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歴史
かつて中米からカリブにかけてはタイノ、カリベと呼ばれる人々が住んでいました。(西洋の歴史では"インディアン"と称される人々です)
当地にはタイノが暮らしていましたが、コロンブスの第二回の航海(1493)により初めてスペイン人に「発見されて」しまったこれらの人々は、あっという間に征服され、奴隷とされ、またその頃欧州で猛威を振るった疫病も伝わりほぼ絶滅してしまったと言われています。少数のタイノの人たちは山奥に逃げ、スペインから入植した貧しい農民達と交わって、その血は「ヒバロ」
(jibaro)と呼ばれる人たちに受け継がれたとも言われています。
一方スペイン人の入植後は、この島はカリブ海への入り口として栄えます。最初この島はカトリックの聖人「サン・ファン・バウチスタ(洗礼者ヨハネ)」から名前をとって「サン・ファン」と呼ばれ、そしてその中心となる港町は「豊かな港」を意味する「プエルト・リコ」と呼ばれていましたが、何時の間にやら島の名前と町の名前が逆になってしまいました。
ご多分に漏れず、植民地経営の為アフリカから黒人が奴隷として理不尽にもつれてこられました。出身地は現在のスーダン、コンゴ、セネガル、ギニア、シェラ・レオーネ、ガーナ、アイボリー・コースト等と言われています。もちろんスペインを中心に欧州の様々な国からも移民がやって来ます。
17世紀には南米のシモン・ボリバルの独立運動により南米のスペイン王党派は保守派の強かった当地に逃れて来ます。フランス系の人々もルイジアナやハイチからやって来ます。アイルランドやスコットランドからは政変、革命に苦しむ貧しい農民達も移民して来ました。
19世紀に入るとインフラ整備の為に労働力が必要となり。まず中国系が、次いでフランス、ドイツ、レバノン人までがやって来ました。4世紀以上の長きにわたりスペインの統治が続ていましたが、米西戦争により19世紀終わり(1898)にアメリカの統治下に入ります。そしてアメリカ人の行き来が増えるようになります。
20世紀に入るとアメリカの自由州となり、人々はアメリカの市民権を得ます。またその頃から本土への移住、移民が本格化し、1940年代には最初のピークを迎えます。1960年代のキューバ革命時には、キューバ人も当地にかなりやって来ました。
北米のプエルトリコ移民の数もどんどん増え、ニューヨークの「バリオ / スパニッシュ・ハーレーム」と言われる地域は一大コミュニティーとなっていきました。現在本土のプエルトリコ人口は一説には3百万人以上とも言われ、ニューヨークのほか、ニュージャージー、シカゴ、フィラデルフィア、マイアミなどに多く住んでいます。もちろん第二世代、第三世代も誕生してますから、スペイン語も話せず、アメリカ化した人々も多くいますが、一方でアイデンティティーを守っている人々も多くいます。
一方、近年は隣のドミニカ共和国よりも(密入国を含め)人々がやって来ており、また新しい混合が起こっています。
よく「タイノ(インディオ)」「スペイン」「アフリカ」がプエルトリコのルーツであるなどと言いますが、スペイン以外の移民も多様で、この多様な混合が非常にカリブらしい所ですがこの島の活力を生んでいるのかも知れません。加えて「アメリカ」が今では社会に大きな影響を及ぼしている事は今のプエルトリコを多様な面を理解するのには大切なことだと思います。
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