おまけは続くまで続く。2009.1-

こうありたい自分と、
実際の自分の隔離を
まざまざと見せつけられると、
いってーなー
と、苦々しく感じるけれど、
気づかないでいるよりも
おもしろいかな、
と感じてしまう自分もいて、
そういうところが弱点であり
うんざりするところで
好きなところ。
隔離って
あなたはないの?
と、ナイフをふりまわして
ぐるぐる回って
これは大変と尻込みさせてみたりしたくなる。
ただそういう状態を知りたいがために。
ひとはどこまで見せるだろう。
が、しない。いまのわたし。とっておきたい、
愉悦のため。
ひとは、かなしいね、
と、言われたけれど、
かなしいね、
と答えたのは、
がっかりさせたくなかった
だけかもしれないよ。
定期的に刻まれる
深夜の非通知着信に、
元気でいてね。
と、思うのはうそいつわりのないこころ。
忘れないで、
と、わたしも言うけど、
そう言うとこの先じかんが
どうなるのか
少し興味を持てるからかもしれないよ。
わからないことが起こるかな。
それは理解しないでもいいことなのかな。
はい、わかりました。と。
わかってないのに、言う。
言葉がどうでもいいのかな。
忘れないで、と言うと
こころが揺らぐ。
まだ揺らぐんだ、わたし。
忘れないで、と言うと
さみしくなったり
にくらしくなったり
あら、まだにんげんらし。
と感じられるからかもしれないよ。
にゃお。ね。
10.24
ブログって、更新しやすいよね。
HPは、ほんのひと手間なのだろうけれど、立ち上げて構成する手間が煩わしくて、遠のきがち。
その程度の思いの日々ということ。
先日、思いがけないことで何かのスイッチが3年ぶりぐらいに入ったみたいで、複雑な思いになった。
複雑な思いをもてあまして、おまけを開いたということで。
それほど、日々の思いからは複雑さがそぎ落とされているということで。
困ったな、と思うけど、
隠したいけど忘れたくないような困惑と劣情が、昔馴染みに出会うのにも似た感覚で、
がっくりきたような、
むなしく面白いような、
とか。からだが思うようにきかないと脳が活発。
勝手にやってればいいね。
9.9.9
なにを書いているやら。中途半端な立ち位置で。
たまに書くとこれですね。でも、おまけはいいなぁ、意味が通らなくていいじゃない。
30代の人たちから恋の話を聞く。
30代でも前半と後半はあきらかに違う。
かなり年が違うが見かけはやや若めということで、変に気をつかうことなく彼女らはわたしに話すのかも。わたしはそういう段階を既に済んでいるという前提で。気楽でいいけども、「恋っていうもんわねー」と上から目線で意見するほど隔たってもいないと思えるので、ほぼ聞き役で。
「運命の人」を思い続ける人もいるし、常時数人と関係を持っているような人もいる。恋人いない歴が長い魅力的な女性も多い。そういう中には旅行や習い事にお金を使う人が多い。30代はかなり幅があって面白い。20代は未来があるので絶望してたってなんだってまだ幅が狭い。すみません。30代までいってみてよということ。
そうして同じ年の人とも恋の話をする。同じ人の場合は、年とってからの恋もわたしはわかるだろうと思って話すと思う。でも、
正直なところ40代以降の恋は、困る。「(配偶者と)別れないで、上手にやって」といつも言うわたしには、本当のところはよくわからない世界。わかりにくいことが苦手なだけ。
長年、人ごとのように事例を見てきていると、恋はいっときのことで、結局頼りになるのは近くにいてくれる配偶者となることが多いよう。配偶者の文句をあれこれ言っている人ほど、別れないことが多い。別れちゃう人は、言ってみれば、ラクゴ者なの。離婚は、選択じゃなくて積極的ラクゴのように思う。よく言えば文科系。適当ですが。
何を書いているかというと、
わからないということだけ。わたしが言うのもなんですが、恋上手の人は少なく、わたしが言うのもなんですが、結婚し続けることには意味があるように思う。ラクゴするのもまた。どうでもいいことがわかるからね。1.6
