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ジャジョ・"エル・インディオ"逝く
2000.12.10

なんか、悲報ばかりですね。 12/13の水曜日の朝、プエルトリコの偉大な歌い手の系譜の一人、ジャジョ・"エル・インディオ" YAYO "EL INDIO"が ニュー・ヨークで心不全で亡くなりました。1920年3月18日生まれですから80才か。"エル・コンデ"に続いてまたも、 ポンセの生んだ歌い手です。

エル・インディオは本名Gabriel Eladio Peguero/ガブリエル・エラディオ・ペゲーロ。 正確にはポンセの東のフアナ・ディアスの生まれ。彼は16才頃から歌い始めます。 同じくプエルトリコのビッグ・ネームのルース・フェルナンデスがまだアイドルと言って いい年齢の頃デュオで一緒にやったりしてます。1940年代にはポンセでフリオ・アルバラード率いる Orquesta Casino de Ponceで中々人気に。

そしてCBSと契約してニューヨークに移り住み1945年にトランペッター、セルソ・ベガ率いるキンテートに参加、 ビング・クロスビーやシナトラ、ザビア・クガートとステージを分け合うほどの大人気に。 ニューヨークでラテンとジャズが入り組んでいた時代、とても面白そうな時代ですね。 エル・インディオの人気はその声で「ルンバのリズムにオペラの声」とか言われてたとか。 50年代にはいくつかのオルケスタを移り、ハーレムのアポロ・シアターやブロードウエー&152丁目に あった有名なボールルーム"エル・カボロヘーニョ"に出てたりしていました。

1959年プエルトリコに戻り、リト・ペーニャの率いるオルカスタ・パナメリカーナで活躍します。 1963年メキシコにペドロ・フローレスのカルテート・フローレスと遠征し市立劇場の公演で絶大な 成功を収めます。翌年プエルトリコに戻りオルケスタ・パナメリカナを再編成。そしてその翌年、 またメキシコに向かいます。

そしていよいよ時代はサルサの誕生の頃へ。1971年、ニューヨークへ戻った彼はソノーラ・マタンセーラに 参加し作品を残します。その他に彼の仕事ではTico-Alegre All Starsや多くのサルサの作品のコロ(コーラス)でしょう。 私がはじめて彼の声を知ったのはこのあたりのCDからです。私は彼のいい聴き手ではないけれど こうやってページを作っているとソノーラ・マタンセーラ時代の声が聞きたくなりました。なにせ オーケストラ・ハーロウでのマルセリーノ・ゲーラとアダルベルト・サンティアゴとのコロは絶品ですもんね。

 

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