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M2.4.13-4.14 |
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このあたりで二股口防戦を受け持った土方軍の動きに目を向けてみたい。
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M2.4.12-4.17 |
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伊庭八郎はどうしているだろう。
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M2.4.17 |
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清部まで敗走した旧幕府軍は、同地で体制を立て直しをはかったが、陸からは怒涛のように敵の軍勢がに攻め寄せて来るし、海からは軍艦5隻(「甲鉄」「朝陽」「丁卯」「陽春」「飛竜」)が容赦なく砲撃してくるしで、ついに総瓦解して折戸台場へ退いた。
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M2.4.17-4.18 |
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敗走した旧幕府軍は辛うじて松前城に逃げ込んだが、新政府軍が四方から攻撃してきたために、城に掲げてあった日章旗を下ろし、門を開いて福島方面へ退いた。 |
| <旅行こぼれ話> H15.8.15 松前市・法華寺の墓地で、元会津藩士・大庭久輔(享年25歳)と元水戸藩士・関清輔(享年?)のお墓を発見。 この2人は、松前から脱出できずに法華寺に逃げ込んだ後、4月20日にお寺の墓地で切腹しました。 共に新選組隊士だと言われていますが、新選組は松前戦に参加していないので真偽は不明です。 |
![]() お墓は昭和になって建てられたもの。 きれいな花が供えられていました。 |
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M2.4.17-4.18 |
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万一、木古内が敵に破られれば、前と後ろから挟撃されることになる。
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M2.4.19-4.20 |
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木古内方面のその後の動きは以下の通りである。
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M2.4.20 |
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星恂太郎は稲荷山に登って、四方の敵を眼下に見下ろし、自ら銃を取って、敵兵数人を撃ち殺したが、旧幕府軍が瓦解敗走したことにより、殿(しんがり)になって兵を退いた。 |
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M2.4.20-4.21 |
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泉沢で兵を休ませていた所、本多幸太郎が伝習隊を、太田貞泰が額兵隊を率いて、茂辺地から応援にやって来た。さらに、当別からも、秋山茂松が衝鋒隊1小隊を率いて駆けつけた。 |