世界遺産めぐり(←老後の夢)、遠いか近いか
元旦に充分仕事をして数日分の日銭をいただき、初詣を済ませ、2日は家にいて「誰とも会わない」「何もしない」をした。電話はちょっとしちゃったけど。
7月からほぼ休みなしだったから。休まないでいたら軌道にのったので休むのが怖かった。フリーで仕事をしていた時期も長いけど、今ほど気を抜けなかったことがなく。競合に気を抜けばすぐ行き詰まるかもという思い。まだその程度の立ち位置ということ。だから休めなかったんだけれど。今も本当は休んじゃだめでやることはいくらでもある(HPを更新するだけで手応えが違う)という声が脳内で響いているけれど、
休んだ。正月だぜ。
大晦日に作り置いた煮物と煮豆と、お餅とソバ、蒲鉾、漬物などがあるので、普段より滋養豊富^^
仕事以外の年賀状は3日になって書いた。遅くなってごめんなさい。
3日になって映画を借りてきて続けざまに見た。そうしてひたすら眠っていた。体を縦にしたくなかった。かかってきた電話を逃がさないようにという意識を完全に忘れて眠るのはいつ以来。
あー眠った、これが本来のわたしだもう仕事したくないなー、と感じて憂鬱になった。どうしようと思うと、憂鬱になりますね。
などと憂いて4日夜となり、
働きたくなっているような。錯覚?
職場へ行くと、シャキっとするからかも。憂いている暇がなく。できなければサヨウナラ。くよくよする体力も残らない。家に帰るとプーペ・ガールの着替えをやって(知ってる?唯一の?娯楽)バタンキュー。
必死で日銭を稼ぐわたしが好きなのかもしれない。労働に見合った手ごたえ。原始的充足感。教えるのも緊張できて面白く。わたしを見ている人の顔、わたしに期待する、わたしを値踏みする、わたしにいいとこ見せようとする、自分に一生懸命な人たち。面白いと言っていられないことも多いけれど。妖しげな世界であっても、さらに勉強しないとついてきてもらえない。だから休めない。有難いこと。
近所の個人営業の精肉店も、4日深夜に通ったら店を開けていた。いつも午前中から深夜1時過ぎまで明かりがついている。シャッターが閉まっているのを滅多に見ない。おじいさんと呼んでいいぐらいの人が店主。いつもそこを通ると、なぜだか気持ちが休まる。
そうして今年は仕事の本を監修する予定。休まないで働けば、そこそこチャンスに恵まれることもあると思うけれど、
詩の世界はそうでないというのが、活気を感じられない理由のひとつなのか。労力に見合った報酬は、ひとつの評価。選者、大変有意義だったけれど、やはり何日も費やしてノーギャラというのは異常な世界だと改めて感じていた。原稿料が出る詩誌でも他業界とは比べ物にならないだろう。仕方のないのはわかっているけれど。昔はそれでも、紙面に載ることだけで励みだったときがあったけれども。今はそんなにピュアでないし幻想がない。
わたしにはきっと、もう、詩でどうにかしたいと思っている人の気持ちはわからないのだろう。詩が本当に好きで、好きなことをやっていたいという人の気持ちもおそらく。
それでも、一生懸命、お務めは果たしたわけで。それは詩の世界がわたしなりにかけがえがないからで。詩がなければ今のわたしはないからで。詩がなければもっとつまらなくても無難な人生だったかもしれないが。2度ほど除き文章も気を抜かないで書いた。誰もたいして読んでなくても、自分の名前のところだけ読んでいる人ばかりであっても、わたしは一生懸命やりました。よく言うね。そういう自分が好き。誰がほめなくても、わたしがほめられるわたしが好き。
しかし、ぺんてか。・・・これは、全くほめられない。
昨年の更新は3回。oh, ほめられない。とりあえず、去年のページを整理した。2009.1.5
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