、姑娘 |
工作 | 職業、仕事 | 手工課、活動、*工作 |
水平 | 水準 | *水平 |
名字 | 姓名、名 | 姓 |
放心 | 安心する | 発呆、心不在焉 |
地方 | 場所、部分、座席 | *地方、地区 |
東西 | 品物 | *東西 |
大家 | みんな、みなさん | 房東、房主、巨匠、泰斗(*大家) |
注1: 中国語の「愛人」はまず第一に「配偶者」の意味です。第二に「恋人」の意味はありますが、日本語の「愛人」の意味で使われることはありません。
ただし、「愛人」は新中国成立後に定着した言葉で、香港、台湾、在外中国人社会では「太太(奥さん)」「内人(家内)」「先生(主人)」などが使われるそうです。
注2: 中国語の「妻子 qizi」は「子 zi 」の部分の読み方によって意味が変わります。「妻 qi」はどちらも第一声で高く平らに、q は帯気音ですから、強く息を吐きながら「チー」と発音します。「妻、女房」の意味では「子 zi」は軽声で、軽く添えるように、この場合は音程をストンと下げて、「ツ」と発音します。
それに対して、日本語のように「妻と子」の意味では、zi を第三声で、始め低く抑え後徐々に上がっていくように「ツウ」と発音します。
ただし、「妻子」を「妻と子」の意味で使うのは文語です。口語では「妻子児女」または「妻子和児女」と言います。つまり、「妻と息子、娘」というわけです。「児」は中国語では「小児」「男児」のように「子供、若者」という意味の他に、「息子」の意味があります。「和」は「〜と、そして」に当たります。
「児」の昔の字体、あるいは繁体字は「兒」ですが、これを簡略化するのに、日本では「臼」の部分を「旧」に替えたのに対し、中国の簡体字では「臼」を完全にとってしまって、カタカナの「ル」のような字を使っています。
注3: 中国語を学習すると普通「お母さん」は「女偏に馬」と書いて「マー」と読む語を習いますが、「娘」も「お母さん」の意味で使われます。前者が都会的な言い方であるのに対し、後者は農村などで広く用いられ、親しみがこもった言い方だそうです。「娘」は第二声で、低いところから急に上昇するように「ニヤン」と発音します。一方、女偏に馬の方は第一声で高く平らに「マー」と言います。呼び掛け以外では2つ重ねて「マーマ」と言うのが普通です。後ろの「マ」は軽声、軽く添えるようにストンと落とします。(注:「ニヤン」は会話の本などで「ニヤング」と書いてあるのが普通ですが、「グ」を発音するとかえって変です。下の注7を御覧下さい。)
注4:「工作」は中国語では、「働く、勤める」「職業、仕事、作業」という意味で使うのが普通です。小学校の課目としての「工作」は「手工課」と言います。また「裏で工作する」などの「工作」は「活動」と言うようです。こういう意味で「工作」を使うことは、あるにはありますが、比較的少ないようです。
注5: 「水平」は日本語と同じく「水平」の意味もありますが、まず第一の意味は「水準、程度、レベル」です。
注6:「地方」は「方」の部分の読み方によって意味が変わります。まず「地」は第四声で、音程を高いところから急に下げながら「ティー」と発音します。この時、英語の tea のように息を強く出してはいけません。口の前に置いたロウソクの火も揺らさないつもりで軽く息を出します。
その後に軽く添えるように「ファン」と言えば、「場所、部分、座席」の意味になります。「地方」はこの意味でよく使います。一方「ファン」を第一声で高く平らに発音すれば、都市に対する地方の意味になります。
注7:「東西」も「西」の読み方で変わります。「東」は第一声で高く平らに「トン」と言います。「地」の場合と同じく無気音ですから、息を軽く出すようにしてください。
この後、「西」を軽声で、軽く添えるように、この場合は音程をストンと下げて、「シー」と言えば「品物、(あるいは一般に)物」の意味になります。「東西」はこの意味でよく使われます。一方、「シー」を第一声で高く平らに発音すれば、日本語と同じく「東と西」という意味になります。
ついでながら、「東京」は「京」を「東」と同じく無気音の第一声で「チン」と発音して「トンチン」と言います。中国語式ローマ字では dongjing と書きます。(厳密には第一声を表すため、o と i の上に横棒が付きます。)中国語(北京語)には濁音はなく、d と j は無気音の「タ行」「チャ行」を表します。
注意:「東京」は中国語会話の本などでは「トングチング」とカナが振ってあると思いますが、「グ」を発音するとかえって変です。中国語(北京語)では語末の子音に n と ng の区別があり、これを普通カタカナでは「ン」と「ング」と書いてあります。しかしながら日本人が普通に「トン」と言うと ng の発音に近くなり、n にはなりません。日本人が注意しなければならないのはむしろ n の発音です。n は下の先をしっかりと上の歯に付けて発音します。
ついでながら、日本人が英語を発音する時も、たとえば「サン」と言えば sun(太陽)ではなく sung(歌われた)に、「キン」と言えば kin(親族)ではなく king(王)に聞こえます。 n は下の先をしっかりと上の歯茎に付けて発音します。
注8:「大家」は「みんな、みなさん」の意味でよく使われますが、時に「大家(たいか)」の意味でも使われます。日本語の「大家(おおや)」の意味では使われません。その場合は「房東、房主」と言います。
(Jan. 2004)
参考文献:
標準日中辞典(上野恵司、顧明耀、編、白帝社、1997)
プログレッシブ中国語辞典(編者代表武信彰、小学館、1998)
岩波中国語辞典(倉石武四郎著、岩波書店、1971)
50音引き基礎中国語辞典(北浦藤郎、蘇英哲、鄭正浩著、講談社、1991)
「盧生の夢」という言葉があります。「邯鄲の夢」あるいは「黄粱一炊の夢」と同じですが、盧生という若者が邯鄲の里で、黄粱の飯が炊けるまでの一瞬に自分の一生を夢見、人生の空しさを悟ったという故事に由来します。
この「盧生」は「ろせい」と読みますが、韓国の大統領の名前は漢字で「盧武鉉」と書いて「ノ・ムヒョン」と読みます。なぜ「盧」を「ノ」と読むのか不思議に思ったことはありませんか。ちなみに、英語では Roh Moo Hyun と書き、「ロー・ムー・ヒョン」と発音されます。
それが韓国・朝鮮語の読み方なんだと言ってしまえばそれまでですが、「盧」は現代中国語(北京語)で lú(ルー)と読み、日本語でも「ロ」または「ル」(参照:盧舎那仏、るしゃなぶつ)と読むことを考えると、やはりすこし不思議です。しかも、韓国・朝鮮語でも「盧」を「ロ」と読むことはあり得るのです。
実は、韓国・朝鮮語には、語頭に / r / の音が立たないという特徴があります。ですから本来の韓国・朝鮮語には「ラ行」で始まる言葉がありません。/ r / で始まるのは「ランプ」のような外来語だけです。漢語の場合、比較的最近取り入れた語の中には「労働者」のように「ロドンジャ」と読む場合もありますが、大部分は長い歴史の中で韓国・朝鮮語に馴染むような変化をしています。
詳しく言いますと、語中の / r / はそのまま保たれますが、語頭に立つ場合、後ろに続く母音によって次のように変化し、文字(ハングル)もそれに応じて替えます。
1. 母音「ヤ、ヨ、ユ、イ」が続く時は、/ r / は読まず、ただ「ヤ、ヨ、ユ、イ」と読む。
2. それ以外の母音が続く時は、/ r / が / n / に変化する。
元の漢語 | 語頭での読み方 | 元の漢語 | 語中での読み方 |
良心 | ヤン・シム | 善良 | ソン・リャン |
料理 | ヨー・リー | 宿泊料 | スッ・パッ・リョー |
流行 | ユー・ヘン | 主流 | チュー・リュー |
来日 | ネー・イル | 招来 | チョ・レー |
老兄 | ノー・ヒョン | 故老 | コー・ロー |
楼閣 | ヌー・カッ | 高楼 | コー・ルー |
注:「来日」は「明日」の意味です。
当然のことながら韓国・朝鮮語をカタカナで正確に表すことはできません。特に次の点に御注意下さい。
1. 韓国・朝鮮語には n と ng の区別があります。上に挙げた語では、語尾の「ン」はすべて ng の音です。[ n ] ではありません。もっとも日本人が普通に語尾の「ン」を発音すると [ n ] にはなりませんが。(n と ng 参照)
2. 「ッ」は上の場合、すべて「ック」を発音するつもりで「ク」を言わずに止めます。入門書には「シュックパックリョー」とか「シュッ(ク)パッ(ク)リョー」と書いてあることもあります。ちなみに「約束」の韓国・朝鮮語は「ヤッ・ソッ」ですが、日本語(関東方言)の「約束」とほとんど同じに聞こえます。関西方言では「く」の母音が強いので同じには聞こえませんが。
3. 「シム」の「ム」は、英語の swim の [ m ] と同じようにしっかりと唇を閉じます。ただし母音を入れて/ mu / にしてしまわないように気を付けて下さい。
日本人は普通、語尾の子音 m、n、ng を区別できませんから、「千万人といえども我ゆかん」も「そんなことをしてはいかん」も最後の音が同じになってしまいます。(注:「行かむ」は普通「行かん」と読まれますが、本来 yukamu ですから、最後の母音が無声化しても yukam のはずです。また「いかん」は「行かぬ」ですから yukan のはずです。しかし、この場合、実際はどちらも「アの鼻母音 ã 」のような音で発音されまていす。[ jukaã, ikaã ])
また、ニュースのアナウンサーなどが「〜ません masen」を「〜masem」のように [ m ] で発音しているのもよく耳にします。(n と ng 参照)
4. 「ー」を付けてある音節は長音というほどではなく、心持ち長いという程度です。
注意:北朝鮮では語頭の r を発音します。ですから上の語も北朝鮮では「リャンシム」「レーイル」などと発音され、ハングルでもそのように書かれます。
さる22日(04年4月)に北朝鮮の竜川で列車爆発事故が起きましたが、爆風で壊れた小学校の写真を見ると、校門にハングルで「リョンチョンソハッキョ(竜川小学校)」と書かれていました。韓国のKBSニュースの報道を見ると、字幕には「リョンチョン」と書かれていたものの、アナウンサーもリポーターも「ヨンチョン」と言っていました。
韓国では「竜」は、「恐竜」で「コンリョン」、「竜頭」で「ヨンドゥ」と読まれます。
注:上の例で「リョン」「ヨン」「コン」の「ン」は ng、「チョン」の「ン」は n です。
ミスター・イ vs. ミスター・リ
韓国・朝鮮によくある姓に「李」がありますが、これが韓国ですと「イ」、北朝鮮では「リ」ということになります。(本家の中国では Li です。)
ちなみに人気の韓国ドラマ「冬のソナタ」では主人公の一人が「イ・ミニョン」です。たまたま韓国の映画監督にもイ・ミニョンという人がいます。姓はどちらも「李」でしょうが、「ミニョン」は漢字で書くと違うようです。
監督の方は「王ヘンに民」に「鎔」で、英語では Min Yong です。一方、ドラマの主人公の方は、漢字は分かりませんが、ハングルを見ると Min Hyong(ミン・ヒョン)のようになっています。h は有声音に挟まれると有声化
してほとんど聞こえなくなりますから、これも「ミニョン」に聞こえます。さて、この「ヒョン」に対しては「兄、形、蛍、衡」のような漢字がありますが、「衡」もっともありそうに見えます。「蛍」のほうがきれいではありますが。
ついでに、ドラマで「イ・ミニョン」の役を演じているペ・ヨンジュン(Bae Yong Joon)ですが、 公式サイトといわれるものには「裴勇俊」とあります。別のサイトで「裴容浚」と書いてあるものもありますが。
アルタイ語族
語頭に r が立たないというのは韓国・朝鮮語だけでなく、日本語の特徴でもあります。国語辞典の「ラ行」の項を見ると、「ラ行」で始まるのは漢語か、欧米の言語からの借用語、または「らしい」のような付属語だけです。本来の日本語には r で始まる語はなかったのです。
そしてこれはまた、モンゴル語、トルコ語、満州語などを含むアルタイ語族の特徴でもあります。日本語と韓国・朝鮮語とは、これや他のいくつかの特徴をアルタイ語族と共有しており、そのためにアルタイ語との系統関係が唱えられたこともありますが、未だ証明がなされていません。
注意:アルタイ語族の中でも、満州語を含むツングース諸語には、r で始まる語はないものの、l で始まる語はあるそうです。しかしこの l は本源的なものではなく n が変化したものだと考えられています。(満州語は清朝を作った満州族の言語です。ツングース諸語には満州語の他、エウェンキー語、オルチャ語、ウィルタ語などシベリアに住む諸民族の言語が含まれます。)
ところで、 n と l は発音の仕方が似ているせいか交替することがあります。広東語では語頭の n をすべて l で発音する人がかなりいるそうです。たとえば、「あなた」に当たる広東語(ニンベンに尓)は「ネイ」ですが、「レイ」と言う人もいます。北京で「ニイハオ」という「こんにちは」を、香港では「ネイホウ」あるいは「レイホウ」と言います。
President Roh
韓国の現大統領(第16代)は英語では President Roh(ロー大統領)と呼ばれます。恐らく中国では「ルー大統領」でしょう。日本では「ノ・ムヒョン」大統領と原語音に近く呼んでいますが、しばらく前は日本でも韓国・朝鮮人名を日本語式に読んでいました。たとえば、前大統領の金大中(キム・デジュン)は、1973年に日本国内で誘拐された当時、「きんだいちゅう」と呼ばれていました。また、第14代の金泳三、第13代の盧泰愚は「キン・ヨンサム」「ノ・テウ」でしたが、その前の全斗煥(第11〜12代)は「チョン・ドファン」とも「ぜんとかん」とも呼ばれていたように思います。もっと前の朴正煕(第5〜9代)は「パク・チョンヒ」よりも「ぼくせいき」として知られていました。李承晩(第1〜3代)になると「りしょうばん」意外には聞いたこともありません。
これが日韓両国の取り決めによるのか、単にNHKなどの報道機関の内規によるのか知りませんが、中国の人名については今のところまだ日本語式の読み方が行われています。たとえば、
胡錦濤(こ・きんとう)国歌主席
温家宝(おん・かほう)首相
李肇星(り・ちょうせい)外相
のような具合です。ピンインではそれぞれ Hu Jintao、Wen Jiabao、Li Zhaoxing ですから原語に近く表記するならば、フ・チンタオ、ウェン・チアパオ、リ・チャオシン、となります。(注:「フ」は日本語式に唇を使わず、喉の奥から英語の who のような感じで言って下さい。江沢民に代わって胡錦濤が国歌主席になったとき、アメリカの新聞に Who is Hu? という見出しが躍りました。)
逆に日本人の名前も中国では中国語式に読まれます。たとえば、「鈴木一郎」は北京語で「リンムウイーラン」、上海語で「リンモッイッラン」、などと呼ばれることでしょう。中国語では一つの漢字の読み方は原則として一つですから「鈴木一郎」を「すずきいちろう」と読むなど思いも至らないことです。日本なら「リンモク・カズオ」と読むことも全く不可能ではないでしょうが。
韓国では普通、漢字を使いませんから、「鈴木一郎」もハングルかローマ字で書かれ「すずきいちろう」と読まれることでしょう。
( Apr. 2004 )
参考文献:
朝鮮語四週間(河野六郎監修、石原六三、青山秀夫著、大学書林、1963)
日韓対照漢字読み方辞典(金字烈、時事日本語社、1991)
日本語の成立(安本美典、講談社現代新書、1978)
言語学大辞典(三省堂、1989)
現代ギリシャで見かける標識、ちょっとした挨拶の仕方を御紹介します。ギリシャに行かれた時には少しは役に立つかも知れません。また、日本語の中に入り込んでいるギリシャ語についてもお話したいと思っています。カタカナで読み方を添えましたが、参考程度です。詳しい発音はギリシャ文字の名前を御覧下さい。
I. ギリシャの標識
1. ΣΥΡΑΤΕ(引く)、 ΩΘΗΣΑΤΕ(押す)
ドアによく書いてあります。日本語で書いてあるときは余り意識しませんが、案外いつも見ているのではないでしょうか。外国語で書いてあるとドアの前で一瞬たじろいでしまいます。間違えてバツの悪い思いをすることもあります。
だいたいの読み方は「引く」が「スィラテ」、「押す」が「オスィサテ」ですが、「押す」のほうの「スィ」は上下の歯に下を挟むようにして言って下さい。(英語の thief の thie と同じように。)
「オスィサテ」の方は「オメガ」で始まっていますし、言い方も「押す」を連想させますから覚えやすいのではないでしょうか。
2. ΑΝΔΡΩΝ(男性用)、 ΓΥΝΑΙΚΩΝ(女性用)
トイレの標識です。近ごろは絵がついていることが多いですが、この絵が国によって紛らわしいこともあります。絵がないと、有名な笑い話のように Damen(ダーメン)ああダメか、Herren(ヘーレン)こっちも入れんか、というようなことになってしまいます。(注:ドイツ語の女性用、男性用の表示。)英語の国でも、イギリスのウェールズに行きますとウェールズ語しか書いてなく、昔とまどった覚えがあります。
「男性用」は「アンズローン」、「女性用」は「イネコーン」と読みます。この場合の「ズ」は英語の smooth や this の th です。「イ」はヤ行のイ、つまり英語の year や yeast の「イ」に近いです。( ear や east の「イ」とは異なります。)「ギ」のように聞こえることもあります。
ついでながら、英語の gynaecology(婦人科医学)、gynaecocracy(女性による統治、かかあ天下)にもギリシャ語の「女性」が入っています。
3. ΚΛΕΙΣΤΟΝ(閉店)、ΑΝΟΙΚΤΟΝ(営業中)
「閉店」は「クリストン」と読み、K、L、S、T という子音の並びが英語の CLOSED(クロウズド)と良く似ていますので覚えやすいと思います。Λ は一見、英語などのラテン・アルファベットと異なりますが、ちょっと回転させれば L になりますね。また、EI は現代ギリシャ語では「イ」と読みます。ついでながら、Ι も Η も Υ も ΥI も OI も「イ」です。したがって、「営業中」は「アニクトン」です。
4. ΕΙΣΟΔΟΣ(入口)、ΕΞΟΔΟΣ(出口)
「入口」は「イソゾス」、「出口」は「エクソゾス」と読みます。ΕΞΟΔΟΣ は英語に入って exodus(エクソダス)となり、「大挙して出かけること、(特に移民の)大量出国」の意味で使われ、また the Exodus としてモーゼに率いられたユダヤ人のエジプト出国を表します。近ごろでは村上龍の本で「希望の国エクソダス」があったり、その他の商品名としても使われているようですが、もとのギリシャ語は単に「外へ行くこと、出口」の意味です。
ついでながら、英語の EXIT はもともと「彼(彼女)は出て行く」というラテン語の動詞に由来します。英語の戯曲のト書きでは「〜退場」の意味で使われ、複数の役者が退場する場合は exeunt(彼らは出て行く)が使われます。
前にも書きましたように現代ギリシャ語の Δ は英語の this の th と同じように発音します。ですから Δ の名前ももはや「デルタ地帯」の「デルタ」ではなく「ゼルタ」に近くなります。また、 Δ の無声音(英語の three の th )は Θ です。「アテネ」は ΑΘΗΝΑ と書いて「アスィーナ」のように言います。ついでながら英語では Athens(アスンズ)です。
5. ΑΝΑΧΩΡΗΣΕΙΣ(出発)、ΑΦΙΞΕΙΣ(到着)
「出発」は「アナホリスィス」、「到着」は「アフィクスィス」と読みます。
「ホ」は喉の奥の方を擦るようにして出します。ギリシャ文字の X は英語と異なり、「ハ行」を強く息を出しながら言う感じの子音です。英語の box や exit の「クス」という音は Ξ で表します。
「フィ」は英語の fish の「フィ」です。Φ は現代ギリシャ語では「フィー」という名前ですが、日本では英語式に「ファイ」と呼んでいます。小文字は φ で数学では「空集合」を表す記号として使われています。
6. ΠΛΗΡΟΦΟΡΙΑΙ(インフォメーション、案内所)
「プリロフォリエ」と読みますが、始めの「リ」は L の音で、後の「リ」は巻舌ぎみの R で発音します。Λ は英語の L、Ρ は R に当たります。語頭の文字 Π は小文字では π、「円周率」でおなじみの「パイ」ですね。ギリシャ語では「ピー」と読みます。また、AI は E と同じで「エ」と読みます。
旅行に行くと案内所のお世話になることが多いですが、「案内所」の表示が読めなくては話になりません。昔、カナダのケベック地方に言ったとき、RENSEIGNEMENTS というフランス語が分からず困ったことがありました。ギリシャに行くことがあったらしっかり覚えて行こうと思います。
7. ΑΠΑΓΟΡΕΥΕΤΑΙ Η ΕΙΣΟΔΟΣ(立ち入り禁止)
