GUSTAVE MOREAU(ギュスターブ・モロー)
モローの絵のなかで、1866年に制作された《オルペウスの首をかかえるトラーキアの娘》や、1878年に発表された《サロメ》などが特に有名ではないでしょうか。

このモローが1898年に亡くなるまで生前過ごした私邸が、現在モロー美術館として公開されています。自分の死後、画稿が散逸するこすることを避けるために、晩年美術館として改装され、1903年に遺言どおり国に寄贈されたのです。
きちんと一枚一枚額に収められ整理された下絵や習作の数々は圧巻。
以前はアトリエ部分しか公開されていなかったそうですが、現在は彼の私邸部分も公開されています。
たくさんの作品と、彼の生活の一端をかいま見ることができます。

タレントの石坂浩二さんもモローのファンで、以前彼がモロー美術館やモローのお墓を訪れるというTV番組がありまし。

【年表と主な作品】
1826年:4月6日パリに生まれる。
1852年:《ピエタ》をサロンに出品。
1853年:《逃亡するダレイオス》《シュラミの娘》をサロンに出品。実質的なデビューとなる
1864年:《オイディプスとスフィンクス》をサロンに出品。
1865年:《イアソンとメディア》《青年と死》をサロンに出品。
1867年:パリ万国博覧会に《青年と死》《オルペウスの首をかかえるトラーキアの娘》を出品。
1868年:《プロメテウス》《エウローペーの略奪》を出品。
1876年:《サロメ》《ヘーラクレースと水蛇》《出現》《聖セバスチャンと天使》をサロンに出品。
1878年:万国博覧会に《サロメ》《出現》など6点を出品。
1880年:《トロイアのヘレネー》《ガラティア》をサロンに出品。
1882年:デュラン=リュエル画廊で『寓話』挿絵から25点を展示。
1886年:グーピル画廊でラ・フォンテーヌの『寓話』のための水彩画65点を展示。
1890年:《エウリュディケの墓のオルペウス》を制作。
1891年:《求婚者たち》《オレテウス》を制作。
1894年:タピスリーの下絵《詩人とセーレーネス》を描く。
1896年:《ユビテルとセレメー》を制作。
1897年:《アルゴー号の乗員》《死せる竪琴》を制作。
1898年:4月18日、癌のために死去。
1903年:1月14日、モロー美術館開館。
【わたしの好きな作品】
・ピエタ(1876ごろ)
モローは《ピエタ》という作品を10点以上手がけています。そのうち上野の国立西洋美術館にあるこの作品は、「モローの特徴をよく示す、彫琢された宝石細工のように精巧な画面に描かれた悲しみのマリアとしせるキリストとの頭上には、聖霊を象徴する鳩が翼を広げ、背後には二人の天使が顔を寄せ、キリストの勝利が暗示されている。」(『国立西洋美術館名作選』より抜粋)と評されるように、23×16cmの小さな板上にとても精密に描かれています。このピエタという作品を初めて見て以来、すっかりモローの作品にあこがれるようになったのですが、パリのモロー美術館に同じ構図でより大きなサイズの絵を発見したときは、ほんとにうれしかった。
・出現(1875ごろ)
これは、サロメの連作中《ヘロデ王のまえで踊るサロメ》の展開として制作された作品です。この主題の構図としては、サロメが斬られた洗礼者ヨハネの首を盆に載せて持つ姿、というのが多くみられるのですが、空中に出現する聖者の首の視線と、これを睨み返すサロメの視線がぶつかりあうというところが、他に類をみないところです。
この作品も、モロー美術館に展示されています。
・オルペウスの首をかかえるトラーキアの娘(1865-66)
ー冥府の秘儀を男たちにのみ伝えたことでオルペウスは、トラーキアの女たちに怨まれ殺された。屍体は八つ裂きにされ海に投げ込まれたが、頭部と竪琴のみは、レスボス東に流れついた・・・ーこんな男女の運命的闘いの関係が描かれています。この頃の作品は、アングルの影響を非常に強くうけているとされていて、どこか古典主義的な作風です。モロー美術館まで足を運ばなくても、パリのオルセー美術館『モローの部屋』で見ることができます。
【ここも見てね】
・WebMuseum の モローのページです(トップページはこちらです)。

参考書籍・参考文献:
新潮美術文庫35『モロー』新潮社
 
国立西洋美術館名作選、1989