このコーナーには折に触れて感じたこと、思ったことを気ままに掲載いたします。 随時更新しますので、お時間のあるときにご覧いただけましたら幸いに存じます。
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2009年11月3日(火)「フォーク」
11月に入り、気温もぐっと下がって秋の深まりというより、冬が近づいていることを感じさせられます。今日は、雨に洗われ一層青さを増した空に、色づいた葉が輝いて見えました。
さて、先日近所の大型スーパーに立ち寄ると、催事場で「70年代フォークソング」のミニコンサートというのが行われていました。歌っていたのは、地元で活動しているおじさん(といっても私よりちょっと年上くらい)デュエットで、歌そのものは、細かいことを言えば、時々ハーモニーの音程がおぼつかなかったり、それほど素晴らしいものではなかったのですが、聴いている人たちの嬉しそうな表情が印象的で、明らかに聴衆の心を掴んでいるように見えました。
どんな形どんなジャンルであっても、音楽が心に届くことは、素晴らしいことです。店内を歩きながらふと、以前、私が行きつけの美容師さんに、「音楽だって、聴く人の大多数は素人なんですよ。ピアノのコンサートだって長くて何だか分からない曲よりも、知ってる歌をピアノで弾いてくれた方が楽しいでしょ。」と言われたいたことを思い出しました。
なるほど、子供の頃家で歌謡曲・流行歌の類を全く聴く機会がなかった私でさえ、どこか聞き覚えのある哀愁のあるメロディーの数々は、何かを訴えてくるかのように聞こえましたし、折りしも、今大学の伴奏の授業で、シャンソンを取り上げており、明日の授業の資料として、エディット・ピアフやイヴ・モンタンの歌を聴いてみましたが、やはり心が大きく動きました。
もちろん、私はクラシックの曲を聴いて心が動きますし、もともとクラシックの音楽との付き合いが長いので、そのあたりの境目が今ひとつ実感としてわかりませんが、クラシック音楽は決して敷居が高いものでも、気取らないと聴けないものでもありませんので、ジャンルは違っても心に届く音楽を演奏できたらと思いました。
2009年10月26日(月)「リカバリー」
今日は一日寒いくらいの気温で、朝はちょっとだけストーブを入れてみました。寒いのは苦手ですが、秋の夜の静かな時間を過ごすのは好きです。
先日、買い物に行った際に、テーブル用の大きなキャンドルが気になって、何となく買ってしまいました。ドイツに住んでいた頃は、蝋燭の灯はとても身近で、私もその柔らかい炎の色が好きでしたので、ティータイムというと蝋燭に火を点すことが多かったのですが、日本では、家で蝋燭の火を楽しむなんていうと、ちょっと不気味ちゃんのような印象を持たれてしまいますし、慌しい毎日の中、そういった時間を取ることを忘れていました。
部屋の照明を間接光にして、蝋燭に火を点し、ハーブティーを飲んでみる・・・お金はかからないことですが、ものすごく贅沢な時間に感じられます。事実、リラックスして、心身の癒しになります。
今回、リサイタルの後、なかなか疲れが抜けず、気力のない日が続きましたが、気力がないときには、無理をして頑張ろうとせずに、しっかり休むことが大切だと実感しました。そんな時、はじめのうちは、「これでいいのだろうか」とか「元気になれるだろうか」などとその時の状況を憂いてしまうものですが、人は、休養を取り、心身の疲れがよくなると、自然に次への前向きな気持ちが生まれるもので、少し、時間をかけて待つことが必要なのだと思います。ただ、毎日の生活の中そういう時間を取ることはなかなか難しいことも事実ですが・・・
日本では、「休む」ことへの罪悪感と「忙しい」ことへの美徳感が根強くありますが、人にとって、何かに向かって無理をするくらいの努力をする時間と、リラックスしてリカバリーする充電時間の両方のバランス感が重要で、そして、その両方に素晴らしい瞬間があると思います。
2009年10月18日(日)「プラスα」
秋らしい気候が続いています。先日、国立のいつもお世話になっている歯医者さんに行った帰りに、「昭和記念公園」に立ち寄ってみました。芝生に大の字になって、空を見上げてみると、雲ひとつないまるで透き通るような視界と、風に乗ってほのかに香る金木犀の香り、日差しの温かさに、身も心もストレッチをしたような気持ちになりました。かつてここには陸軍立川飛行場や、米軍立川基地といった戦争に関わる施設があったのですが、今ではその影もなく、気軽に平和な非日常を楽しむことができる場所になっています。
さて、先日新聞の書籍紹介欄に、ピアノにかかわる人必読というような内容の本が紹介されており、早速アマゾンに注文してみました。チャールズ・ローゼンというアメリカのピアニストの書いた「ピアノ・ノート」という本です。まだ、読破しておりませんが、読み進めるうちに、退屈でつまらない内容にがっかりしてしまいました。いかにも文化の土台を持たないアメリカ的、表層的思考に基づいていて、芸術的な香りの微塵もないものです。多分、ピアノに対してこういうアプローチの人は多いのだろうということは想像に難くないのですが、そんな人の演奏など聴きたくもないと思ってしまいました。
