スターウォーズ エピソード・ワン ファントム・メナス 
STAR WARS EPISODE I The Phantom Menace

監督:ジョージ・ルーカス
出演:リーアム・ニーソン、ユアン・マクレガー、ナタリー・ポートマン、ジェイク・ロイド
スターウォーズの一作目を見たのは9歳の時、ロンドンでだった。あれから20年以上の
時が経ったが、なぜかこの映画のことは鮮やかに覚えている。そういう意味で、スターウ
ォーズは特別な存在の映画である。


さて、新しい3部作の頭を飾る作品とあって、期待と不安が交錯していた。そして、ようや
見ることのできたこの世界とは・・・。


ヴィジュアル・イメージの圧倒的なパワーには、またしても驚嘆させられた。クリーチャー
の造形の素晴らしさ、優美で生体を思わせる宇宙船のフォルム。ここまでの高いレベル
のヴィジュアルイメージはそうそう見られるものではない。お金のかけ方や手間のかかり
かたが半端でないのがわかる。こういう形のものを創り出すことのできる想像力の肥沃
さに敬意を払う。
誤解を恐れずに言うと、スターウォーズは人間を主人公にした映画ではない。人間は
付録のような存在なのだ。この打ちのめされるような想像力の産物を見せるために作
られた映画なのである。クリーチャーや宇宙船だけでなく、アミダラ女王の衣裳、それ
からナブーのクラシックな街並みの美など、奔放な想像力はとどまることを知らない。
これだけで、入場料の元を取った気がする。

逆に言うと、物語性、人間性の描写を求めると失望することになる。丁寧に描き込ま
れたキャラクターは皆無であるからだ。アナキン・スカイウォーカーはまだこの時点では
素直で心優しい少年である。クワイ・ガン・ジンとオビ・ワンのジェダイ騎士たちも、単な
る正義の騎士という感じで深みは感じられない。アミダラ女王もまだ自分の言葉で喋
らずただ冷静に行動するだけで人間性はさほど感じない。軸になって感情移入できる
キャラクターや人間くさいキャラクターが存在しないのだ。インパクトがあったのはギャ
ンブル狂のワトー、グンガン族でやたらうるさくて臆病だけど憎めないジャージャー、そ
して勇敢な活躍ぶりが頼もしいR2D2など、人間ではないキャラクターたちだ。
R2D2とC-3POの出会いの場面は、旧作をリアルタイムで見ていたものとしては感動
的だった。

タトゥーインでのポッドレースの場面、グンガン族とバトルドロイドの「影武者」を思わせ
る合戦の場面など、それなりの見せ場もあるが、第一作(エピソード4)でのスペース・
オペラの神髄を見せつけられアドレナリン放出しっぱなしのシーンは残念ながら見られ
なかった。ジェダイ騎士とダース・モールのチャンバラの場面はかっこいいし、特にダー
ス・モールのアクションにはしびれたが、案外あっさり決着が付いてしまうのも惜しい。
もっとダース・モールには活躍してもらいたかったのに、エピソード・ワンだけの登場と
いうのはもったいない。

というわけで文句もたくさん言ってしまったが、やっぱりスターウォーズは特別な映画
であることは再認識させられた。あのテーマソング、CGの粋を集めて作られたクリー
チャーたち、映像の独特な美しさというのは、この映画にしか持ち得ないものである。

とりあえず、エピソード・ワンということでまだ物語は始まったばかりだ。この映画一作
だけでは不満が残る出来とはなったが、これからどうやってアナキンが悪の道に手を
染めていくのか、どうやってエピソード4に繋がっていくのかはとても楽しみである。

つけたし:今回私が見たのは日本語吹き替え版だった。吹き替え自体は大変良くでき
ていたし声も合っていた。ただ、オープニングのストーリーを語る文字がいきなり日本
語で、しかも思わず脱力してしまうようなタイポグラフィの文字であったことには失望し
てしまった。もともとの英語の文字を生かして、ここだけ字幕でも良かったのではないか?

54

監督:マーク・クリストファー
出演:ライアン・フィリップ、マイク・マイヤーズ、サルマ・ハエック、ブレッキン・マイヤー
    ネーブ・キャンベル

1979年。ディスコ「54」は最高にホットな場所だった。夜な夜なセレブレティが集まり
饗宴が繰り広げられる。扉の前では服装チェックが行われ、どんなに有名な人でも、
金持ちでも、スタイリッシュでなければ入れてもらえなかった。オーナーのスティーブ・
ルベルが入場できる人を選別するのである。

ニュージャージーに住み、冴えない毎日を送る青年シェーンはタブロイド紙に、同じニュ
ージャージー出身の昼メロ女優ジュリーが「54」に通い詰めていることを知り、意を決し
て「54」に乗り込む。彼の美貌がルベルのお眼鏡にかない、彼は入店を許される。店
の中のキラキラした空気と、バルコニーで快楽をむさぼるカップルたち。この狂乱と恍惚
の世界に魅せられたシェーンは退屈な故郷を捨て、「54」で働くことにする。

「54」で働くウェーターのグレッグと、歌手志望のアニタの家に転がり込んだシェーンは
その端正なルックスと肉体で人気を博し、実力者の女性ビリーにも気に入られてバーテ
ンに出世する。しかしながら、パーティでは知性の無さをバカにされ、雑誌のグラビアに
登場しても際物的な扱いを受ける。そして、狂乱の一年の大晦日のパーティで起こったこ
ととは・・・。

