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まず、何でフランスに来たかってことなんだけど
日本でフランス料理を作って、東京でもそうだったけど出してもフランス料理の奥の深さって言うのをわかる人たちが昔は少なかった。
だからそういうのに満足しなくてやっぱりフランス料理をやっているんだからフランスで勝負をすべきだと、人生墓場に入るまで後悔することの無いようにチャレンジするためにここに来たわけですよ。
ようやく今まぁ満足して、リエーブルロワイヤルとテートドゥボーって言う料理ではフランス一位になってるしね。今はようやく日本に里帰りできる気持ちなんです。
― なぜ料理人に?
うーん、それは難しい質問だけど、僕はねぇ、長男だし料理人になろうとは思ってなかったの。
ただ長男だからお父さんお母さんの面倒を見る跡取りをしなきゃいけない。サトウキビ畑があるんですけど、そのサトウキビ畑がどうも苦手でそれから逃げてたんですよ。
でも東京に行ってふるさとの香りを嗅いだっていうか、僕のおばさんたちが島で食堂をやっているから、そこは島で一番おいしいんですよ、そこのキッチンでよくつまみ食いをしていたからその匂いとか空気になにか惹かれてね、この仕事をすればいずれ鹿児島でも喜界島でもなにかこう、サトウキビじゃないけれど仕事をして親の面倒をみることができるだろうと、それで二十歳からはじめたんです。
だから高校時代もずーっとさまよってというか迷って自分の道を探すのに4年半ぐらい費やしたかな。
― ではなぜフランス料理だったのですか?
うーんと、たまたま縁があって最初に働いた店がフランス料理だったんです。
― 特にこだわりがあったのではないのですか?
格好いいな、と。
ただ和食的な、板前さん的な要素、ああいうの好きじゃなかった。
イメージが封建的だしね。
― パリにきて思い描いていたものと違ったか、苦労したとか、カルチャーショックとかありましたか?
まぁ、けっこうね、苦労話はあるんですよ。
ボクは92年に小田原を出発してパリに着いたんだけれどその時はフランスの大手の100年以上続く老舗レストランをリニューアルオープンするっていうことで日本の企業からの依頼で頼まれてきたんだよね、でも来たらやっぱりフランス人のビジネスとかいろんな絡み、プロの世界で揉まれてポイされたの。4年半ぐらい自分の仕事ができない時期があった。それは結構頭にきたし、なんかこうイライラしていたときがあるね。
でもその時友達がゴルフに誘ってくれて、ゴルフでストレス解消したものかな。
― そういう時期を経たからこそ今の吉野さんがある
ということですね。
うん、本当は日本に帰ろうと思ってて日本のホテルや大手のレストランからも誘いが結構あったんだけれども、でも帰っちゃいけないと思った。帰っちゃうとまた、フランス人と勝負しようという気持ちがいつもあるしいつも自分の職業に対して極めるところまでいきたいと思うタイプだから一回帰ってもまた虫が騒いでまたパリに来るだろうと、だから帰っちゃいけないと思った。
そういう風にずっと思って辛抱して97年にこの店を開けたんだ。
まぁ、友達とかに借金してね、貸してくれってさ。(笑)
― お店を開いて何年ですか?
5年半かな。
― お店の名前の由来は?
それは小田原時代にオープンしていたお店の名前がステラマリスだったんですよ。
その当時は目の前が海だったから「海の星」っていうようなイメージで大学の先生がつけてくれたんですよ。
ラテン語ですけどね。
― パリにきた当時の印象は?
うーん、「イケルな」と。
だって昔住んでいたし、シェフもやったし、肉担当の総指揮をずっとやっていたからここに来るぶんにはライバルたちはいっぱいいるだろうけど「俺は大丈夫だ」っていう自信はありましたね。
だから懐かしい場所だったし、「隣の町」かな。
違和感がなかった。
4年半昔いたときは結構仕事でならしてたし、もう満足したっていうそこそこの段階で日本に帰ってるから。
― 今のパリの印象は?
変わりすぎてちょっと寂しい。
っていうか経済や政治のおかげでなんかちょっとね
あんまり来た当初の10年前と比べるとなんかこう気持ち的に砂漠じゃないけどなんかこう暗いっていうか来た当初の明るい気持ちよりも・・・
来た当初は太陽をみるような気持ちできたけれども西日をみるような気持ちが今のボクの気持ちかな
― 当時よりパリに魅力を感じないということですか?
うん、10年前よりは。
― その気持ちが日本にお店を開くというのに
つながりはありますか?
あるね。
でもボクは希望や夢を見るのが好きな人間だから日本に行ってもたぶん3年以内でその二つのホテルの店は完璧に、 2年半ぐらいでそういう風になっていますよ。
そのあとはね、これからまたヨーロッパ遠征、イギリスとかモナコとかそういうところへチャレンジして攻めてみたいというのが本音かな。
日本は故郷だから自分の基盤を作るという気持ちがあってこれからの戦いの場はイギリスとかモナコでしょうね。
夢ですからね、夢、夢。(笑)
― パリに来てからご自身の中で
かわったことはありますか?
仕事のことだけれど、やっぱり日本でそこそこ有名だったしお客様もいっぱいついてくれたけれど、その当時に比較すると料理の奥の深さかな。それがようやくできたと思うのが去年、一昨年ぐらいかな。
だからここで帰らないで店を開いたっていうのがボクの成長を促したっていうか、自分をこういう人間にしてくれたのがパリだと思います。そういう意味では感謝しています。
― 料理人をしていてよかったことは?
それは、たとえば客席にいったときにお客様に「どうでしたか」とか聞くと「いい」とか「おいしかった」とかほめ言葉をもらうときが最高の幸せかな。
― 逆に料理人をしていてよくなかったことは?
それはあんまり考えてないけど、ただ親孝行するつもりではじめたものが遠くなっていくっていうのをふと寂しく感じるときがありますね。
― パリのどういうところが好きですか?
フランス料理の中ではパリが一番トップだしパリがトップだということは世界のトップに、頂上にこのパリはあると思うしそこで自分が好きな仕事をできるっていうのは居心地がいいよね。
― 日本は好きですか?
故郷だし、好きでしょう。
― 料理を作る上でのこだわりはありますか?
いっぱいあると思うけどなんだろう。
まぁ、素材をみてそれをどういう風に活かさなきゃ、表現させなきゃっていうところかなぁ。
それは豚一頭から生きてるものを殺して料理するっていうことだし、それは赤ピーマン一個でもトマト一個でも共通することだよね。
― スペシャリテを教えてください。
スペシャリテはジビエ
ジビエの中でリエブルアラロワイヤル、これは野ウサギの料理で、ルイ14世・16世が好んで食べたといわれる料理かな。
それで2000年にフランス一位になっているから、まぁ、自分もその分野がスペシャリテでしょう。
― 今までうれしかったことは何ですか?
そのリエブルアラロワイヤルの賞状を得たときかな。(笑)
― 反対に、後悔していることは?
フランスの税金の高さかな。
― ズバリ今幸せ?
幸せでしょ。
― 吉野さんの未来は?
ボクの場合はね、こういう感じで生きてきているからこれから先もチャレンジを続けていっているでしょうね。
とどまる場所はまだ自分で決めてないから、自分の可能性をもって自分の料理で強者たちと一緒に競争するのが好きだね。
― では、まだまだ冒険中ですね?
もちろん、もちろん!
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