結構人気、座礁の日記

2004年12月分
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しゃああっ


04/12/3 「憧れのメガネ」

元々「視力」には自信があった。


小学生の頃の視力検査では、
一番ちいさな「穴開き丸」まで楽勝でくっきりと見えた。

先生「むう。では一歩下がってみて。」

座礁「へーい。(一歩下がる)」

先生「コレは?」

座礁「うえー。」

先生「むうう。ならばもう一歩下がってくれ。」

座礁「ほーい。(更に一歩下がる)」

先生「然らばコレでどうじゃっ!?」

座礁「右斜めしたー。」

先生「ぐぬぬぬぬ。ならばもう一歩・・・」

そんなやりとりの末、私は云うのであった。

座礁「せんせー。
後ろに壁があって、もうこれ以上下がれませーん。」

先生「うぐぐぐぐ。判った・・・。
座礁、すまぬがお主の視力、
両目ともに暫定『2.5』ということで許してくれんか?」

座礁「へいへーい。」


更に中学生の頃は、
JR国立駅の上り線プラットホームの最後方に立ち、
間に線路を2本挟んだ向こう側、
つまりは下り線プラットホームの壁にかかる時刻表を、
片目で見ながら読み上げてみせ、
周囲を驚かせたという逸話も残っているのだ。

そういえばその頃、
「ニカウさん」とか呼ばれてたっけなオレ。(泣)


そのまま視力が低下することなく高校生となった私。

少々色気も出てくる年頃である。

元々メガネを掛けていた周囲の仲間たちが、
突如としてシャレたメガネを掛け始めたりするのだ。

ぬうう。
なんか羨ましいではないか。

私のメガネに対する憧れは、この頃に芽生えたのであった。

なんだかんだと目に悪そうなことを率先してやったものだ。

薄暗くて揺れる電車内での読書に至近距離からのTV鑑賞、
夜更し寝不足遅刻早弁買い食い麻雀チャリンコ通学、
思いつく限りのありとあらゆる手法を駆使し、
視力低下に努めた私なのであった。

あれ?
なんか関係ないのも随分と混じっているようだが、
まぁそんなことを気にしてちゃあ
この先話が続かないからコレでいいのだ。


だがしかし。
幸か不幸か、私の視力は一向に衰える気配がない。

「うぐぐぐぐ。」

下唇を噛みながら、
寂しくメガネの仲間たちを見つめる私なのであった。


瞬く間に時は流れ、それから約6年が経過した。
その間、相変わらず私の視力は衰えを見せずにいたのであった。

いつの間にか24歳になっていた私。
ある日、ふと本に目を落としたら、
視線の先の活字が重複しながら「ぽわーん」と左右に揺れる。

「あれっ?」

ゴシゴシと目を擦って再度見る。
先程よりは鮮明だが、それでもまだ少々ブレがある。

「ん?もしかしたらオレ、視力低下したのかっ!?」

いざそのような局面に立たされると、
嬉しいような哀しいような妙な気分である。

一週間程、その状況が続く。

むうう。
これはいよいよ尋常ではないな。

私は生涯で初めて、
「眼科」というところの門を叩くのであった。

医者「えー、座礁さんね。どうしました?」

座礁「いやぁ、ここ一週間くらい、
本を読もうとすると、目が霞むんですよー。」

医者「ふむふむ。」

座礁「元々、視力だけは良かったんですが、
不摂生が祟ってとうとう近眼になっちゃったんですかねぇ?」

医者「ふむ。ではちょっと調べてみましょうか。」

ペンライトで目を照らされ、医者が覗き込んでくる。

ひー、やーめーてー。

あたしゃあ先端恐怖症だから、
目先にペンライトとか怖いっつーねん。

その後、妙な機械を覗かされ、
医者は何やら反対側で私の目の様子を覗っているようだ。

一通りの検査が終了する。

座礁「どうですか?やっぱり悪くなってますか?」

医者「むうう・・・。座礁さん、お幾つでしたっけ?」

座礁「へっ?24歳ですが?」

医者「むうう・・・。」

ナニナニ?
なんでそんなに深刻な顔してんのよ?

医者「・・・。誠に申し上げ難いのですが・・・。」

座礁「へっ?」

なんだなんだ?
何やら実は相当にヤバい病気かなんかなのか?

