「四倉先生の思い出」
初めて、四倉早葉先生にお目にかかったのは、新宿の朝日カルチャーセンターで、日本語教師養成講座に参加している時でした。四倉先生が、「日本語と日本文化」という集中授業をある夏に担当なさった時で、当時1歳だった私の息子が今は17歳ですから、もう16年も前のことになります。
授業の始めに先生が、黒板に、
All geaneralizations, including this one, are overgeneralizations.
と書かれたのが印象的でした。その言葉通り、先生は、「日本(人)は」「アメリカ(人)は」というような議論の仕方を好まれず、長くアメリカに住んで成功している日本人にありがちな、独善的なアメリカ礼賛、日本批判もなさらず、先生の経験や、知見を、受講者が気楽に疑問を差し挟める雰囲気で、フェアな立場で話して下さいました。授業の後にも、気さくに質問を受けつけて下さいましたし、しばらくすると、講座の始まる前(終わってからだったかも知れません)、毎回、希望者がラウンジに集まって、四倉先生と色々な話をする機会も設けて下さいました。
印象に残った出来事は、先生に、何かについて質問した時、ご自分がそのことについて書かれた英文の論文を3つ貸して下さり、次の授業(2日後)までに読んでいらっしゃいとおっしゃったことです。10ページ以上ある英文のしかも論文をいくつもそんなに短時間で読んだことのなかった私は(英語専攻の大学卒でしたが)驚きましたが、その時に一緒に受講していた人が、いとも当然のように、他の論文を借りて行くのを見て、「この人に出来るのなら」と勇気づけられ、その晩、恐る恐る、読み始めました。
驚いたことに、不可能だと思っていたのに、ひとたび読み始めると、結構、読めるもので、その晩、3つとも読んでしまいました。「読めない」と思っていたのは、ただ、やって見もしないで、不可能だと決めつけていただけなのだと、その時、自覚しました。
日本人の学生は、細かく辞書を引き引き、丹念に読む癖がついているので、数ページ読むと息切れしてしまい、『とても何十ページも読めない』と頭から決めつけていることがあります。何かのきっかけで、その思い込みから目覚めると、もっと可能性に満ちた自分を発見できるものです。四倉先生は、アメリカの大学でならば当然のことを、おっしゃっただけですが、それが、私にとっては、大きな転機となったのです。
その頃、私は、一年後に当時1歳と4歳の子供達を連れて単身アメリカの大学院に留学する予定でいました。四倉先生に、個人的にそのことを相談すると、アメリカの大学の情報とか、当時の言語学の流れ、アメリカの住居や保育園についてなど、色々教えて下さり、力になって下さいました。留学中も、クリスマスカードを送って下さり、「子供2人を連れての留学、さぞ大変でしょうね」と励まして下さいました。
その上、2年後に帰国して、四倉先生が発足なさるという「国際理解教育を考える会」に出て行った時、「休(求)職中なんです」という私の言葉を良く覚えていて下さって、それから、数週間もしないうちに、お電話を下さり、今の勤め先への就職を世話して下さいました。
四倉先生の授業の内容、提出したペーパー、それに対する先生の講評、批判など、今でもたくさんのことを覚えております。先生は、長いご病気の後、天国に召されて行ったわけですが、先生の考え方、教え方、学生との接し方、などなど、数え切れないほど沢山のことが、今、教育に携わる私の中に生きています。そして、四倉先生の考え方を引き継いだのは私一人ではないと思います。その意味では、四倉先生は、先生を知る一人一人の中にまだ生きていらっしゃり、実際にこの世の中で仕事をしていらっしゃるのだと思います。
―――四倉早葉先生の記念誌より抜粋
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