その中のひとつに、ピアノは、「強弱と横のスピード以外表現が出来ない楽器」で音色は存在しないとも記されていました。これは、もう20年以上も前に、物理的に一つの強度の打弦に際して、一つの響きしか存在しないといった理論が流行ったことがあり、「科学的」という言葉に弱いピアノ関係者の一部で信奉された馬鹿げた空論なのですが、未だにそんなことを言い続けている人がいたかと思うとびっくりしました。この理論について説明すると長くなってしまいますので、この場ではしませんが、この考え方は、弦を鳴らす際に、空気抵抗も、他の倍音も、ハンマーや鍵盤の雑音(上部・下部共に)も、ハンマーの瞬間的な反りや機構的なブレなどといった現象も全くないという架空の条件下のみ成り立つもので、実際にはあり得ないことなのです。
それに、一つの音ばかりではなく、相互縦横方向のバランスの取り方によって、また、テンポやタイミングの調整によっても色は表現できます。実際に同じピアノで演奏を聴いて、音色の変化を感じることは、それが耳の錯覚の利用であっても、「感じられ」ればそれは、屁理屈で処理できるものではありません。しかも、そのあたりに重要な感性の表現があるように思えます。
大体、音色否定論者は、ファンタジーに欠け、演奏がつまらないものです。私たち演奏者は、現象プラスαのものを伝えようと全霊を傾けて演奏をします。もちろんそれは、作曲者もそういったものを表そうとしてきたに違いありません。そして、それが伝わる時、弾き手聴き手共に本当のライブの喜びを感じるのだと思います。
最近、達者に弾いていてもつまらない演奏が溢れかえっているのも、そのあたりのイメージ力がないからなのでは、ないでしょうか。
2009年10月14日(水)「リハビリ」
金木犀の香りが秋らしさを色濃くしています。
リサイタルの後、疲れが出てしまい、日常の生活への文字通り「リハビリ」のような毎日でしたが、先週の台風での休校など、ちょっとだけ休みを頂くことができましたので、ようやく元気になってきました。疲れたときには、それに応じた回復の時間が必要になりますので、焦らずまずは体を休めることが大切だとということを改めて感じました。
この間、ほんの少しの時間ですが、何となくピアノに向かい、いろいろと楽譜を出してきては、弾いてみました。気になっていたシューマンの「ウィーンの謝肉祭の道化」もざっと全曲譜読みをして弾いてみました。以前書かせていただきましたように、この曲は、「多分一生リサイタルで演奏しないだろう曲目リスト」に入っていた曲の中の一つでしたが、自分で楽譜だけを頼りに弾いてみると、以前聞くたびにうんざりしていた「変な曲」ではなく、実に面白いのです。試験やコンクールで聴くのとは、全く別物の曲でした。タイトルの裏側の気持ちへのインスピレーションも、音から湧いてきます。多分、試験やコンクールでは、そういった曲の魅力を感じるよりも、一生懸命音だけを追って弾いているので、面白さが伝わらないのでしょうね。
ただ、それもあくまでも私が感じるもので、もちろんいろんな感じ方や表現の幅があっていいと思いますが、この曲、もうちょっと弾いてみたいと思います。
2009年10月3日(土)「リサイタルを終えて」
リサイタルの当日は、神経が興奮しているため、終わった後に眠れないことがあるのですが、今回も、ものすごく疲れていると自覚していても、一向に眠りに入れず、結局そのまま翌日の木曜日の朝を迎えてしまいました。木曜日は、朝から大学の授業ですので、何となくクラクラしながら、支度をして6時50分くらいに家を出ました。さすがに車の運転は危険だと思い、電車でいくことにしました。リサイタルの翌日はお休みが欲しいところですが、学生たちに会うとまた、元気になるのも不思議なものです。
大学から帰ると、もう倒れこむように横になってしまいました。
リサイタルの後、多くの方からメッセージをいただきました。一般的に演奏者本人は、自分のミス等に神経が行ってしまうものですが、皆さんの感想は、そんなことよりももっと大切な音楽や、音色についての内容でした。「音の響きが豊かで多彩だった」「パッションが伝わった」「音楽が語りかけてくれてくれた」「心地よい時間を過ごせた」などと、うれしい言葉をたくさんいただきました。音楽を受け取り感じてくださった点、改めて私がピアノを演奏することの意味をかみしめることができ、次にどうつなげていくか前向きに考えさせられました。
演奏は、演奏する人の人間性がにじみ出るのと同様に、聴き手の方の人間性や観点も大きな要素だと感じました。そして、それらがコンサートを作り上げるものだと実感しました。実は、ホールのスタッフの方から、「お客さんのマナーがこんなにいいコンサートもなかなかないです。」とお褒めいただいたのですが、そんな皆様に囲まれ、演奏ができたことを心の底から深く感謝の気持ちで一杯です。
今回のリサイタルで、私自身ものすごく大切なことを得ることができました。私は、見かけによらず、感受性が強く神経の糸が細い面がありますが、余計な迷いから自分を解放し、音楽に向かうことを心がけ、少しでも前に進むことができたらと思います。
2009年9月30日(水)「ありがとうございました。」
今日お蔭様でリサイタルを終えることができました。ご来場くださいました皆様、遠方より応援くださいました皆様、本当にありがとうございました。心より御礼申し上げます。雨の中、また、インフルエンザが流行している中、たくさんの皆様にいらしていただくことができ、幸せでした。
