![]() |
榎本ら生き残った幹部たちが戦死した旧幕府軍兵士の霊を弔うために明治8年に建立。 碑銘の三文字は大鳥圭介の字とされているが、碑には揮毫者の名前も建立発起人の銘もないので実際の所はわからない。 ただその背面には、以下の16文字が刻まれている。 明治辰巳実有此事 立石山上以表厥志 「明治辰巳に実にこのことあり。山上に石を立て以ってその志を表す」 |
|
M2.5.13-5.15 |
|
「蝦夷錦」では、弁天台場が新政府軍に降伏したのは5月13日とされている。 |
| <旅行こぼれ話> H15.8.11 「八郎君墓は箱館五稜郭、土方歳三氏の墓の傍らにあり」 明治32年9月10日に上野東照宮で開催された「伊庭八郎を偲ぶ会」での出席者のひとこと。 下の画像は片上楽天という人が、大正時代の調査結果に基づき「伊庭八郎埋葬の地」として発表した場所です。 けれども片山氏は、ここに伊庭八郎と共に埋葬されたのは、酒井兼二郎、川井卓郎、松村五郎、田上義之助、田島安二郎、石島徳二郎、秋山重松の7名としており、土方歳三の名前は出てきません。 田村銀之助の発言が真実なら、伊庭さんは陸軍隊隊長の春日左衛門と同じ部屋で共に服毒自殺したことになりますが、春日さんの埋葬場所は「五稜郭東門より北東方向の土塁沿い」だそうです(遺族が遺骨を発掘し持ち帰ったそうですが真偽は不明)。 五稜郭でお仕事なさっている方に、「ここが伊庭八郎や土方歳三の埋葬地だと言われているのに、どうして案内板を立てないのですか?」とお聞きした所、「確証がありませんからねえ」とのことでした 桜を植える作業をしていた所、軍服を着た遺体が発見されて大騒ぎになったという話を、老人から聞いたことがあるとおっしゃっていました。 |
|||
|
|
M2.5.17-18 |
||
|
千代ケ岡台場の最後は悲壮だった。
|
前へ 完
| - あとがき - (その1) 最後までお付き合い頂いた方、本当にありがとうございました! 伊庭八郎の最期の地をたずねるべく函館へ行くことにしたものの、箱館戦争のことを全く知らなかったので、この際、調べてみようという気になりました。 複数の史資料を読み比べながら、おもしろい逸話などを取り上げつつ、箱館戦争を最後まで追いかけてみたわけですが、史料によって日にちが違ったり、人物の名前が違ったりで、思ったより大変な作業でした。 日にちなどは、きちんと調べるべきですが、時間がなかったので、史実を検証するどころか、誤字脱字も無視して、とりあえず最後まで進めてしまいました。 箱館戦争に関する史料を読み比べていくと色々なことがわかります。 「蝦夷錦」と「星恂太郎日記」と「仙台戊辰史」は内容がとても似通っているし、「島田魁日記」と「箱館戦記」にも多くの共通点が見られます 書き手の思い入れによって、特定の人物にスポットが当っているのも、おもしろい所です。 旧幕府軍兵士が書き残した史料の多くは、新政府軍に投降した後、謹慎中にまとめられたようで、同じ場所に謹慎していた者同士、互いに情報交換しているようです。 ですから、情報交換する相手のいなかった大鳥圭介の記した「南柯紀行」あたりは、日にちにずれがあると共に、内容もちょっと独特です。 戦争中であるにも関わらず、残酷な行為をことさら嫌い、被害を最小限に留めようと努力している点も印象的でした。 史料を補足するものとして、3冊ばかり解説本のようなものを読みましたが、事実と異なる点も多々ある上に、作者の思い入れが強すぎたりして、参考にはなっても、鵜呑みにするべきではないと思いました。 ということで、この「箱館戦争を追え」も、特定の人物に肩入れしている上に、新政府軍の史料は全く見ていないことから、史実とはかけ離れているかも知れません。 何はともあれ間に合って良かったです。 それでは明日から4泊5日で箱館へ行って来ます。 2003.8.10 ***************************************** (その2) 「あと書き1」にもあるように、このサイトは旅行の予備知識を得るために作成したものですが、その後、画像を入れたりして作り直したのは、実際に現地へ行ってみて、箱館戦争ゆかりの地に建てられた碑や案内板がぼろぼろになっていたことに驚いたからです。 参考画像 「碑や案内板を建て直して欲しい」 このまま放置しておいたのでは箱館戦争の史跡がわからなくなってしまいます。 そのために何ができることはないかと思い、エッセイをメルマガに載せて配信したり、マスコミ、行政etc…にお願いのメールを送ったりした所、唯一、北海道教育庁生涯学習部文化課より平成15年9月12日付で、「御意見もありますことから、できるところから適切に対処されるよう関係市町村にお伝えいたします」というお返事を頂きました。 大変嬉しいお言葉ですが、伝えるだけではだめだと思います。 過去から伝わってきたものを後世へとバトンタッチするのは、現代を生きる私たちの当然の義務です。 たかが史跡、されど史跡。 文字の読めなくなった木碑が意味するものを、行政の方はもちろん、1人でも多くの方に知って頂きたい。 史跡は史跡としてきちんと次の世代へ伝えていきたい。 碑や案内板を建て直しが実現したら、また道南へ遊びに行ってみたいと思います。 この件に関して情報などお持ちの方がいらっしゃいましたら、メールでご一報頂けると嬉しいです。 メールアドレス ponpoko.y@nifty.com |
| 「箱館戦争関連遺跡の保存について」 メールによる御意見をいただきありがとうございました。 御意見のありました箱館戦争関連遺跡につきましては、国指定文化財又は北海道指定文化財ではないことから、文化財保護法など法令の適用がなく、関係市町村の対応に委ねている状況にあります。 しかしながら、御意見もありますことから、できるところから適切に対処されるよう関係市町村にお伝えいたします。なお、文化庁におきましては、経済・社会・政治などに関する近代の遺跡について、我が国の近代の歴史を理解する上で欠くことのできないものであり、適切な保護を図ることが急務であるとして、それら遺跡の保存状況の全国的な調査を実施しております。 この調査につきましては、各市町村教育委員会の協力を得て実施しておりますことから、近代の遺跡の保存に対する機運が地元から盛り上がるよう、北海道教育委員会としても支援をしてまいりたいと考えております。 また、箱館戦争史跡につきましては、一括して史跡として保存するための基礎調査を行っており、今後は、個々の遺跡の保存状態等を確認し、地元や文化庁とも相談しながら進めてまいります。 さらに、矢不来台場跡は国指定史跡として国指定の準備が進められており、近々指定される予定となっております。 以上、簡単ではありますが、お答えと致します。 今後とも、御意見をいただきますようお願い致します。 平成15年9月12日 北海道教育庁生涯学習部 文化課文化財保護グループ主査 |