監督:森田芳光
出演:内野聖陽、大竹しのぶ、西村雅彦、田中美里、石橋蓮司
貴志祐介のベストセラー小説「黒い家」の映画化。原作は本当に戦慄する
ような恐ろしい小説であったが、この映画も怖い。ただ、怖さは映画と原作
ではだいぶ異質のような気がする。小説がじわじわするようなこわさである
のに対し、この映画はわかりやすい怖さだ。
生命保険会社の金沢営業所に勤務する若槻は、自分を指名したクレーム
客の対応のため、その客、菰田の家を訪問する。しかし、その家で目撃した
のは、菰田の息子の首吊り自殺現場であった。まもなく、菰田の妻幸子が
窓口を訪れ、「いつ保険が下りますの」と言いに来る。そしてその次の日か
ら、菰田は執拗に保険を請求しに来る。だが、菰田の息子の死は自殺では
なく不審死として処理されたため、なかなか保険は下りない。ようやく保険
は下りるが、その次には菰田が事故で両腕を切断してしまった。そして、
それから若槻の底知れない恐怖の毎日が始まった。
なんといっても強烈なのが大竹しのぶの演技。最初は大人しい女に見えて
いて、徐々に狂気のヴェールを脱ぎ始めるところが恐ろしい。ほとんど感情
を露わにしないところが底知れぬ狂気を感じさせ恐ろしいのだ。後半の、保
険調査員を殺すところあたりからの、キレた様子はただただ凄まじい。これ
はもう、彼女にしかできない演技に思える。「大竹しのぶ」ではなく「菰田幸
子」そのものになってしまっているのだ。広角レンズを多用し、人物のアップ
をど真ん中に持ってきた撮影のせいで、さらに迫力が増している。菰田役の
西村雅彦もすごい。どう見てもカツラにしか見えないようなカツラをかぶり、
ガタガタ震えながらも無表情で死んだような目をしている。どこから見ても
危ないやつだ。不気味な夫婦なのだが、奇怪さが表面化しないだけ、幸子
の方が怖い。
それと、主人公の若槻も、原作ではごく普通の青年だが、この映画では、
必要以上にサラリーマンぽく、卑屈で小心者で恐がりだ。およそ主人公に
は似つかわしくないようなキャラクターである。ストレスが恐ろしくたまるで
あろう保険会社の窓口での仕事。そのストレスの解消のために若槻は、や
たら水しぶきをあげてはバシャバシャ泳いでいて、やはりどこかヘンさを醸
し出している。こんな恐ろしい保険金詐欺事件、殺人事件が起こっている
というのに、この保険会社の雰囲気がやたら牧歌的なのもとてもヘン。地
方都市ののんびりしたところも、妙にミスマッチだ。随所に、ブラックユーモ
アがばらまかれているのが、さらに不気味さを浮き立たせている。
色彩の使い方が非常に特徴的、。空の深いブルーと、幸子がいつも着ている
黄色い服、さらには幸子の黄色いボーリングのボールの色との対比が実に
鮮やか。現実離れした恐怖感を与えるのに成功している。しばらく黄色いも
のが見たくなくなるくらいだ。菰田の登場シーンで必ず流れる不快なノイズ
はなくても良かったかもしれない。「39」でも見られたが、ちょっとあざとすぎる。
でも、全般的には、独特の恐怖感を出すことには成功している。「この人間
には心がない」と謳っているように、彼らが人間というよりは一種の化け物
であることを象徴するような演出だ。(逆に言うと、彼らがこのような化け物
となってしまった経緯の描かれ方がちょっと不足しているので、そのような
ギミックを使うことに頼ってしまったのではないかとちょっと邪推してしまう)
私が原作で一番嫌いだったのは、若槻の恋人恵が、ひどい目に遭わされ
ながらも、「それでもわたしは人間を信じたい」と言ったところだ。あまりにも
偽善的でちょっと吐き気がするくらいだが、この映画の恵はもう少し血が通
った存在として、この事件に深く傷ついている様を見せている。この部分が
このように描かれているだけでも、この映画化は成功だと思う。
ただし、心理的、サイコサスペンス的な恐怖としては、原作の方が上なの
ではないかと思う。原作で一番戦慄した言葉が、この映画では宣伝文句に
使われてしまって、一種のネタバレとなってしまっているのが非常に残念。
この戦慄の言葉が導き出されてくる経緯が、原作ではかなり緻密に描か
れているのだが、映画では若干端折っていて、その分その言葉の重みが