東京オペラシティのリサイタルホールは、響きものよく、規模の点でも、観客と演奏者の距離が遠すぎず、(客席の椅子がもうちょっと心地いいといいのですが)、すきな会場です。
リサイタルは、毎回毎回自分のコンディションを整えることの難しさを感じますが、今回の過程で、このことにもっと積極的に取り組んで行きたいと感じました。
今回、不本意な点の残ってしまった、シューマンの2楽章は、来年のリサイタルのアンコールでもう一度演奏したいと思います。いえ、そうお約束いたします。・・・それにしても何が起こってしまったのか・・・。
今日、生徒の一人が、「先生の演奏を聴いていると、元気というかエネルギーをたくさんもらえる感じがします。」と言ってくれました。その言葉に、「そうだ、もっともっと頑張らねば」、と私がエネルギーをもらいました。
来年は、ショパンとシューマンの作品でプログラムを組む予定ですが、今年より成長した演奏ができるように、取り組んでいきたいと思います。
今日は、本当にありがとうございました。
2009年9月19日(土)「コンディションを整える難しさ」
この一週間ほど、今までの全ての疲れが吹き出してしまったかのように、少々ダウンしておりました。熱はないのですが、言いようのない倦怠感に襲われて、気力がなくなり、外から見て分かるほど奥歯腫れてしまい、さらに、今まで長時間の練習でも平気だった手が、動かすと痛くなってしまい、自由な動きができないような状態になってしまいました。本番前は心身ともに無理が掛かり、何かしら起こるものではありますが、それが今のうちでよかったと自分に言い聞かせてはみたものの、ちょっと困ってしまいました。
今週は、大学の授業も平常に戻り、大学では努めて元気に振舞ってはみましたが、朝はできればそのまま横になっていたい何だかとても苦しい気持ちでした。昨日は、午後たまたま副科の学生がオーケストラの練習でいなかったために早めに帰ることができたのですが、疲れてしまい、ご飯も食べないまま、家に着いたら布団に直行で倒れこんでしまいました。
こういうときは、思い切って休まなくてはいけないと思い、昨夜から、今日は寝坊をしようと決めて寝ました。変なものですがそんな単純なことがちょっと楽しみでした。今朝は7時くらいに起きたのですが、まだ眠かったので、もう一度布団に入り、休みました。今日は休養の日と決め、ピアノを弾いては、横になり、午後も少し寝たりしながら、過ごし、少しずつ回復してきたような気がします。
本番前のコンディション作りというのは、毎回体の様子もスケジュールもちがうので、とても難しいです。ちょうど連休ですので、体調を整え、よい状態で演奏できるように努めたいと思います。
2009年9月13日(日)「練習するのですか?」
すっかり秋になってしまいました。都内でも学校関係を中心にインフルエンザが流行しており、演奏会のように、特定の期日にコンディションを整えなくてはならない状況を控えている身にとっては、少々神経質にならざるを得ません。今日は、夕方出かける用事があったのですが、多少暑くても電車の中ではマスクをして、駅に着いたら手洗いうがいをして・・・と試みてみましたが、まさかゴーグルをして電車に乗るわけにもいきませんので、眼球からの感染は、防ぎようがないのかもしれません。ただ、気になるのは、マスクをしている人のほとんどが、予防のためで、肝心な咳をしている人がマスクをしていないという現状です。
今日は、用事を終えてから、どちらにしても帰宅後にピアノを弾くことのできない時間でしたので、地下鉄に乗らず、一駅歩いてみました。このところ、指も頭も体も疲れが蓄積気味でしたので、秋の夜風を感じながらただ歩くだけという時間も楽しく感じました。
さて、先日、素朴な質問として、「中島さんでも、ピアノって練習するのですか?」と聞かれました。「のだめ」などで、簡単に何でも弾くことができるような表現があった影響でしょうが、一般には「弾く」ことを身につけた人は、練習をしなくていいと勘違いしている方が多いみたいです。このことは、おかしいもので、「のだめ」が放映されていた頃、音大生の中にさえも、練習をしなくても弾けると勘違いして、結局本番で痛い思いをするという学生がいたのです。でも、どんなに世界的なピアニストでも、練習をしなくて上手にはなりません。ただ、違いと言えば、世界的なピアニストの多くは、自分がたくさん練習しているという姿を見せないことと、もう一つは、自分が長時間練習しているという意識があまりないまま、音楽と共に過ごしているという点だと思います。
その上で、演奏というのは、最終的に良くなるかどうかは、心理的な要素の方が大きいものですので、バランスを保つのは難しいですが、健康に留意することはもちろんのこと、ある意味余計な情報を見聞きすることもコントロールしたりしながら、よい方向に模索していきたいと思います。
2009年9月5日(土)「第2回目」
今日は朝から晴れ渡り、昨日とは全く違って、体も軽く目覚めもとても気分がよかったです。こんなにも天候が影響するのは不思議です。人間の考え出した技術がどんなに進歩しても、やはり自然を抜きに生きることはできないということを改めて感じされられました。
