| 出かける⇒番町の坂(2005年3月10日) |
| 徳川家康は、江戸城の北西の防備を固めるためにこの地域に大番組とよばれる旗本たちを住まわせた。これが現在の番町の始まり。イギリス、イスラエル、ベルギー、ローマ法王庁などの各国大使館や、大妻女子大、二松学舎大、女子学院高、双葉高、番町小、九段小などの学校が建ち並ぶ閑静な屋敷町である。とは言っても、現在はかつての石垣に囲まれたお屋敷の跡地にオフィスビルや高級マンションがそびえ立ち、あまり個性のない都心の一角になってしまったようだ。しかし、昔も今も変わらないのは坂の多さ。一番町、三番町、五番町と奇数番に坂が集中しているのをぐるぐる回ってみた。折しもビルやマンションの植裁として多く植えられているジンチョウゲが咲く時期。曇りでやや肌寒いが、無風の町のそこここには春を告げるきりっとして甘いジンチョウゲの香りが漂っていた。この香りは、どういうわけか私に、旅立ちの緊張と昂揚した気分を想い起こさせる。 |
| ■五味坂 千鳥ヶ淵公園から西に向かってしばらく進んでから登り始める。坂名の由来には諸説あるらしく、ゴミ坂、芥坂、ハキダメ坂など、「ゴミ系」のほか、甲賀坂、光感寺坂など、「コウカ系」、かつての五番町と二番町の境目にあったから五二坂などというのもあるらしい。しかし、現在の町名で言えば一番町と三番町の境にあるわけで、五番町や二番町とは1キロ以上離れている。 |
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| ■御厩谷坂(おんまやだにざか) 三番町の信号前、大妻女子大の正門から靖国神社に向かって登る。昔、この近くに徳川将軍家の厩舎があったことに因むという。先の五味坂の来歴の不透明さに比べるとその名前の由緒正しさが際だつというものだが、標柱の字までが何か立派そうだ。どの坂も両側はビルやマンションばかり。 |
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| ■袖摺坂 一番町の信号から北に向かって登る。袖摺りとは急傾斜の坂につけられることの多い名前だが、ここも短距離ながら急坂だ。写真右側は滝廉太郎の住居跡を示す碑で、顔のレリーフと荒城の月の楽譜を銅板に刻んだものが埋め込まれている。この写真を撮っていたら近くにあるN総研の社員でTVにもよく登場するT氏が出勤するのを目撃した。平日午前中にこんなところでしょうもない写真を撮っている私は、ヒマ人であることを(この瞬間は)認めよう。 |
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| ■永井坂 袖摺坂と坂下を共有してこちらは一番町の信号から南に向かって登る。袖摺坂より長く、傾斜は緩い。坂を登りきれば新宿通りの麹町警察署前にでる。江戸時代、永井某の屋敷が近くにあったから永井坂。坂の名前には地に足のついたものが多いものだ。 |
●見かけた花(クリックすると拡大します)
| ■行人坂 東郷公園から三番町と四番町の境目を南に向かって登る。行人とは行者、修行僧のことで、これもそれと思しき人が近くに住んでいたということらしい。また、医師や僧のことを法眼とも呼ぶが、この坂の別名に法眼坂というのがあって、ひとつ南の坂を南法眼坂と呼ぶのに符合する。写真の右側は幼稚園で、写真を撮っている途中に青い帽子をかぶった子供たちが先生に連れられて出てきて手をつないで坂を登っていった。 |
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| ■東郷坂 東郷公園から三番町と四番町の境目を北に向かって登る。行人坂と同様に狭くて車が通るときには注意する必要がある。石垣は東郷公園の西の境界である。この公園は、日本海海戦の英雄東郷平八郎が日露戦争以前からこの地に住み、その後その住居跡地が区に寄付されてできたとのこと。この東郷公園のカンザクラは東京都内でも早咲きで有名な樹のようで、満開は疾うに過ぎて葉桜となっていた(上の写真)。 |
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| ■三年坂 五番町の外堀公園の南側を通る狭い道から南に登る。三念坂、三枝坂の別名も。名前のいわれは不祥らしい。狭い小路で、全貌が画面に収まった。三年坂を登ってすぐの六番町に番町小学校があり、不審者と疑われないように注意しながら校庭で体操をしている生徒たちをのぞいてきた。正門にはISO14001認証取得という掲示があって、小学校でもそんなことをするのかと感心する。 |
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| ■帯坂 市ヶ谷駅前から南に登る。左写真は坂上から撮ったものだが、あまり高度感がない緩い坂だ。番町と言えば、岡本綺堂の怪談で有名な番町皿屋敷。その主人公、旗本青山主膳の腰元お菊が、髪を振り乱し帯を引きずって逃げたという伝説が帯坂の名前の由来と。でも、名前の付け方が凝りすぎていてフィクションの感じがするなあ。 |