私はただメガネに淡い憧れを抱いていただけなのだ。
だから別に、そんな深刻な状況を求めていた訳でも
覚悟していた訳でもないのだ。

もしや何らかの不治の病とかだったらどうすれば良いのだ?
困った困った、嗚呼困った・・・。


医者「・・・。座礁さん・・・。」

座礁「はっ・・・はい?」

医者「あなたね、『老眼』です(きっぱり)。

座礁「はっ?」


「老眼」?

老眼ってのは一般的に、
お年を召された方がなるのではないのか?

気が抜けたような理不尽なような、
釈然としない気持ちの中で私は尋ねた。

座礁「『老眼』・・・ですか?」

医者「はい。」

座礁「えーっと、それは『遠視』のことですよね?」

医者「いえ、『老眼』ですっ(きっぱり)。
遠視と老眼は全く別のものです。」

座礁「・・・ってゆーか、ボクまだ24歳なんですが?」

医者「ねぇ・・・。」

「ねぇ」って何さ。
視力が良い悪い以前の話としてショックやわ、あたい。

医者「いやぁ、その年では結構珍しいですなぁ。」

しくしく。


とは云え、かくして私、
憧れの「メガネ」を着用することになったのであった。

フレームが細くて少々赤っぽい、
オシャレでインテリジェンス漂うマイメガネなのである。

「うはははは。
いかにも頭が良さそうであろうぞ!」

そう云いながら、
当時付き合っていた彼女(現、家人)にお披露目した私。

家人「ふーん。老眼鏡って目が大きく見えるんだねー。
ケント・デリカットみたーい。」


私のメガネに対する積年の憧れが、
一瞬にして崩壊したのであった。
しくしく。


ちなみに現在の私は右目1.5、左目0.4のガチャ目であり、
左目だけに弱い度の入ったメガネを時折着用しているのであった。





04/12/16 「始末書」

その日、Sは普段通り朝9時の定時5分前に出勤した。

Sは都内にある小さな広告代理店に勤務する36歳オトコ、
装飾関係のディレクターとして日々頑張って働いている。

先日、待望の第一子が誕生したこともあり、
公私共に充実の日々を送っているのであった。

Sはいつものように席に腰掛けPCの電源を入れたが、
いつもと違っていたのは、その日が12月1日だったことである。


Sの会社では毎月1日には、
基本的に社員全員の参加が義務付けられている
「全体朝礼」というのが開催される。

全体朝礼は、企業理念の唱和に始まり、
その月に誕生日を迎える者へのお祝いの配布、
その他新入社員の紹介などが厳かに行なわれ、
最後は社長のありがたきお言葉を頂戴して解散、
という仕組みになっている。


SはPCの電源を入れて周囲を見回した時、
周りの同僚たちがアタフタと社内の一番大きなホールへと
移動しようとしているのを知り、
その日が全体朝礼であったことを思い出したのだ。

しかも12月はSの誕生月でもある。

その会社の全体朝礼では、
その月の誕生者は最前列に並ばねばならない、
という暗黙のルールが存在する。

「やっべーぇ」
そう小さく呟いたSは小走りにホールへと向かった。

向かう途中、少々自分の服装が気にはなっていた。

その月が誕生月であるSは、
その日社長から直々にお祝いを受け取ることになるであろう。
ということは、当然皆の前に出て注目を浴びることとなる。


Sは基本的に社内スタッフであり営業職ではない。

だから通常はスーツも着ないし、
ネクタイだって締める機会は少ない。

勿論エラいクライアントとの打合せなどがある際は、
スーツにネクタイで決めたりすることもあるのだが、
その度に周囲から「わはは、場末のホストみたいだぁ」などと
からかわれるものだから、
実はなるべくならそのような服装を避けたいと考えている。

