曇りのち晴れ
第6話:青天の霹靂 景太郎がひなた荘に戻って3週間が経った。香澄の入居により最初はぎくしゃくした 雰囲気もあったが、軋轢の原因だったなると香澄が和解した事により、ひなた荘の雰囲気 はまた以前のような和気藹々とした状態に戻っていた。相変わらず景太郎の記憶は失われ たままだったが、少しずつ新しい日常が積み重ねられていった。 景太郎も現状には満足しているようで、何が何でも記憶を戻そうとは考えていなかった。 日々の暮らしの中で少しずつ戻ればそれで良い、何より今の生活を守りたいと言う思いが 強くなっていた。 「ご馳走様〜♪」 スゥに負けず劣らず健啖家の香澄が、満足気な表情で食事を済ませた。 「香澄って、ホントに食べるの速いわね。スゥちゃんより速いんじゃない?」 半ば呆れ気味のなる。 「え? だって美味しいから」 たとえ美味しい料理でも許容量というものがある。それに出されたもは何でも美味しく 食べる香澄を見て、これまでの香澄の食生活をつい考えてしまうのは景太郎だけではない。 「でも、それだけ食べてくれたら作るほうも嬉しいものだよ」 「そうですよ、また美味しい物作ろうって気になりますよ」 しのぶも嬉しそうに話す。しのぶにとっては、なるよりキャラの近い香澄の方を身近に 感じているらしい。 何気ない会話の続く、穏やかな日常風景。ささやかだが大切な時間。まだまだ不完全 ではあったが、徐々に取り戻しつつあると、全員が思っていた。 ガチャン! 「ぐは…」 不意に景太郎が頭を抱えて蹲った。テーブルの上の皿が床に落ちた 「景太郎さん!」 真っ先に駆け寄ったのは香澄だった。他のメンバーも直ぐに景太郎に駆け寄る。 「うう…」 景太郎は真っ青になって額から冷や汗を流している。 「ねぇ、景太郎、どうしたの? しっかりして!」 「先輩…」 なるやしのぶが心配そうに声を掛ける。 「…ふぅ…ゴメン、もう大丈夫だよ」 漸くして痛みが治まったのか、景太郎はゆっくりと顔を上げた。しかし、顔はまだ真っ青 で目は虚ろだ。 「突然、どうしちゃったんですか?」 香澄も心配そうな表情で聞く。 「うん、ちょっと、頭痛がして…最近たまにあるんだけど、もう大丈夫だよ」 心配掛けまいと笑いながら話す景太郎だが、かえって痛々しさが伝わってくる。 「本当に大丈夫?」 「大丈夫だって。ちょっと疲れてるだけだと思うから、1日寝たら直ぐ元に戻るって」 努めて明るく振る舞う景太郎だが、女の子達の表情は晴れなかった。 「………」 そして、景太郎を心配そうに取り囲む女の子達を、キツネだけが少し離れた位置で黙って 見ていた。 場所は変って和風茶房ひなた。キツネは、はるかに景太郎の状況について相談していた。 「景太郎が…?」 「そうや、本人は大した事無いって言うてるけど、あれはどう見ても普通や無かったわ」 「そうか、やはり一度専門医に診てもらった方がいいな」 「はるかさんもそう思うやろ。記憶が無くなる前に頭を打った事といい、1ヶ月近く記憶 が戻らん事といい、そろそろ手を打った方が良いと思うんやけど」 「そうだな、私もそう思う。医者については私に心当たりがある」 はるかの言葉でキツネも安堵の表情を浮かべた。 それから3日後、はるかは景太郎をひなた総合病院に連れていった。ひなた荘の メンバー全員もついて行った。 ひなた総合病院。中規模都市のひなた市にあって、身の丈以上の規模と最新設備を誇る 総合病院である。都心部の総合病院や大学病院にも引けを取らず、スタッフも充実して いる。その院内の脳神経外科の診察室に景太郎達は来ていた。 「全く、記憶喪失とは、やっかいな患者を連れてきたな、はるか?」 「そう言うな、風間。私の甥なんだ」 はるかに風間と呼ばれた男。“奇跡の腕を持つ男”と呼ばれ、天才の名を欲しいままにす る風間黒男である。今迄不可能と言われた数々の難病を治療し、国内外の大病院から誘い が来ているが本人は権威とか名声を毛嫌いしている所があり、異動する気は全く無い。 また、患者と金銭面のトラブルが多く、黒い噂も多い。この病院の院長で恩師でもある 山田野の後ろ盾があって事無きを得ているが、山田野の存在が風間をこの病院に止めて いる理由の一つでもある。 「はるかさん、知り合いなんですか?」 なるが口を挟む。 「まぁ、そんな所だ。昔、瀬田が世話になってな」 何故か歯切れの悪いはるか。 「あの時は笑ったな。放ってヤツはおけば確実に死んでたぞ。 …そう言えば、奴は 元気か?」 「相変わらずふらふらしているが、元気でやってるみたいだな」 風間の質問に素っ気無く応えるはるか。あまり触れられたくないらしい。 「なんだ、まだお前らはくっ付いてないのか?」 「お前には関係ない」 少しきつい口調で話を切る。 「まぁ、積もる話はまたにして、今は仕事にしよう」 風間も特に聞きたかった訳でもないので、早々に話を切り上げて景太郎の診察を始めた。 「記憶喪失になった時の状況を説明できるか?」 「それなら、私が…」 香澄が一歩前に出てきた。何故か手を前に組んで、乙女のポーズである。香澄は本屋で 初めて景太郎に会った事から話し始めた。 …………… …………… 「成る程、別に君らの馴れ初めまで聞きたかった訳ではないが、大体解った。一定期間の 人間関係に関する記憶が抜け落ちて、それ以外に関してはある程度は残っているみたいだ な」 香澄の半分のろけ話のような説明に、女の子達は呆れ気味だったが、風間は無表情で カルテを書いていた。 「で、頭痛はいつ頃から起きてる?」 「えっと、3週間くらい前からです」 「え? それじゃ、ここに戻って来た時からじゃない。どうして黙ってたのよ?」 「ご、ごめん…」 驚いて景太郎に詰め寄るなるに景太郎は済まなそうな顔をした。 「静かに。ここは病院だ。そういう話は帰ってからにしてくれ」 「す、済みません」 風間に一喝され、少し不服そうななる。 「ちょっと、良いか?」 風間は景太郎の顔に手をあて、瞼を少し上げるとペンライトで景太郎の目を照らした。 「…?」 「…ふむ…」 不意の事で景太郎は訳が分からず固まっている。風間は相変わらず無表情で診察している。 「少し、遅いな」 「どういう事だ?」 はるかが表情を変えず風間に聞く。 「光に対し瞳孔の反射が遅い。それに頭痛も気になる。ちゃんと調べたほうが良いな」 風間は淡々と説明しながら、電話でCTスキャンの準備の手配を頼んだ。 「…もしもし、風間ですが…至急CTスキャンの準備をお願いします」 「あ、あの、どうしたんですか?」 景太郎が不安な表情で風間に尋ねた。 「もしかしたら、脳に何らかの障害があるかも知れないので、CTスキャンで検査する」 「の、脳に障害?」 驚きを隠せない女の子の中で、一際大きな声を出す香澄。 「別に心配するほどでもない。ボクサーが試合後、検査するのと同じだ」 「そ、そうですか…」 風間の事務的で素っ気無い応対は逆に真実味があり、香澄も少しほっとした表情になった。 CTスキャンの準備は直ぐに終わり、景太郎は治療室に連れて行かれ検査を受けた。 「………」 画面を見ながら思案顔の風間。 「どうなんだ?」 心配そうに、はるかが尋ねる。 「…思ったよりは状況は厳しいな」 全員に緊張が走る。風間は抑揚を抑えた口調で説明し始めた。 「この陰になってる部分見えるだろう。恐らくヘマトーマだ」 「ヘマトーマ? なんだそれは?」 「血腫。血の塊だ。頭部にかなり強い衝撃を受けて、内出血したんだな」 「やっぱり、私を助けたときに…」 香澄が泣きそうな顔で呟く。 「その可能性はない。時期的にはかなり前のものだ」 あくまで事務的に応える風間。 「じゃあ、これはいつ頃からなのか?」 「そうだな…だいたい4,5年くらい前だろう。景太郎君の記憶が抜け落ちた期間とほぼ 一致するな」 「血腫が記憶喪失の原因なのか?」 「あぁ、これが少しずつ時間を掛けて大きくなって脳を圧迫し、1ヶ月前になって脳に 影響を及ぼし、記憶障害を引き起こしていると考えられるな」 「じゃあ、それを取り除けば…」 「記憶を戻す可能性はある。ただ…」 「ただ…何だ?」 「場所が問題だな。見れば解ると思うが、脳底にある。下手に傷つければそれまでだ」 「難しいのか?」 「他の医者なら…成功率は5%以下って所か」 「お前なら?」 「50%…かな」 淡々と応える風間。しかし、その表情から自身に満ちていた。 「五分五分か…。だが、成功すれば景太郎の記憶は戻るんだな?」 「それは解らない。50%というのは手術の成功率であって、記憶の戻る可能性の事では ない」 「意味が解らんが…?」 「つまり、無事手術が成功して血腫を取り除けたとしても、どの程度まで記憶が回復する かは解らんということだ。完全に戻るか、それとも戻らないか。不十分にしか戻らない事 も考えられるし、ここ1ヶ月の記憶を失っている間の記憶がなくなる可能性もある。 