今日は、第2回目のリハーサルをしていただきました。家で弾いていたときには「よーし!」と思っていたのですが、いざ響きの環境が変わった中では、弱点もみつかり、あと1ヶ月弱の間の取り組む目標のようなものが分かって、とてもありがたいことでした。皆本番前の私に気を遣ってくださり、「明日本番でも大丈夫!」と応援の声をかけていただきました。もちろん、本心ではなく、気遣いから生まれた言葉(お世辞)であることは、よーくよーくわかっていますが、本番前って、こういう心遣いや自分を応援している人がいるのだということを感じることが、プラスのエネルギーに変化するもので、それによって本当にいい方向に向かうものです。こういった気持ちに応えられるように、残りの時間を一生懸命取り組んでいきたいと心に刻みました。
何より音楽を楽しみ愛すことを忘れず演奏に向かいたいと思います。
2009年9月4日(金)「体調」
以前、気圧と体調について書いたことがありますが、このところ不安定な天候が続いており、体調管理にも注意が必要です。
今日は、たまたま試験も補講もレッスンもなく、貴重なフリーな一日だったのですが、朝から体が重くてだるく、めまいがしそうで、気力が抜けてしまったような状態でした。一昨日もあまり調子が良くなかったのですが、昨日大学で同僚も同じような症状だったと聞いて、天候の影響だと思ってはいたのですが、今日は、あまりに状態が悪かったので、もしかしたらインフルエンザではないかと疑ってしまいました。そういえば、先日乗った電車の隣の人もグシュグシュ・ゴホゴホしていたし・・・。
ちょっとだけ横になって、落ち着いてネットで「インフルエンザの症状」を復習してみました。「のどの痛み、関節や筋肉の痛み、風邪に似た症状、悪寒、高熱」そういえば、私は、のども痛くないし、肩は凝っているけれど、関節や筋肉も痛くない、くしゃみも鼻水も出てない、寒気はまったくない、熱は体温計が見つからず不明・・総合してみると、インフルエンザではなさそうです。
気を取り直して、少しピアノを弾こうと思い、ピアノの前に座ったのですが、集中力がなく、ミスばかり。あまりにひどいので、自分に頭にきて、ミスをした箇所を少し気合を入れて弾いていると、何だか体が軽くなって来て、元気になってきました。
結局、比較的血圧も体温も低めな私は、気圧が低いことが影響して、低血圧になってしまっていたようで、ピアノを弾いているうちに少しヒートアップして、血圧が上がり、元気になったみたいです。インフルエンザでなくて良かったのですが、血圧は、高血圧の人は血管の疾患が命に関わる危険性を持っている一方で普段は比較的元気なのに比べ、低血圧の人は、症状が現れやすいそうです。このところ少しバテ気味でしたので気候の影響を受けやすくなっていたのでしょう。
その後は体調も回復して、元気に動けるようになり一安心です。
今インフルエンザが大流行し始めました。インフルエンザの予防には神経を使わなくてはならないと、今日改めて思いました。
2009年8月28日(金)「無事」
今年も無事誕生日を迎えました。メールやお手紙などで、たくさんのお祝いのメッセージをいただきありがとうございました。
子供の頃、44歳なんてすごく「オジサン」だと思っていましたが、自分とは毎日付き合っているので(当たり前ですが)、本人は、以前とさほど変わっていないと思うものです。でも、同級生たちからは、ドライアイに悩まされたり、細かい字が億劫になったり、腹回り豊かになったり・・・といったことを聞き始めており、(ちなみに私はまだ細かい字も楽譜も平気ですが・・)確実に老化の道を歩んでいるのだと思い知らされます。先日などは、衆院選のポスターを見て、「オッサン」だと思っていた人が、何と同じ世代だったことが分かり、愕然としてしまいました。あーやだやだ。幸い自分の顔は、見ようと思わなければ見えませんので便利ですが・・・。
毎年、誕生日の頃には夏が終わりを告げ始めます。夜になると虫の声が聞こえるようになってきました。このところ、秋にリサイタルを計画しているので、あまり夏の日差しを感じるような機会がなく、ほんの少しさみしさも感じますが、反面、ピアノを弾くことで一日費やしてしまうような日を過ごせることは、私にとって数少ない静かに自分自身と語り合える幸せな時でもあります。同様に、リサイタルの直前、お仕事を休ませていただき、ピアノを演奏することだけのことを考えていればいい時間も、緊張との闘いではありますが、結構好きです。でも、そんな「演奏家モード」に入ろうとしている時に限って、毎年必ず、「当日券はありますか?」「明日は行かれないので、せめて声だけ聞こうと思って・・」などという電話に悩まされてしまうのですが・・。
学校も動き始めていますし、いずれにしてもこの1ヶ月しっかり取り組んでいきたいと思います。
2009年8月23日(日)「電話が通じない!?」
書き忘れたことがありましたので、珍しく連続しての更新です。
昨日のことです。松尾楽器からの折り返しの電話を待っていたのですが、一向に電話が来ません。どうしたのかなあと思いながら、ふと嫌な予感がして、自分の家に携帯から電話をしてみると、携帯の耳元では「ツー、ツー、ツー」と話し中のような音が鳴り、家の電話機はまったく何の音もしないのです。発信は出来るのですが、着信が出来ない状態になっていました。そういえば、この数日電話が来なくて、平和な日々でした。