ΑΠΑΓΟΡΕΥΕΤΑΙ ΤΟ ΚΑΠΝΙΣΜΑ(禁煙)
ΑΠΑΓΟΡΕΥΕΤΑΙ は「アパゴレヴェテ」と読み、「〜は禁止されている」という意味です。後に続く「イ・イソゾス」は「入ること」、「ト・カプニズマ」は「喫煙」です。「イソゾス」は「入口」の意味で既に出ましたね。
Η(イ)と ΤΟ(ト)は英語の the に当たる定冠詞で、前者は女性形、後者は中性形です。ギリシャ語の名詞には男性、女性、中性の3種があります。
読む時の注意ですが、「ゴ」は喉を擦るようにして出します。日本語でも語中の「ゴ」は(ガ行の他の音も同様に)この音に近くなる人がいます。つまり「御飯」の「ゴ」は破裂するように言う人でも、「朝御飯」の「ゴ」はギリシャ語の「ゴ」に近くなるわけです。(現代ギリシャ語のガンマを参照)
ΕΥ は / ev /(エヴ)と読みます。ただし、後ろに無声音が続く時は / ef /(エフ)で、Ευχαριστω(ありがとう)は「エフハリストー」と言います。ちなみに、「ありがとう」は F. Harris Stowe と人名のようにこじつけると覚えやすいと思います。「アンクル・トムの小屋」を書いた Harriet Stowe との連想も役立つかも知れません。ただ、ギリシャに行って「ハリエットストー」と言わないように気を付けて下さい。「ありがとう」を alligator にこじつけて覚えた人が、日本に来て crocodile と言ってしまったという話があります。
Σ は有声子音の前では有声化して(=濁って)/ z / の音になります。ですから「世界」を意味する ΚΟΣΜΟΣ(小文字では κοσμος )も「コズモス」と読みます。ついでながら、英語の cosmos も同様に発音しますが、日本語では「コスモス」ですね。(コスモスの8つの花びらは世界の8つの方位を示すと考えられてその名が付いたのだそうです。)
8. ΚΙΝΔΥΝΟΣ(危険)
ΕΞΟΔΟΣ ΚΙΝΔΥΝΟΥ(非常口)
「危険」は「キンズィノス」と言います。「ズィ」は英語の this の thi と同じように舌先を上下の歯に挟んで発音します。前に挙げた「出口」と結び付ければ「非常口」になります。ΚΙΝΔΥΝΟΥ は ΚΙΝΔΥΝΟΣ の属格(危険の)で「キンズィヌ」と読みます。Υ は「イ」ですが、ΟΥ は「ウ」と読みます。
9. ΟΔΟΣ ΙΠΠΟΚΡΑΤΟΥΣ(ヒポクラテス通り)
「オゾス・イポクラトゥース」と読みます。「オゾス」は「出口」「入口」にも含まれています。ついでに「行き止まり」ΑΔΙΕΞΟΔΟΣ(アズィエクソゾス)にも入っています。
ΟΔΟΣ は「通り」という意味です。もっと広い通り(パリで言えばブールバール)は ΛΕΩΦΟΡΟΣ(レオフォロス)と言います。
ついでながら、ヒポクラテス(ΙΠΠΟΚΡΑΤΗΣ)は古代ギリシャの医師で、現代においても「医学の父」と称されていますが、現代ギリシャ語では「イポクラティス」、古典ギリシャ語では「ヒッポクラテース」と読みます。(ΙΠΠΟΚΡΑΤΟΥΣ はその属格形「ヒポクラテスの」)
蛇足:ヒポクラテスと全く関係ないかもしれませんが、ギリシャ語で「馬」を ιππος(現:イポス、古:ヒッポス)と言います。現代ギリシャ語で「河馬」を ιπποποταμος(イポポタモス、馬・河)と言います。(英語では hippopotamus、または略して hippo と言います。)
注:ギリシャ語には / h / を表す文字がありません。古典時代には語頭に限って / h / の音が現れることはありましたが、それでもその文字はなく、語頭の母音に「気息記号」を付けることで/ h / の有無を表しました。すなわち、ただ母音で始まる時は ’(アポストロフィのような記号)、/ h / がある時はその鏡文字のような左右逆向きの記号を、母音の上(大文字の場合は左肩)に付けたのです。現代ギリシャ語では / h / の音が完全になくなりましたので、気息記号を付けないことが多いようです。
ついでながら、「ギリシャ」のことを ΕΛΛΑΣ と書き、古典時代は「ヘッラス」と読んで、「ヘレニズム Hellenism 」の語源ともなっていますが、現代では「エラス」と読みます。(ともに「ラ」にアクセント)
10. ΠΡΟΣΟΧΗ(注意)
「プロソヒー」と読みます。(「ヒー」にアクセント)
Προσοχη:ギリシャ文字の Χ は英語の X とは異なり「クス」の音ではありません。ラテン語(および英語)の PAX(パクス、平和)も、現代ギリシャ語式に読めば「ラハ」のような感じになります。現代ギリシャ語の Χ は「喉の奥を強く擦るようにして出すハ行」です。
ついでながら、現代ギリシャ語の「いいえ」に当たる言葉は οχι と書いて「オヒ」と言います。「はい」は ναι と書いて「ネ」と読み、韓国語の「はい」とたまたま同じです。
Χ の文字の名前も現代ギリシャ語では「ヒー」です。日本ではたいてい「カイ」と呼んでいますが、これは英語式の名称を取り入れたものです。英語ではギリシャ文字 Χ の名前を chi と綴り、「カイ」あるいは「キー」と読みます。ついでながら、古典ギリシャ語ではこの文字の名前は激しく息を出しながら発音して「キー」でした。
II. ギリシャの挨拶
1. Χαιρετε.(ヘレテ)
英語の Hello. のように一日中いつでも使える便利な挨拶です。別れる時にも使います。
ギリシャの人々は一日の時間の使い方が日本人とはだいぶ違います。たとえばお昼御飯が午後2時頃だったり、その後5時半くらいまで昼寝をしたり、といった具合です。したがって「おはよう」や「こんにちは」「こんばんは」の使い分けも私たちとは違います。そんな中でこの「ヘレテ」はとても便利な言葉です。
注:「ヘ」は喉の奥を擦るように強く、「レ」は少し巻舌っぽく言いましょう。
シエスタ:スペインやラテン・アメリカを訪れる日本人観光客を戸惑わせる午睡の時間、商店も閉じ街もひっそりとして買い物もままなりません。人を訪問したり電話を掛けたりするのももちろん御法度です。この習慣はふつうスペイン語の siesta で知られていますが、ギリシャでは μεσημεριανος υπνος(メスィメリアノス イプノス)と呼ばれます。意味は単純に「日中の睡眠」です。υπνος は古典では「ヒュプノス」で、ギリシャ神話の「眠りの神ヒュプノス」の名ともなり、英語の hypnotism(催眠術)などの語源ともなっています。
2. Γεια σας .(ヤサス)
本来は「あなたの健康を(祈ります)」という意味ですが、これも Χαιρετε. と同じように一日中いつでも「やあ」「こんにちは」「じゃあね」といった感じで使えます。 Χαιρετε. より多少くだけた感じのようです。親しい友だちには Γεια σου.(ヤスー)と言います。(注:どちらも「ヤ」にアクセント。母音は少し長めになります。)
「健康」という言葉はこの挨拶の中では γεια(ヤ)を使っていますが、普通は υγεια(イヤ、ヤにアクセント)と言うようです。古典では υγιεια(ヒュギエイア)と言い、ギリシャ神話の女神の名(英語名 Hygeia ハイジーア)ともなり、英語の hygiene(ハイジーン、衛生)の語源ともなっています。
発音の注:γεια は古典ギリシャ語式に読めば「ゲイア」となりましょうが、現代ギリシャ語では「ヤ」と読みます。これは、まず γ が「イ」と「エ」の前ではガ行ではなくヤ行の子音を表すようになったこと、ει が「イ」と読まれるようになったことによります。( イオータ化を参照)
Γ、γ(ガマ)の発音についてもう少し詳しくお話します。( 注:この文字の名称 Γαμμα は日本では普通、「ガンマ」ですが、これは古典ギリシャ語に基づく呼称です。現代ギリシャ語では μμ を一つとして発音しますので「ガマ」に近くなります。英語でも Gamma は「ガマ」に近く発音します。)
日本語の「ガ行」や英語の / g / を発音する時は、舌の後部がもちあがって口の天井にくっつき、息の出口をふさぎます。発声と同時にこの息が破裂するように出ることでガ行の音になります。この時、後につづく母音が「イ」とか「エ」の場合、それに影響されて、舌が天井にくっつく位置が「ウ」や「オ」の時よりも前寄りになります。厳密には子音 / g / の音が異なることになりますが、日本人や英米人はこの違いを認識していません。( 注:母音「イ」「エ」を発音する時は舌の前部がもちあがります。「ア」の時は舌が下がり、「オ」や「ウ」の時は舌の後部が上がります。)
現代ギリシャ語の場合、日本語のガ行や英語の / g / と異なり、舌が天井にくっつかず、したがって破裂が起きません。舌はただ天井に近付くだけで、その時できる狭い隙間で息の摩擦が起こります。この摩擦が起こる位置もやはり後ろに続く母音に影響され音が変わりますが、この違いは日本人や英米人も認識しているものです。「ア」「オ」「ウ」が続く場合については「ギリシャの標識、7. 」でも説明しました。「イ」「エ」が続く場合は舌が前よりになって、ヤ行の子音 / j / になります。この音については「ギリシャの標識、2」で書きました。
2つの「あなた」:フランス語、スペイン語、イタリア語、ドイツ語、ロシア語などを勉強したことがある方は、これらの言語には「あなた」に当たる表現が2つあることを御存じだと思います。ギリシャ語も同じで、親しい友人や家族に話しかける時と、見知らぬ人や遠慮の必要な人に話しかける場合では「あなた」に当たる言葉が異なります。上の挨拶では「あなたの」が出ましたが、親しい人に対しては σου、そうでない人には σας を使います。
この2つの形をそれぞれ「親称」と「尊称」と呼びますが、「尊称」を使う相手は、日本語で言う「目上の人」とは必ずしも一致しません。子供がお父さんやお母さんに話しかける時は「親称」を使います。
1人でも「あなたたち」:この「尊称」にどういう形を使うかは、言語によって様々です。
ギリシャ語、フランス語、ロシア語などでは、1人に対してでも「あなたたち」に当たる言葉を使います。たとえば、フランス語では、親しい1人の人に対して「あなた」は tu(テュ)、親しい2人以上の人に対して「あなたたち」は vous(ヴ)と言いますが、「尊称」は1人でも2人以上でも vous と言います。ギリシャ語では親称が εσυ(エスィ)、尊称(及び親称の複数)が εσεις(エスィス)です。そしてこれに使う動詞も、前者には2人称単数形、後者には2人称複数形となります。
イタリア語では「彼女」「彼女たち(=彼ら)」を尊称に兼用します。したがって、それに対応する動詞も、3人称単数形、3人称複数形です。ドイツ語では「彼ら(=彼女たち)」を人数に関わらず尊称として兼用します。スペイン語では普通の人称代名詞の他に、尊称のための特別な代名詞があります。対応する動詞は「彼は」「彼らは」の時とおなじく、3人称単数形、3人称複数形を使います。
3. Καλημερα .(カリメラ)
朝から午後2時頃(昼食の時間!)までの挨拶です。「おはよう」と「こんにちは」に当たります。「メ」を強く発音して下さい。
καλη(カリ)が「良い」と言う意味で、μερα(メラ)が「日」に当たります。「よい日をお迎え下さい」ということになりますが、朝も日中も同じ挨拶をするのはフランス語の Bonjour.(ボンジュール)やイタリア語の Buon giorno.(ブオンジョルノ)などと同じです。
ついでながら、「シエスタ」の項で、 μεσημεριανος(メスィメリアノス、日中の)という形容詞を挙げましたが、これは「真ん中の」を意味する μεσος と μερα から合成されたものです。またついでに Μεσοποταμια(メソポタミア)もμεσος と ποταμος(河)から成っています。
4. Καλησπερα .(カリスペラ)
シエスタが終わった後は夜まで通してずっと「カリスペラ」です。ですから、「こんにちは」と「こんばんは」に当たります。「ペ」を強く言って下さい。
現代ギリシャ語では「夕方、晩」は βραδυ(ヴラズィ)と言うのが普通のようですが、古くからある εσπερα(エスペラ)という言葉も残っています。こちらは古典ギリシャ語では「ヘスペラ」と発音し、「夕方、晩」および「西」を意味します。ラテン語にも同系の vespera(ウェスペラ)または vesper があります。これらは「宵の明星 evening star」を表す詩語 Hesperus 及び Vesper として英語にも取り入れられていますが、本来は「太陽の沈むところ」を意味し、英語の west とも遠い親戚です。
英語の辞書に Hesperia(ヘスピリア)という語が載っていて、「西国(古代ギリシャから見たイタリア、ローマから見たスペイン)」という説明があります。現代ギリシャでは Εσπερια と言うと「西ヨーロッパ」を指すそうです。
「西」は現代ギリシャ語では δυσις(ズィスィス)と言うようです。これは「西」および「日没」を表す古くからある語で、古典時代には「デュスィス」と発音されていました。
5. Πως ειστε ; (ポース・イーステ)
「御機嫌いかがですか」とか「お元気ですか」という挨拶です。英語の How are you? に当たりますが、πως が「どのように」を意味し、ειστε が「あなたは〜です」を表す動詞です。主語が「あなた」であるのは動詞の形から明瞭ですので、「あなた」に当たる言葉はことさらに言いません。最後の;(セミコロン)はギリシャ語では英語などの?に当たります。
上に挙げた挨拶は、見知らぬ人や遠慮の必要な人(いわゆる尊称)に対する形です。家族や友だちに言う時は Πως εισαι ;(ポース・イーセ)となります。
現代ギリシャ語には短母音と長母音の区別がありません。つまり、現代ギリシャ人には「おばさん」も「おばあさん」も同じに聞こえます。アクセントのある母音は多少長めになりますが、意識して言っているわけではありませんので、「おばあさん」「おじいさん」と呼ばれても気にしないで下さい。したがって、上の挨拶はカタカナでは「ポス・イステ」「ポス・イセ」と書いても同じなのですが、「ポ」と「イ」にしっかり強いアクセントを置くことが大事です。
ついでながら、現代ギリシャ語のアクセントは英語などと同じ強弱のアクセントです。日本語のように高低のアクセントではありませんから、ハシ(箸)とハシ(橋)とハシ(端)を区別するようなつもりでは通じないことも有り得ます。(古典ギリシャ語は高低のアクセントだったようですが。)
6. Τι κανετε; (ティ・カネテ)
5の Πως ειστε ; と同じく、「御機嫌いかがですか」「お元気ですか」の挨拶としてよく使います。親しい人には Τι κανεις ;(ティ・カニス)と言います。
もともとは「あなたは何をしますか。」という意味で、τι(ティ)が「何」に当たります。ちょっと応用すると、「あなたは何が欲しいですか。」なら Τι θελετε;(ティ・セレテ、「セ」は th の音)と言います。Τι εχετε;(ティ・エヘテ)なら「あなたは何を持っていますか。」で、これはレストランでドレッシングの種類を聞くときや、おでんの屋台(があるとは思えませんが同様の屋台や惣菜屋)で品揃えを尋ねたいとき、さらに医者が患者にどこが悪いのかを聞く時などにも使われます。また、「これは何ですか。」なら Τι ειναι αυτο;(ティ・イネ・アフトー)と言います。
余談ですが、ソフィア・ローレン主演の映画で「イルカに乗った少年」というのがあります。ギリシャのどこかの島へ歴史の調査に来た学者(俳優はたぶん「シェーン」のアラン・ラッド)と純朴で美しく気の強い島の娘との、ある古代の遺物を巡る奮闘、そして恋、を描いた映画ですが、その主題歌の出だし(若い人たちの言うの「さわり」)に、この Τι ειναι αυτο; が繰り返されます。ただし、音がくっついて「ティナフトー」と聞こえますが。
7. Πολυ καλα . (ポリー・カラー)
「たいへん元気です。」という意味で、5番、6番の「御機嫌いかがですか。」に対する答えです。普通は、この後に「ギリシャの標識7」で説明した Ευχαριστω(ありがとう)を加えます。また、Μια χαρα , ευχαριστω . という答え方もあります。
πολυ(ポリー)は「とても」、καλα(カラー)は「よく、元気に」という副詞です。χαρα(ハラー)は「喜び」という名詞、μια(ミアー)はたぶん「1つの」の女性形だと思います。
どちらも、始めに ειμαι(イーメ)を付けて、 Ειμαι πολυ καλα . などと言うこともできます。
ειμαι は英語の be 動詞に当たる言葉の「1人称単数現在形」です。つまり、英語で言えば am ということになります。英語の be 動詞の現在形は主語に応じて am、is、are と3通りに形を変えますが、現代ギリシャ語は5通りに変化します。
今までに出たものでは、εισαι(イーセ)が「2人称単数現在形」、つまり「君は〜です」の are です。ειστε(イーステ)は「2人称複数現在形」、つまり「君たちは〜です」の are、及び「尊称」の場合の are。そして、ειναι(イーネ)は「3人称単数現在形」の is、かつ「3人称複数現在形」の are(かれらは〜です)に当たります。残りの「1人称複数現在形」(私たちは〜です)は ειμαστε(イーマステ)と言います。
表にすると下のようになります。
| 単数 | 複数 |
1人称 | ειμαι | ειμαστε |
2人称 | εισαι | ειστε |
3人称 | ειναι | ειναι |
少し例文を挙げます。主語は言う必要がありません。また、疑問文も形は変わらず、言う時に最後をあげるだけです。
私は日本からです。 | Ειμαι απο την Ιαπωνια. |
私たちは日本からです。 | Ειμαστε απο την Ιαπωνια. |
君は日本から来たの? | Εισαι απο την Ιαπωνια; |
あなたは日本からですか。 | Ειστε απο την Ιαπωνια; |
απο την Ιαπωνια は「日本から(来た)」という意味です。απο(アポ)〜から、την(ティン)定冠詞(女性形、対格)、Ιπωνια (ヤポニーア)日本。英語で言えば from Japan になりますが、英語と異なる点は「日本」という固有名詞にも定冠詞(英語の the )が付くということです。「マコトは日本からです。」や「ハナコは日本からです。」の場合も「マコト」「ハナコ」に定冠詞がついて下のようになります。O(オ)は定冠詞(男性形、主格)、H(イ)は定冠詞(女性形、主格)です。
Ο Μακοτο ειναι απο την Ιαπωνια.
Η Χανακο ειναι απο την Ιαπωνια.
英語の冠詞
ヨーロッパの言語の多くには「冠詞」があり、私たち日本人がこれらの言語を学習する時の大きな障害となっています。もっとも、ラテン語やロシア語のように冠詞がない言語もあり、What's the time?(何時ですか。)と言うべきところを、What's time?(時間とは何ぞや?)と言ってしまったロシア人の話もあります。
基本的には、定冠詞(英語の the )は「あなたも知っているはずの(例の、あの〜)」という感じで「相手にも当然わかると話し手が思っているもの」、不定冠詞(英語の a、an )は「相手にはどれだかわからないと話し手が思っているもの」に付けます。
英語では、こういう考えの下に、世の中に1つしかないという前提で話題にするものには the を付けます。 The sun と言えば我々の太陽系の「太陽」であり、the moon と言えば地球の衛星である「月」のことです。「太陽」と聞いて「どこの太陽?」と問う人は普通いませんから、相手も当然知っているはずのものとして the を付けます。ときどき中学生が間違うように「その太陽」などと訳してはいけません。
( 話はそれますが、「地球は丸い。」という言い方がおかしいのを御存じですか。The earth is round. は全く問題ないのですが。答えは後ほど。)
これに対して、世の中に複数あるのが前提で、ただちにどれとは決まらないものには(他の事情で特定されない限り) the を付けません。数えられるものなら、単数には不定冠詞を付け、複数なら複数形にします。ですから、「惑星」は a planet、あるいは planets で、一度話題にした後や特別の限定を付けた時に限り the planet(s) とします。(フランス語やスペイン語など不定冠詞の複数形をもつ言語もあります。特にスペイン語の unos は傑作です。なにしろ「1つ」を表す uno の複数形なのですから。注:不定冠詞としては、男性単数 un、同複数 unos、女性単数 una、同複数 unas )
固有名詞に the を付ける?
