平成13年、九州全域には1700店、福岡市には約四百軒のラーメン屋と約二百の屋台があります。人気店は多店舗展開を進め個性と味を競っています。現状に甘んじることなく、常に未知の世界へのチャレンジを忘れないラーメン店だけがこれからも勝ち残って行くのです。屏風は広げすぎると倒れ、食べ物とデキモノは太くなると潰れると言われています。マスコミに持てはやされた結果、無惨にも堕落してしまった店も数多くあります。驕りが最大の敵だということを忘れない事が何よりも大切なのです。ここでご紹介しているラーメン屋は福岡のグルメ情報誌等で、ラーメン屋の人気投票等で常に上位にランキングされている有名店の情報を厳選して、自ら出かけて食した私的感想を加えて作成したものです。そう、ラーメンは男の戦う料理なのです。さて、今日の一杯は?

コンパクトデジカメでラーメン屋を徘徊?ラーメンは僕の食べ甲斐
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十麺十色

昭和12年(1937)九州トンコツラーメンは久留米で誕生しました。屋台「南京千両」の宮本時男さんが、東京横浜の支那ソバと長崎チャンポンをヒントに作り出したもので、今でも久留米市明治通りでのれんをひるがえす屋台の風情は、文化財的存在と言えます。戦後の九州にはこの店と、福岡市博多区東中州の元玉屋デパート東側の博多川河畔にあった「三馬路」と、博多対馬小路の「浜荘」の二軒の屋台がそのルーツだそうです。「三馬路」は森堅太郎という方が中国を渡り歩いたとき、ラーメンの作り方を覚えて店開きしたもので、独特の平麺と幾分澄んだスープは三代目に当たる博多祇園町の「うま馬」に引き継がれています。「浜荘」は山下信男さんが糟屋郡志免町の「まるせん」で透明感あるスープを今に伝えています。戦後の昭和二十二年(1947)杉野勝見さんの屋台「三九」が開店しました。スープは関東風の醤油ラーメンでした。ある日のこと、母親にかまどの火加減を頼んで買い出しに行き、用事が増えて帰りが遅くなってしまって、慌てて帰り着いた杉野さんの目に飛び込んできたのは、ぐらぐらと沸騰して白濁してしまったスープでした。和洋中華を問わず、スープは澄んでいるのが料理の基本でした。「これでは売り物にならん」と杉野さんは頭を抱えました。捨ててしまおうと思ったものの、開店時間は迫っていました。「まてよ、味付けして見るか?」とタレを注いでみて驚きました。濃厚な深いコクと味「これでいこう」杉野さんの目は光りました。こうして生まれた「三九」のラーメンは人気を呼んで弟子入り希望が絶えませんでした。当時戦後の混乱期、仕事が無く困っている人々が多かったので、お互い商売仇になる所には店を出さない事を条件に、杉野さんは惜しげもなく味の秘伝を教えました。今日曾孫弟子まで含めるとその数は軽く百人を超えると言われています。そして昭和二六年(1951)四ヶ所日出光さんに屋台を譲り、北九州小倉の「来々軒」へと受け継がれて行きました