ちょうど3年ほど前ですが、やはり同じような症状が起こり、NTTに回線の修理を依頼したことがありました。早速、NTTに来てもらい、調べてもらうと、3年前に交換修理をした外部の保安器の関係の不具合でした。当たり前に通じるはずの電話が、3年に一度故障なんて困ってしまいます。
というわけで、もしもこの間お電話を下さった方がいらっしゃいましたら、着信拒否でもなんでもなく、故障でしたので、どうかお許しいただきたいと思います。
2009年8月22日(土)「ピアニストはお尻が痛い!?」
青柳いづみこさんの本のタイトルではありませんが、ピアノを弾いて長時間椅子に座っていると、お尻というか大腿部というかとにかく椅子にあたる部分が、床擦れと同じような具合に痛くなってしまいます。
私は、学生の頃から、コンサート用の背もたれのない椅子を愛用していましたが、古くなり少しガタがきてしまいましたので、新しい椅子が欲しいなあと思っていました。最近では、生徒に使うヤマハの背もたれ付きの椅子をよく使っていましたが、あれは椅子の縁が木で硬くなっていて、その部分に当たるところが特に痛くなってしまって、私はあまり好きではありません。
昨年、ウィーンでドイツ製のガス圧式の椅子が気に入り、欲しいなあと思っていました。ウィーンのベーゼンドルファーのお店で、日本に送ってもらえないか聞いてみると、好意的な反応でしたので、うまくいくと期待していたのですが、オーストリア人って、ものごとをきちんとできないというか、結局何だかうやむやになって、私も面倒になってしまってうまくいきませんでした。ベーゼンドルファーってつい数年前まで何年もの間、設計ミスのままのピアノを出荷していた会社ですから、やっぱり仕方がないのだろうと自分に言い聞かせ、あきらめました。
帰国後、ネットで調べてみると、同じものがあったのですが、ヨーロッパでの値段が約300ユーロだったのに比べ、何と15万円というのです!!いくらなんでもそれは酷すぎます。またもや挫折してしばらくあきらめていましたが、最近のこと、松尾楽器に電話をしてみて、まず、そういった製品を扱っているかどうか、そして値段がいくらかを聞いてみました。すると、確かにドイツ製のガス圧式のベンチ型の椅子があるとのこと、値段は99750円ということでした。
いろいろ考えましたが、最近座っているのがちょっとしんどくなってきたので、リサイタルの前に、お尻が痛くならない椅子が欲しいと思い、先日、附属校のセミナーの帰りに、松尾楽器に寄ってみました。「ありました!!」これを探していたと話すと、値段もぴったり9万円でいいとのこと。9万円そのものは大きな金額ですが、考えてみると、300ユーロは5万円弱、送料や関税を加え、手間を考えたら全然悪くない値段です。即決で買ってしまいました。
前置きが長くなりましたが、それが今日届きました。梱包を解くと、待ちに待ったそのものです。すわり心地は抜群!これで長時間の練習も楽しくなります。日本ではまだあまり見かけませんが、先日、TVでアンデルジェフスキもリサイタルで使っていましたし、堅固で安定感もあります。
しかし、見てみると、脚の部分にゴミのようなものが・・更によく見ると、ゴミではなく、塗料が剥がれたキズがあったのです。機能には支障ないけど、初めからキズは残念ですし、そこから錆びが出たら嫌ですので、松尾楽器に電話して聞いてみると、大変丁寧に応対してくださり、すぐに新しいものと交換してくださるとのことでした。そして、倉庫からの直送ではなく、一度状態を確認してくださると約束してくださいました。さすがです。信用ってこういうところから見えるものだと感心しました。実は、それが届くのがちょうど私の誕生日ですので、自分へのいいプレゼントだと思います。
2009年8月21日(金)「Concert Hands!?」
今日は、ふと思いついて、これまで伸びっぱなしになっていた髪を切って来ました。私は、自分の顔を見て楽しむ趣味はありませんので、普段あまり鏡の前に立ちませんが、今日は、探し物がなかなか見つからずイライラしていたら、何だか髪も鬱陶しくなってきてしまって、即美容室に電話をしてお願いをしました。おかげで気分もさっぱりしました。
さて、今日のYahooのトピックスに“手に装着すればすぐにピアノが弾けるようになる「Concert Hands」”というのが出ていました。ロボットハンドを人間の指に着けて強制的に指を動かし、それによってピアノが弾けるというものだそうです。何だか画期的なのかくだらないのか・・私は「くだらないもの」として一票を投じたいです。鍵盤が光ってそれを頼りに弾く電子ピアノというのはありましたが、このギブスのような装置では、自分の意志とは関係なく指を動かされてしまうだけです。それって楽しいのでしょうか??心と運動が別というのでは、表現にも情操にもなりません。それに、ピアノは指だけ上下に動かして弾けるものではありません。
ロボット技術の進歩として喜ばしく思っても、くれぐれもこれが演奏に役立つものなどと思わないようにして欲しいです。
2009年8月18日(火)「朝のひととき」
私は、毎朝どんな形でも朝食をとるようにしています。慌しかったり、少し寝坊してしまった時にはクッキーをかじったり、通勤の車の運転中にパンをかじったりしてしまうこともありますが、普段は、短時間でもなるべく朝食の時間を確保できるようにしています。そして、この朝のひとときがとても好きです。