以上のような考えからすれば、固有名詞に the を付けるのは自然に思えます。固有名詞は本来、世界にそれしかないという宣言の下に付ける「名前」です。「ギリシャ」と聞いて「どのギリシャ?」と問う人はいません。「当然あなたも知っているはずの、あの〜」という意味で定冠詞を付けることになります。現代ギリシャ語では「ギリシャ」を η Ελλαδα(イ・エラーザ)と言います。(注:η は定冠詞の女性形です。「ギリシャ」を表すギリシャ語には「ギリシャの標識9」で書きましたように Ελλας もあります。)
フランス語でも、「国名」には定冠詞を付けるのを原則としています。男性形、女性形、複数形があって、たとえば日本、ギリシャ、フランス、アメリカ合衆国は le Japon、la Grèce、la France、les États-Unis となります。
しかしながら、英語では固有名詞には定冠詞 the を付けないのが原則です。英語では、大文字で書き始めることで、固有名詞あることを示すと同時に「定冠詞が付いているのと同じに見なす」と考えるのです。つまり、「固有名詞」というのは本来、世界で1つと宣言されているのだから、わざわざ定冠詞を付けて明示する必要はない、という考え方です。(フランス語でも「町の名前」や「人名」には定冠詞を付けません。例外:Le Havre )
かくして、英語学習者は次のように例外的に固有名詞に the を付ける場合を覚えるのに苦労することになります。
(1)慣用的に the をつける場合:河川、海洋、船舶、新聞、雑誌、公共の場所・建物、複数の固有名詞(山脈、群島、種族名など)。英米で異なることもあり、「湖」や「湾」「駅」「公園」は付かないなど、いい加減なところもあります。例:the Tone River(利根川)、the Pacific Ocean(大平洋)、Lake Biwa(琵琶湖)、Tokyo Bay(東京湾)など。
(2)固有名詞の普通名詞化:「イチロー」も「鈴木一朗」も固有名詞ですから、英語では冠詞を付けないのが原則です。しかし、固有名詞も普通名詞として使われれば、定冠詞や不定冠詞が付きます。「普通名詞」とは何かと言うと、世の中にいくつもあって、1、2、3、、、と数えられる「普通の」ものです。本や、鉛筆、家、車、花、鳥、犬、教師、野球選手、などは普通名詞です。
それではどういう場合に「イチロー」が普通名詞になるかと言うと、まず、「イチローという名前の人」という意味で使われた場合です。次の例を見て下さい。
There are three Ichiroes in my class.(僕の組にはイチローが3人います。)
An Ichiro called you.(イチローという人が電話してきましたよ。)
次に、「イチローのような野球選手」という意味で使われる場合です。この場合も、そういう人は何人もいる可能性はありますので(多くはないでしょうが)、普通名詞になります。下の例を見て下さい。
I want to be an Ichiro.(僕はイチローのような野球選手になりたい。)
He is the Ichiro of South Korea.(彼は韓国のイチローだ。)
最後の例の場合、「普通名詞」の Ichiro が「韓国の」という限定が付いたことで「定まり」、「相手にもどれだかわかるものと見なされ」て、定冠詞が付きます。「韓国の首都 the capital of South Korea 」「韓国の大統領 the president of South Korea 」などの場合と同様です。したがって、これは、見かけは固有名詞に定冠詞を付けていますが、実質は「普通名詞」に定冠詞を付けた場合と見なすこともできます。
The my friend?
定冠詞を含むのは固有名詞だけではありません。英語では、my、your、などの「所有形容詞」あるいは代名詞の所有格が付いた言葉も、定冠詞 the を含むものと見なされます。したがって、the my friend とは言わず、単に my friend と言えば「あなたも知っているはずの(例の、あの〜)」という意味が入ります。
「私にはめっちゃ猫好きの友だちがいて、、、、」とか話をした後で、写真を見せ This is my friend.(これがその友だちなんだけど。)と言うのは問題ありませんが、そういう前置きなしに写真の人物を、あるいは傍らに立つ人を This is my frined. と紹介すれば、それは「これが私の恋人です。」と言ったものと見なされます。the を付けるということは「もうこれっきゃない」ということに通じますから。(別の可能性である「世界にたった1人の友だちで、それがしかもただの友だち」なんてことは誰も思いません。)もし、ただの(と今のところは思われたい)友だちを紹介するのなら、 This is a friend of mine. と言います。同じ「私の友だち」でも、こちらは「不定冠詞」が付いているので「ある友人」という意味になります。
ついでながら、日本ではちょっと知っている人でもすぐ「友だち」と言うようですが、余りの安売りはどうかなと思います。英語では次のような紹介のしかたもします。
This is a colleague of mine.(ここにいるのは僕の同僚です。)
This is an acquaintance of mine.(こちら私の知り合いの方です。)
This is a neighbour of mine.(こちら御近所の方です。)
同様に、「私自身の家」などと own を使った場合も下のような使い分けをします。
It was so foggy last night I had some difficulty finding my own house.
昨夜はひどい霧で自分の家を見つけるのにも苦労した。
I'm living in a flat now, but some day I will have a house of my own.
今はアパート暮しだけどいつかは自分の家を持つわ。
誰かが、「家に帰るよ」といえば「どの家?」と聞くのは漫才のつっこみくらいで、普通はその人が住んでいる家だと思います。英語でも my house とか my own house と言うときは当然相手にもどの家か分かるはずだと思ってそう言います。つまりそこには the が含まれている(と英語では考える)のです。
これに対して、ギリシャ語ではやはり、定冠詞を付けます。こちらはこちらで、「定まったもの、相手にもどれだか分かるはずのもの」には定冠詞を付けるという「原則」に従っているのです。かくして、「私の家」「私の父」「私の母」は次のようになります。(το、ο、η が定冠詞で、それぞれ中性形、男性形、女性形です。μου は「私の」です。)
το σπιτι μου(ト・スピーティ・ム)
ο πατερας μου(オ・パテーラズ・ム)
η μητερα μου(イ・ミテーラ・ム)
ついでながら、イタリア語でも所有形容詞は定冠詞とともに使います。
il mio giardino(私の庭)
la mia casa(私の家)
i miei fratelli(私の兄たち、弟たち)
il、la、i は定冠詞で、それぞれ男性単数形、女性単数形、男性複数形です。「私の」という所有形容詞にも男性、女性、単数、複数の形があります。
ただし、イタリア語では「近親者」を表す語の場合、定冠詞が付くのは、他の形容詞が付いたときと複数のときだけです。
mio padre(私の父)
il mio caro padre(私の愛しい父)
mia madre(私の母)
la mia picclola sorella(私の小さな妹)
mio fratello(私の兄・弟)
イタリア語とは姉妹語とも言えるフランス語やスペイン語では、定冠詞を所有形容詞と一緒に使うことはありません。そもそもこれらの言語の祖先であるラテン語には冠詞というもの自体がなかったのです。イタリア語がどうしてこういう使い方をするようになったのかは分かりませんが、もしかしたら海を挟んでの隣国ギリシャに影響されたのかも知れません。
いずれにせよ、「冠詞」の基本的な考え方には共通したものがあるものの、実際の使い方となるとこのように各国語で異なることがあります。
Do you like the reading?
他の例を挙げますと、「(一般に)〜が好き」と言う場合、英語では「好きなもの」には冠詞を付けませんが、フランス語では定冠詞を付けます。たとえば、「私はコーヒーが好きです。」は、英語では I like coffee. と言い、I like the coffee. と言うと「一般にコーヒーというもの」ではなく、「あの、この、その、例のコーヒー」などのように「相手も知っている特定のコーヒー」を好きだと言っていることになります。
ところが、フランス語では「私はコーヒーが好きです。」を J'aime le café. のように定冠詞を付けて言います。下の例を御覧下さい。カッコの中に英語を添えます。( le、la、les が定冠詞で、それぞれ男性単数形、女性単数形、共通性複数形です。)
J'aime le vin. ( I like wine.)
J'aime la lecture. ( like reading.)
J'aime la viande. ( like meat.)
J'aime les pommes. ( I like apples.)
英語の考えかたからすると奇妙ですが、実はこれはこれで定冠詞の考え方に沿ったものなのです。
定冠詞は、「相手もどれだか分っているはずの(例の、あの)」という意味ですから、「既に話題にしたもの」を指すために使いますが、それだけでなく、「誰もが頭の中に持っているイメージ」を指すこともあります。「コーヒー」と聞けば誰でも思い浮かべる像があるはずですが、それはモカとかキリマンジャロとかブルーマウンテンとかの細かい違いを越えて、抽象化された「総称」としての「コーヒー」です。そして、フランス語では「好きな対象」を「総称」として表現するために定冠詞を使っているのです。
英語でも、The dog is a faithful animal.(犬は忠実な動物だ。)のように総称の the と呼ばれる定冠詞の用法があります。しかし英語では「〜が好きです」と言う時には「総称の the 」ではなく「一般のものを表す」無冠詞の形(数えられる名詞は複数形)を使います。前にも書きましたように、冠詞の考え方には各国語に共通なものがあるものの、実際の使い方はそれぞれの習慣によるのです。(無冠詞の総称を参照)
ちなみに、英語では「総称の the 」あるいは「抽象化の the 」は「数えられる名詞」にしか使えません。したがって、「コーヒーとは」とか「時間とは」「愛とは」のように物質名詞や抽象名詞の場合は無冠詞の形を使います。下の英語とフランス語を比較して下さい。フランス語の「時間 temps 」には定冠詞 le が付いています。
What is time? | Qu'est-ce que le temps? |
Time is money. | Le temps, c'est de l'argent. |
クイズの答え:なぜ「地球は丸い」という言い方がおかしいのかお分かりになりましたか。たとえば、「地球は平らだ」と言ったらこれは形容矛盾です。丸いからこそ「球」と言うわけですから、平らだったり三角だったりするわけはないのです。したがって、「地球は丸い」というのは「頭痛が痛い」と言うのと同じ冗語になります。
一方、The earth is round. とか The earth is flat. とか言うのは問題ありません。 英語の earth はもともと「土、大地」という意味で、どこにも「丸い」という意味は含んでいないからです。( パール・バックの The Good Earth「大地」を参照 )
英語でも globe は本来が「球」という意味で、「地球」「地球儀」の意味で使います。形容詞の「グローバル」は「全世界的な」という意味でよく使われます。GPS ( Global Positioning System 全地球位置測定システム)にも入っていますね。
8. Ευχαριστω . (エフハリストー)
Παρακαλω . (パラカロー)
エフハリストー(ありがとう)については「ギリシャの標識7」で書きましたのでそちらを御覧下さい。
Παρακαλω. の「ラ」は R の音、「ロ」は L の音です。「ロー」を強く言って下さい。ここでは、「ありがとう」に対する「どういたしまして。」の意味です。元々は「私は(あなたに)お願いする」という意味です。他に Τιποτα.(ティポタ)という言い方もありますが、こちらは英語の anything、(否定を伴い)nothing に当たる言葉です。日本語の「なんの、なんの」という感じでしょうか。
Παρακαλω. は他に「どうぞ」「お願いします」と、英語の please のようにも使いますが、「どういたしまして」を兼ねるところはむしろフランス語の je vous en prie に近いと言えます。しかもこちらも元は「私はあなたにそのことを願う」という意味です。
Παρακαλω. はまた、「すみません」と人に呼びかける時も使います、道を尋ねたい時や、店員に注文をしたい時などに便利です。
9. Συγγνωμη . (スィグノミ)
前項の Παρακαλω. と同じく、知らない人に呼びかける時や、あやまる時に使います。日本語の「すみません」と同じですが、「ありがとう」の意味では使えません。「ノ」を強く発音して下さい。
また、「スィングノミ」と発音する場合もあるようです。ギリシャ語では原則として、喉音(γ、χ、κ)の前の γ は英語の sing の ng の音(発音記号のエング)を表します。したがって、たとえば αγγελος(アンゲロス、天使)、σπογγος(スポンゴス、スポンジ)、συγχωρειτε(スィンホリテ、ごめんなさい)、などとなります。なお、γκ の組み合わせは場合によって g、ng(linger の ng)、nk になり、語頭では γκαζι(ガズィ、ガス)のように g の音になります。また、σφιγξ(スフィンクス)のように ξ(クスィー、英語の x )の前の γ も「エング」になります。
注意:英語では、linger の ng と singer の ng は発音が違います。singer の ng は「エング」だけですが、linger の ng は「エング」+ g です。「スィンガー」の「ガ」はいわゆる鼻濁音で、「リンガー」の「ガ」は普通の濁音で発音して下さい。linger をギリシャ文字で書こうとすれば λιγγερ とでもなるでしょうが、singer のほうは書けません。ついでながら、single は σιγγλ となります。もう1つついでに、think は θιγκ となるでしょう。
III. 日本語の中のギリシャ語
1. ビオトープ
最近、新聞などで「ビオトープ」という言葉を見かけます。「小生活圏(特定の生物群集が生存しうる均一な環境をそなえた区域)」という意味だそうです。英語では「バイオトウプ biotope 」と言いますから、日本語には恐らくドイツ語 Biotop(ビオトープ)から入ったものと思いますが、どちらも語源はギリシャ語です。
「ビオ」はギリシャ語の「ビオス」、βιος(生命、人生)に由来します。ヒポクラテス(Ιπποκρατης)の有名な言葉「人生は短く芸術は長い。」は古典ギリシャ語で下のようになっています。
ο βιος βραχυς , η δε τεχνη μακρα.
ホ・ビオス・ブラキュース・ヘー・デ・テクネー・マクラー
注:正確にはこれに気息記号とアクセントが付きます。上の文では「ビ、キュ、テ、ラ」にアクセントを置いて読んで下さい。古典ギリシャ語のアクセントは日本語と同じ高低のアクセントです。英語や現代ギリシャ語のような強弱のアクセントではありません。「ブラキュース」の「キュ」と「テクネー」の「ク」は帯気音で発音して下さい。
「トープ」はギリシャ語の「トポス」、τοπος(場所)に由来します。
ついでながら「ユートピア Utopia」の「トピア」も同様です。同名の書を著した16世紀の英国の思想家トーマス・モア(Sir Thomas More)の造語ですが、「ユー」は否定を表す ου (ウー)ですから、ユートピア(理想郷)は「場所でない場所=存在しない場所」という皮肉な意味になります。
ところで、伊東市に「イトーピア」という分譲地があります。「理想郷」の意味を含ませたかったのでしょうが、「トピア」だけでは「場所」に過ぎません。また、「チケット・ピア」は「トピア」に掛けているのかどうか知りません。
なお、「トピア topia 」の -ia は「地名」などを作る語尾で「フェニキア」「オーストラリア」「カリフォルニア」など広く使われています。
2. バイオテクノロジー
最近はやりの「生物工学」です。日本語には英語から入りましたが、ドイツ語では Biotechnologie(ビオテヒノロギー)と言います。(英語はどうも訛る癖があります。Aはなぜ「エイ」と読むのか?を御覧下さい。)
「バイオ(ビオ)」はやはり前項に書いたギリシャ語 βιος(ビオス)から来ています。英語には他にも bio- で始まる言葉がいろいろあります。 biogenetics(バイオジェネティクス、遺伝子工学)、biomass(バイオマス、ある地域内に現存する生物の総量)、biochemical(バイオケミカル、生物化学の)、bioweapon(バイオウェポン、生物兵器)、bioterrorism(バイオテロリズム、生物兵器によるテロ)、bilology(バイオロジー、生物学)、biopsy(バイオプスィ、生体組織検査)、biography(バイオグラフィ、伝記)、など。
「テクノロジー」は前項で挙げたヒポクラテスの言葉の中の τεχνη(テクネー、芸術、技術)と「学問」を著す -ology(後で詳述)とから合成された言葉です。τεχνη に由来する言葉を英語から拾ってみますと、technical(テクニカル)、technician(テクニシャン)、technic(テクニック)、technique(テクニーク)、technocrat(テクノクラット)など日本語でもよく使う語があります。
発音:>ギリシャ文字の χ をローマ人は ch で転写しました。英語の中のギリシャ系の語はラテン語を通じて入りましたので、英語でも ch で綴ります。英語での発音は(フランス語からの借用語を除いて)普通の k と同じですが、古代ギリシャでは k の帯気音でした。現代ギリシャ語では軟口蓋摩擦音に変わっていますので τεχνη は「テヘニ」のように発音します。
-ology
「テクノロジー」のように「ロジー」で終わっている言葉がたくさんあります。「アストロロジー、占星術」「バイオロジー、生物学」「エコロジー、生態学」「コズモロジー、宇宙論」などは日本語の文章の中でも使われることがあるのではないでしょうか。
注意:「ロジー」の前にはたいてい「つなぎの母音」の「オ」が入り、ここにアクセントがありますので、「ロジー」の前の「オ段」を強く発音するようにして下さい。また、アメリカ英語では「ホットドッグ」が「ハッドーグ」、「ドクター」が「ダクター」になるように、この「ロジー」も「ラジー」のように発音されます。たとえば「宇宙論」は「カズマラジー」のようになります。いずれにせよ「ラジー」の前の音節にアクセントを置いて発音します。
この「ロジー」は λογος(ロゴス)に由来します。これは「道理、推論、命令、託宣、約束、会話、物語り、言語能力、言葉」など幅広い意味を持つ言葉です。聖書のヨハネ伝は「はじめに言葉あり、言葉は神と共にあり、言葉は神なりき。」と始まりますが、古典ギリシャ語では下のようになります。
Εν αλκηι ην ο λογος , και ο λογος ην προς τον θεον , και θεος ην ο λογος .
