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泉鏡花の小説『草迷宮』を中心に、『沼夫人』『星女郎』『河伯令嬢』を入れ込んでまとめられた作品。 鏡花の作品は読むのも多少難解なのだけれど、今回の舞台は複数の物語が組み合わされていることもあって、観ていてもストーリーがわかりにくい。 ビジュアル的にわかり易い舞台に仕上げる蜷川の手によっても、ちょっとゴタゴタした感じ。 とはいえ、冒頭のぼおぅっと光る水槽が浮かび上がる場面や、巨大な手毬が赤いレーザー光線の糸で糸車に繋がる場面、背景に広がる巨大な満月など、強烈に印象に残るような道具を登場させる手法は面白い。 鏡花の世界観とは多少ずれるような感じもするが、妖しさは充分出ていたと思う。ただ、ちょっと気品が足りなかったか。 浅丘ルリ子の凛とした佇まいは鏡花の作品の登場人物としては申し分なく、ぴったり。 ただ、田辺誠一は古い日本的な空間の中では、少し違和感を感じた。 辰巳琢郎も落ち着いていて良かったが、多少トーンが低いのが気になった。 舞台の最後、蜷川の演出では、観客を無理矢理現実に引き戻すような印象を受ける事が多いのだが、今回はその極致を見たような気がした。 浅丘と田辺の二人が手に手を取り合って舞台奥に進んでいくと、奥の扉が開き、その向うに駐車場が。 これまで観せられていた空間とは全く異質というより、正反対の空間をまざまざと見せつけられる。 渋谷の雑踏の空気が劇場内に急速に入り込んでくる。 事前にある程度聞いてはいたが、実際に“それ”を目の当たりにすると、相当な戸惑いが広がってくる。 客席の反応は、中には失笑が漏れたりもしていた。 自分は失笑こそしなかったが、これまでガラスの器の中につくり込まれてきた鏡花の異世界が一瞬にして暴力的に消され、色褪せてしまったように感じられた。 蜷川の確信犯的な演出であることは良く理解できる。 しかし、この結末がうまくいっているとはどうしても思えなかった。 何を意図した演出なのかということは様々な議論があると思うが、自分には理解できない点が多すぎた。 現実の世界と、鏡花の異空間を並列して見せたとき、鏡花の世界は現実の世界にその座を明け渡してしまう。 確かに鏡花の作品の中では、妖しい世界に迷い込んだ主人公は現実の社会に戻ってくるのだが、それは必ずしも暴力的な方法によるものではない。 急に舞台外の駐車場に通じる扉が開かれ、騒音が、排気ガスが、訳を知らない通行人の不思議そうな顔つきが、目の前に広げられることは決してない。 現代社会と鏡花の世界との対比はあまりにも酷である。 美しいガラス玉はアスファルトの上に叩きつけられ、粉々に砕けてしまった。 賛否両論あるとは思うが、あえて言えば、ここで鏡花の世界を破壊する必要があったとは感じられない。 あえて壊したのであれば、色褪せてしまった舞台上の世界は、蜷川の作り出した(あるいは岸田の作り出した)鏡花の世界ではなく、擬似鏡花の世界にすぎなかったのだろう。 |
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