メニューは至って簡単なのものです。オーブンの予熱ができたら、パンとソーセージと卵を同時に入れ一気に焼き上げる。これに野菜ジュースとコーヒー、そしてプリンを加えた、これが定番朝食セットです。最近のお気に入りは、パンを焼く時にとけるチーズを載せておいて、その上に好きなジャムを載せて食べることですが、先日テレビで、トーストには納豆ととけるチーズの組み合わせも合うとか、プリンを載せて焼くとおいしいとか、意外な組み合わせも可とのことでしたので(・・本当においしいのでしょうか??)、これから少しずつレパートリーを増やしていこうと思います。
朝は、窓や玄関を開けて、家中を風が通るようにするのですが、この自然の風が涼しくてとても気持ちよく、朝食にはぴったりです。少し時間のある時には、この風を感じて、ゆっくりとコーヒーを飲みながら、音楽(大体ピアノ以外のもの)を聴いたりもするのですが、ほんの10分でもそんな時間が取れると贅沢に感じます。
朝食がおいしい時はやはり一日気分がいいようです。
2009年8月17日(月)「たくさんの電話・・」
今日は、夕方以降、あちらこちらから電話やメールが来ました。ピアノを弾き始めると電話が鳴り・・といった具合で。それぞれ悩みや、愚痴などの相談でした。そういうことに私が役に立てれば嬉しいといえば嬉しいのですが、神経を集中させて取り組んでいる時には、ちょっとばかりストレスに感じてしまいます。マイナスの気持ちをたくさん含んだ話を聞くと、話し手がすっきりする反面、聞き手の気持ちの中には、もやもやしたような、何とも不快なものが蓄積してしまうものです。
先日、私は戦争を起こすことの愚について考えましたが、日常の生活の中でも、ほんのちょっとした思いやりや、我慢がないために起こる争いごとが多々あります。きっと大きな戦争も、大義名分は立てても結局これに似たようなものが拡大して起こるのではないか、やはり人間の愚かな部分の表れではないかと思います。私は、もともと争いごとが嫌いなので、いろいろな話を聞いていると、もう少し人と人との円満な関係がもてないものだろうかと思ってしまいます。
多くの人と関わる中では、誰もが自分の意志を全て叶えられるわけではありませんから、生きていく上で傷つくことはたくさんありますし、傷つけてしまうこともたくさんあります。しかし、それには、仕方のないことと、頭でコントロール可能で防ぐことができることがあると思います。
例えば、恋愛のような場合、好きか嫌いかは、理由がどうこういうわけではく、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いなのですから、これで傷ついてしまうことは仕方のないことです。よく、ドラマで「私がここまで言ってもだめなの?」などという台詞もありますが、それは「だめ」なのです。セロリの嫌いな人の口に、セロリを一杯突っ込んでも嫌は嫌なのですから。しかし、もしも、このとき、酷い言葉によってお互いに攻撃をし合ったりすることになってしまえば、それは人としてすべきではない領域になり、争いごとのもとになってしまう可能性もあります。しかし、その争いの元は、頭でコントロールすれば防ぐことができるものです。
私も、思ったことを直球で言うこともありますが、その人の表出している現象に対しては辛口トークができても、その人の根源に関わることや、それだけは言ってはいけない決定打は、決して口にしないようにしています。
何事にも調和ということが大切ですから、お互いに中庸なポイントを見出して、しなくてよい争いは避けるようにしたいものです。
2009年8月15日(土)「終戦の日にふと思う」
今日は終戦の日です。終戦の年昭和20年は、私が生まれる僅か20年前のことです。今から20年前を考えてみると、確かにかなり前のことですが、記憶が薄れるほど過去のことではありません。私が生まれた頃は、まだまだ人々の記憶の中に戦争のことが生々しく残っていた時代だったのだと思います。また、もしアンネ・フランクが生きていたら、今年80歳です。そう考えると、現在の社会からは大昔のことのように思われている戦争もそう遠い過去のことではないことに気づきます。
私が子供の頃、よく母から、戦争当時高等女学校の生徒だった母が見た甲府の空襲の様子、焼け野原になって学校がどこにあるのか分からなくなってしまったこと、街には、亡くなった方を積み込んだトラックが走り、一連寺というお寺の庭に大きな穴を掘ってそこに運び込んでいったことなどを聞きました。そして子供なりにその光景の恐ろしさに震えたものです。
誰もが平和を望んでいるに決まっているのに、今なお世界に紛争は絶えません。悲惨な記憶が薄れると、また新たな争いが始まる。やはり、戦争というものを語り継いで、二度と起こしてはいけないという気持ちを忘れてはいけないのだと思います。
そんな願いから、私も2003年から、語りの神田さち子さんと共に、平和に関わる題材で、共演しています。
これまで多くの戦争にまつわるドラマや映画が製作されてきましたが、最近では、制作側で「戦争=視聴者を泣かせられる」という平和を願うという意図とは違う目的で作られ、演出されることが多く見受けられます。また、それがあからさまに前面に出ているものは、あまり見たくありません。