エン・アルケー・エーン・ホ・ロゴス、カイ・ホ・ロゴス・エーン・プロス・トン・テオン、カイ・テオス・エーン・ホ・ロゴス
注意:アクセントと気息記号は省いてあります。「エン・アルケー(始めに)」の語尾の ι は正しくはその前の η の下に小さく書かれます。θεος と θεον は「神」の主格と対格です。「ホ」と「トン」は定冠詞、προς(プロス)は前置詞(〜と共に)です。
蛇足ながら、最近よく政治家などが「(はじめに)〜ありきの結論」とか「(はじめに)〜ありきでは議論の余地がない」などという表現を用います。上の言葉(特に出だしの「はじめに言葉ありき」)が元ではないかと思いますが、ちょっと「言葉」が一人歩きして、使われ過ぎの感があります。
この -ology は「〜学」という感じでいろいろな学問の名前に付いていますが、λογος の意味を考えると特に日本語の「〜理学」と近いのではないでしょうか。ただ、日本語で「心理学」「物理学」「地理学」「病理学」「数理科学」のうち英語で -ology が付くのは psychology(心理学)と pathology(病理学)だけですが。
他に -ology を含む英語を列挙しますと、
sociology(社会学)、anthropology(人類学)、ethnology(民俗学)、zoology(動物学)、geology(地質学)、musicology(音楽学)、meteorology(気象学)、criminology(犯罪学)、cryptology(暗号学)、bacteriology(細菌学)、environmentology(環境学)、Egyptology(エジプト学)、Japanology(日本学)、irenology(平和学)、futurology(未来学)、など、
およそ何にでも「〜学」というのがありそうな感じで、まだまだ、たくさんあります。
更に、ちょっと変わったものを拾ってみますと、
deltiology(絵葉書収集)、dracontology(ドラゴン研究)、erotology(性愛学、好色文学)、garbageology(ゴミ学)、herbology(ハーブ研究)、kissology(キス学)、necrology(過去帳)、hippology(馬学)、spectrology(幽霊学、妖怪学)、scatology(糞便学)、coprology( 〃 )、など、いろいろ面白いものがあります。
astrology(占星術)はインドの大学では今でもれっきとした学問として教えられているということを何かの本で読みましたが、確認していません。ハリー・ポッターの魔法の学校ではもちろん herbology(この場合は「薬草学」でしょうか)と同様、科目の一つです。
注意:mineralogy(鉱物学)、analogy(類推、類似)、trilogy(三部作)、tetralogy(四部作)のように -logy の前に「つなぎの母音 -o-」が入らないこともあります。
デキゴトロジーは「出来事」に「ロジー」を付けた造語です。もちろん英語ではありませんが、遊び心があってうまいですね。遊び心と言えば、ひところ流行ったそうな「アンシンジラブル」もよく出来ていますが、英語で言えば unbelievable または incredible と言うことになります。
昔、時計屋の店先で「リューズレス」という表示を見かけました。「竜頭が(見え)ない」ということのようですが、これも日本語と英語の合成です。「レス」は「ホームレス(家がない)」や今は普通になった「シームレス(縫い目がない)」などにも使われているように「〜がない」を意味する英語の接尾語ですが、「りゅうず」は歴とした日本語です。英語だと思っていた方もいらっしゃるのではないでしょうか。ついでながら、「鉄アレイ」の「アレイ」も実は「亜鈴」で、英語の dumbbell(ダンベル)を直訳したものです。dumb(ダム、唖の)、bell(ベル、鈴)。
3. ペンタゴン
「ペンタゴン」と聞けばまずアメリカの国防総省(the Pentagon)を思い浮かべる方が多いと思います。その建物が五角形であることから生まれた俗称です。
「ペンタゴン」は英語で「五角形」を意味します。函館の五稜郭も英語で言えば the Pentagon ということになりましょう。「ペンタ」は「5」を意味するギリシャ語の πεντε(ペンテ)に由来し、-gon は「〜角形」を表す語尾です。-gon は「角」を意味するギリシャ語 γωνια(ゴーニアー)に由来します。
「ペンタ」は「ペンタスロン(pentathlon、五種競技)」や「ペンタン(pentane、炭素原子5個のアルカン)」などにも使われています。
「ペンタクル(pentacle、五線星形)」は5つのとんがりを持つ、一筆書きの星形です。魔法使いがジーニなどの魔神を呼び出す時に床に描くのもこのペンタクルです。
ついでに、「〜角形」を表す英語を列挙します。(注:今では trigon と言うと「三角琴」という楽器だそうで、「三角形」は triangle と言います。また、「多角形」は polygon と言います。)
〜角形 | 英語 | カタカナでは |
3角形 | (旧)trigon | トライゴン |
4角形 | tetragon | テトラゴン |
5角形 | pentagon | ペンタゴン |
6角形 | hexagon | ヘクサゴン |
7角形 | heptagon | ヘプタゴン |
8角形 | octagon | オクタゴン |
9角形 | enneagon、nonagon | エニアゴン、ノナゴン |
10角形 | decagon | デカゴン |
11角形 | hendecagon | ヘンデカゴン |
12角形 | dodecagon | ドデカゴン |
注:「6角形」は「ヘキサゴン」と書いてあることもあると思いますが、英語の発音は「ヘクサゴン」に近いです。「ヘ」にアクセントがあります。
注:アルカンとは、科学用語辞典によれば、脂肪族飽和炭化水素 C(n)H(2n+2) の一般名とのこと。メタン系炭化水素あるいはパラフィン系炭化水素と呼ばれることもあり、メタン、エタン、プロパンなどのもこの仲間だそうです。(注:正しくは n や 2n+2 にカッコは付かず、C や H の右足元に小さく書かれます。n が1のときは CH4、n が2なら C2H6ですが、これらの4、2、6も右足元に小さく書かれます。)
n が1から4までのものは昔ながらの名称で呼ばれていますが、5以上のものはギリシャ語の数詞からの造語です。下に n が10 までのものを列挙します。
1. メタン、2. エタン、3. プロパン、4. ブタン、5. ペンタン、6. ヘキサン、7. ヘプタン、8. オクタン、9. ノナン、10. デカン
ついでながら、メタン、エタン、プロパン、ブタンの順番、さらに n=1 〜 8 までの順番を覚えるための工夫(ニモニック)として下のようなものがあります。
Mother Earth Protects Butterflies. (母なる大地は蝶を守る)
Mama Eats Peanut Butter, Papa Helps Her Out. (ママはピーナツバターを食べ、パパは彼女を助け出す)
4. トライアスロン triathlon
「トライ」は前項で挙げた「トライゴン trigon」の場合と同じく、「3」を意味するギリシャ語に由来します。「トリ」ではなく「トライ」と発音するのは英語特有の「なまり」です。(Aはなぜ「エイ」と読むのか?を参照)
「3」は男性・女性形が τρεις(トレイス)、中性形が τρια(トリア)ですが、他に「3倍、3回」を表す τρισ(トリス)、「3番目の」を意味する τριτος(トリトス)などの形があります。
注:τρεις は古典の発音では [ treis ] のような感じですが、現代ギリシャ語では ει を「イ」と読みますので、τρισ と同じく[ tris ] になります。
「アスロン、athlon 」は古典ギリシャ語で「賞」を意味する αθλον(アトゥロン)または「賞、競争、闘い、労役」を意味する αθλος(アトゥロス)に由来します。(「ア」にアクセント)英語の athlete や athletics などもこれらに由来します。
「競い合う」という動詞は αθλευω(アトゥレウオー)または αθλεω(アトレオー)(「レ」にアクセント)で、「賞を競い合う者、競技者」のことをαθλητηρ(アトゥレーテール)または αθλητης(アトゥレーテース)と言いました。(「テ」にアクセント)
注:古典時代、θ は帯気音の t を表していましたから、カナでは「トゥ」としました。現代ギリシャ語ではこれが英語の th の音になっていますから、αθλος(競争、偉業)は「アスロス」、 αθλητης(競技者)は「アスリティス」に近くなります。(「ティ」にアクセント)
「賞」は「アスロン」ではなく επαθλον(エパスロン、「エ」にアクセント)と言うようです。
最近、スポーツ中継のアナウンサーなどが「競技者、運動選手」のことを「アスリート」と言っているのをよく耳にしますが、「リ」を高く発音しているので奇異な感じがします。英語の
アクセントは「ア」にあります。やたらと英語を使いたがる人がいるのは困りものですが、せめてアクセントくらい正しく言ってほしいものです。
ついでながら、他にもアクセントが間違っていてギョッとするものに「アウォード、award 」「サクセス、success 」などがあります。これらの場合、英語では「ウォ」「セ」にアクセントがありますが、日本語の中では「頭高」に言う人が多いようです。
5. モノレール monorail
「モノレール」は英語ですが、「モノ」はギリシャ語の μονο(モノ)に由来します。他に μονον(モノン)、μονος(モノス)の形もありますが、意味は単純に「ひとつ」ではなく、「ただ単に」「唯一の」ということです。英語で言えば only、alone、single に当たります。英語の one(ひとつ)に当たるギリシャ語は男性形 ενας(エナス)、女性形 μια(ミア)、中性形 ενα(エナ)と言います。
「モノクロ」「モノトーン」「モノラル」などの「モノ」も同様です。
「モノクロ」の「クロ」は「白黒」の「黒」とは関係ありません。「モノクローム monochrome 」の略で「単色」を意味します。「クローム」の語源は「色」を表すギリシャ語 χρωμα(クローマ)です。(注:現代ギリシャ語では、X は [ k ] でなく、無声軟口蓋摩擦音です。)
ついでながら、「染色体」に当たる英語の chromosome は χρωμα と「体」を意味する σωμα(ソーマ)との合成語です。
「モノトーン monotone 」は英語で「単調、1本調子」の意味ですが、tone はギリシャ語 τονος(トノス)に由来します。これは「音調」の他に「緊張、ひも、ロープ」をも意味する言葉です。
「モノラル」は英語で moaural と綴り、mono と aural(オーラル)との合成語です。日本語では「モ」を高く発音しますが、英語のアクセントは「ノ」にあります。「オーラル aural 」は「耳の、聴覚に関する」という意味で、ラテン語の auris(アウリス、耳)に由来します。英語で aural aid(オーラル・エイド)というと「補聴器」のことです。
ところで、「オーラル・メソッド」というときの「オーラル」はこれと異なり、「口の、口による」と言う意味で oral と綴ります。これは「口」を意味するラテン語 os(オース、語根 or-、複数主格 oris )に由来します。英語で「口頭試問」は oral examination と言います。
同じ「オーラル」でも「オーラル・コミュニケーション」は oral communication(口頭での意思の伝達)、「オーラル・コンプリヘンション」は aural comprehension(耳で聞いて理解すること)ということになり、紛らわしいですね。イギリスの教育界では aural を敢えて「アウラル」と発音することもあるそうです。
ところで、「モノラル」の反対の「ステレオ(立体音響の)」ですが、英語では stereophonic と言います。(略して stereo とも言いますが。)これに対し「モノラル」を monophonic とも言います。
「ステレオ」の語源はギリシャ語の στερεος(ステレオス、オにアクセント)で、これは「固い、固体の」という意味です。phonic は phone と同じく、「音、声」を意味する φωνη(ポーネー、ネにアクセント)に由来します。注:現代ギリシャ語では φωνη(フォニー、ニにアクセント)は「声」で、「音」は ηχος(イホス、イにアクセント)と言うようです。
ギリシャ語の μονο:
μονο は既に書きましたように、「ひとつ」ではなく「ただ単に」「唯一の」という意味の言葉です。英語学習でおなじみの not only 〜 but also 〜(〜だけでなく〜もまた)を現代ギリシャ語で言えば、οχι μονο 〜 αλλα και 〜 となります。
たとえば「アクロポリスはアテネ(のシンボルである)だけでなく、ギリシャのシンボルである。」は次のように言います。
Η Ακροπολη ειναι το συμβολο οχι μονο της Αθηνας , αλλα και της Ελλαδας .
イ・アクロポリ・イネ・ト・スィムヴォロ・オヒ・モノ・ティス・アシナス・アラ・ケ・ティス・エラザス
注:1. 「アシナス」の「シ」は英語の thief の thie のように発音します。次いでながら「シンナー thinner 」の「シ」も th の音で始まります。
「ギリシャ」は定冠詞を付けて η Ελλαδα(イ・エラーザ)と言うということは既に御紹介しましたが、ここでは属格形の της Ελλαδας(ティス・エラザス)になっています。「ザ」は英語の thus の thu のように下先を上の歯先にあてて発音して下さい。
2. οχι は前にお話したように普通は「いいえ」と答える時の言葉ですが、ここでは not の意味で使われています。一般的には否定文に使うのは οχι ではなく、δεν (ゼン、英語の then のように発音)です。たとえば、「現代ギリシャ語の挨拶 7.」で「私は日本からです。」に当たるギリシャ語を挙げましたが、「私は日本からではありません。」は次のように言います。
Δεν ειμαι απο την Ιαπωνια.
αλλα は「しかし」で英語の but に当たり、και は「そして and 」「〜もまた also 」を表します。
ついでながら、古典ギリシャ語では「〜だけでなく〜もまた」は、ου μονον 〜 αλλα και 〜 (ウ・モノン〜アッラ・カイ〜)となります。古典時代には否定を表すのに「1. ビオトープ」のところで御紹介した ου を使いました。
ところで、この「〜だけでなく〜もまた」とい表現は何語の教科書でも必ず初歩的な段階で出てくるような気がします。それほどよく使われるのでしょうか。あるいは、語学教師のお気に入りの表現なのかも知れません。英語の not only 〜 but(also)〜 に至ってはかなりできの悪い生徒でも覚えているようです。
ちなみに、フランス語では non seulement 〜, mais(aussi または encore )、ドイツ語では nicht nur 〜, sondern(auch)と言い、単語が違うだけで言葉の並べ方はどれも同じです。(括弧内の語は省略可能)
ついでに、ヒンディー語では「(スィルフ)〜 ヒー・ナヒーン・(バルキ)〜 ビー」と言います。「スィルフ」は「ただ単に」、「ヒー」は「〜だけ、〜こそ」、「ナヒーン」は否定を示す語、「バルキ」は「〜だが」、「ビー」は「〜も」に当たります。(ヒンディー語はデーヴァ・ナーガリ文字で書かれ、無気音・帯気音の区別があり、語順はだいたい日本語と同じです。)
6. テトラポッド tetrapod
しばしば護岸堤に見かけるコンクリート製の波消しブロックです。4つの脚を持つところから「テトラ(4つの)脚(ポッド)」と名付けられました。日本では「テトラポッド」は商標名だそうです。
「テトラ」は「3. ペンタゴン」のところで御紹介しました。「4つ」に当たるギリシャ語は男・女性形 τεσσαρες(テッサレス)、中性形 τεσσαρα(テッサラ)で、τετταρες、τετταρα の形もあります。「4番目の」は τεταρτος(テタルトス)で、「4番、第4の日」を表す τετρας(テトラス)という言葉もあります。複合語では普通 τετρα -(テトラ)の形が使われるようです。
「ポッド」は学名のところにも書きましたが、パンダの属名(アイルロポダ、猫脚)にも使われています。これは「足、脚」を意味する古典ギリシャ語 πους(プース、属格形 ποδος ポドス)に由来します。
英語で「蛸(タコ)」を octopus と言いますが、これは「8」を意味する οκτω(オクトー)と「脚、足」πους(プース)の合成語です。
「多い」という意味の πολυς(ポリュス)との合成語 polypod(ポリポド)は「多数の足を持つ」という形容詞として使われますが、polypoda(ポリポダ)は、多足類のムカデ、ヤスデ、多毛類のゴカイ、頭足類のタコ、イカ、軟脚類のカギムシなど、多くの足をもつ動物の総称で、polypody(ポリポディ)というとある種のシダ類の植物の総称だそうです。(どれも「ポ」にアクセントを置いて発音して下さい。)
腸内などにできる厄介物の「ポリープ polyp 」も元は polypus で「多くの足」という意味から来ています。また、「ポリープ」はヒドロ類で口と触手を持つ固着性の生物や、サンゴなど群体動物の個体のことも言うそうです。
「ポリ poly-」はポリネシア( Polynesia:多くの島の地)やポリエステル(polyester)、ポリエチレン(polyethylene)など私たちの身の回りの言葉にも使われています。また、テフロンの化学的な名称はポリテトラフルオロエチレン( Polytetrafluoroethylene, PTFE)だそうです。
ムカデ、ヤスデなどの多足類の動物を表す英語には myriapod(ミリアポド)もあります。これは「1万」を意味する μυριοι(ミュリオイ)または「無数」を表す μυριος(ミュリオス)と「脚、足」πους(プース)の合成語です。注:現代ギリシャ語でも「1万、無数」の意味で μυριοι(ミリイ)が残っていますが、「1万」には普通 δεκα χιλιαδες(ゼカ・ヒリアゼス、10千)が使われるようです。
なお、英語では myriad が「1万(の)、無数(の)」意味で使われ、S. T. Coleridge の言葉として our myriad-minded Shakespeare(万の心を持つシェークスピア)というのもあります。
ついでながら、英語でムカデは「センティピード centipede:百の足」、「ヤスデ」は「ミリピード millipede:千の足」と言いますが、これはラテン語起源です。ラテン語では「足」を pes(ペース)と言います。(単数属格 pedis ペディス、複数主格形 pedes ペデース)
注:「ムカデ」はアメリカ英語では「セナピド」のように聞こえます。「セ」にアクセント。「ヤスデ」は他に millepede、milliped の綴りもあります。
「ヤスデ」は御存じない方がおられるかもしれませんが、薄茶色で体長2〜3センチ、触るとくるくると丸まって動かなくなります。手に取ってしばらくするとまた伸びて這い始めますが、ムカデと異なり噛まれる心配はありません。
7. ドコサヘキサエン酸 docosahexaenoic acid
DHA と略されます。健康ブームで既におなじみと思いますが、魚油に多く含まれる高度不飽和脂肪酸で、血中コレステロールを抑制するほか、脳の働きを高める効果があるとされています。
これとよく並べて語られる エイコサペンタエン酸( eicosapentaenoic acid、EPA )も魚油に多く含まれる高度不飽和脂肪酸で、循環器系疾患の予防と治療に有効だそうです。
化学では物質名によくギリシャ語起源の合成語を使います。「3. ペンタゴン」のところで C(炭素)が1から10までのアルカンの名称を御紹介しましたが、C が22のものを「ドコサン docosane 」、C が20のものを「エイコサン(またはイコサン)eicosane 」と言います。つまり、ドコサンはC22H46 で、22個の炭素と46個の水素から成ります。
DHA と EPA でも、「ドコサ」「エイコサ」がそれぞれ炭素を22個、20個含むことを示しているようです。
「ヘキサ」「ペンタ」は「3. ペンタゴン」のところに挙げましたが、それぞれ 6、5 を表します。これはドコサヘキサエン酸が6個、エイコサペンタエン酸が5個の二重結合を持つことを示しているのだそうです。(「二重結合」とは何かについては私の能力を越えます。)
「エン酸」の部分は英語では enoic acid となっています。この「エン、enoic 」は独立した言葉ではなく、化学でよく使われる語尾の一つのようです。「エン」が「二重結合」を表すと書いてある本もありますが、確認できません。The Random House Dictionary of the English Language には -ene という語尾に由来するとかいてあります。また、同辞書や「リーダーズ英和辞典」によれば、-ene は不飽和炭化水素を表す語尾であるとのこと、「ブチレン butylene 」や「ベンゼン benzene 」の例が挙げられています。(ただし、日本化学学界編、標準化学用語辞典にはベンゼンが不飽和でないと書いてあります。残念ながら私にはそのへんの微妙なことは説明できません。)
そう言えば、ニンジンの赤い色素のことを最近「カロテン carotene 」と言うようになりました。以前はドイツ語の Karotin から一般に「カロチン」と呼ばれてきたものです。カロテンも -ene 語尾から分かるように「不飽和炭化水素」の一つで、分子式は C40H56 だそうです。
注:英語では -ene を [ i : n ] と読みますから、ベンゼンは「ベンズィーン」、カロテンは「キャロティーン」のように発音されます。一方、ドイツ語の Karotin は「カロティーン(ティにアクセント)」のように発音しますので、カタカナで書けば Karotin も carotene も大差ありません。「カロチン」を「カロテン」に変えたのは発音よりもむしろ、-ene の語尾を「ーエン」と呼びならわしてきた伝統に従ったものと思います。
ドコサは「22」を表すと書きましたが、これは化学用語として合成された接頭語であって、実際のギリシャ語では εικοσι δυο(イコスィ・ズィオ)と言います。注:古典ギリシャ語では「エイコスィ・デュオ」のように発音し、また、 εικοσι και δυο あるいは δυο και εικοσι の形もあります。
ドコサ(docosa)は、The Random House Dictionary of the English Language によれば、「12」を表す δωδεκα(ゾゼカ、古典ではドデカ、δεκα は「10」)の do( δω)と、「20」を表す εικοσι の cos(κοσ)をくっつけて作られたとのことです
エイコサは「20」を表す εικοσι(古典でエイコスィ、現代ではイコスィ)から作られました。最近では化学用語としてはエイコサペンタエン酸を「イコサペンタエン酸」と言うようですが、これは現代ギリシャ語の発音に合わせたのでしょうか。英語では eicosa- を「アイコウサ」のように発音します。
( Nov. 2004 )
「ギリシャ語の話」は一応これでおしまいにします。
この後、韓国語のローマ字のことを少し書きます。なぜチェ・ジウは Choi Ji Woo なのか、ペ・ヨンジュンはなぜ Bae Yong Joon と書くのか、ソウルはなぜ Seoul なのかを考えます。