軽くなってしまっている。この映画はどちらかというと活劇っぽい恐怖に重点
が置かれているのではないかと思う。たたみかけるような恐怖。エンディン
グも、二段構えで攻めていて、その分エンターテインメント性は増していて
観客は恐がれると思う。
終わったときには、胸がバクバクしていて席から立ち上がれなかった。映
画が始まる前に、にこやかな大竹しのぶの舞台挨拶を見ていたばかりに、
彼女の凄まじい演技の怖さがさらに引き立っていた。
あの娘と自転車に乗って Beshkempir
(The Adopted Son)
監督:アクタン・アブディカリコフ
出演:ミルラン・アブディカリコフ
キルギスタンといっても、それが一体どんな国なのか想像のつく人はつく
人はあまりいないと思う。最近日本人技師がそこでイスラム過激派に誘拐
されたという事件で新聞をにぎわしたくらいだ。中央アジアの遠い国。しか
し、その遠い国の人々はなぜか日本人に似た顔つきをしている。そして、
子供というのは、どの国でも大きな違いはないのかも、と思ってしまう。
キルギスタンはもともと遊牧民族だったということで、まだ街には自動車も、
電機製品もあまりない。しかし、貧しいという感覚は全くない。人々はとき
には美しい民族衣装をまとい、自然の中でのんびりと、心豊かに暮らして
いるからだ。
ベシュケンピールは、どこにでもいるような男の子。両親と、おばあちゃん
と一緒に住んでいる。仲間の悪ガキどもといたずらをしたりしている。そし
て、アイヌーラという少女にほのかな恋心を抱いている。しかし、彼に嫉妬
した男の子に、「おまえはもらいっ子だ」といじめられ、ペシュケンピールは
出生の秘密に思い悩むのだった。
冒頭の、悪ガキどもが遊ぶ姿がなんとも生き生きしていていい。どろんこ
まみれになって、泥で悪魔のような角をつくる。太った女性の裸を覗き、
砂で裸の女の人型を作り、その上に乗っかって腰まで動かしたりする。
中には、パンツまで下ろして砂の女の股につっこむ子供までいる!しか
しせっかく作り上げた砂の女は、牛の大群に踏みつぶされてしまうのだ
った。子供たちの性の目覚めをユーモラスに描いている。
ペシュケンペールは、おばあちゃんにお金をもらって、広場で映画を観に
いく。上映されている映画は、踊りがたくさんあるインド映画。みんな目を
キラキラさせて映画に見入っている。映写技師の青年は、ペシュケンペ
ールに女の子を呼んで来させ、彼女と自転車に乗る。荷台を外して、女
の子を自分の前に座らせ、彼女の髪の匂いや体温が感じられるようにして
いる。それをうらやましそうに見つめるペシュケンペール。彼を演じる、監
督の息子であるミルラン・アブディカルコフが実にまっすぐでいい顔をして
いる。思春期にさしかかった、悩みも抱え始めた微妙な表情を見せている。
モノクロームの映像もまた、とても美しい。そして、心の中に染みのように
残るような場面だけが鮮やかなカラーとなっている。おばあちゃんが映画
のお金をくれたとき。草原を歩くアイヌーラの姿。出生の秘密に悩み、体の
変化を感じ始めたときに見かけた色鮮やかな鳥。これが、映画の中にア
クセントをつけるのに成功している。モノクロームといっても、シーンごとに
色合いが微妙に違うようだ。そして、この映画の舞台となる時代を曖昧な
ものにして、どんな時代でもあり得るような普遍的な話に仕上げている。
大好きなおばあちゃんが亡くなり、彼女の遺言でペシュケンピールは出生
の秘密を知る。ペシュケンペールとは、「5人の老婆」という意味。養子縁
組の時には、村で尊敬されている5人の老婆が、子供の健康を願って儀
式を執り行うのだった。しかし、実の子と同様に親の深い愛情で育てられ
ていたことを実感する。そして、ちょっと仲間はずれにしていたいじめっ子
も、一緒におばあちゃんの死を悼み、仲直りするのだった。このおばあち
ゃんの死で、ちょっと成長し、勇気を出してアイヌーラと自転車に乗る決心
ができたペシュケンペール。よくある少年の成長物語のようにも見えるけ
ど、それだけでは終わらない何かがある。
ペシュケンペールが、実は養子だったと知るくだりは、キルギスという国
と旧ソ連との関係を暗示している。それまでは、ソ連という巨大な国家の
一部でしかなかったキルギスが、ソ連の崩壊で独立し、民族紛争などの
