353年3月3日、今の中国(せっこう省)蘭亭に貴族41人が集まり、儀式の後に流しょう曲水
の宴を開き、各々が詩を作り発表しあいました。その詩集の序文を王義之がかきました。
その序文のことを
蘭亭序といいます。

蘭亭序は書聖と言われる王義之の書で、古来より行書のお手本として
最も評価されて来ました。お習字を習った人は臨書した方も多いと思います。
それにまつわるお話をしたいと思います。

さて王義之は、昨夜書いた書を手にとり、あまりの素晴らしさに息をのみました。
しかし、酔いながら書いたために所々に誤字がありました。

誤字のあるままにしておくのはよくない。
しかし二度これほど素晴らしい作品は書けない。

迷った末に、誤字に直接正しい字を書き足しました。

王義之 
(307?年〜365?年)

唐の皇帝 太宗 
 (626年〜649年)

王義之が亡くなった後も、蘭亭序は行書の手本として高い評価を受け、いく
つも臨模されました。

約300年後の唐の時代、書をこよなく愛した太宗皇帝は蘭亭序をなんとか
手に入れようとしましたが、一向に有力な情報を得る事ができずにいました。

ある日、身分を隠した家来の一人が道端で書を売る老人に声をかけました。
しばらく世間話をし、さりげなく蘭亭序の話題を持ち出しました。
すると老人は王義之の子孫が持っているらしいと言いました。

彼は、商人をしている王義之の子孫の家を捜し出し、蘭亭序を見せてくれと頼みました。
しかし、子孫は蘭亭序は無いと答えました。そこで、「王義之の子孫が持っているはずなの
に持っていないということは、子孫ではないと言う事ですね」と言いました。
子孫は怒り奥から蘭亭序を持ってきました。
そして蘭亭序を見せている時に、客が訪れたので子孫は席をはずしました。
その間に家来はそれを持ち逃げしました。

そして蘭亭序はついに太宗の手に渡りました。
太宗は蘭亭序が自分の死後、人手に渡るのを恐れて一緒に埋葬させました。
今も太宗の墓には欄亭序が眠っています。

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蘭亭序

らんていじょ

以前このお話を人にお聞きした時に、とても面白かったので是非書いてみようと思いました。

中国には沢山の歌人、書家の碑があります。7年くらい前になりますが、娘と中国を旅し、
沢山の碑を集めた碑林、書の拓本でも有名な龍門の石窟etcを見て回った事があります。
娘もいま東洋史を選択し、いつかまた2人で訪れることができたらと思っています。