参考文献:
語学王、現代ギリシャ語(福田千津子著、三修社、1998)
エクスプレス現代ギリシャ語(荒木英世著、白水社、1986)
エクスプレス古典ギリシャ語(荒木英世著、白水社、1997)
Modern Greek in 20 Lessons (by G.C. Pappageotes, P.D. Emmanuel & R.D.Cortina Co. Inc., 1968)
The Oxford Dictionary of Modern Greek ( Oxford University Press, 1986)
「冬ソナ」などの影響で、ハングル・ブームだそうです。韓国語を習おうとする方も増えているようですから、多少でもお役にたてばと思い、韓国語のことを書きます。
注:時々勘違いされている方がいらっしゃいますが、「ハングル」というのは韓国や北朝鮮で使われている「文字」の名前です。「言語」の名前ではありません。ですから「ハングル文字」と言うのはおかしいです。「ハングル語」というのもありません。
言語の名前としては「韓国語」あるいは「朝鮮語」ということになります。が、これは政治や歴史がからんだ複雑な問題で、「韓国語」と言えば北朝鮮の人が怒り、「朝鮮語」と言えば韓国の人が憤慨します。さらに「朝鮮」という言葉が卑称として使われた歴史があり、今でもそれを蔑称と受け取る人々がいます。NHK が「ハングル講座」を始めた時「韓国語」や「朝鮮語」を避け、「アンニョンハシムニッカ」という異例の番組名とし、今「ハングル講座」と呼んでいるのはこういう事情によります。大学の講座名や書名などでも様々な考慮のもとに「朝鮮語」「韓国語」「コリア語」などが使われます。(この項では今ブームになっている韓国文化の一環として「韓国語」と呼びます。)
注2:この項ではハングルは使わず、カタカナで韓国語を表記します。必要に応じて注を付けますが、やはり無理がありますから、あくまでも参考と思ってさい。
1. 日本語から類推する
韓国語の中には日本語と同様に、あるいは日本語以上に漢語(つまり中国語から取り入れた言葉)が入っています。また日本人が作った漢語も、直接あるいは中国語経由で入っています。こういう漢語を利用すれば韓国語の学習も大いにはかどります。もちろん多くの場合、発音が変わっていますから、ぴったり同じというのはなかなかありませんが、かなりの規則性がありますので、こつを呑み込めばかなり推測ができると思います。まずは、以下の項目の冒頭に挙げた韓国語の元の漢字を推測してみて下さい。
I. ル → チ、ツ
1. キムジョンイル、 2. イル、チル、パル(数字)、3.イルボン
韓国語で「ル」で終わるものは、それを「チ」か「ツ」に置き換えて考えてみて下さい。たとえば、「シル」→「シツ(失)」、「パル」→「パツ(発)」という具合です。上の答えは「金正日」、「一、七、八」、「日本」です。
応用:
シッレ(シル・レ)→ 失礼、シルマン(グ)→ 失望、パルミョン(グ)→ 発明、パリョル(パル・ヨル)→ 発熱、サリン(サル・イン)→ 殺人、シルガ(シル・カ)→ 実家、シルクウォン→ 実権、タルガク→ 脱却、脱穀、ピルミョン(グ)→ 筆名、ミルギョ → 密教、など
注意:日本語の漢字の発音が ナ行で始まるのに韓国語ではア行になる場合があります。上の例で言えば「イル(日)←ニチ」「ヨル(熱)←ネツ」「イン(人)←ニン」がそうですね。その他、数字の「二」は「イ」です。
また、上の例には当てはまりませんが、語頭の / n / は母音「ヤ」「ヨ」「ユ」「イ」の前では規則的に脱落します。たとえば、「ヨジャ(女子)←(ニョ・シ)」
発音の注意:韓国語には日本語と異なり子音で終わる音節があります。上の例の中の「〜ル」や「〜ク」「〜ン」「〜ン(グ)」は子音です。特に「〜ル」や「〜ク」には注意して下さい。「〜ク」について言えば関東の人は自然に無声化するのでそれほど心配なく、「約束」「記憶」などそのまま韓国語として通じますが、関西の人は母音が強いので韓国語には聞こえません。
II. エ → アイ
1. エーイン、2. メーイル、3. ケーシ
日本でも「大根」を「でーこん」、「高い」は「たけー」、「入る」は「へーる」という人がいます。落語などで聞く江戸弁がそうですね。我がふるさとの伊東弁も同じです。韓国語にも同じような傾向が見られます。「ケー」は「カイ」、「テー」は「タイ」などと置き換えてみて下さい。
既に出て来た「イン(人)」「イル(日)」を当てはめると、上の答えは「愛人」「毎日」「開始」です。ただし「愛人」は日本語と異なり「恋人」のことです。(中国の朝鮮族の間では「配偶者」の意味。彼の老婆は20才を参照)
応用:
シーネ → 市内、ネークウァ → 内科、ケーリャン(グ)→ 改良、ケークック → 開国、開局、ケークン → 皆勤、キゲ(キ・ケ)→ 機械(「機会」は「キフェ」、「奇怪」は「キグウェ」)、ペーチャ → 配車、ペーチ → 配置、ペーチュル → 排出、輩出、ソンベ(ソン・ペ)→ 先輩、テーガ → 大家、テーゲ → 大概、など
発音の注意:母音に挟まれた子音が濁ることがあります。上の例では「カ(家)」が「ガ」となり、「ケ(械)」が「ゲ」、「ペ(輩)」が「ベ」になっています。韓国語の「カ行」「タ行」「パ行」「チャ行」には平音、激音、濃音の3種類がありますが、この内、平音の子音は母音その他の有声音に挟まれると有声化する(つまり濁音になる)のです。
ついでながら、韓国語では語頭に濁音が使われません。ですから、韓国人にとっては「ガラス」と「カラス」は区別が難しいようです。また、「下駄」を「ケダ」のように言ってしまうのもこのためです。「タ」は濃音や激音で言えば言えるのですが、日本人が言う「ゲタ」の「タ」は、韓国人には濃音や激音には聞こえないようです。
注:平音は息を非常に穏やかに出しながら発音する子音で日本語に近く、激音はいわゆる帯気音で息を激しく出しながら発音、濃音はその対極で呼気を徹底的に押さえて「ッカ、ッタ、ッパ、ッチャ」という感じで発音します。(平音、濃音、激音を参照)
III. ナ行 → ラ行
1. ネンミョン、2. ノドン、3. ネニョン
語頭の「ナ、ヌ、ネ、ノ」などを「ラ、ル、レ、ロ」に置き換えてみると推測できる場合があります。語頭において、漢語の / r / は、韓国語では後に「ヤ」「ヨ」「ユ」「イ」以外の母音が続く場合 / n / に変わるからです。韓国の大統領である盧武鉉の姓を「ロ」ではなく「ノ」と読むのもこのためです。ロー氏とは俺のことかとムヒョン言いを参照。
ということで、上の3語にこれを当てはめ、レンミョン、ロドン、レニョンとして推測してみて下さい。答えは「冷麺」「労働」「来年」です。( 注意:もちろん「ナム(南、男)」など、そのまま「ナ、ヌ、ネ、ノ」でよいものもあります。)
応用:
ネンギ → 冷気、ネンドン → 冷凍、ネンバン → 冷房、ネンジャンゴ → 冷蔵庫、ネビン → 来賓、ネセ → 来世、ネジュ → 来週、ネチュン → 来春、ノーイン → 老人、ノミョン → 路面、ノジ → 露地、ノジョム → 露店、ノチュル → 露出、ナソン → 螺旋、裸線、ナシン → 裸身、ヌガク → 楼閣、ヌッコル → 肋骨、ヌジョン → 漏電、など
発音の注意:上のカタカナを日本人が読むと「ネンミョン」「ネンギ」「ネンドン」の「ネン」が韓国人には3つの異なる語に聞こえてしまいます。「ネン(冷)」は英語式に書けば neng のような音で、nen でも nem でもありません。「冷」は「ネング」と言うつもりで、「ン」を鼻歌のように伸ばし「グ」は言わずに終えます。ついでながら、英語の young や song も同様です。「ヤング」とか「ソング」とかのように「グ」を言ってしまってはいけません。
一方、 nen は下の先をしっかり歯茎に付けて「ンー」とハミングして下さい。このとき口を閉じないことが大切です。閉じると nem になってしまいます。nem の時はぎゅっと口をつむってハミングです。カタカナでは「ム」と書きますが日本語の「ム」とは異なります。母音の「ウ」が入らないように気を付けて下さい。
上の例では、「バン(房)」「ジャン(蔵)」は ng の音ですが、「ビン(賓)」「チュン(春)」「イン(人)」「ミョン(面)」「ソン(旋、線)」「シン(身)」「ジョン(電)」は n の音で終わります。同様に、「ペ・ヨンジュン( Bae Yong Joon、裴勇俊)」の「ヨン(勇)」は ng で「ジュン(俊)」は n で発音して下さい。( 注:韓国語の発音が ng で終わる漢字は、日本語の音読みでは「ン」にならず、だいたい「イ、ウ」で終わります。日本語の読み方が「ン」で終わる漢字は韓国語では n か m になり、ng になることはありません。)
3つの「ン」:日本人には普通、「かんとく」「かんがえ」「かんぱい」の「ん」はどれも同じに聞こえますが、韓国人には n、ng、m のように、すべて異なる音に聞こえるはずです。( ng は英語の sing の ng )
日本語の「ん」は厳密に言うと一つの音ではなく、日本人が同じと見なしているいくつかの音を示しています。「ん」は後ろにどういう音が続くか(または続かないか)によって、様々な音を表します。すなわち、「タ行、ダ行、ナ行」が続けば n、「カ行、ガ行」が続けば ng、「マ行、バ行、パ行」が続けば m、語尾においては前の母音の鼻母音、または ng のような音です。( 音素「ん」を参照。)
実は韓国語でも語中の文字の発音は後続の文字に影響されて変わることがありますので一概には言えないのですが、語尾の発音については n、ng、m をしっかり発音しわけるように注意しなければいけません。(ハングルではそれぞれ L、○、口 のような文字で、区別して書きす。)日本人は普段これを区別していませんので、英語でいえば sin と sing、then と them が同じになってしまう人がたくさんいます。「ペ・ヨンジュン Bae Yong Joon 」も多くの日本人は Yon Joong と言ってしまっていると思います。
IV. ヤ、ユ、ヨ、イ → リャ、リュ、リョ、リ、ニャ、ニュ、ニョ、ニ
1. パクヨンハ、2. ヨンバル、3. ユドン、4. イーイク、
5. ヨジャンブ、6. ユエク、7. インキ
上の項と関連しますが、語頭において、漢語の / r / は、韓国語では後に「ヤ」「ヨ」「ユ」「イ」の母音が続く場合に脱落します。(同じ状況で / n / が脱落することは既に項目 I で書きました。)
したがって、「ヤ」「ヨ」「ユ」「イ」は「リャ」「リョ」「リュ」「リ」(または「ニャ」「ニョ」「ニュ」「ニ」)にしてみると推測ができるかもしれません。( 注意:もちろん、そのまま「ヤ、ユ、ヨ、イ」でよいものもあります。)上の答えはそれぞれ、「朴龍河」「連発」「流動」「利益」「女丈夫」「乳液」「人気」です。
注:同じ「ヨン」でもペ・ヨンジュンは「勇(ユウ)」、 パク・ヨンハは「龍(リュウ)」で異なります。
「陰気」は「ウムギ」のようになります。この「ウ」は口を横に引いて「イ」を言うような口の構えで発音します。韓国語には唇を丸める「ウ」とこれとで二種類の「ウ」があります。
応用:
ヤクタル → 掠奪、ヤクチャ → 略字、ヤクチェサ → 薬剤師、ユハク → 留学、遊学、ユッカム → 六感、肉感、ヨリ → 料理、ヨグム → 料金、ヨドヨム → 尿道炎、ヨドクチュン → 尿毒症、ヨグ → 要求、ヨヤン → 療養、ヨヤク → 要約、ヨソ → 尿素、要素、要所、ヨイン → 旅人、女人、麗人、ヨソン → 女性、イークウァ → 理科、イーノン → 離農、イーグク → 異国、イードゥンブン → 二等分、イーニョジェ → 利尿剤、イーユ → 理由、ユルトン → 律動、など
注意:「予約」は「イェーヤク」と言います。「余韻」は「ヨウン」と言います。
韓国語には「エ」「オ」「ウ」の母音が二種類あります。カタカナでは表せませんので、詳しいことは辞書などを参照して下さい。
V. ム → ン
ン → ン
1. アンシム、2. ナンムン、3. カームガク
韓国語で「ム」「ン」( / -m、-n / )で終わる語は日本語で「ン」に終わることが多いです。
注意:この時の「ム」はあくまでも子音の / -m / であり、唇をとじでハミングをしたときの音です。日本語式に「ウ」の母音が入らないように気を付けて下さい。
また、本項で扱う韓国語の「ン」は / -n / であり、舌先を歯茎にしっかり付けて(口は開けたまま)ハミングした時の音です。次項の「ン(グ)-ng 」とはっきり区別して下さい。( 3つの「ン」参照)
上の答えは「安心」「難問」「感覚」です。
応用:
アンカ → 安価、アーンネ → 案内、ナンミン → 難民、ナーンギリュ → 乱気流、カーンダン → 簡単、カーンギョク → 間隔、カーンギョル → 簡潔、クウァンゲ → 関係、クウァンニョム → 観念、カームゲ → 感慨、カームギョク → 感激、カームサ → 感謝、カームシム → 感心、カムサ → 監事、監査、オンチョン → 温泉、ウーンドン → 運動、ウムガム → 音感、ウマク(← ウム・アク) → 音楽、ウムシク → 飲食、ウムギ → 陰気、クミョイル → 金曜日、クムサン → 金山、テーグム → 大金、代金、クムニョン → 今年、クムジュ → 今週、クームジ → 禁止、クームジュ → 禁酒、サムガク → 三角、ナムニョ → 男女、ナムジャ → 男子、サッリム → 山林、クギュリム → 国有林、など。
発音注意:日本語では単語の発音が子音の [ -m ] で終わることはありません。「本も読む」とか「本ばかり読む」と言うときの「本」は [ hom ] のように発音され [ -m ] で終わっていますが、ただ「本」とだけ言った場合は、むしろ hong のような発音になります。より正確には、このときの「ン」は、フランス語の bon の on や nom の om のような、「オ」の鼻母音に近い音です。( 3つの「ン」参照)
ときどき、(テレビのアナウンサーなどでも、)「〜ません。」と言ったあと口を閉じてしまって、まるで「 〜masem 」のように言っている人がいます。最後の「ン」を -n で言おうが、-m で言おうが、また -ng で言おうが普通の日本人には同じに聞こえますから問題ありませんが、韓国人や英米人には異なる言葉として聞こえるかも知れません。
ヘボン式ローマ字で日本語を表記する場合、「マ行」「バ行」「パ行」の前の「ン」には m を使います。たとえば「朝日新聞」の英語名は The Asahi Shimbun となっています。ヘボン式ローマ字はアメリカ人ヘボン(James Curtis Hepburn )が英語の発音にならって考案したものですから、アメリカ人に聞こえるとおりに m を使ったのでしょうが、日本人にとっては Shinbun あるいは Sinbun でもまったく差し支えないはずです。日本語では「マ行」「バ行」「パ行」の前の「ん」は、自然に [ -m ] と発音されるのですから。
その他の場合の「ン」はヘボン式でも -n で表しますが、ヘボンの考え方を徹底させるならば、語尾の「ん」はむしろ「 -ng 」と書いた方がよかったかも知れません。日本語を学習している英米人は hon という表記を見ると、 [ n ] で終わるものと思い、「本を読む」を hon o yomu(ホンノヨム)と発音してしまいます。日本語教師は、ローマ字の n はカナの「ん」と同じく、[ n ] だけではなく様々な音を表すということを教えなければなりません。( 音素「ん」を参照。)
ついでながら、日本語では「マ行」「バ行」「パ行」の前の「ん」は必ず [ -m ] で発音しますから、たとえば dumbbell(唖鈴)や computer(電脳)をカナで表記する場合、「ダンベル」や「コンピューター」でよいわけで、この「ン」が [ m ] で発音されるからといって、「ダムベル」や「コムピューター」と書く必要はありません。ところが最近、ある本で「シュムペーター」と書いてあるのを見つけました。かの有名な経済学者 Joseph Alois Schumpeter のことです。「シュンペーター(「シュ」にアクセント)」で十分正しい発音になるのですが、m で綴ってあるから「ム」と書くほうが正確だと思ったのでしょう。日本語を知らない馬鹿げた例です。「シュムペーター」を読もうとするとかえって違う発音になってしまいますが、困ったことに、この表記は他の多くの本にも見られます。
本稿と関係ありませんが、カタカナ表記はときどき曲者です。スイスの歴史学者「ブルクハルト」は Bruckhardt とでも綴るのかと思っていましたら、ある時 Burckhardt(「ブ」にアクセント)であることを発見しました。ちなみにオーストリアの作曲家「ブルックナー」は Bruckner です。
以上のようなわけで、韓国語を発音する際には日本語の性質をよく踏まえた上で、-m はあくまでも -m、-n はあくまでも -n、-ng はあくまでも -ng として発音することを原則としてください。(速く話す時には、同化が起こって -n が -m になったりすることはあるのですが、これは必ずそうなるというものではありません。)
本項のカナ表記では -m は常に「ム」を使います。たとえば、「ママ、母さん」に当たる語は、日本人にとっては「オンマ」で十分ですが、あえて「オムマ」とします。(注:実際には「オマ」に聞こえます。また、この「オ」は日本語の「お」よりは広い口で「あ」に近く発音します。)もし「オンマ」と書いてあったら on-ma だと思って、「ン」は [ n ] で発音して下さい。
VI. ン(グ) → ウ、イ
1. カームドン、 2. コンム、3. コンギ、4. ヨングウァン、5. アンニョン
韓国語で「ン(グ)」で終わる語は日本語では「オウ」「ウウ」「エイ」などで終わることが多いです。(逆に言うと、日本語の音読みが「ン」で終わるものが韓国語でこの「ン(グ)」になることはありません。)
大雑把に言って「アン(グ)、オン(グ)」は「オウ」に、「ヨン(グ)」は「エイ」になることが多いですが、既に、ペ・ヨンジュン、パク・ヨンハで見たように、「ヨン」が「ユウ、リュウ」になる例もあります。
上の答えは、「感動」「公務、工務」「空気」「栄光」「安寧」です。
注意:カタカナでは「〜ング」と書いてあることもあります。「〜ング」と書いてあっても「グ」を発音してはいけません。「ンー」とハミングをするようにいって「グ」を言う前に終わりにして下さい。
この「ン(グ)」は英語の bang、sing などの ng の音です。前項の「ン」(英語の ban、sin の n )とは異なりますので注意して下さい。( 3つの「ン」参照)
応用:
ヨーング → 永久、ヨーンウォン → 永遠、ヨングク → 英国、ヨンブイン → 令夫人、ヨンス → 領収、領袖、ネーヨン → 内容、チュングク → 中国、チュンアン → 中央、カーンダン → 講堂、カーンバク → 強迫、コーンガン → 健康、サンデ → 相対、サングク → 相克、サーンブ → 上部、サーンドゥン → 上等、サーンサン → 想像、サンシク → 常識、常食、サンシム → 傷心、サンシル → 喪失、マンジャ → 亡者(死者)、マンニョンホウェ → 忘年会、ヒマン → 希望、コンジャン → 工場、ウーンドンジャン → 運動場、など。
注:「行動」は「ヘンドン」と言います。「肥満」は「ピーマン」と言います。
VII. ク → ク、キ
1. アクトク、2. アクス、3. ヤックク、4. シクチャン、5. チシク、
英語から日本語になった言葉を見ると、語尾の / k / が日本語では「ク」か「キ」になっています。たとえば、stick(ステッキ、スティック)、strike(ストライキ、ストライク)、brake(ブレーキ)、break(ブレーク)などです。韓国語の場合も語尾や音節末が「ク」のものは、それを「ク」か「キ」に置き換えてみると想像がつくものがあります。上の答えは「悪徳」「握手」「薬局」「式場」「知識」です。
応用:
アッカン → 悪漢、アッケン → 悪行、アグン → 悪運、チュオク → 追憶、カックク → 各国、カッケ → 各界、カッキ → 脚気、カクト → 角度、ハッキョ → 学校、ハクセン → 学生、ソクト → 速度、ソクパク → 束縛、ソクポ → 速報、続報、ソクトゥン → 続騰、ソクセ → 俗世、ソクシン → 俗信、トクタン → 独断、トクサル → 毒殺、トクソル → 毒舌、トクソ → 読書、オクサン → 屋上、ヨクシル → 浴室、ヨクテ → 歴代、ヨクサ → 歴史、ヨクソル → 力説、ヨクトゥ →力投、 ヨクピョン → 疫病、ヨクチャン → 駅長、イーイク → 利益、イックム → 益金、イクチョ → 益鳥、キョクトル → 激突、キョクシク → 格式、パクシク → 博識、シッキョン → 識見、シクタン → 食堂、シクサ → 食事、式辞、など
語尾の「ク」について:「冬のソナタ」には「覚えている」とか「約束する」とかいう台詞がよく出て来ますが、こういう場面を韓国語で聞くと、ちゃんと「キオク」とか「ヤクソク」とか聞こえます。(韓国語では「覚えている」を「記憶している」と言うようです。)
ですが、日本人が「キオク」とか「ヤクソク」とか言ってそのまま通じるかというと、ちょっと難しいのではないかと思います。というのは、韓国語ではこれらの「ク」には全く母音が入らないのに対し、日本人が言うとどうしても「ウ」という母音が入ってしまうからです。関東人ならともかく関西の人は母音が強いのでなおさらダメだと思います。
日本語と異なり、韓国語には子音で終わる音節があります。日本語で「悪」を「アク」と言う時、ローマ字で書けば aku となるように、「ク」には母音が入っています。言い換えれば、日本語の「アク」は「ア」と「ク」というどちらも母音で終わる2つの音節から成っています。それに対して韓国語の「アク」はローマ字で書けば ak という1つの音節で「ク」には母音が入っていません。
しかも、韓国語の音節末の子音は「内破音」といって、英語の pack や dock などの k のような破裂が起こりません。英語の場合、/ k / の発音は、舌の後部を持ち上げて口の天井にくっつけ、呼気の流れを止めて圧力を高めた後、急に閉鎖を解いて破裂するように息を出すことで行われます。「内破音」の場合は「閉鎖」するだけで終わりです。閉鎖はきわめて穏やかに解かれますから、「破裂」に慣れてしまっている耳にはなかなか聞き取れません。私の経験として、同じように「内破音」を使うタイ人と英語で話している時に、He likes 〜 が「ヒーライス〜」と聞こえてなかなか分からなかったことがありました。韓国語の音節には k の他に、t や p で終わるものもありますが、3つとも「内破音」ですので、英語でたとえれば sick、sit、sip がどれも「スィッ」と聞こえてしまう可能性があります。
注意:上の「アグン、悪運」をみると分かるように、音節末の「ク」は、後ろに母音が続く場合それとくっつけて発音され、しかも濁ります。その他の例:アギン(アク・イン、悪人)、カギン(カク・イン、各人)、ヨギン(ヨク・イン、役人)、シギョン(シク・ヨン、食用)、シギョク(シク・てク、食欲)、など。
VIII. ン → ク、キ
1. アンマ、2. ヤンムル、3. オンマン、4. カンマク
音節末の「ク」が後に n や m が続くとその影響で「ン ng」と発音されることがあります。ですから、ナ行やマ行の前の「ン」は「ク」あるいは「キ」である可能性も考えて下さい。もちろん、もともと「ン」である場合もありますが。上の答えは「悪魔」「薬物」「億万」「角膜」です。
注意1:この項で扱う「ン」は -ng です。-n ではありませんから御注意下さい。本によってはカナの表記を「アン(グ)マ」のようにしたり、小活字の「グ」を使って「アングマ」としています。
注意2:実は、n と m の前では音節末の -t も「ン n」になり、-p は「ム m」になります。しかも、この「ム」は日本人には「ン」と同じように聞こえます。したがって、それらの可能性も考えなければいけないことになりますが、いろいろ言い出すと、それこそ韓国語を正式に習わなければいけないことになりますので、この辺りでとどめておきます。(あとで少し音の変化に付いて書くつもりではおりますが。)