苦難を抱えるようになったこと。養子だったと知ったペシュケンペールが
いろんな悩みを抱えるようになったことと重ね合わされている。こんなに
素朴で美しい物語の中にも、政治的な隠喩が含まれているというのは
なかなかすごい。でも、そんなことを知らなくても、この美しく初々しい映
像は楽しめる。
監督:ダリオ・アルジェント
出演:アーシア・アルジェント
若い婦人警官のアンナは、15人の女性がレイプされ、殺された事件を捜査し
ていた。捜査のために訪れたフィレンツェのウフィッツィ美術館で、ブリューゲ
ルの名画「イカルスの墜落のある風景」を前に、絵の中に吸い込まれた気分
になって失神する。作家スタンダールが経験したという「スタンダールシンドロ
ーム」に襲われたのだった。そのときに金髪の男性に助け起こされるが、携帯
していたはずの銃がなくなっていた。さらに、一時的に記憶も失ってしまった
のだった。そして、その夜、彼女はその男性にレイプされ、また目の前で別の
女性がレイプされて彼女の銃で殺されるのを目撃。その金髪の男こそ、連続レ
イプ殺人事件の犯人アルフレードだったのだ。
ショックから立ち直るため警察から休暇をもらい、故郷のビデルボに帰ったア
ンナは髪を切り、男の子のような服装でボクシングに励む。しかし、再びアル
フレードに襲われるのだった。アンナは再びレイプされながらも、アルフレード
に重傷を負わせ、川に突き落とした。彼は死んだはずだったが、死体は発見
されなかった。アンナは、アルフレードに常に見張られ、追われているという
恐怖から逃げ出すことができない。金髪のかつらで変身し、フランス人の新し
い恋人と出会うが、それでも心の中に植え付けられた恐怖は迫ってくるのだ
った。
私は小さい頃家族で訪れたバチカン大聖堂の、ミケランジェロによる巨大な
絵を見て、何とも言えない恐怖を感じて泣き出してしまったことがある。そして
以後も、この絵は夢に出てきたりした。いわゆる「スタンダール・シンドローム」
と言うほど強烈なものではないが、この映画で描かれている感覚はわかる
ような気がする。冒頭のウフィッツィ美術館でのシーンのみならず、アンナの
フランス人の恋人マリーが働く美術研究室での彫像なども、実に怖い効果を
醸し出している。最初にアンナがアルフレードにレイプされたとき、アルフレ
ードは剃刀で自分とアンナの唇を切って血を流させたが、研究室の彫像の
唇などからも、血が流れ出すのではないかと思ってしまった。無人の美術館
で彫像に囲まれるという美しい恐怖が見事に描かれている。
アンナはレイプされた後のリハビリ期間に、絶叫を上げている人物の顔の
アップばかりを赤と黒で描いて部屋に張っていた。マリーと知り合ってからは、
マグリットなどのシュールレアリスム的な絵を部屋に飾る。「絵」「美術品」が
この映画に独特のムードを与えている。それと、真っ赤な色彩だ。唇から流れ
出る血。アンナに反撃され、血塗れになるアルフレード。ウフィッツィ美術館で
倒れたとき、アンナの白いブラウスについた血の染み、2回目のレイプでアル
フレードの剃刀によってアンナの顔につけられた傷から流れる血・・・。鮮血の
美学がここでも発揮されている。
レイプされるという恐ろしい経験によって、アンナという女性は人格を変えてい
く。ロングヘアの大人しそうな女性が、最初のレイプを経験したことで男性的
な性格となり、外見も変わる。アルフレードが自分の中に入り込んだのでは
ないかと思い始めるアンナ。いつしかアルフレードと立場が逆転し、彼を倒す。
そして、アルフレードを倒した後アンナは、金髪のカツラをつけ、化粧をしてフ
ァム・ファタル的なイメージへ変わる。そうして、物語が、どんどん非日常的で
ミステリアスな方向へと進んでいく。絵の中の人物が動き出し、吸い込まれ
るような幻想性。いくつかの殺人。そして、意外な真相。迷宮のような物語だ
が独特の魅力を持っている。物語の筋というよりも、「血」「名画」「金髪のカツ
ラ」といった小道具や妖しい雰囲気に魅せられるという作品だ。
それにしても、おそるべしダリオ・アルジェント。自分の娘アーシアの2度に渡
るレイプシーンや、狂気のアルフレードによってズタボロに苛まれるシーンを
撮ってしまうとは・・・。