なのでその日が全体朝礼であることをすっかり失念していたSは、
スーツでもなければネクタイさえもしていなかったのであった。


約30分の全体朝礼が終了し、
誕生日祝いを手に自席に戻ったSのもとに、
ツカツカと局統括がやってきてこう告げた。

「Sくん、始末書を書いといてね。」

一瞬、何のことやら判らなかったSであるが、
すぐにその数日前に、
局統括から局員全員に送られていたメールのことを思い出した。

「今後、全体朝礼では男性はネクタイを着用のこと」


なんということだ。
つい数日前にメールされていた規則をいきなり破ってしまったのだ。

そのメール内容の是非を問う以前の話として、
会社として、または局として決められた規律を
すかさず破ってしまったことには違いない。

ふと見ると、
自分の他にネクタイ着用を忘れた数人の同僚たちも、
同様に始末書提出を求められているのであった。

「嗚呼、しまった・・・。
オレはなんと会社に対して
不義理なことをしてしまったのであろう」

Sは自分の犯した罪の重さに気付き、またそれを深く反省し、
ともかく他に溜まった仕事そっちのけで
「始末書」作成に執りかかるのであった。

「なんとか誠意を見せなければならない」
そう思ったSは、自身の持ち得る限りのボキャブラリーを駆使し、
思いの丈を始末書に書き綴った。

だがしかし。
所詮は始末書である。

頑張って自分の心の内にある反省の深さを文字で表現しようとするが、
それにしたって余りにもA4の用紙は大き過ぎた。

どうあがいても紙面の1/2ほどしか埋められないのである。

「うおおーっ!オレの会社に対する誠意は、
たったA4用紙半分程度のものでしかないのかーっ!?」


Sは苦悩した。

また、装飾関係の仕事をしているというプライドも手伝って、
その紙面構成のバランスの悪さも許せなかった。

どうにかしてそのA4用紙全体に、
バランス良く反省の意を込めたかった。


色々な手法を試してみた。

文字のサイズを大きめにしてみたり、
行間を大袈裟に空けてみたり。

だが、それらが「小手先だけの誤魔化し」でしかないことに気付くまで、
然程の時間は要さなかった。

「ダメだダメだ。こんなのは誠意でもなんでもない。マヤカシだ。
もっと他にちゃんとオレのこの熱き思いが伝わるような、
もっとスバラシイ誠意の示し方がある筈だ」

そう考えた時、ふと彼は思いついた。

「会社に対しての誠意を見せる為に最も有効なことは、
『自身の成長』を会社に示すことなのではないか。

今回は会社に迷惑をかけてしまったが、
『今後、更に仕事に精進して頑張ります』という姿勢を見せること、
コレが会社に対する誠意の表現として相応しいのではないのか」


そう。だからSは自身の始末書に、
常々課題として取り組んでいる、
「ヴィジュアル・プレゼンテーション」手法
用いることにしたのである。

ネクタイをせずに全体朝礼に参加してしまった自分を深く恥じながら、
「これからはちゃんとネクタイします」というメッセージを、
ヴィジュアルを駆使して表現しようと考えたのであった。

かくしてSは、
画期的な「始末書」を書き上げることに成功した。

それでは、ここでもったいぶるのもなんなので、
その貴重な画像をお見せしよう。

コチラをクリック


その後、
苦悩の末に生み出したその始末書を提出しようとするSであったが、
周囲の同僚たちから本気で羽交い締めにされつつ止められてしまい、
結局彼の「ヴィジュアル・プレゼンテーション」が
叶わなかったことは誠に残念でならない。

つーか、
私もその場に居合せたら止めてるけどさ。

つーか、
ネクタイ首に直接巻いてるしさ



ちなみに、
同じ局内で最もネクタイをしないことで有名なZ氏はと云うと、
当然その日もノーネクタイで出勤したのだが、
「遅刻」したことにより全体朝礼自体に参加できず、
「始末書」の憂い目から逃れたという話が、
風の噂に乗って耳に届くのであった。