応用:
アンミョン → 悪名、アンニョ → 悪女、ソンミョン → 俗名、ソンムル → 俗物、トンムル → 毒物、トンノン → 篤農、ハンムン → 学問、ヨンマン → 欲望、シンムル → 食物、植物、トンモク → 徳目、
注意:「按摩、鞍馬」は「アーンマ」、しかも「ン」は ng でなく、n です。
IX. ナ行 → ラ行 + ン → ク、キ
1. シムニョン、2. トンニョ、3. ソンニョク、4. チャンニュク、
III. では語頭の「ナ行」を「ラ行」に替えると日本語で推測できるものについて書きました。ここで扱うのは語中の「ナ行」です。III. では「ナ、ヌ、ネ、ノ」の場合だけでしたが、ここでは「ニャ、ニュ、ニョ、ニ」も含みます。「ナ、ヌ、ネ、ノ、ニャ、ニュ、ニョ、ニ」を「ラ、ル、レ、ロ、リャ、リュ、リョ、リ」に替えてみて下さい。
しかも、この「ナ行」の / n / は前に接する文字の音節末子音を変化させることがあります。もし「ナ行」の前が「ン -ng 」だったら、それを試しに「ク、キ」に置き換えてみて下さい。日本語に近くなるかも知れません。(ただし、上の「2. トンニョ」のように「ン -ng 」そのままのものもあります。)
注1:上に書いた「ン」は -ng の場合です。「ン」が -n の場合は、元の漢字音が -n または -t で終わっていますから、「ク、キ」に置き換えても日本語での推測はできません。また、「ナ行」の前が「ム -m 」の場合は、元の字は -m または -p で終わっています。これについてはまた別の項で書きます。
注2この発音変化を韓国語の方から見ますと、(1)音節末の -m、-ng、 -p、-t、-k は後続の r(ハングルでは「己」のような字)の発音を / n / に変え、(2)更にこの / n / が前接の -p、-t、-k の発音をそれぞれ -m、-n、-ng に変えるということになります。
本項で扱うのはこのうち、-k と r が接して影響しあう場合です。発音が変わっても文字は変えませんから、韓国語学習者は / -k / のハングルを「ン ng 」と読み、/ r / のハングル(己)を「ナ行」で読む、ということを覚えることになります。
注:本項は、耳で聞いた韓国語、あるいはカタカナで書かれた韓国語を日本語の漢語から推測するためのヒントを提供するものです。したがって、通常の韓国語学習とは逆の手続きになります。
上の答えは、「心霊」「同僚」「速力」「着陸」です。
応用:
シムノ → 心労、シムニ → 心理、審理、シームニョ → 深慮、ウムニャン → 音量、ウムニュル → 音律、ウームニョス → 飲料水、ウムニョク → 陰暦、クムニョク → 金力、クムニ → 金利、クームニョン → 禁令、サーンニュ → 上流、サーンニュク → 上陸、チュンニャク → 中略、チューンニャン → 重量、チュンニュ → 中流、アンニョン → 悪霊、アンニョク → 握力、シンニョ → 食料、シンニャン → 食糧、シンニム → 植林、カンノン → 各論、カンノ → 閣僚、カンニョク → 脚力、ソンニョク → 速力、ソンナク → 続落、ハンニョク → 学力、ヨンニャン → 力量、ヨンニ → 疫痢、
注:「筋力」は「クッリョク」と言います。これについては別の項で扱います。
発音注意1:前にも書きましたが、日本語の「ん」は後続の音に影響され -n、-ng、-m など様々に発音されます。韓国語の子音も前後の音に影響されますが、日本語とは異なる原理で変化します。韓国語では、原則として -n、-ng、-m が互いに入れ代わることはありません。-n はあくまでも -n として、-ng はあくまでも -ng として発音して下さい。
上の例では「各論」の「論(ロン)」を除いて、「ン」はすべて -ng の音です。たとえば「トンニョ(同僚)」や「ソンニョク(速力)」を日本語式に発音すると、ローマ字で書けば ton-nyo、son-nyok のようになり、韓国語の tong-nyo、song-nyok という発音と違ってしまいますから注意が必要です。
発音注意2:上の例で「ム」と書いてあるのはすべて / -m / という子音です。口を閉じたまたハミングをするように鼻から声を出します。日本語式に「む」と言はないように気を付けて下さい。
X. ラ行 → ナ行 または ナ行 → ラ行
1. シッレ、2. イッリョン、3. チッランパルゴ、4. アッラク、5. イーッリョク
N と L(または R)が隣り合うと LL として発音されます。上のカタカナでは「ッラ行」で書いてありますが、「ッ」の代わりに小さな「ル」を使っている本もあります。ともかく、場合によって「ッ」を「ン」または「ル」とし、続く「ラ行」を「ラ行」または「ナ行」で考えると相当する漢語を思いつくかも知れません。その際、第1項に書きましたように、音節末の「ル」は日本語漢字では「ツ、チ」になることがありますので御注意下さい。
ただし、N に続き L で始まる語が漢字の接尾語である場合は、逆に L が N に同化され NN になります。例:精神力(チョンシンニョク)、意見欄(ウィギョンナン)
上の答えは、「室内」、「一念」、「七難八苦」、「安楽」、「引力」です。
応用:
イッリョム → 一念、チャッラ → 刹那、マッリョン → 末年、モッリョン → 没年、イッリョク → 人力、イッリュ → 人類、イッリュン → 人倫、オッレン → 温冷、カーッリャク → 簡略、クウァッラム → 観覧、クウァーッレ → 慣例、クウァーッロク → 貫禄、クウァッリョ → 官僚、クウァッリ → 官吏、クウァーッリ → 管理、クッリャク → 軍略、クッリム → 君臨、サーッラン → 散乱、産卵、サッロク → 山麓、サッリム → 山林、シッラン → 新郎、シーッルウェ → 信頼、シッロク → 新緑、タッラク → 段落、ターッラク → 短絡、タッリョン → 鍛練、タッリ → 単利、チーッリョク → 尽力、チーッロ → 進路、チーッリョ → 診療、チッリ → 真理、ヨッラク → 連絡、ヨッレ → 年来、ヨッリョン → 年令、ヨッリュン → 年輪、ヨッリ → 年利、ヨッリョ → 燃料、マーッル → 満塁、マーッリョ → 満了、など
注1:「失礼」もカタカナで書けば「シッレ」となりますが、「レ」の母音が異なります。韓国語には「広いエ」と「狭いエ」とがあり、第2項目で書いた日本語の「アイ」に相当する「エ」は「広いエ」です。したがって、「室内」の場合の「レ」は口を大きめに開けて「エとアの中間くらい」の気持ちで、「失礼」の場合の「レ」は日本語の時より口を横に引くようにして発音して下さい。
注2:「困難」は「コーンナン」もありますが、「コーッラン」と読まれることが多いようです。[ ko:n ] + [ nan ] ですから、なぜ LL になるのか分かりません。次の例のように、NN はそのまま発音するのが普通です。
案内(アーンネ)、艱難(カンナン)、観念(クウァンニョム)、官能(クウァンヌン)、信念(シーンニョム)、新年(シンニョン)。
注3:上記のような発音の変化があってもハングルは変わりません。元々の表記を維持しますから、「シッレ(室内)」の「ッ」は 己(L)で、「レ」は L(N)で書かれます。同様に、「アッラク(安楽)」の「ッ」は L(N)で、「ラ」は 己(L)で書かれます。(上のハングルは漢字の「おのれ」と英文字の「エル」で代用しています。)
なお、己(のような形のハングル)は語頭で R、音節末で L を表します。しかし、このように位置によって発音が決まるということは、2つの音が同じ位置には現れないということです。(音声学ではこれを「相補分布」と呼びます。片目のジャックみたいなものですね。「不倶戴天」というと敵同士みたいになってしまいますが、同じところにはいられないという点は同じです。)
2つの音が同じ位置に現れないということは、区別する必要がないということです。したがって、韓国人は、日本人と同じく R と L を区別しないことになります。日本人が「ハ、ヒ、フ」の子音はすべて [ h ] だと思っているように(実際はすべて異なるのですが)、また「光」も「右」も「ライト」だと思っているように、韓国人も light と right の両者を [ rait ] として受け取るでしょう。
(日本語の「ひ」および
日本語の「ふ」を参照)
XI. パ行 → ハ行、バ行
1. パーンドン、2. ペーリョ、3. ペーシム、4. ポンブン、5. ピジュンソ、6. プンサン
韓国語の「パ行」を「ハ行」に置き換えてみると、相当する漢語を思い付くかも知れません。また、韓国語では「パ行」が語中で濁って「バ行」になりますので、これも「ハ行」に替えてみて下さい。( 語中での濁音化については第2項で書きましたが、下の説明も御覧下さい。)
なぜ韓国語の「パ行」が日本語で「ハ行」になるかについては非常に興味深い事実が関連していますので、これについては後ほどお話しいたします。
上の答えは、反動、配慮、陪審、本分、批准書、分散、です。
応用:
パクチン → 迫真、パッケ → 迫害、パンニョク → 迫力、パクス → 拍手、パンニョクプン → 薄力粉、パンニ → 薄利、パッケン → 薄幸、パクサ → 博士、パゲ → 博愛、パンナムホウェ → 博覧会、パクタル → 剥奪、パーンボク → 反復、パーンサ → 反射、パーンセン → 半生、パーンソン → 反省、パーンガム → 反感、半減、パーンギョク → 反撃、パーンド → 半島、半途、叛徒、パーッラ → 半裸、パーッラン → 叛乱、パーッリョ → 伴侶、パンムン → 斑紋、ピーギョン → 秘境、ピーギョル → 秘訣、ピゴンゲ → 非公開、ピゴンシク → 非公式、ピーグル → 卑屈、ピグク → 悲劇、ピナン → 非難、ピーデ → 肥大、ピレ(広いエ) → 飛来、ピレ(狭いエ) → 非礼、ピーレ → 比例、ピーリョ → 肥料、ピミョン → 悲鳴、碑銘、ピバン → 誹謗、ピサング → 非常口、ピーソ(広いオ) → 秘書、ピーソ(狭いオ) → 卑小、ヒ素、鼻笑、ピチャン → 悲惨、ピヤク → 飛躍、ピージュン → 比重、ピンゴン → 貧困、ピンブ → 貧富、プーグク → 富国、ピンド → 頻度、ピンバル → 頻発、プブン → 部分、プーグン → 付近、プダン → 不断、プダン(-ng) → 不当、プリョク → 浮力、プ--ンギ → 奮起、ポートン → 普通、ポージョ → 歩調、補助、ポージョン → 保存、ペース → 倍数、パクサル → 撲殺、パンソク → 磐石、ピーガン → 鼻腔、ピゴル → 鼻骨、ピーモ → 鼻毛、ピーマンノク → 備忘録、ピーチュク → 備蓄、プギ → 簿記、プンベ → 分配、プンビョル → 分別、プーッリャン → 分量、など
上に挙げた例は韓国語で平音の P で始まる語です。濃音の p で始まる語の中には漢語起源のものはないようです。激音の P で始まる漢語起源の語は、平音の場合と同じく、日本語では「ハ行」か「バ行」になります。
平音、濃音、激音を簡単に説明すると「平音」は出来るだけ呼気を抑えてそっと出す音で、母音(などの有声音)に挟まれると有声化し(濁音になり)ます。濃音は「ッパ、ッピ、」などのように呼気をいったん完全に止めてからほとんど呼気を出さないほど穏やかに発音します。母音間でも有声化はしません。以上2種は無気音です。激音はいわゆる帯気音で強い呼気を伴って発音されます。口の前のロウソクの炎を吹き消すようなつもりで発音します。これも母音間で有声化することがありません。(第1項の発音注意を参照)
激音の例:パギョン → 派遣、パボル → 派閥、パーゲ → 破戒、パーグウェ → 破壊、パーリョムチ → 破廉恥、パラン → 波瀾、ハラン(-ng) → 波浪、パンダン → 判断、パンギョル → 判決、パンメ → 販売、パルガクキョン → 八角形、パルギョン → 八景、ペーグン → 敗軍、ペークウォン → 覇権、パチョウ → 芭蕉、パングム → 板金、パンサン → 弁償、パンジェ → 弁済、ペーリュ → 貝類、ページュ → 貝柱、
平音、激音の両方で書かれるものもあります。例:パラミルタ → 婆羅蜜多、など。
なぜ、「パ」なのか?
日本語では「ハ行」で読む漢語が、韓国語ではなぜ「パ行」になるのでしょう。あるいは、逆に、韓国語の「パ行」はなぜ日本語で「ハ行」になるのでしょう。
漢字が日本に入って来た頃、(一部の擬音語を除いて)日本語には P の音がありませんでした。H もありませんでした。奈良時代より前にはまだ P があって「母」は「パパ」であったと推測されていますが、この P はいつしか変化して、奈良時代には [ Φ ] のような音になっていました。これは現在の日本語では「ふ」の子音として使われている音で、唇を丸く突き出し、ロウソクを吹き消す時のように息を吐きながら発音します。ですから、奈良時代以降、「母」は「ファファ」でした。( 注:今の日本語では「ファイト」や「フィルム」などのように、英語などの [ f ] を写すのに「ファ、フィ、フ、フェ、フォ」が使われていますが、ここではあくまでも[ f ] ではなく [ Φ ] 、つまり日本語式の「ファ、フィ、フ、フェ、フォ」です。)
P で始まる漢字音を朝鮮の人々はほぼそのまま受け入れましたが、P を持たない日本人はこれを「ファ、フィ、フ、フェ、フォ」として取り入れました。この音が上下の唇を使うという点で、もっとも P に近かったからです。江戸時代に入ってこの「ファ、フィ、フ、フェ、フォ」は「ハ、ヒ、フ、ヘ、ホ」と発音されるようになり、「ファファ」は「ハハ」になりました。P の音で始まる漢字が日本語では「ハ行」で読まれるようになったのにはこういう経緯があります。(以下の項目も御参照下さい)
万葉仮名の「は」行
なぜ「ひ」は hi でないのか?
なぜ「ふ」は hu でないのか?
日本語で濁音になるのはなぜ?
上の説明で、韓国語の P が日本語の H に対応するようになった経緯は御理解いただけたと思います。しかし、それでは、ペース → 倍数、パクサル → 撲殺、パンソク → 磐石、ピゴル → 鼻骨、などのように韓国語の P が日本語の B に対応することがあるのはどうしてでしょう。
1つには、漢字が入って来た当時、日本語には「ファ行」の濁音として B の音があったために、漢字音の B はそのまま取り入れた、一方、当時の朝鮮のほうでは語頭の濁音を嫌って P として取り入れた、ということかと思います。(後半は私の推測です。古代の朝鮮の言語については詳しくありませんが、現代の韓国語について言えば語頭に濁音が立つことはありません。日本語も本来はそういう言語でしたが、借入語を通して語頭の濁音を受け入れました。)
もう1つは、はじめ漢字音の P を「ファ行」として取り入れたのだが、いつの間にか慣用的に「バ行」で読むようになってしまったと思える場合です。
前者の例を上に挙げた中から拾うと、「貧」「磐」「鼻」「備」「簿」「倍」などが入ると思います。これらは古い中国の発音ではすべて B で始まっています。ついでながら、本場中国ではこれらの発音はやがて P に変わり、現代の北京語では上の漢字は「ピン」「パン」「ピイ」などと発音されます。(厳密に言うと「貧」「磐」は有声音の P、他は無声音の P ですが。)また、日本語ではこの本場の変化を繁栄して、呉音では「ビン、バン、ビ、」などと濁音、漢音では「ヒン、ハン、ヒ、」などと清音になっています。「鼻、備、簿、倍」などが漢音で「ヒ、ヒ、ホ、ハイ」と読むとは今まで知りませんでした。また、「分」は古い中国の発音でも B、P 両方の発音があり、日本の呉音にも「ブン、フン」の両方があります。漢音は「フン」です。現代中国語では fen(第1声)と発音されます。
後者の例を上に挙げた中から拾うと、「撲」「貝」「芭」があります。これらは古い中国の発音では P で始まっていました。朝鮮では当然 P の音として取り入れ、日本では始め Φ「ファ行」として取り入れたものと思います。日本の漢字音としては呉音も漢音も「ホク、ハイ、ハ」と清音になっており、「ボク、バイ、バ」は慣用音です。
ちなみに本場中国では独自の変化の結果、日本語で「ハ行」あるいは「バ行」で読まれる漢字は、下のように帯気音の P、無気音の P、及び F で読まれます。少数ですが、「秘」のように「ミー」と M で読むものもあります。(現代中国語式ローマ字では帯気音の P を P で、無気音の P を B で表記します。)
[ p ] :迫、拍、頻、普、叛、敗、派、破、撲、磐、など
[ b ] :薄、博、剥、半、伴、悲、歩、補、保、鼻、など
[ f ] :発、反、非、誹、肥、飛、富、浮、分、奮、など
XII. ハ行 → カ行、ガ行
1. ハーギ、2. ハーバーンシン、3. ハクセン、4. ハングク、5. ヘーグン、
韓国語の「ハ行」を「カ行」や「ガ行」に置き換えてみると相当する漢語を思い付くかも知れません。ただし、逆に日本語で「カ行」「ガ行」のものを「ハ行」にすれば韓国語に近くなるかというと必ずしもそうなりません。たとえば、「環境」は「ホウァンギョン」ですが、「関係」は「クウァンゲ」、「完成」は「ウァンソン」という具合です。
上の答えは、夏期、下半身、学生、韓国、海軍、です。
ハーギョン → 夏景、ハージ → 夏至、ハーゲ → 夏季、下界、ハーリュ → 下流、ハーボクプ → 下腹部、ハーラク → 下落、ハースク → 下宿、ハーチャ → 下車、ハープン → 下品、ハグ → 河口、ハドン → 河豚、ハマ → 河馬、ハムル → 荷物、ハッキョ → 学校、ハンニョン → 学年、ハンニョク → 学力、学歴、ハンミョン → 学名、ハンムン → 学問、ハクピ → 学費、ハクチャ → 学者、ハンギ → 寒気、ハッリュ → 寒流、ハーンバン → 漢方、ヘーギョル → 解決、ヘグム → 解禁、ヘゴル → 骸骨、ヘーグン → 海軍、ヘードン → 海豚、ヒルムン → 詰問、ホーガク → 互角、ホーガム → 好感、ヘダン → 該当、ハクサル → 虐殺、ハーンバル → 旱魃、ハーンソン → 汗腺、ハレ → 割愛、ハリン → 割引、ハルボク → 割腹、ハムグリョン → 箝口令、ハームデ → 艦隊、ハームナク → 陥落、ハームジャン → 艦長、ハムチュク → 含蓄、ハミュリャン → 含有量、など。
注:「艦長」は「ハームジャン」ですが、「館長」は「クウァンジャン」、ついでに「監督」は「カムドク」、「感動」は「カームドン」です。「互角」は「ホーガク」ですが、「方角」なら「パンガク」と読みます。ただし韓国語では「方角」ということばを使わないようですが。「方向」は「パンヒャン」と言います。
なぜ「ハ」なのか?
前項に書きましたように、漢字が日本に入って来た頃、日本語には「ハ行」がありませんでした。そのために当時の日本人は「ハ行」の音を「カ行」として聞き取ったのです。H と K はどちらも喉の音として近い関係にあります。試しに「ハ」「カ」「ハ」「カ」と繰り返し言ってみて下さい。強く息を出しながら言うと何となく近さを実感できると思います。
一方、K で始まる漢字音は日本語にもそのまま取り入れられました。その結果、古代中国の H と K の区別が日本語ではなくなってしまったのです。
中国語の古い発音では、上に挙げた漢字は下のようになっています。語頭の子音で分類します。(カッコ内は現代の北京語音を中国語式ローマ字で示したものです。)
有声音の H:寒(han)、旱(han)、汗(han)、含(han)、骸(hai)、
海(hai)、好(hao)、互(hu)、河(he)、荷(he)、学(xue)、
下(xia)、解(xie)、夏(xia)、陥(xian)、艦(jian)、
無声音の h:漢(han)、
帯気音の k:詰(jie, ji)、
無気音の k:該(gai)、割(ge)、解(jie)、
g :箝(qian)、
エング :虐(nüe)
注意:
1. 上の例の中で、k や g、エングなどで始まる漢字がなぜ韓国語では h で発音されるようになったのか現在のところ私には分かりません。普通は「家」「加」「可」「間」「看」「感」などのように元の漢字音が k ならば韓国語でも k になっています。( 中国古代の g に帯気音、無気音の区別があったのかも今のところ私には不明です。)
2. 上に挙げた中国語式ローマ字(ピンインツームー、pinyinzimu)の読み方:大雑把に言うと、x は「シャ、シュ、ショ」の音、j は「チャ、チュ、チョ」の音、q はその帯気音(息を強く出しながら発音)、g は無気音の k でいわゆる濁音ではありません。
3. 「海」は周、秦の時代の上古音では「マ行」の一種で始まっていたようですが、唐、漢の時代の中古音で「ハ行」になりました。日本では呉音、漢音ともに「カイ」です。
4. 「解」は上古音で2通りの発音がありました。有声音の h のものから呉音の「ゲ」、無気音の k のものから呉音の「ケ」が出来ました。漢音はどちらも「カイ」です。
5. 「骸」は呉音で「ゲ」、漢音で「カイ」、「ガイ」は慣用音です。
6. 「該」は呉音、漢音ともに「カイ」、「ガイ」は慣用音です。
H と K
より正確には、H は「声門摩擦音」ですから喉仏のあたりで息を擦らせるようにして出す音であり、K は「軟口蓋破裂音」ですから口の奥を舌の後部で一時閉鎖したのち急に破裂させるように息を出して発音します。
ちなみに現代の中国語(北京語)の「ハ行」は「軟口蓋摩擦音」と言って、ドイツ語の Bach(バッハ)の ch に近い音です。これは K を発音するときと同じ舌の位置で(軟口蓋との閉鎖は作らず接近させて)呼気を激しく摩擦させることで出す音です。寒い時に手に息をハーと吹きかけるようなつもりで強く息を出しながら発音します。中国語式のローマ字(ピンインツームー、pinyinzimu )では H を使って書きますが、日本語や英語の / h / とは異なります。ただし、北京語には [ h ] の音はありませんから、日本語の「ハ行」で言っても分ってもらえますが。
ついでながら、ロシア語にも [ h ] はありません。「ハバロフスク」とか「ハラショー( All right.)」とかの「ハ」の子音は X(軟口蓋摩擦音)です。日本人が名前をロシア文字で書く時は「ハ行」を X で表し、たとえば「原さん」は XAPA と書きます。ところが、日本語の「ハ行」は呼気が弱いために、ロシア人にはなかなか X のように聞こえず、Γ(= G)と受けとられることがあるそうです。たとえば、「横浜」は「ヨコガマ」になってしまいます。
XIII. プ → ウ
1. ナプキ、2. タプシン、3. スプクウァン、4. イプクム、5. イプシル
韓国語の「パ行」が日本語の「ハ行」に当たる場合があるということは既に書きました。「プ」も同じように「フ」に代えてみると日本語の漢語を思い付くことがあります。
ただし、「ナプ」「タプ」「スプ」「イプ」のように音節の終わりの「プ」の場合はもう一工夫必要です。日本語の旧仮名遣いの「なふ」「たふ」「すふ」「いふ」などがヒントです。もう1つ、既に書きましたが、「ヤ、ユ、ヨ、イ」は「ナ行、ラ行」である可能性もあります。
たとえば、「ヨプ」は「ヨウ」と考えれば「葉」「猟」に当たることもうなずけましょう。かくして、「ヨプサン」は「葉状」、「ヨッピョン」は「葉柄」、「ヨプソ」は「葉書」、「ヨプキジョク」は「猟奇的」、「ヨプキョン」は「猟犬」、「ヨプサ」は「猟師」です。ただし、後続の音に影響される場合もありますから、「葉脈」は「ヨムメク」、「葉緑素」は「ヨムノクソ」と発音されます。(IX の注1、注2を参照)
また、「ナプ」→「ナフ」→「ノー」と考えて下さい。ただし上の「スプ」は「スフ」→「スー」ではなく、「シュー」になっています。ときどき母音が日本語と異なるところが難しいですが、同様に「イプ」は日本語の「ニュー、入」「リュー、立」に当たります。日本語の「言う」が「イフ」→「イウ」になり、更に一部の人の発音では「ユー」になっているのと似ています。
「十」は「ジュー」じゃないの?