可能性で言えば、ある程度記憶が戻る、というパターンが一番高い」 「そうか…」 はるかのトーンが少し下がる。女の子達は更に表情を曇らせている。特に香澄は今にも 泣き出しそうな顔をしている。 「それと、ちゃんと手術代は出せるんだろうな?」 女の子達には酷く冷酷に聞こえる風間の声。 「…どれくらいかかるんだ?」 「そうだな、1億と言いたいところだが、8000万でどうだ?」 何でもないだろう、とでも言いたげな様子の風間。 「は、ハッセンマン?」 あまりの額に声が裏返る景太郎。 「それで、命が助かれば安いものだろう?」 「う、うちにそんなお金は…」 「君の家は旅館を経営してなかったか? あそこを売ればお釣りが来ると思うが…」 「ふざけないで!」 なるが真っ赤になって風間に怒鳴る。 「人の弱みに付け込むなんて、最低な人ね。あなたそれでも医者なの?」 殴り掛からんとする勢いで風間に食って掛かるなるだが、風間は涼しい顔で言い返す。 「だったら、余所をあたってくれ。だが、さっきも言ったように俺以外の医者では成功率 は5%にも満たない。また、放っておいても記憶が戻る可能性は低いし、事態が改善する 事は無い。まぁ、残り少ない人生だ。自分で決めるもの良かろう」 「の、残り少ないって、どういうことですか?」 風間の言葉が理解できず、不安な表情を浮かべる景太郎。 「放っておけば近いうち。確実に死ぬ」 「し、死ぬ? 俺が…?」 「そ、そんな…」 切り捨てるような風間の言葉に、全員が言葉を詰まらせる。風間は淡々とした口調で話を 続ける。 「脳底に血腫があるんだ。今まで安定していたのが、進行し始めたんだな。記憶障害や 頭痛がその証拠だ。はっきりとした時間は解らないが、かなり危険な状態だ。 今のうちに遺言でも書くか?」 「そ、そんな…」 冷徹に言い放つ風間。その言葉にはるかでさえ表情が凍りつき、部屋には絶望感が漂う。 「…ひなた旅館は今、寮に替わって彼女達が住んでるんだ。手放すわけにはいかない」 はるかが苦渋に満ちた表情で風間に話す。 「はるかさん、私達の事は構わないから」 「そうや、けーたろの命の方が全然大事や」 「先輩が助かるのなら…」 「ケータロのおらんひなた荘はつまらんもん」 「み、皆…ゴメン…」 「お前が謝る事はない。これは我々の意志でやっている事だ」 口々に景太郎に声をかける。 「風間、いずれお前に譲るとして、暫く待ってくれないか?」 「…いずれというのはどれ位だ?」 「彼女達の落ち着き先が決るまで…頼む」 悲痛な表情で風間に頭を下げるはるか。気丈に振る舞っていてもその瞳から涙が零れる。 「………」 景太郎を除く全員が風間に刺すような視線を向ける中、部屋は水を打ったように静まり 返っていた。風間は暫く黙ってはるかを見ていたが、やがて小さく溜息を吐くと、苦笑い しながら応えた。 「はぁ、解った。じゃあ、権利を俺に譲れ。そして管理人は景太郎君のままでいい」 頭を掻きながら、面倒臭そうに風間が話す。 「そ、それじゃ…」 「だが、気が向いたら売っ払うかもしれんからな。それは覚悟しておけよ」 「す、すまん、風間」 「大体、はるかを泣かしたのを瀬田に知られたら、こっちの身が危ないからな」 「風間!」 珍しく、はるかが怒鳴る。 「ほぉー、はるかさんでもそんな顔するんやなぁ」 「はるかさん、可愛い」 「お、お前らなぁ。…風間、お前もしかして最初から…」 「さあ、どうだか…」 キツネ、なるにからかわれ、恐らく風間からもからかわれた事が解り、憮然とした表情 のはるか。また、風間が見掛けほど冷徹じゃないことがわかり、少しだけ場が和む。 「手術は2週間後だ。検査が必要になるから、明後日から入院してもらう。異存はないな?」 「は、はい」 「よし、じゃあ今日はこれまでだ」 風間は短く要点だけ言うと、話を切り上げた。景太郎たちは診察室を出た。 全く予想していなかった展開に、景太郎も他のメンバーもショックを隠せない様子 だった。 「でも、手術なんて…」 香澄やしのぶは泣きそうな顔で呟く。 「50%、か…」 残酷な現実の前になるも言葉が少ない。 「大丈夫だ。あいつなら、風間なら、絶対に何とかしてくれる」 はるかが落ち着いた口調で話す。風間に対する信頼感なのか、その口調は自信に満ちていた。 はるかの言葉に全員、安堵の表情を浮かべひなた荘に戻った。 景太郎の手術は2週間後である。 第7話へ