実は、私が神田さんと何度もステージを踏んでいる「『月光』〜伝えたいあの日の記憶〜」は、映画の「月光の夏」とは別に、神田さんが時間をかけて実際に何度も取材を行い、私たちの手で、シナリオ原稿をまとめたものですが、2007年にオペラシティでの公演で好評を得た後、一度プロの脚本家に原稿や演出をお願いしようとしたことがありました。しかし、やはり、その脚本家の方は、大切な平和へのメッセージよりも、「どう見せるか」といったことの方に興味があったようで、私にはその演出がとてもチープに見え、また、主人公になるピアノを演奏した青年が、ピアノを弾きたいと思った気持ちへの理解がなかったので、私は全然気に入りませんでしたし、それでは私は舞台に立ちたくないと思っていました。結果的にその時の公演は他の理由でキャンセルになりましたので、その草稿もお蔵入り。結局その後の公演も、以前の私たちの手作りの原稿を改編しながら行っています。そして、ピアノさえあれば、高校の体育館だろうがどこだろうが二人に行こうと決めています。
今の日本では、世界で戦争が起こるなど想像もつきませんが、戦争を正当化する理由などなく、戦争はあってはならないものだということ、そして、それを食い止めるのも、それをするのも人間の力、知と愚の力であることを忘れてはならないと思います。
2009年8月10日(月)「雨とミラクル」
週末は大阪にコンクールの審査に行ってきました。このところ、時間的にも、気持ちの上でもあまり余裕のある生活をしておりませんでしたので、久しぶりに飛行機に乗って出掛けること、ピアノを「弾けない」状況下にいることが、ほんのちょっと楽しみでした。
今回は、PTNAのグランミューズ部門で、大人の部門でしたので、採点ということだけではなく、ステージの上で意図することが、客席にどうプラスまたはマイナスに伝わるのかなど、勉強になる面もあり、興味深かったです。
さて、私の晴れ男話題は以前も書いたことがありますが、今回も偶然と言うにはあまりにも驚いてしまうようなことが重なりました。
昨日、大阪は朝からかなり強く雨が降っており、ホテルからホールまで向かうタクシーの中、「タクシーを降りる際、ホール入り口まで傘をどう差したらいいか・・靴が濡れてしまっては嫌だなあ・・」などと、・・同乗していた先生との会話は上の空で・・、思案しておりましたが、いざタクシーがホールに着くと、何と雨は一時休止状態になり、濡れることなく無事入り口まで行くことが出来たのです。
また、私は、昨日の最終便で帰京することになっておりましたが、ホールを出る際にも全く雨が降っておらず、西日本で大雨の最中、飛行機の便にも全く影響なく、無事東京まで戻ることが出来ました。そして、更に、東京では、電車からは雨模様が見えましたので、駅を降りた後のことを心配しておりましたが、最寄り駅に着いて外に出ると、ついさっきまで雨が降っていたことを思わせるように、軒先からは雫がボタボタ落ちていましたが、雨は全く降っておりませんでした。
そんなこんなで、念のために持っていた傘は一度も開くことなく、家まで帰ってくることができたのです。嘘みたいな話ですが、誇張なしの事実です。私自身がびっくりしています。こんなこともあるのですね。いずれにしてもありがたいことでした。
2009年8月3日(月)「第1弾」
今日は、親しい先生方に“リサイタル2ヶ月前の会”をしていただきました。まだ通しの練習をしておりませんでしたし、まだまだ人に聴いていただける状態ではありませんでしたが、人前で弾く緊張感の中、練習の課題が見え、とてもよい経験をさせていただきました。やはり、少しでも不安を抱えているところは、弱点になってしまいますので、それらを一つ一つ克服していかなくてはなりません。また、演奏は少なからず緊張の中でするので、その中でも確実に演奏するためには、普段の精度を上げ、それを自分のものにするために、「弾き込み」が必要になります。今日の経験を生かし、これからの1ヶ月を取り組み、また、1ヶ月前の会をしていただいて、成長を示すことが出来るようにしたいと思います。
忙しい中、こうして時間を割いていただく先輩方がいることに心から感謝し、明日からのエネルギーにしたいと思います。
2009年8月2日(日)「成田−パリで!?」
今年は、気温の高い日はあっても元気な夏の日差しがなかなかなくて、少々寂しい気がします。
さて、一昨日、ふと飛行機のマイレージの有効期限が来ることを思い出し、慌ててマイレージクラブに電話を入れました。
特典航空券と交換したいと思ったのですが、まだ具体的にいつ旅行可能かわからない状態ですので、とりあえずオープンチケットを発券してもらうことにしました。「どちらの区間をご利用ですか?」と聞かれ頭の中で「フランクフルト・・・」と思いながら、とっさに「成田−パリでお願いします」と言葉が勝手に口に出てしまいました。
と言うわけで、一昨日から一年以内に出発しなくてはならないそうですから、この一年以内にパリに行くことになりました。実は、フランス語の勉強が中断してしまっていますので、また再開しないといけませんが、まあリサイタルが終わってからでしょうか。
でも、こんなことがあり、少し楽しい気持ちになりました。
2009年7月29日(水)「心身のバランス」
二週間ほどご無沙汰してしまいました。小学校〜高校では、既に夏休みに入っていますが、大学では、まだ授業があり、加えて様々な行事が入っておりましたので、慌しい中で7月の終わりを迎えました。・・・気づくとリサイタルの2ヶ月前!!