ところで、数の「十」は韓国語の漢語系の言葉で「シプ」と言います。(日本語の「とお」に当たる固有語は「ヨル」です。)「十」は中国の古代の発音では「ジアプ」のような感じで、P で終わっていました。それが日本語には「ジフ」として取り入れられ、後に訛って「ジウ」、さらに現代では「ジュー」となっています。ローマ字で表せば、jip → jihu → jiu → juu という変化です。(注:「ふ」の子音については XI 項を参照)
ただし、本来が「ジフ」であることを考えれば「十返舎一九」が「じっぺんしゃいっく」であって、「じゅっぺんしゃ」ではないのも納得がいきます。同様に「十手」「十戒」「十進法」「十把一絡げ」などは「じって」「じっかい」「じっしんほう」「じっぱひとからげ」と読みます。少なくとも漢字のテストではそう書かないと点がもらえません。これは、jihu(ジフ)の h が後続の子音に同化して促音化したと考えることが出来ます。つまり、jihu + te → jihte → jitte、jihu + kai → jihkai → jikkai、などという変化です。
後ろの子音が促音化を引き起こさない子音の場合は「ジュー」と発音します。「十五夜、じゅうごや」、「十全、じゅうぜん」、「十代、じゅうだい」などがその例です。「十分」は「分」を「ぶん」と読むか「ふん」と読むかによって「じゅうぶん」と「じっぷん」の両方があります。
上の答えは、納期、答申、習慣、入金、入室、です。
応用:
ハプキョク → 合格、ハプケ → 合計、ハックプ → 学級、ハクスプ → 学習、スプクウァン → 習慣、スプソン → 習性、ヘーダプ → 解答、タプシン → 答申、カプカク → 甲殻、カプチュ → 甲冑、カプパン → 甲板、クプシク → 給食、クプピョン → 急病、クプサ → 急死、ナプクム → 納金、ナプコル → 納骨、タプサ → 踏査、タプスプ → 踏襲、シプケ → 十戒、シプテ → 十代、シップン → 十分、充分、アプス → 押収、イプクウァン → 入館、イプク → 入口、イプトン → 立冬、イプチュン → 立春、イプチュ → 立秋、イップハ → 立夏、イッポ → 立法、など。
注:母音で始まる音節が後ろに続くと、この p は有声化して b に変わり、しかも続けて発音されます。たとえば、「級友」は kup + u → kub + u → kubu という変化により「クブ」と言います。「クプウ」ではありません。したがって、
級友(クブ ← クプ+ウ)、納入(ナビブ ← ナプ+イプ)、答案(タバン ← タプ+アン)、十五夜(シボヤ ← シプ+オ+ヤ)、押印(アビン ← アプ+イン)、などとなります。
XIV. ム → プ → ウ(マ行、ナ行の前で)
1. イムムン、2. シムニョン、3. イムニョク、4. ヨムノクソ、
これは前項の補足ですが、音節末の p は後ろに m、n が続くと鼻音化し、m として発音されます。後続の n には本来の r、l から変化したものも含まれます。したがって、前項の「ム」を「プ」、さらに「ウ」に代えてみて、さらに場合によっては後続の「ナ行」も「ラ行」に代えてみると相当する漢語を思い付くかも知れません。
これを韓国語の方から見てみますと、後続の音節が m や n を表すハングル(それぞれ 口、L のような文字)で始まる場合、前にある p を表すハングル(「甘」から「くさかんむり」に似た部分を除いた形)を m として読むことになります。後続の音節が r、l を表すハングル(己のような文字)で始まる場合はこれを n として読んだ上で前の p を m として読みます。つまり、文字としては「〜 p +マ行」「〜 p +ナ行」「〜 p +ラ行」なのに、読み方はそれぞれ「〜 m +マ行」「〜 m +ナ行」「〜 m +ナ行」となります。
2. 日本語とは異なる漢語
以上見てきたように、韓国語と日本語とで共通の漢語を使っていることが非常に多いのですが、中には全く異なる漢語を使う場合もあります。また、既に見た「愛人」のように同じ漢語が異なる意味で使われていることもあります。まず、日本語で考えると誤解しそうなものからいくつか御紹介します。
韓国語 | 元の漢語 | 日本では |
ピョーンジ | 片紙、便紙 | 手紙 |
ナムピョン | 男便 | 夫 |
エーイン | 愛人 | 恋人 |
ヤンボク | 洋服 | 洋服、背広 |
モギョク | 沐浴 | 入浴、風呂、沐浴 |
インサ | 人事 | 挨拶、礼儀、人事 |
コーレ | 去来 | 取引、行き来 |
コンブ | 工夫 | 勉強 |
モヤン | 模様 | 形、格好、様子 |
注意:
1. 「ピョーンジ」の「ピョーン」及び「ナムピョン」の「ピョン」は帯気音の p で始まります。「片」は「ピョーン」と長音ですが「便」は普通「ピョン」と短音です。また、「便」は「便法、ピョンポプ」「便乗、ピョンスン」「便宜、ピョニ」などの時は帯気音の p で、「便器、ピョンギ」「便秘、ピョンビ」「便所、ピョンソ」「便通、ピョントン」などの時は無気音の p で始まります。
ちなみに、「トイレットペーパー、ちり紙」は「ヒュジ(休紙)」と言います。ついでながら、「手紙」は中国語では「トイレットペーパー」です。( 「彼の老婆は20才?」を参照。)
「片」も「便」も [ n ] で終わります。下の先をしっかりと歯茎に付けて発音して下さい。「ン」を日本語式に言うと ng と受け取られ、違う意味になってしまうことがあります。「ン」が n なのか、ng なのかは、日本語の漢字の音読みで分かります。日本語でも「ン」で終わっていれば n、そうでなければ ng です。たとえば「アンニョンハセヨ(こんにちは)」の「アンニョン」は「安寧」ですから、「アン」は n で、「ニョン」は ng で終わります。(この見分け方は北京語にも当てはまります。)( 音素「ん」を参照。)
2. 「男便」は日本語の「夫」と同じく「自分の夫」を言う時に使います。日本語の「あなたの御主人」ように相手の夫を言う時は「プグン(夫君)」など別の言葉を使います。
ちなみに、「妻、家内」に当たる言葉は「アネ」です。固有語らしく、漢字がありません。
3. 「エーイン」は中国語に由来し、中国の朝鮮族はこれを「つれあい、配偶者」の意味で使うようです。( 「彼の老婆は20才?」を参照。)
ちなみに、日本で言う「愛人」は「チョンブ(情婦、情夫)」と言います。「貞婦(ていふ=貞女)」も発音が同じなのでちょっと困るのではないでしょうか。ついでに「政府」も「チョンブ」です。
4. 日本語の「背広」は韓国語では単に「ヤンボク(洋服)」、あるいは「シーンサボク(紳士服)」と言うようです。「背広」は漢語のように見えますが、これは日本で行われる当て字で、語源は英語 civil(スィヴィル← civil clothes)、または Savile Row(サヴィルロー、一流紳士服店が集まることで知られるロンドンの街路)だそうです。
5. 「モギョク」は「モク」と「ヨク」からなります。いわゆる「沐浴」も「モギョク」と言うようですが、日本で言う「風呂」も「モギョク」です。「風呂場、浴室」は「モギョッカン(沐浴間)」または「モギョクシル(沐浴室)」、「風呂桶、湯舟」は「モギョクトン(沐浴桶)」、「風呂屋、銭湯」は「モギョクタン(沐浴湯)」と言うようです。また「風呂に入る、入浴する」は「モギョグルハダ ← モギョク・ウル・ハダ(沐浴・を・する)」と言います。
6. [インサ」はまず第一に「挨拶」の意味です。「礼儀」の意味もあります。また、日本語と同じ「人事」の意味もあります。「人事異動」は「インサイドン」、「人事権」は「インサクウォン」、「人事課」は「インサクウァ」です。「人事不省」は「インサプルソン」、「人事を尽くして天命を待つ」は「インサ・ルル・タハゴ、チョンミョン・ウル・キダリダ」と言います。
7. 「銀行取引」は「ウネンコーレ」(ウネン ← ウン・ヘン)、「政治上の取り引き」は「チョンジサンエコーレ」(「エ」は「〜の」)と言います。「ピョーンジゴーレ(便紙去来)」は「手紙のやり取り」のことです。
8. 日本語の「工夫」は韓国語では「クンリ(窮理)」または「コアン(考案)」と言います。「勉強する」は「コンブハダ」といいます。「コン」の「ン」は ng です。m ではありませんから、「昆布」とは違います。
注:「ハダ」は日本語の「する」に当たる動詞の基本形ですが、「カムサハムニダ」の「ハムニダ」や「アンニョンハシムニッカ」の「ハシムニッカ」のように色々な形に変化します。「コンブハムニダ」と言えば「勉強します」、「コンブハシムニッカ」と言えば「勉強なさいますか」ということになります。
日本でも使うけど:
韓国で使われている漢語の中には、日本語でも使うには使うが普通の会話ではちょっと硬い感じがするというものがときどきあります。たとえば、日本語で「覚えている」と言うところを韓国語では「記憶している」というような類いです。下の例にあるように、韓国語では「言訳」「火事」「上品」「逢引」「渾名」などは使いません。(もっともこれらの日本語は厳密な意味での漢語ではありませんが。)
韓国語 | 元の漢語 | 日本では |
ピョーンミョン | 弁明 | 言い訳、弁明 |
ホウァジェ | 火災 | 火事、火災 |
コサン | 高尚 | 上品、高尚 |
ミルホウェ | 密会 | 逢い引き、密会 |
ピョルミョン | 別名 | あだ名、別名 |
その他:
韓国語 | 元の漢語 | 日本では |
ウピョ | 郵票 | 切手 |
チャピョ | 車票 | 切符、乗車券 |
タバン | 茶房 | 喫茶店 |
フビョンシル | 吸煙室 | 喫煙室 |
ソングム | 誠金 | 寄付金、献金 |
チョーシム | 操心 | 用心 |
クギョン | 求景 | 見物 |
イルギ | 日気 | 天気 |
クンハプ | 宮合 | 相性 |
サヤン | 辞譲 | 遠慮、辞退 |
コムル | 巨物 | 大物、巨大な物 |
カームギ | 感気 | 風邪 |
シンオ | 信号 | 信号、合図 |
トゥンギ | 登記 | 登記、書留 |
キブン | 気分 | 気分、気持ち、機嫌 |
[カームモ(感冒)」も使われます。「カームギ」の方が普通らしいですが。
「日気」も「日記」も「イルギ」と言います。
「フビョン(吸煙)」は「フプ・ヨン」です。
3. 韓国語式ローマ字
ペ・ヨンジュンはなぜ Bae Yong Joon と書くのか不思議に思ったことはありませんか。Choi Ji Woo を見てすぐにチェ・ジウと読める人は少ないのではないでしょうか。考えてみれば韓国の首都ソウルを Seoul と書くのも変わってますよね。
まず、いくつかの人名、地名のローマ字表記を下に挙げます。最近よく耳にする名前ですが、読めますか。
1. Park Yong Ha
2. Lee Byung-Hun
3. Jeong Seong-Hwan
4. Incheon
5. Daegu
6. Gwangju
7. Busan
英語やフランス語などと同じラテン・アルファベットを使って韓国語を読み書きする場合、2つのことを頭におく必要があります。1つは韓国語には韓国語式のローマ字があるということ。2つめは、人名は個人個人がかなり勝手に書いているということ。
韓国語式ローマ字がある
ペ・ヨンジュンの Bae を見て、これでは「バエ」じゃないかと思うのは日本式ローマ字、あるいは英語を前提に考えるからです。ローマ字、ないしラテン・アルファベットは英語専用のものではありません。
B の文字はいろいろな言葉に使われていますが、必ず英語のように [ b ] の音を表すわけではありません。ロシア語や現代ギリシャ語では [ v ] の音になります。一方 V の文字はスペイン語では B と同じ [ b ] を表し、ドイツ語では F と同じく [ f ] の音になります。ついでに、C の文字は英語やフランス語では [ k ] あるいは [ s ] の音ですが、たとえば cent(英語でセント)はドイツ語式に読めば「ツェント」、イタリア語式なら「チェント」、トルコ語式なら「ジェント」となります。(注:厳密には、ロシア語、現代ギリシャ語で用いている B はそれぞれキリル文字、ギリシャ文字であって、ラテン・アルファベットではありませんが。)
中国語にも中国語式のローマ字があり、普通ピンインと呼ばれています。たとえば、「北京」はピンインでは Beijing と書きます。アメリカではこの綴りを採用して「ベイジン」のように発音していますが、中国語(北京語)にはいわゆる濁音がなく、b、j はそれぞれ無気音の「パ行」「チャ行」を表しますので、呼気をできるだけ抑えながら「ペイチン」のように発音します。(注:イギリスでは多分まだ従来使われてきた方式による Peking という綴りを用いて「ピーキン」のように言っていると思います。ピンインでは p と k は帯気音の「パ行」「カ行」に使います。)
日本ではヘボン式と訓令式という2種類のローマ字が使われています。ヘボン式は英語を母語とする人々が読みやすいようにアメリカ人ヘボン(James C. Hepburn)が考案した方式です。これに対して、日本語の音韻のありかたに基づいて作られたのが訓令式です。鉄道の駅名の表示にはヘボン式が使われています。パスポートの名前にもヘボン式を使うのが原則です。小学校でまず習うのは訓令式です。
たとえば「土屋」をローマ字で書く場合、ヘボン式なら Tsuchiya、訓令式なら Tutiya となります。Tutiya では「トゥティヤ」になってしまうと考えた人は英語に毒されています。日本人の誰が「トゥティヤ」などと発音するでしょう。日本語には本来「トゥ」とか「ティ」とかいう音はありません。喫茶店に行けば堂々と「コーヒー・ツー」などと言っていますし、最近でこそ「レモンティー」などと言いますが、「野球ティーム」という人はまずいません。ですから、ta、ti、tu、te、to と書けば「た、ち、つ、て、と」と読むのが普通で、「た、ティ、トゥ、て、と」と読まれる心配はないのです。
「は、ひ、ふ、へ、ほ」にしても、ヘボン式では ha、hi、fu、he、ho と書きますが、日本語のしくみを考えれば「ふ」は hu で何も問題はありません。実際の音を正確に書き表わそうなどと考えたら、「ひ」も hi ではいけないことになります。(もしもドイツ人がローマ字を作っていたら 参照)もしアラブ人が日本語のローマ字を作ったら「き」の子音と「か、け、く、こ」の子音は別のものになるかもしれません。
注:イギリス英語の keen / ki:n / と cool / ku:l / の / k / が異なる音であることは音声学の勉強をして始めて習うことで、英米人でも気付いていません。ですが、アラビア語では元々「前よりの k」と「後よりの k 」を区別するためにアラビア語を母語とする人はこの子音の違いを聞き取ります。
以上のように、各国語にはその国語の発音に基づいたローマ字の方式があって当然なのです。
さて、韓国式のローマ字ですが、韓国語には日本語や英語にない音がたくさんありますので、それらを書き表わすための工夫がなされます。その一部をここで御紹介します。
1. ペ・ヨンジュンは「バエ・ヨンジュン」?
「カ行」「タ行」「パ行」「チャ行」には平音、激音、濃音の3種類があります。一方、日本語や英語にある清音(無声音)と濁音(有声音)の区別はありません。濁音(有声音)がないわけではないのですが、文字の種類と語中の位置によって清音になるか濁音になるかは決まっていますので、語の区別に利用されることはありません。日本語の「ガラス」と「カラス」とか英語の bet と pet とかの区別はないのです。
また、語頭に濁音が来ることは決してありません。ですから韓国や北朝鮮の人にとって「ガラス」や「バス」などは言いにくく、「カラス」や「パス」になってしまいます。日本でビビンバと呼んでいる料理も、韓国語では「ピビンパ(プ)」のように発音します。ただし、日本人が「ビビンバ」と言っても韓国の人にはちゃんと「ピビンパ(プ)」と聞こえていると思いますが。(注:発音記号式に書けば / pibimpap / となります。最後の p は内破音ですから口を閉じるだけで終わりです。)
2000年7月4日に韓国の文化観光部(日本の文部省、文化庁に当たる)が発表した「韓国語のローマ字表記法」の改訂版によりますと、「カ行」「タ行」「パ行」「チャ行」は平音で g、d、b、j、濃音で kk、tt、pp、jj、激音で k、t、p、ch を用いて表します。「カ行」「タ行」「パ行」の子音が語末に使われた場合は k、t、p で表します。(「チャ行」の子音は語末では内破音の / t / として発音されます。ローマ字では t で書くのかどうか今のところ私には分かりません。)
ついでながら、中国語の普通話(北京語)をピンイン(中国語式ローマ字)で書く場合にも、無気音に g、d、b、j、帯気音に k、t、p、ch が使われます。普通話は濁音が全くありません。(注意:韓国語では平音と濃音は無気音、しかも濃音は極めて呼気を押さえる、そして激音は帯気音です。)
この方式によって「釜山(プサン)」は Busan と書かれるようになりましたが、以前は Pusan でした。ぺ・ヨンジュン(Bae Yong Joon 裴勇俊)の「ペ」を Bae と書くのも、これが平音の「ペ」であることを示しています。(ちなみに、平音の「パ行」を表すハングルは「甘」という漢字から上部の「草冠」のような部分を取り除いた形です。)
ついでながら、「ペ」を pae と書くと激音の「ペ」となって「敗、覇、牌」などの漢字音を表すことになります。ちなみに「敗軍」は「ペーグン」、「覇権」は「ペークウォン」と言います。また、ppae と書けば濃音の「ペ」になり、相当する漢字はありませんが、子供がうるさく泣きわめく声や笛の音をあらわすそうです。注:母音が ae となっていることについては、5. Roh は「ノ」と読む?の中の「ローマ字化方式いろいろ」を御覧下さい。
チョン・ソンファン(鄭城歓)は Jeong Seong-Hwan (あるいは Jang sung hwan )と書かれますが、J は無声音の「チャ行」を表しますから Jeong と書いてあっても「ジョン」ではありません。
Jeong は「鄭」という名字だけでなく、「正、情、丁、町」などの漢字音をも示します。Cheong と書くと帯気音の「チョン」になり「青、清、晴、請」などの漢字音を示します。
2. n と ng の区別
ペ・ヨンジュンの「ヨン」は Yong で、「ジュン」が Joon というように、「ン」が n で書かれる場合と ng で書かれる場合があります。同様に、イ・ビョンホン(李炳憲)は Lee Byung-Hun、ハン・ソッキュ(韓石圭)は Han Suk Kyu、ウォンビン(元斌)は Wonbin になります。これは日本人には同じく「ン」と聞こえる2つの音が、韓国語では異なる音として区別されているためです。
英語でも同じ区別があります。たとえば、sin の n は、舌の先を歯茎に付け、呼気を舌の両脇と鼻腔とから出しながら発音します。sing の g(また think の n )は、舌の後部を軟口蓋(口の天井の後部)に付け鼻腔から息を出しながら発音します。
決してこれを「スィン」と「スィング」の違いと思わないでください。日本語の語尾の「ン」は直前の母音の鼻母音のような音であって、決して英語の n ではありません。英米人や韓国人にはすべて ng のように聞こえるのではないかと思います。
また、日本人が「スィング」と言うと、たいてい最後の「グ」の音 / g / が入ってしまうので sing になりません。まるで singg のように聞こえてしまいます。同様に英語の song、young、long も「ソング」「ヤング」「ロング」ではありません。鼻にかけて「ンー」と言いながら「グ」を言うつもりで言わないようにして下さい。焼鳥の材料に(あるいはフランス料理の食財として)「タン」がありますが、tongue を「タング」としなかったのはかえって元の発音に近い結果になりました。
Yong Joon を「ヨングジュン」と書くことも考えられたでしょうが、その方が正確とも言えないことは上に述べたことから御理解いただけるものと思います。
日本語で「ン」で書かれているものが韓国語では n なのか ng なのかは、漢字を見れば分かります。すなわち、日本語におけるその漢字の「音」が「ン」で終わっていれば n、そうでなければ ng です。 ちなみに、この見分け方は中国語(普通話・北京語)にも応用できます。(ハングルでは「L」のような文字が n で、「○」が ng です。注:「○」は音節の頭では ng ではなく、子音がないことを示す記号です。)
ただし、より正確に言うと、日本語の漢字音が「ン」で終わっているものは韓国語では -n または -m になります。たとえば「金」という名字は Kim で、 Kin とすると「緊」など別の言葉になります。また「心」は sim で、sin と言うと「信」など別の語になります。(注意:普通の単語としての「金」は口を横に引いた「ウ」を使って「クム」という感じです。また、ハングルでは m は「口」のような文字です。)
語尾の -m を日本語に写すには普通「ム」を使いますが、実際の発音は母音を伴いませんから、決して日本語の「ム」ではありません。口を閉じたままハミングをする要領で発音します。韓国姓の「キム」さんは日本語の「きむ」ではありません。(アメリカの女優 Kim Novak の場合も同様です。)
多くの日本人には kim も kin も(さらに king も)同じく「キン」と聞こえるのではないかと思います。むしろ、語尾が「ン」と聞こえる場合、韓国語には -m、-n、-ng の3つの可能性があると思った方がよいと思います。
ついでながら、香港などで使われる中国語である広東語にも -m、-n、-ng の区別があります。たとえば、「心」sam、「新」san、「生」sang ですが、日本人にはすべて「サン」と聞こえる可能性があります。声調はすべて同じ第1声ですから語尾で区別するしかありません。(北京語には -m と -n の区別はなく、「心」「新」はどちらも xin と書き、第一声で「シン」と言います。「生活」は sheng と書き、第一声で「シャン」という感じに読みます。n と ng に注意。)
同じ中国語でも上海語にはこの3つの区別が全くありません。ですから語尾の「ン」の発音は日本語と同じようになります。また、ビルマ語でもこの区別がありませんから、文字の上では m や n、ng で終わっていても発音はどれも日本語の「ン」のようになります。そのためか、ビルマの民主化指導者アウン・サン・スー・チー の「アウン」は Aun と書かれたり Aung と書かれたりします。
