愛の悪魔 フランシス・ベイコンの歪んだ肖像 Love is the Devil

監督:ジョン・メイブリィ
出演:デレク・ジャコビ、ダニエル・クレイグ、ティルダ・スウィントン
20世紀を代表する現代美術家の一人として著名なフランシス・ベイコンと、その愛人
ジョージの関係を描いた作品。ベイコンの作品といえば、手近に観られるものとして花村
萬月の芥川賞受賞作品「ゲルマニウムの夜」の表紙が挙げられるが、抽象とも具象とも
言い難い、独特の強烈な作風で知られている。わたしも何度か美術館で見たことがある
が、痛切な痛みを感じさせる、叫びのような絵だ。
残念ながら、ベイコンの実際の作品は遺族に賛同してもらえず、この映画には登場しな
い。しかしながら、彼の芸術の世界は、映像の工夫で随所に現れている。食器や窓ガラ
スに映る歪んだ表情、乱雑なアトリエの中の丸い鏡やテーブル、ジョージの悪夢の中に
現れる無間地獄のようならせんや全身から血を流しながら飛び降りようとする人物・・・。

何しろ、ベイコンという人物は強烈だ。彼を演じるデレク・ジャコビは本当にそっくりの外
見をしているのだが、見るからに変態である。どういう変態かというと、映画「戦艦ポチョ
ムキン」の有名な、乳母車が階段を落ちていくシーンを見てマスターベーションしてしまう
のだ。もちろん、ホモセクシャルであることを公言している。彼は常に自分が中心でなけ
れば気が済まず、傲慢で、ジョージにはサディストのように振る舞いながらも、性的には
マゾヒストである。とても身なりに気を使っていて、街に出かけるときには化粧までして
歩いている。この映画の舞台となった1964〜71年頃にはすでに50代であったのに、だ。
彼は、まわりの人間からエネルギーを吸い取って自分のパワーにしてしまう、ブラックホ
ールのような人物である。それに対し、ジョージという人間は平凡で、ベイコンの作品の
モデルとしてもっとも多く登場しているにもかかわらず、どのような人物であったかの記
録もほとんど残っていない。凡人は天才にそのエネルギーを吸い取られるよう運命づけ
られていたのだ。

そんなベイコンとジョージ・ダイアーが知り合ったきっかけというのは、なんと、ジョージが
泥棒としてベイコンのアトリエに侵入したことであった。若くてハンサムでありながらも、
何回も懲役刑をくらっている無教養な人であったジョージは、この怪物のような芸術家の
愛人としてともに暮らし、愛の地獄を味わうことになる。

ベイコンは、ジョージの無教養だが無垢な面を愛し、それを自分の創造活動の源とした。
実際、ジョージをモデルにした作品はかなり多く存在しているという。ジョージにいいスー
ツを着せ、仲間と入り浸っている酒場やカジノ、瀟洒なレストランに連れていき社交活動
にいそしむ。しかし、教養のないジョージはそこに入り込むことができず、侮辱される思い
をする。そして、麻薬や酒におぼれていき、自分自身をも見失ってしまう。夜毎見る悪夢。
酔っぱらったジョージをカジノに放置し、他の男性を部屋に引っ張り込んで彼を閉め出し
てしまうベイコンの仕打ち。ジョージは自殺未遂をしたり、麻薬があることを警察に密告し
たりして、彼の元を離れようとする。しかしながら、ベイコンの言葉の通り「一度磨かれた
原石は二度と元には戻らない」。ジョージは結局ベイコンの元を離れられない。離れようと
したら、死を選ぶしかなかった。

デレク・ジャコビの演技はすごい。本当に狂気と変態性を併せ持った天才にしか思えない。
中でも、3面の鏡の前でまるで娼婦のように婉然と微笑み化粧するシーンにはゾクッと
する。カオスを表現した坂本龍一のスコアも素晴らしい。意外とわかりやすい作品になっ
ていて、ベイコンという人間のすさまじい業を感じさせてくれる。これで実際の作品が観
られたらもっとベイコンの世界を理解できたんだが・・。

