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リッキー・マーチン・RICKY MARTIN
いまさら何の紹介がいるのかという感じのリッキー・マーチンですが、少しだけ。
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| 本名 | エンリケ・マーチン・モラレス (Enrique Martin Morales)、 小さい頃の愛称は"KIKI"。やんちゃな感じですね。 |
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| 誕生日 | 1971年12月24日、山羊座 プエルトリコ、サンファン市生まれ。 父Enrique Martinと母Nereida Moralesの間に生まれました。 後両親は離婚してしまいますが、最初は母親 Nereidaと、そして後父親と暮らし、 父親はOlga Torresと再婚。この新しい家族の中でRickyは育って行きます。 |
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| 子供の頃 | 兄弟は Fernando, Angel,
Vanessa, Daniel, Erikの6人兄弟。サンファンの 真ん中、プエルトリコ大学の西側の落ち着いた住宅地 University GardenのGeorgetown通りの家で育ちました。小学校3年までは
Julio Selles Sola小学校、4年生からはSagrada Corazon大学の付属校で学びます。 プエルトリコは生活はスペイン語中心ですが、小学校から英語も学びます。RICKYが英語を
学び始めたのはこのSagrada Corazon校時代から。 小さいころから劇や 行事に参加するのが好きだったRICKY。両親もこのRICKYをサポートし、6才の時の初めてのTVコマーシャルを皮切りに11本ものスポットに出演。今でもあの頃のコマーシャルを
覚えている当地の人は多い。 |
![]() プエルトリコの学校の クリスマス会には欠かせない劇 "TRES REYES MAGOS"(東方の三賢者)でアラビアの王様(主役級)を演じるRicky(真ん中) |
| メヌード | 当時プエルトリコのみならずアメリカ本土や
中南米西語圏で絶大な人気を誇っていたアイドル・グループ "メヌード (MENUDO)"。これに参加したいというRICKYの
夢は3回目のオーディションへの挑戦でかなう。1984年の事。以後5年間、1989年にMENUDOを卒業するまで2回の日本訪問も含めRICKYは世界中を旅することとなる。
Georgetown通りの家の家族と過ごす時間も少なくなり、また母親 Nereidaがプエルトリコに戻って来て、RICKYへのサポートを 考え出した時期でもあり、なかなか大変だったのでは? |
![]() 日本でのロッテ"Country Club" チョコレートのプロモーション |
| メキシコ時代 | 若干の充電期間をおいてRICKYは活動の場をメキシコに。
ミュージカル、TVドラマに挑戦しつつ、初のソロ・アルバム "Ricky Martin" 、 2nd.アルバム"Me
Amaras"を発表。 |
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| ハリウッド | リッキーの人気が大きく上がったのはアメリカ 3大TVチャネルの一つABCでのドラマ(ソープ・オペラ)"GENERAL HOSPITAL"。アメリカのソープ・オペラはややセンセーショナルな 筋立てが多く軽くみる人もいるが、一方で絶大な人気を誇るドラマも多く、知名度も一気に上がる。出演したRICKYにとっては、 アメリカ・ハリウッド式のドラマ制作や演技指導、歌唱指導等でプロの仕事を学べて成長した点に大きな 意味があったと思う。 |
バーテンダー役のRICKY |
| マリア | 1995年のサード・アルバム "A MEDIO VIVIR"の"MARIA"の大ヒットは音楽面でのRICKYのキャリアを大きく伸ばした。特に欧州でも 大きくヒットした事が、ワールドカップでのテーマを要請された事に繋がったのは間違いない。 95年にパリでFNAC (大手レコード店)に行った時、壁一面に"A MEDIO VIVIR"がプロモートされて いて「なんだ、このアーティストは?」というのが実は私のRICKY MARTINとの出会いでした。一方、95年の 演劇面でステップは当地サンファンでの"Jesus, Pasion, y Muerte"の主演のキリスト役。カトリックの 伝統のある当地でイエスを演じる事は、相当に役の内面を掘り下げねば観客からそっぽを向かれるのは 必至だが、ここでもRICKYの成長があり、それがブロードウエーへと繋がって行く事になる。 |
"Jesus, Pasion y Muerte" |
| レ・ミゼラブル | 96年6月、ブロードウエーの インペリアル劇場での "レ・ミゼラブル"への出演で、RICKYの夢はまた一つかなうことになる。 | ![]() |
| ブエルベ | この辺からは、もう何も言うことはないですね。 4枚目のアルバム"ブエルベ"は発売前の予約だけで軽く数十万枚。ワールド・カップのテーマ"La Copa De La Vida"、 ディズニーのアニメ映画"ヘラクレス"のテーマ曲と吹き替え(スペイン語)・・・と休む暇もない。 98年のワールド・ツアーのスタートは当地プエルトリコから。ラッキーにもステージを見れたけど、ただただ圧倒・・。 | ![]() |
| そして | 99年2月のグラミー賞・ベストラテンポップ部門での受賞、5月、アルバム
"Ricky Martin" の発表とシングルの"Livin' La Vida Loca"がビルボード初登場でトップ獲得。全世界的
ブーム、日本へも訪問・・・。プエルトリコから見たRICKYはなんだかちょっと遠くに行ってしまったなあ、 なんて思うけど、一方でスーパーでRICKY特集の雑誌をレジに持って行くと、レジのおばさんや後ろの
客がにやっと笑って話し掛けて来る「あ、あんたもファンなの?よかったよねえ、大ヒットで」 「あ、この雑誌新しいのね。ちょっと待って。私も取って来るから」なんて
つい話が弾んだりする。もちろん、言うまでもないけど おばさんだけじゃないよ。ロックコンサートで周りの女の子に「男の歌手だったら誰が好き?」と 聞けばリッキーの名前が出ない訳がない。皆に愛されているアーティストなのです。 マイアミに去年開いたプエルトリコ料理の レストラン、"CASA SALSA"のオープニング・スピーチでアメリカ本土のマスコミに向け 「皆さん、これがプエルトリコです!」と誇らしく締めくくったようなホームグラウンドへの 思いが有るからこそ、当地での支持は変わらないのです。 |
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