| 3・1ビキニデーに参加して |
今年は3月1日が日曜だった為、念願だったビキニデー(※1)全国集会に、 日帰りで参加する事ができました。 朝9:30、焼津駅前から、のぼりやプラカードを持ち、思い々のゼッケンを 付け、久保山愛吉さん(※2)のお墓まで行進しました。途中、商店街や住宅地 を歩いていると、地元の人が手を振ってくれたり、ご苦労様と声をかけてくれた りしました。 第五福竜丸が係留されていた港は、コバルトブルーの穏やかな入り江で、写真 等で見た無残な船の姿が、なおさら陰惨に思い出されました。 自分の足で現場に出向いて、自分の目で確かめて、体験者の生の声を直接聞い て、自分の五感で感じるということが1番大切と思いました。 折しも、NHKの「その時歴史が動いた 3000万の署名 大国を揺るがす −第五福竜丸が伝えた核の恐怖−」(2/18放送)で、原水禁運動の原点となっ たと取り上げられていましたが、日本の三大国民運動の一つである母親運動の産 みの親という事にもなる訳で、私たちの署名運動や、毎年欠かさずに続けて行く ということが無駄ではなかったと、確信を持つ事ができました。 午後の全体会もとても感動的な内容でした。高校生のグループが、行進や全体 会のステージに参加していて、頼もしく思いました。川崎からは35名、県では 180名、全大会は1600名の参加者でした。 皆さんもぜひ一度は参加してみてください。 新婦人宮前支部 こぶし班 栗田きよみ ※1 ビキニデー:3月1日。1954年(昭和29年)、米国が行った水爆実 験により第五福竜丸等多くの漁船がビキニ環礁で死の灰を浴びた日を記念 し設けられた原水爆禁止運動の日。 ※2 久保山愛吉さん:第五福竜丸乗組員最年長(当時40歳)で無線長として 慕われていた。「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」との言葉を遺 し、放射能症で乗組員内最初に亡くなった。 |
第五福竜丸は、都立第五福竜丸展示館に保存されています。 |