3. Lee は「イ」と読む?
「イ」は規則通りに書けば単に I となるはずですが、イ・ビョンホン(李炳憲)は Lee Byung-Hun、イ・ジョンヒョン(李貞賢)は Lee Jung Hyun と書かれています。これはどういうわけでしょう。
「李」は韓国では2番目に多い姓です。漢字音は「リ」ですが、韓国では「イ」と発音されます。本来「ラ行」が語頭に立つことがない韓国語では / i / と / j /(つまり「イ」および「ヤ、ユ、ヨ」)の前で r(および l )は消え、/ i / 以外の母音の前では / n / に変わるのです。(ロー氏とは俺のことかとムヒョン言いを参照)
注意:北朝鮮ではこの r を保ち、元の漢字音にしたがって発音します。例:(後が北朝鮮の発音)「理論」(イロン/リロン)、「留学」(ユーハク/リューハク)、「論文」(ノンムン/ロンムン)
「李」は中国では Li と書かれます。また、英語としては Lee と書くのが一般的だろうと思います。香港映画のヒーロー、ブルース・リー(香港での芸名は李小龍)は Bruce Lee と書きます。イ・ビョンホンもイ・ジョンヒョンも英語では「リー・何とか」と呼ばれることでしょう。(注:英語では Li と書くと「ライ」と読まれる可能性もあります。)
韓国では「韓国語のローマ字表記法」に従えば I となるところですが、実際には個人の好みや慣例を反映し、Yi、Li、Lee、Rhee などの綴りが見られます。同じ「イ」さんでも英語の名簿などでは全くの別姓として扱われることになります。知人の「イ」さんをホテルに訪ねても綴りが分からず捜しだせないということもあるそうです。
4. Roh は「ノ」と読む?
韓国の大統領はノ・ムヒョン(盧武鉉)ですが、英語では Roh Moo Hyun と書きます。また、下記参考文献の中の「韓国語・発音と文法」の著者である羅聖淑はローマ字表記を Rah Sung-Sook としていますが、韓国語での発音は「ナ・ソンスク」です。(注:大統領名は英字新聞での表記です。御自身がどう書かれているかはわかりません。)
元の漢字音が r で始まっているためにこういう表記法もあるのですが、韓国ではこれらの文字は n を表すハングルで書かれますから、「韓国語のローマ字表記法」に従えば「盧」「羅」はそれぞれ No、Na となるはずです。韓国の俳優の中にも盧敬信(ノ・ギョンシン、No Kyeong-Sin )や、羅玄喜(ナ・ヒョンヒ、Na Hyeon-Heui)などの例があります。
注:漢字音の語頭の r については前項3に書きました。なお、北朝鮮ではこれらの姓は r で発音され、r を表すハングル(「己」のような字)で書かれます。当然、英語名も R で始まるはずです。
ローマ字化方式のいろいろ
ここで、韓国語(また朝鮮語)をローマ字かする場合のいくつかの方式を御紹介しておきます。韓国の文化観光部が2000年7月4日に発表した「韓国語のローマ字表記法」改訂版については既に言及しましたが、文化観光部はこれ以前にも改定を行っており、1983年改定版では、いくつかの母音字にコンピューターでは扱えない補助記号(小さなVの形)が付き、不便な点がありました。また、1959年改訂版は現行方式とほぼ一致しています。つまり。現行方式は一部を除いて59年版にもどったと言えます。
国際的にはマッキューン・ライシャワー(McCune-Reischauer)方式、および米国の学術書などで主に使われているイェール(Yale)方式があります。前者は1983年改訂版の基礎となった方式です。
また、日本の学会で使われているものとして志部昭平方式、河野六郎方式などがあります。
これらの方式の差異のうち目立つものいくつか挙げます。
まず、子音ですが、マッキューン・ライシャワー方式では、激音(帯気音)を k'、t'、p'、ch' というようにアポストロフィーによって示し、それに対応する平音(無気音)は語中の位置(または実際の発音)に応じて k か g、t か d、p か b、ch か j で示しました。また濃音(無気音)を kk、tt、pp、tch で表しました。(現行方式では、すでに書きましたように、激音を k、t、p、ch、平音を g、d、b、j、濃音を kk、tt、pp、jj で示します。)
母音については「狭いエ」「広いエ」「狭いオ」「広いオ」「円唇のウ」「平唇のウ」を表にします。現行方式、マッキューン・ライシャワー(M・R)方式、イェール方式、志部昭平方式の順に挙げます。なお、M・R方式で(V)とあるのは母音字の上に小さなV字型の補助記号が付くことを示します。
母音 | 現行 | M・R | Yale | 志部 |
狭いエ | e | e | ey | ei |
広いエ | ae | ae | ay | ai |
狭いオ | o | o | o | o |
広いオ | eo | o(V) | e | e |
円唇のウ | u | u | wu | u |
平唇のウ | eu | u(V) | u | y |
注1:「広いエ」を表すハングルは「ア」と「イ」からなっています。これは、ハングルが作られた15世紀には「アイ」という2重母音を表していたものが変化して出来たものです。「アイ」が「エ」に変わることはよくあることで、江戸弁や我が郷土の伊東弁を始め現代ギリシャ語などにも見られます。(「鯛」→「テー」、「高い」→「タケー」、など)
ペ・ヨンジュンの「ペ」を Bae と書くのもこれで納得されたことと思います。
一方、「狭いエ」を表すハングルは「広いオ」と「イ」からなっています。これも同様、元は「オイ」であったのが変化して出来たものです。(伊東弁では「青い」が「アエー」となります。)
注意:「広いオ」は単純に「オ」と言えない面があります。次の注を御参照ください。
注2:「狭いオ」はだいたい日本語と同じですが、もっと唇をしっかり丸めて発音します。「広いオ」は「オ」よりも口を少し大きく開いて発音します。唇は丸めず、「ア」と「オ」の中間のような響きがあります。
韓国語の参考書や辞書などにはふつうこれ以上は書いてありませんが、「国際音声記号ガイドブック」(竹林滋・神山孝夫訳、国際音声学会編、2003)によりますと、「広いオ」は短音の場合と長音の場合とで異なるようです。短音は上に書いた通りで、国際音声記号(IPA)の第2次基本母音の6番に近く、「逆さの V(turned V)」で表されます。これは英語 run、cut、love などの母音です。
しかし、長音の場合は「オ」よりもむしろ口が狭く、舌の上がる場所も舌の後部ではなく中程で、中舌母音シュワーに近くなります。つまりイギリス英語の bird の母音に近いことになります。
辞書のなかには「広いオ」を C を逆さにした記号で表しているものもあります。これは英語の辞書で dog や log などの母音の発音を示すのに使われている記号ですが、英語と異なり韓国語の「広いオ」は唇の丸めを伴いません。
同じ記号でも言語によって、また辞書によって異なる音を表すことあります。個々の言語の参考書や辞書で使われている「発音記号」は音声学的に厳密な音を表すのではなく、その特定の言語の音素を過不足なく表記するために使われています。それぞれの言語における個々の記号の約束事を理解して使いさえすればこれで十分なのです。すべての言語に適用できるような表記をしようと思ったらいろいろな補助記号を付けたりして繁雑なものになってしまいます。
たとえば、英語の hut という語の母音は、どの辞書でも英・米の区別なく V を逆さにした記号(turned V)で表されていますが、実際にはイギリス英語とアメリカ英語では異なります。この記号が表す母音はイギリス英語では日本語の「ア」に近く、イギリス人が hut と言うと日本人にはごく普通に「ハット」と聞こえます。一方、アメリカ英語では、この記号で表される母音はすこし「オ」のような響きをもっており、アメリカ人が言う hut は「ハット」と「ホット」の中間ぐらいに聞こえます。glove が日本語で「グローブ」なのもこのためでしょう。
ちなみに、アメリカ英語の hot(熱い)は日本人には「ハット」と聞こえます。この母音は「筆記体のA(script A)」と呼ばれる記号で表されますが、これはアメリカ英語では日本語の「ア」に近い音です。
注3:「円唇のウ」は英語の / u / と同様、唇を丸く突き出して発音します。それに対し「平唇のウ」は「イ」を言う時のようにぐっと唇を横に引いて「ウ」を言います。どちらも舌の後部が高くなる高舌母音であることは同じですが、唇の形が違います。日本語の「ウ」はこのどちらでもなく唇はゆったりと弛緩して半ば閉じたような形になっています。
注4:韓国語の母音はもちろん、これだけではありません。基本母音としては「ア」「イ」もありますし、基本母音と「イ」や「ウ」を組み合わせた2重母音(ヤ、ユ、イェ、ヨ、ワ、ウィ、ウェ、ヲ、など)もあります。「円唇のウ+イ」と「平唇のウ+イ」はそれぞれカタカナでは「ウィ」「ウイ」と書きます。例:「胃(ウィ)」「威力(ウィリョク)」「義(ウイー)」、「医師(ウイサ)」など。
5. Choi は「チェ」と読む?
崔志宇(チェ・ジウ)の英語名は Choi Ji Woo となっています。「崔」は韓国では4番目に多い姓だそうですが、ハングルでは激音(帯気音)の ch を表す文字と、「狭いオ」と「イ」を組み合わせた母音とで表記します。この母音は現在ほとんどの人が / we / と読みますが、中高年の中には / ø / と発音する人もいるそうです。後者は、フランス語の peu や deux の母音 "eu" のように、唇をすぼめて「ウ」を言う構えで「エ」を発音します。
/ we /と / ø / はカタカナでは普通「ウェ」「ウ」と書きますから、「崔」は「チウェ」とか「チゥ」ということになります。もちろんカタカナで正確に書くことは出来ませんから「チェ」と書いても、どちらがより正確ということはありません。
これをローマ字で書く場合、文字をそのままアルファベットに置き換えれば Choi となり、現行のローマ字化方式では Choe となります。この他に Choy もあるかもしれません。前に書きましたように「名前」については個人が勝手に決める面がありますので、「チェ」さん(ないし、「チウェ」さん、「チゥ」さん)は好みと慣例に従って Choi、Choe、Choy 書くことになります。
下に、今説明した「ウェ」の他に「ウィ」と「ウイ」のローマ字化例を挙げます。また比較のために「平唇のウ」と、もう一つの「ウェ」を添えます。59年改訂版は現行のものとほとんど同じなので前には載せませんでしたが、今回は一つ違うところがあるので加えます。
母音 | 現行 | 59年版 | M・R | Yale | 志部 |
狭いオ+イ | oe | oe | oe | oy | oi |
円唇のウ+イ | wi | wi | wi | wi | ui |
平唇のウ+イ | ui | eui | u(V)i | uy | yi |
平唇のウ | eu | eu | u(V) | u | y |
円唇ウ+狭エ | we | we | we | wey | uei |
注1:「狭いオ+イ」のハングルは上に書きましたように、普通、「狭いエ」を用いて「ウェ」と発音し、現行ローマ字化方式で oe と書きますが、これは発音の上では「円唇のウ」と「狭いエ」の組み合わせです。したがって「円唇のウ」と「狭いエ」を組み合わせたハングルも同じく「狭いエ」を用いて「ウェ」と発音します。ただし、こちらは現行ローマ字化方式で we と書きます。
これに対し「広いエ、ae」を伴う「ウェ、wae」は、「狭いオ、o」+「広いエ、ae」の組み合わせで表します。ついでに、「狭いオ、o」+「ア、a」は「ワ、wa」となります。また、「円唇のウ、u」と「広いオ、eo」の組み合わせは「ウォ、wo」となります。(注:「」の中のローマ字は現行方式)
注2:「広いオ+イ」のハングルは「ローマ字化いろいろ」の注1に書きましたように現代では「狭いエ」を表します。
6. Woo は「ウ」と読む?
チェ・ジウ(崔志宇)の「ウ」は現行方式では U と書くはずですが、実際は Woo となっています。英語では oo の綴りは / u / あるいは / u: / と読むのが普通ですし、現実に woo / wu: / という単語もあります。中国人の映画監督ジョン・ウーも John Woo と書きます。ウー監督の姓は「呉」ですから中国式ローマ字では Wu ですが。
また、ペ・ヨンジュン(Bae Yong Joon、裴勇俊)の「ジュン」も一般的な英語の綴りに従って Joon と書かれていますが、「狭いウ」ですから現行ローマ字化方式に従えば Jun となるはずです。もしかしたら、イ・ビョンホンの「ホン」が Hun となっているように、「広いオ+n(現行方式では -eon)」が慣用的に -un と書かれることがあるので、それとの混同をさけたのかもしれません。
7. Park は「パク」と読む?
パク・ヨンハ(朴龍河)の「パク、朴」は Park と書いてあります。これでは「パーク(公園)」になってしまうではないか、少なくとも r は余分ではないか、と思われるかもしれませんが、そうかと言って Pak と書くと英語圏では「ペアク」のように訛って発音される可能性もあります。むしろ Park の方が元の発音に近いと考えたのかも知れません。イギリス英語及びアメリカの東部方言では ar の r を発音しないため、ますます元の音に近くなることでしょう。そういうことから、伝統的に「パク、朴」は Park と書かれてきたのかも知れません。
「朴(パク)」の P は平音(無声音)ですから、現行のローマ字化方式では B で表されます。したがって Bak と書く「朴」さんもいるのではないかと思います。ちなみに、日本では以前この姓を「ボク」と読んでいましたので、朴正煕(第5〜9代)は「パク・チョンヒ」よりも「ぼくせいき」として知られていました。
8. Jung と Jeong
イ・ジョンヒョン(Lee Jung Hyun、李貞賢)の「ジョン、貞」とチョン・ソンファン(Jeong Seong-Hwan、鄭城歓)の「チョン、鄭」はハングルで書けば同じで、現行ローマ字方式ではどちらも Jeong です。J は平音(無気音)の「チャ行」を、eo は「広いオ」を表します。
カタカナで、前者が濁音になっているのは、平音の j が母音に挟まれると濁音(有声音)に発音されるためですが、韓国人にとってこれは無意識的なことであり、韓国語には有声・無声の区別がありませんから、たとえ「イ・チョンヒョン」と言っても(平音で発音する限りは)同じに聞こえるはずです。
また、韓国人が Jung Hyun だけを発音すれば、日本人の耳にも「チョンヒョン」と聞こえます。韓国語では語頭に濁音が来ることはないからです。以前は韓国のローマ字でも、平音の「チャ行」を表すのに語頭では ch、それ以外で j と書き分けをしていましたが、現行方式では常に j を使います。今でも Chung とか Cheong と書く「鄭」さんがいるかもしれません。これは韓国では5番目に多い姓です。
広いオの書き方
この「チョン」はイェール式なら Ceng となるなど、他にもいろいろな書き方があり得ますが、イ・ジョンヒョンの Jung というのは恐らく欧米で慣用的に使われてきた書き方ではないかと思います。英語では、ung という綴りは lung、rung、sung や jungle の前半のように「アン」と発音されます。「ローマ字化方式のいろいろ」の注2で書きましたが、韓国語の「広いオ」は「ア」に近い音なので、英米人にとっては「広いオ+ng」を ung と表すのがもっとも自然だったのでしょう。
ちなみに、土佐の中浜万次郎(ジョン万次郎)はアメリカ人からは John Mung と呼ばれました。やはり「万」という日本語はアメリカ人には mung と聞こえるのが普通だろうと思います。
注:「広いオ」をカタカナで表す時には「オ段」を使うのが一般ですが、実際はかなり「ア」に近い音です。したがって、たとえば、チョン・ソンファン(Jeong Seong-Hwan)は「チャン・サンファン」と書くほうが原音に近いかも知れませんが、どちらにしても正確とは言えません。
イム・ウンギョン(Lim Eun Kyeong、任恩敬)の「キョン、敬」も Kyeong の他にKyung、Gyeong、Gyung などと書かれることがあるようです。イ・ビョンホン(Lee Byung-Hun、李炳憲)も、「火偏に丙」という漢字を辞書で確認できませんでしたが、恐らく「丙」と同様に Byeong と書くことができると思います。また、Pyeong や Pyung の綴りも有り得ます。
韓国の企業サムスンは Samsung と書かれますが、これも現行方式に従えば Samseong となるはずです。「広いオ」ですから、日本で一般的にカタカナ表記するときの慣習に従えば「サムソン」となるはずです。そうなっていないのは綴りに引きずられたのか、韓国語の発音または英語での発音に影響されたものと思われます。
イ・ビョンホンの「ホン」は Hun と綴られていますが、この母音は「広いオ」ですから、現行ローマ字に従えば Heon となるはずです。これも上に述べたのと同じ理由で伝統的に Hun と綴られてきたものと思います。英語では -un の綴りは fun、cut などにおけるように「アン」と読み、これがちょうど「広いオ」と似た音になります。また、イ・ジョンヒョン(Lee Jung Hyun、李貞賢)の「ヒョン」も現行方式に従えば Hyeon となります。
9. 最初の問題の答え
1. パク・ヨンハ(朴龍河、Park Yong Ha)
2. イ・ビョンホン(李炳憲、Lee Byung-Hun)
3. チョン・ソンファン(鄭城歓、Jeong Seong-Hwan)
4. インチョン(仁川、Incheon)
5. テグ(大邱、Daegu)
6. クウァンジュ(光州、Gwangju)
7. プサン(釜山、Busan)
注:チョン・ソンファン(Jeong Seong-Hwan)の「ファン」は「サッカーのファン」というときの「ファン」とは発音が違います。むしろ「ホウァン」と書くほうがいいかもしれません。
10. 補記
その1. 姓名の書き方の原則
姓と名は分かち書きをする。名が2音節以上の場合はつなげて書くのを原則とするが、音節間に「ー」を入れてもよい。つまり、チョン・ソンファンは Jeong Seonghwan と書くこともできるということです。
その2. 韓国人の姓
韓国人に多い姓を26位までを並べます。ちなみに、金、李、朴の上位3位で韓国の人口の45%を占めるそうでです。
1. Gim(キム、金)、
2. Yi(イ、李)、
3. Bak(パク、朴)、
4. Chwe(チェ、崔)、
5. Jeong(チョン、鄭)、
6. Gang(カン、姜)、
7. Jo(チョ、趙)、
8. Yun(ユン、尹)、
9. Jang(チャン、張)、
10. Yim(イム、林)、
11. Han(ハン、韓)、
12. Sin(シン、申)、
13. O(オ、呉)、
14. Seo(ソ、徐)、
15. Gweong(クウォン、權)、
16. Hwang(ホワン、黄)、
17. Song(ソン、宋)、
18. An(アン、安)、
19. Ryu(リュ、柳)
20. Hong(ホン、洪)、
21. Jeon(チョン、全)、
22. Go(コ、高)、
23. Mun(ムン、文)、
24. Son(ソン、孫)、
25. Yang(ヤン、粱)、
26. Bae(ペ、裴)、
注:「金」は一般には Kim と書かれるのが一般的ですが、平音(無気音)の K ですので、現行方式では語頭でも g を使って書かれます。また、一般名詞としての「金」は「平唇のウ」で発音し、「クム geum」となります。
姓の順位は 1987 年12 月13 日東亜日報によるものですが、274 位までをお知りになりたい方は野間秀樹著「至福の朝鮮語」を御覧下さい。ちなみに、274 位は Jo(チョ、初)だそうです。
(Jan. 2005 )
参考文献:
韓国語が面白いほど身につく本(韓誠著、中経出版、1989)
漢字でわかる韓国語入門(水谷嘉之著、祥伝社、1987)
至福の朝鮮語(野間秀樹著、朝日出版社、2002)
韓国語・発音と文法(羅聖淑著、白帝社、2004)
朝鮮語四週間(河野六郎監修、石原六三、青山秀夫著、大学書林、1963)
日韓対照漢字読み方辞典(金字烈、時事日本語社、1991)
朝鮮語辞典(小学館と韓国・金星出版社の共同編集、2004)
学研漢和大辞典(藤堂明保編、学習研究社、1981)
言語学大辞典・世界言語編(三省堂、1989)
言語学大辞典・別巻世界文字辞典(三省堂、2001)
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