いや、その真偽の程は定かではないのではあるが・・・。





04/12/23 「タコライス騒動」

「今日のご飯は『タコライス』なのだっ!」

先日のある日、久々に夕食に間に合う時間に帰宅したら、
家人が鼻息荒くそう宣言してきた。


「でもね。
作ったことないから、美味しくできるか判らないけど・・・」

そう云いながらも、何やら様々な食材や調味料を、
台所に所狭しと並べて悦に入っている。

どうやらなんらかの雑誌で「タコライス」のレシピを発見し、
「こりゃ旨そうだ」ということで早速トライしてみたのだそうだ。

「まぁ大船に乗ったつもりで楽しみにしつつ、
30分くらい本でも読んで待っていたまへっ!」

そう自信満々に告げる家人。

その大船がタイタニックだったら、あっさりと沈むんだなぁ
なんてことを思いつつ、勿論そんなこたぁ怖くて口には出せず、
大人しく本を読みながら待つ私なのであった。


実は私、
それまで恐らく「タコライス」ってもんを食べたことがない。

長崎の「トルコライス」と勘違いしていた程であるからして、
どのようなものが出来上がってくるのか検討もつかなかった。

「蛸(タコ)を使った烏賊(イカ)飯みたいなものなのか?」
などと全く見当違いの想像を繰り広げたりしていたものである。

よもや家人がそのようなハイカラな食べ物を知っているとは、
少々悔しいような気もする。きいい。


約30分が経過。

順調にいっていれば、
そろそろ出来上がっても良い時間である。

台所を覗く私。

「どう?そろそろ出来た?」

「うーん・・・」

れっ?
なんか悩んでおるぞ、家人。

「どうしたのさ?」

「うーん・・・」

どうやらエラい深刻な状態にあるようだ。

「あのさぁ・・・。
一応、出来上がったんだよね、タコライス」

見れば、ちゃんと2つの皿に盛られた、
それらしきモノがあるではないか。

「ほう。なのに何故、そんなに悩み深き顔をしておるのだ?」

「あのさぁ・・・。
よく考えたら私、タコライスってものを食べたこともなければ
見たこともなかったんだよねぇ


「はっ?」

「だからさぁ、一応レシピ通りに作ってはみたんだけど、
これで本当にタコライスと呼べるのかどうか、
そしてタコライスとして美味しいと云えるものなのかどうか、
判断することができないんだなぁ


「・・・・・・」

さすがは家人である。
こんな人には、どう足掻いたって勝てる訳がないのであるよ。

なんで食べたことも見たこともないモノを作る気になれるのかなぁ。


「・・・むうう。まぁ作ってしまったものは仕方あるまいて。
もうタコライスという概念は捨てて、
ウチらの判断基準で純粋に美味いかどーかを判断することにしよう」

私はそのような苦し紛れのフォローを入れつつ、
腹も減っていたのでとりあえず何でも良いから食べたかったのだ。

家人も私の提案に納得し、かくして我が家の食卓には、
「タコライス」っぽいものが並べられていった。


見れば、小さく刻んだトマトが一番上に乗っており、
その下にはやはり刻まれたレタスが敷かれていた。

更にそのレタスの隙間からは、
こんがりと炒められた挽き肉が顔を出しており、
どうやら溶けたチーズ辺りも交ざっているようだ。

そして一番下にはライス。


ははーん。
「タコライス」ってのは、
どうやら「タコス」の「ライス」なのであるな

私、「メキシカンタコス」に関しては結構ウルサイ。

高校時代にサンディエゴで初めてタコスを食べた時のあの感動は、
未だに忘れられない程の衝撃であったのだ。


んでも「タコス」の醍醐味と云えば、
やはりあのパリパリの皮の存在であろう。

なのにこの「タコライス」ってぇヤツは、
あろうことかあの「皮」の替わりに「米」を使っているのである。

美味いのか?
そんなんでホントに美味いのか?


まぁ何はともあれ、食すことにする。

一口目を頬張り感触を確かめていた時、家人が口を開いた。

「あっ、結構イケるじゃん!」

ふむ、確かに悪くない。

「悪くない」というか、
「美味い」と素直に云ってよろしいレベルである。


続けざまに何口か食べる。
ふむ、やはり美味い。

だがしかし。
ホントにコレが正しい「タコライス」なのか?

美味いには美味いのだが、
イワユル「タコス」の味とは何かが違う

全く別物と云っても良いような味覚なのである。

なんというか、
あの「タコス」のピリッとくる刺激が全く感じられないのだ。


「タコライス」は沖縄の食べ物だと聞く。

ってこたぁ、完全な推測だが、
やはり米軍関係の人たちが「タコス」をイメージしながら
日本風にアレンジしたものだと思われる。

ならばもうちっと「タコス」に近い食感や刺激が
得られても良い筈なのではないか?


そんなことを頭の中でグルグルと考えながら、
気がつけば、それでもあっさりと完食した私なのであった。

「ふむ、なかなか美味かった。ご馳走さま」

そう云った瞬間、私は気がついた。

「あっ!『タコス』と何かが違うと思っていたけど、
『サルサソース』がなかったではないかっ!