BAR(バール)に灯ともる頃 Che Ora E

監督:エットーレ・スコラ
出演:マルチェロ・マストロヤンニ、マッシモ・トロイージ、アンヌ・パリロー

今は亡き二人の名優、マストロヤンニとトロイージが親子役で共演した、10年前の作品。
これだけよくできた映画が10年間も日本で公開されていなかったのは少々残念な気がする。

苦労の末、社会的に成功した弁護士となりローマに住む父が、小さな港町で兵役中の息子
に会いに行く。失われた二人の時間を取り戻すために、父は息子に様々な高価なプレゼント
を贈ろうとするが、息子は受け取ろうとしない。息子はそのようなモノに価値があるとは思っ
ていないのだ。二人はカフェやトラットリアで食事をし、遊園地に出かけたり、映画館に入った
りするが話もなかなかかみ合わない。唯一、なごやかな雰囲気に包まれるのは、父の父(つ
まり祖父)の形見の懐中時計が息子にプレゼントされ、父が時間を訊くと、嬉しそうに息子が
正確な時間を知らせるところだ。祖父は鉄道員であって、仕事のために愛用した懐中時計は
正確無比で、息子はそんな祖父を尊敬していた。

美味しいレストランもなければ観光名所もない、ちっぽけな街。そんな場所で、将来の展望も
なくさえない暮らしをしている息子を見て、父は心配する。息子は父の、ある種拝金主義的な
ところを嫌い、大学でも父の反対を押し切って文学を学んだような人物なのだ。映画を中座した
息子が、楽しそうに電話で話しているところを見て、父は愕然とする。息子の、自分には決して
見せないような生き生きとした表情を見て。息子の恋人の家に押し掛けた顛末は面白い。美
しい恋人がシャワーに入っている間に彼女の日記を盗み見たり、息子が買い物に出かけてい
ったときには、二人の性生活まで彼女に訊いたりする。そして、息子の行きつけの店、港のバ
ールでの、仲間たちと息子の楽しそうな姿を見て、安堵するとともにいたたまれなくなって帰ろ
うとしてしまう。
親子というのは、近い関係にあるだけに、本音を言い合うことも難しく、子供は往々にして親に
思うとおりには生きてくれないものである。異なった価値観を持つ者同士が、理解し合うのは
大変なことだが、通じ合えないにしてもその努力をしようともがく姿には共感を覚える。

大きな事件が起きることもなく、父と息子の一日を淡々と追っただけの作品だが、一つ一つの
せりふがおもしろく、にやりとさせられたり、大笑いさせられたり、しんみりさせられたり。2人の
名優の演技は素晴らしい。特に、マストロヤンニの、お金持ちで成功していてちょっと傲慢だけ
ど、妙に人間くさい父は魅力的だ。

ヴァージン・フライト The Theory of Flight

監督:ポール・グリーングラス
出演:ヘレナ・ボナム・カーター、ケネス・ブラナー

リチャード(ケネス・ブラナー)は空を飛びたいという妄想にとりつかれている画家。ガールフレン
ドの勤めている銀行の屋上から羽根を着けて飛び降り、1200時間の社会奉仕活動を命じられ
る。彼が面倒を見ることになったのは、動的ニューロン障害という難病にかかったジェーン(ヘレ
ナ・ボナム・カーター)という若い女性。この病気は、全身の筋肉の力が衰え、5年くらいで死に
至るが、最後まで知能や感覚は正常なままであるというもの。ジェーンは気が強くわがままで
パンクな娘で、母親やボランティアの人たちを困らせている。リチャードは彼女に手こずりながら
も親しくなっていく。そして、18歳で発病した彼女の唯一の願い、処女喪失に力を貸すことに
なるが・・・。

ヘレナ・ボナム・カーターはもともと上手い女優だが、特に、気が強くて性格が悪いけど憎めない
キャラクターがよく似合っている。この役なんて、まさにはまり役だ。実際にジェーンみたいな人
がまわりにいたら本当に大変だろうけど、可愛いところもある。障害者だからこうだ、というステ
ロタイプをぶち壊しているのは爽快な感じがする。障害者が集まるスポットで「わたしは普通の
人と愛し合いたい」と言うなんて、目くじらを立てる人もいるだろうが、とても率直だ。毒舌家で、
思わず赤面するようなことも平気で言ったり、性に対する関心が人一倍強く、インターネットでセ
ックスについて調べたり・・。言葉を話す機能も失われてきていて、独特の機械に喋らせることも
するのだが、普段それを使いたがらないにも関わらず、ちょっと喋りにくいことは機械に喋らせた
りするのはちょっとかわいい。処女喪失を手伝って、と頼むときも、あらかじめ断られた場合を考
えて喋ることを登録していたりするのがせつない。そしていよいよ喪失しようとするときの真っ赤
なドレスがとっても似合う。ヘレナ・ボナム・カーターは30歳を過ぎているのに、まるで10代の
女の子のように見える。

