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零細出版人の遠吠え

10/01 営業先で「本を読まねば死にます」という脅し文句(?)が立ちどころに出てくるだけでも凄いけれど、リベルタ子がいちばん敬服するのは、栗原さんの次のような心意気です。

「時々、出版関係団体から『貴社のロングセラーはなんですか』なんて質問がくる。…気になって書店の棚を覗いてみた。たまげるね。…400刷とは何だ。…永く売れ続けている本はわが社にもあるが、40万部には縁もない。初版千部そこそこで以来増刷なし、改訂もなしだが、そんなことに驚きもしないし、嘆きもしない。400刷にも興奮も発情もしない。…『リカードの経済学』は1500冊が初版。今も305冊の在庫だ。半年に6冊の売れ。完売にあと25年かかる。これがロングセラーってもんだろう。文句あるか。」(p.103)

ほとんど開き直りと思える言辞ですが、小零細出版人(栗原さん、リベルタと一緒にひと括りにしちゃってゴメン!)たるもの、そうでも考えないことにはやっていられない。

09/30 『私どもはかくありき』、ン? いかにもあの方らしいタイトルのつけ方だなあ、と納得。サブタイトルに「日本経済評論社のあとかた」とある。ここまで言えば、「あの方」が誰かは、大方の知るところ。そう、「中小零細出版業界のご意見番」栗原哲也さんです。
ご恵贈いただき、「前途は霧中、反省を込めて来し方を考えました」という非売品のこの本、書名からして、「どうせ饅頭本みたいなもんだろう」と高を括ってちらちら中を覗いたのですが、すっかり騙されたことに気づきました。これが実に面白いのです。
立ち上げ10年目の「倒産の危機」を乗り越える様には凄まじいものがありますが、こんなエピソードには、ホッとさせられます。とある農協へ営業に訪れ、組合長、研修課長と面談した栗原さん、

「組合長。この本は職員みなさんで読んでもらいたい」
「うちじゃ本なんか読んでいる職員は1人もいないよ」
「今どき本を読まずに生きられる人は1人もいません」
「メシは食わねばならんが、本は読まんでも生きられる」
「そんなことはありません。本を読まねば死にます
「???」(pp.85-86)

これには、さすがの相手も度肝を抜かれ、叢書の定期購読を約束してくれたそう。この問答は笑い話といえばそうなのですが、そこには、「本をめぐる永遠の真理」が含まれているように思います。確かに、本を読まなくても人の肉体は維持できます。でも、精神は徐々に死んでいく、と言えるのではないでしょうか?
いつぞや長期間山にこもったことがあるのですが、読むものがなくなったときのあの渇望感は、いまでも忘れることができません。

09/29 つい先だって「アホな農水相の失言三連発」と書いたら、今度はまた、「アホな国交相の失言三連発」、そしてまたしても、不承不承の「辞任」。だって、そのお方の辞任会見での弁明に耳を貸してみると、

【「成田空港反対派住民ごね得」発言】
【「日本は単一民族」発言】
 「言葉足らずだったなと。真意が伝わっていないと思ったから撤回した」

【「日教組の強いところは学力が低い」発言】
 「発言したことは、よかったと思っている」

これを素直に読めば、彼が何も反省していないことがよくわかる。それを「撤回」などと伝える報道はもってのほか。そして彼の本音は、「政権への影響」を問われた次の返答に凝縮されています。

「そこが一番の心配。(影響があれば)万死に値する」

要するに、この程度の人間を2度も閣僚に任命した自民党政権の末期症状ぶりを如実に示しているだけのこと。同時に、この程度の人物を国会に送り続け、この程度の政党に長期政権をゆだね続けているのは、私たち選挙民だということを忘れちゃいけません。

09/26 マスメディアの強力な後押しを得た鳴り物入りの「自民座田舎芝居」の地方巡業が終わり、政府の顔が「元首相の息子」から、「そのまた元首相の孫」へと変わりました。
そして、けさ発表の朝日新聞世論調査では、低迷していた内閣支持率が48%へと大きく回復。自民党支持率も久々、民主党をしのいだという。短期間に2度も続けて政権を投げ出した「お坊ちゃま内閣」への批判もまださめやらぬというのに、また何で三度、「お坊ちゃま首相」なのか?
…なんて思っていたら、コイズミ鈍イチロー氏が「引退」するそう。「潔い」なんていう賛辞も飛び交っていますが、「跡継ぎは進ジローだ!」が何で「潔い」んでしょう?
この国は、もういい加減、「身分制社会」から脱却しなけりゃいけないんじゃないのか!

09/25 最近の政治家の「言葉貧乏」は、何も「失言」にとどまらない。作家・高橋源一郎さんは、そんな政治家に「ほぼ期待してない」理由を、次のように言う(朝日新聞、9月25日付「オピニオン」欄)。

「おれたちがあの連中に期待してないのは、あの連中が『言うだけ』マンだからだ。そして、言って、間違っても、失敗しても、責任をとらないからだ。
勘弁してください。そういうの。教育上悪いですから。」

つまり、「政治家の道具は言葉である」とか、「政治家は言葉を大切にしなければならない」とか言うとき肝心なのは、「言葉はつねに責任と一体である」ということではないでしょうか?

09/24 「人体に影響がないことは自信をもって言える」と、汚染米が無害であると強調したアホな農水相が、総選挙を間近に控え、辞任し(させられ?)ました。「レイプをする人はまだ元気がある」「消費者はやかましい」に続く「失言三連発」。朝日新聞連載コラム「CM天気図」で、コラムニスト・天野祐吉さんが書いています(9月23日)。

「政治家の道具は、カネでもモノでもない、ただひとつ『言葉』である。その政治家が、貧しい言葉を連発するということは、政治そのものの貧しさを広告しているようなものだろう。
『言葉貧乏の克服』が、いま、この国にとって最大の政治的課題だったりして。」

いやはや、まったく同感! かつてマルクスは、フランスの思想家プルドンの著作『貧困の哲学』を批判して、『哲学の貧困』を書きましたが、今日の日本の政治状況は、「政治の貧困」と言うべきか、「貧困の政治」と言うべきか?