嗚呼、そうだそうだそうだった。

どんなに美味い「タコス」であったとしても、
「サルサソース」がかかってなければ、
仮に相当な味覚音痴のメキシカンたちにだって
受け入れられることはないであろう。

あの「サルサソース」の刺激的な食感が、
メキシカンを陽気にさせていると云っても過言ではあるまい。


私は、今しがた完食した「タコライス」っぽいものに、
「サルサソース」がかけられた味覚をイメージしてみた。

うおおーっ。
メチャメチャ美味そうではないかっ!!

思わず私は口を開いた。

「うがあっ。これ『サルサソース』があれば完璧だった筈だぁ!
ああ勿体ない、ああ悔しい。レシピには載ってなかったのか?」

すると家人は、平然と答えるのであった。

ああ、載っていたけど省略しちゃった。
私、辛いの苦手だしさぁ



なんで省略するねん。(涙)

それって「熱いの苦手だから」と云って、
ぬるま湯でラーメン茹でるようなものであるぞ。





04/12/31 「2004年」

気がつけば「大晦日」である。


自分にとって、
とにかく今年は激動の一年であったなぁ、と思う。

特に中盤以降は公私含めて何かとバタバタしてしまい、
本サイトの更新頻度も目に見えて落ちてしまった。反省。

仕事が忙しかったのも一因ではあるが、
勿論それだけが理由ではない。

家庭内に目を向ければ、
ここ一ヶ月程、我が家の老猫「あんも」が糖尿病を患ってしまい、
その看病に明け暮れたってのもある。

昨夜も深夜に突然倒れ、
獣医に駆け込んだり朝まで自宅で点滴打ったりと
徹夜状態で処方していた。

どうやら日に2回注射する「インシュリン」の量が多過ぎて、
逆に低血糖状態になって倒れたらしい。

いやはや大変なのよ。


と云いつつ、
それだけが「激動の一年」の理由な訳でもない。

色々と思うところあってこの一年、
自分自身が身を預けている環境や立場、この先の自分について、
かなり本気でじっくりと考えてきた。

そんなこんなの試行錯誤の中、
遠くにちょっとだけ自分の求めているものが
見えたような気がし始めている。


これまでの私は、
何につけても「やれるか、やれないか」を中心に据えて考えてきた。

だから、例えば仕事などでそこそこの結果を出すことができても、
「その仕事やその瞬間に対する充実感」は味わえるが、
「自分自身に対しての充実感」を味わうことがなかった。

その時その時では楽しいし、決して嫌いではないのだが、
「一生涯携わっている自分」というのが、どうにも想像し得ない。

5年後10年後に、同じ環境で同じ仕事をやって、
今と同じ自分でいられるイメージがどうしても湧かないのだ。

どこか常に、自分に対して客観的な自分が存在しており、
「今のオマエは世を忍ぶ仮の姿のオマエなのだ」
と耳元で囁かれているのである。


だが今年一年、
私は「何をやりたいか、やりたくないか」という視点に転じてみた。

すると、自分自身の根本的な部分が見えてきた。

色々な兼ね合いもあるから、
ここではまだあまり細かいことを書く訳にはいかないが、
ちょっと本腰を入れてみる頃なのかな、と素直に思う。

「できるか、できないか」は未知数だ。

でも「やりたいか、やりたくないか」と問われれば、
「やりたい」ことなのだという確信は得ることができた。


「やれるか、やれないか」の判断基準の中心はつまり、
「食っていけるか、いけないか」であることだ。

まぁ大事なことだよね。

「やりたいこと」やってても「食っていけない」のであれば、
他人に迷惑掛け通すか、若しくはノタレ死んでしまうかだ。

他人が犠牲になること判ってまで
自分を押し通せる程の強い性格ではないし、
だからって食っていけずにノタレ死ぬ訳にもいかない。
家族おるねん。

とは云え、
だからといってハナから「やりたいこと」を封印してしまうのでは、
あまりにも寂しいではないか。

「やりたいこと」を「やれるか、やれないか」
判断する猶予くらいはあってもバチは当たらんであろう。

それで夢破れたら、その時はその時で仕方ない。
きっぱりと諦めてみせるさ。


そんなことを悩み、考え詰めて、
どこかで吹っ切るきっかけになった一年だったかな。

とりあえず気持ちの上では準備完了、
来年からは行動に移しますぜ。乞うご期待。



今年も一年間、本当にありがとうございます。
来年も、今年以上に宜しくお願い致します。









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