リチャードもまた、体は健康だけども、心を病んでいる。ジェーンの処女喪失の相手を彼が務め
れば一番話は早いのだろうけど、彼にはそれができない。空を飛ぶことに取り憑かれて、おん
ぼろな倉庫を借り、一人で飛行機を組み立てている。その姿はとても滑稽だ。ジェーンの処女
喪失の相手となるジゴロを探し出し、その代金を払うために銀行強盗まで計画する。しかし、
彼女との出会いが、彼に翼を与えてくれた。どうせ飛べないとあきらめていた彼に、「飛んでみ
なければわからないじゃないの」とジェーンが一緒に乗りたいと言い、飛行機が見事に飛んだ
とき、観てる側までとてもうれしくなった。皮肉屋で決してリチャードに甘い言葉を言わなかった
彼女の、飛んでいる最中の「あなたはわたしの天使だわ」という言葉は胸にしみた。

シックス・ストリング・サムライ Six String Samurai

大バカ映画である。だけども、大真面目に作っている。もしかしたら、作っている側はバカ映画
だという自覚なしで作っているのかもしれない。だからか、見終わったとき、設定があまりにも
バカバカしいにも関わらず、思っていたほどバカではなかったという印象を残す。

ストーリーは、はっきり言ってないようなものだ。一応、こんな設定になっている。
核戦争後50年たち、荒廃したアメリカはソ連に支配されていた。たった一つの楽園、ロスト・
ヴェガス以外は。ロスト・ヴェガスはロックンロール・キング・エルヴィスが支配していたが、エ
ルヴィスが亡くなり、彼の跡目を継ぐがために、国中からロックンローラーがロスト・ヴェガスを
目指す。が、彼らはすべて、死神「デス」とその手下たちによって矢を放たれ死んでいく。デス
に対抗できるのはただ一人、黒縁メガネとタキシードの男バディのみ。背中に57年型のギタ
ーと刀、右手に、なぜかついてきた子供を連れて、バディはロスト・ヴェガスを目指す。

こんなふうに、いかにも楽しそうな設定になっているが、最初の30分くらいは支離滅裂な話に
ついていけなくなりそうになる。何しろ、せりふが極端に少なくて、ドラマもなく、砂漠ばかり。
全編、ただロックンロールが鳴り響いている。少ないせりふはアフレコっぽくて不思議な効果
を上げている。この面妖さにくらくらしてしまう。

バディは外見に似合わず、アクションがものすごい。刀を振り回しジェット・リーばりに華麗に
舞いソ連軍を撃退してしまうくらいだ。彼についていくガキがまた全然可愛くない。顔はそこ
そこかわいいのだが、変な叫び声をあげる以外はまともな言葉は喋らないし、バディによっ
て人喰い家族に預けられたりする。単なる足手まといだ。

しかし、あまりものバディの強さに呆れながらも、彼の活躍のシーンはかっこいいので興奮し
てしまう。そして、死神デスとの対決はお約束通り、ギター合戦だ。定石通り、死神はへヴィ・
メタルだし、バディはロックンロール。もう少しこの対決のシーンが長かったら良かったのに、と
思う。せっかくロックンロールで世の中を支配するのだから、もっと演奏して欲しかったな。
このシーン、すごくいいのに。死に神と、その手下どもがスローモーションで歩きながら矢を
放つシーンはとてもシュールだけど、かっこいい。ところどころ、絵づくりに光るセンスが見受
けられる。

物語性もまったく放棄しているし、普通の映画の見方をしてしまったらついていけなくなりそ
うだが、これはこれでまた新しい映画表現なのかな、と思う。
他の映画には見られない、一つの美学が感じられる。