昔は、最短2ヶ月前に譜読みを始めればリサイタルができるというのが目安でしたが、いつ練習時間が確保できるか分からないといったような生活の現在では、2ヶ月前というのはそろそろ警報タイマーが鳴り始める時期といった感じです。当たり前のことですが、演奏というのは、音を弾ければいいというものではないですから、いくら時間があっても足りません。何とかして自分の時間を確保しなくてはと思う毎日です。
また、ピアノを弾くことに神経を使うと、パソコンに向かったり、メールを読んだり書いたりという普段何でもないような作業が億劫になってしまい、様々な連絡が滞ってしまいます。・・困ったものです。
そんな神経の捩れを戻すためには、やはり体を動かすことがいいようです。朝、車で大学まで行き、一日レッスン室の中で過ごし、帰宅し、ピアノを弾き・・といった生活では、恐ろしいことにほとんど運動らしい動きをしていないので、それを解消するために、このところまた少し泳ぐようにしています。といっても大したことではなく、ピアノを弾き終わった後、夜な夜なプールに出掛けていっては、ちょこっと泳いでくる程度・・十分怪しい生活ですが・・・です。たまにクロールで全力で泳いでみたり、ぷーかぷーか平泳ぎをしてみたり、泳いでいる最中は、頭を休めて体を動かすので、いいバランスです。
2009年7月15日(水)「ピアニスト」
先日話題にしました、アンデルジェフスキのある会話の中で、ピアノを弾くということだけに完結してしまう「ピアニスト」には興味がないという内容がありました。例えばホロヴィッツなどはその典型的な存在で、それは、歌手で言うとパバロッティとディースカウの違いのようなもの。・・・ととても分かりやすい説明でした。彼の演奏に共感するのは、こういった彼の音楽観への共感もあるのかもしれませんが、私も普段同様に感じているので、心の中で大きく頷いてしまいました。ただ、私は、「興味がない」訳ではなく、ある意味「ピアノ馬鹿」と言えるようなこの種の人々に、自分にはない憧れ!?を感じることもあります。
少々飛躍しますが、折も折、今日友人との会話の中で、単に初見がきくとか、指がよく動くとか、弾く技術を持っているだけで、音楽の本質に深く目を向けようとしない、音を弾くということに完結してしまう・・、この手のピアノ教師や学習者が多すぎるのではないか、という話題になり、あまりにタイムリーなテーマで、話に花が咲きました。もちろんホロヴィッツとは全く次元の違うステージでのことですが・・。
それに、音楽は、人間性の現れですから、知識と共に、人として自己を磨くことも大切なことは言うまでもありません。
2009年7月13日(月)「TX」
昨日つくばでコンクールの審査をしてきました。私は、普段つくばに行く用事などないので、今回初めて「つくばエクスプレス」に乗りました。(通の間ではTXと言うそうです。)乗ってみると、名前の通りのエクスプレスで、びっくりしました。車両は普通の電車なのに、かなりのスピードで走行し、つくば〜秋葉原間を45分で走りぬけます。敢えて言うと、ちょっとうるさいのが難点ですが、数年前に土浦からバスに乗って行ったことを考えると、この路線のおかげで随分便利になったと思います。
さて、昨日は、朝9時20分から夜20時20分まで、何と拘束時間が11時間に渡る審査でした。・・ちょっと疲れてしまいました。もう長いこと審査には関わっていますが、注意深く演奏を聴かなくてはいけない上に、コメントを書き続けるというのは、神経の疲労ばかりではなく、右手の負担も大きく、大変な作業です。今日は案の定、右手の人差し指を中心に手が痛く筋肉が強張ってしまって、ピアノが弾けませんでした。やはり自身がピアノを弾く人間はしてはいけない作業なのだろうかと思いますが、とにかく早く回復してくれないと困ってしまいます。
2009年7月10日(金)「誕生!!」
今日、新しい命が誕生しました。妹に二人目の女の子が生まれたのです。このところ悲しい知らせが続いておりましたが、今日は本当に嬉しい知らせです。誕生というものすごいエネルギー!黄金のように輝いて見えました。生まれたばかりの姪は、元気に手足を動かし、とてもかわいいです。
皆で笑顔になること、喜ぶこと、この素晴らしさ!ありがとう!そして、出産お疲れ様!よく頑張りました。
2009年7月7日(火)「七夕」
今日は七夕です。子供の頃は、家で大きな笹(竹)を飾り、短冊に願い事を書いて、窓から入る夏の風を感じながら、歌を歌ったり、ピアノを弾いたり、お話をしたり、ゆっくりと夜を過ごしたものです。私は小学生の頃、宇宙にとても惹かれ、天体図鑑や百科事典を見ては夢を膨らませていましたが、そのきっかけには、七夕や、星座などのお話が少なからずあったのかもかもしれません。
子供の頃、多くの自然に触れ、物語に触れ、よく遊び、好奇心旺盛で想像力の豊かだった私は、いつも頭の中に何かアイディアを抱いており、それは、音楽をする上で、とてもプラスになっているように思います。最近では、心の教育をする前に、「弾き方」を教え込み、正確に指を動かし、精度を上げていくだけのピアノ指導が流行しており、それによって、子供のコンクールで優秀な賞をとって満足してしまうことが多いようですが、音楽は、心や想像力と切り離して考えられないものですから、もう一度、目を覚まして、子供にとって本当に大切なものを育てられるように考え方をシフトしていきたいものです。遊ばない子供は成長しません。
余談ですが、高校生の頃、シューマンの「In der Nacht(夜に)」の物語を読んで、音一つ一つの表情が映像のように思え、それまでの疑問が全て解けたような思いをしたことがありますが、私の中では、そのどこかに七夕のイメージが入り込んでいたことも、ちょっと笑える事実です。
2009年7月4日(土)「ショパンの講座」
今日は、東邦エクステンションセンターの講座で、「ショパンの生涯と作品」というタイトルで講義をしました。
ショパンの39年の人生は、決して長いものではありませんが、とても2時間の講座で語り尽くせるものではありません。私は、これもこれも話したいと思いつつも、時間の制限と闘いながら、お話を進めました。今回は、人間としてのショパン像に触れてほしいという狙いがあったのですが、講座の後「今までの『ロマン派の偉大な作曲家ショパン』というより生身の一人の男性としてのショパンさんに出会えたような気がします」という感想をいただき、本当に嬉しく思いました。加えて、「先生の演奏を聴いて、心に酸素をいただいた気がします。」というメッセージ。嬉しかったです。
ショパンは、私にとってやはり特別な作曲家ですので、こうして今回もう一度彼の足跡を辿ることができ、とてもいい経験になりました。それにしても、彼がポーランドを去るシーンは、話していて胸が詰まってしまいます。
そんな思いの詰め込まれた彼の作品、やはり1音1音魂を込めて弾きたいものです。
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