この映画では、主人公はシェーンということになっている。非常に美しい容姿を持ってい
るが、ごく普通の青年である。若さと美しさを武器にのしあがっていくが、ショービジネス
界で成功するには性格も良すぎたし、野心も足りなかった。最後にはこの世界の虚飾を
見捨てて、普通の人生を歩むことになる。やっぱりこの物語の軸となるべきだったのは、
ルベルだった。札束の海で眠り吐く男。店のバーテンたちのペニスをしゃぶりたがる男。
所得を隠し、ドラッグに溺れ、客の選別をすることに快楽を見出す男。太く短く生きて46
歳のときエイズで死んだ実在の人物ルベルの生き様は強烈だった。
もっと彼のことを
描いて欲しかった気がする。

他にインパクトのあった人物はふたりいた。背が低く、ルベルの誘いにも応じなかったた
めバーテンになれなかったグレッグ。真面目な男だが、ルベルの所得隠しに荷担し、
店の金をくすねて麻薬密売に手を染めてしまう。シェーンにコンプレックスを抱き、妻と
シェーンとの関係を疑ってはいるけど、性格のいいグレッグ。どこにもいそうな男だけど、
その劣等感が上手く描かれている。
それと、店の常連の87歳の老婆ドリー。普段は
孫を可愛がる優しくて上品なおばあちゃんが、「54」では夜な夜なはじけて踊り狂い、
おそらくはその望み通り、年越しパーティのさなかに息を引き取る。彼女のキャラクター
はとても魅力的。


題材はとてもいい映画だし、風俗描写、音楽も素晴らしいのだがいささか食い足りない
感じもする作品だ。主人公があまりにも淡泊すぎる。歌手志望のアニタの野心も十分
描けていないし、シェーンが憧れる昼メロ女優ジュリーの存在感も薄い。そもそも、ジュ
リー役のネーブ・キャンベルはどうも社交界のスターと思えるほど美しくないし、あだっぽ
さも不足しているのだ。それと、登場人物、そしてこの時代に対する愛情の深さが足りな
い。もっとルベルが「時代の徒花的な人物だったけど、愛すべき人間」として描かれてい
れば良かっただろうし、ルベルとバーテンダーや店の客たちの関係ももう少し濃密だった
ら、と思う。実際のディスコの世界が、こんなふうに薄っぺらい文化だったということを描き
たかったのかもしれないけど。こんな風に思ってしまうのは、シェーンやグレッグがディス
コの世界、ナイトライフを捨てて普通の生活に戻ってしまうと言うことからも感じられてしま
う。あんな時代もあったけど、平凡な暮らしが一番、というメッセージも感じられてしまうの
だ。


でも、70年代のディスコミュージックが好きで、学生時代にもディスコに通っていた私に
とって楽しめる映画ではあった。意味もなくキラキラした存在に惹かれ、70年代の時代の
空気を感じられたので、それはそれで良かったと思う。

チャイニーズ・オデッセイ Part2 永遠の恋

出演:チャウ・シンチー、アテナ・チュウ、ロー・ガーイン、ン・マンタ

この映画に先立つ「月夜の恋」のラストで500年前に戻されたチンポウ。彼は、水簾洞で
ジーハという美しい女性に出会う。彼女は釈迦如来の灯明の灯芯だったが、人間の姿で
下界に降り、彼女の紫青宝剣を抜くことができる「永遠の恋人」を探していた。そして、チン
ポウから、時空を旅することができる月光寶盒を奪ってしまう。月光寶盒を取り返すため、
紫青宝剣を引き抜いたチンポウは、巧みにジーハに取り入るが、彼がキスを拒んだため
彼を疑ったジーハは彼の体の中に入り込み、本当は彼が愛しているのはジンジン(「月夜
の恋」の妖怪)だったことを知る。

そして、思いがけず観世音菩薩、三蔵法師、そして孫悟空を目撃するチンポウ。三蔵法師
と猪八戒、沙悟浄、そして牛魔王に再会したチンポウは、牛魔王の妹香香と結婚すること
になる。しかし、結婚式の当日、牛魔王の愛人としてやってきたジーハに再会し、月光寶盒
を取り返すために再びジーハに甘い言葉をささやき逃げ出そうとする。しかし待ちかまえて
いた香香の魔法でジーハ、猪八戒、香香、そして沙悟浄が入れ替わってしまい大混乱に。
一難が去った後、ついにチンポウはジーハのもとに弟子入りしようとやってきたジンジンに
出会い、結婚の準備を進めるが・・・。


前作に輪をかけてドタバタの度合いを高めた輪廻転生をテーマとした伝奇大作。前作は悲し
い恋が強調された作品となっていたが、こっちは物語のスケールが大きくなった分、そういう
意味合いが薄れてはいる。この映画で楽しいのはなんといっても三蔵法師を演じたロー・ガー
インのとぼけた持ち味だ。とても聖者とは思えないしょうもないギャグで笑わせてくれる。中で
も、牛魔王に捕らえられた三蔵法師が牢でチンポウに向かって歌う「オンリーユー」には大爆
笑。調子っぱすれのひどい歌声なのだけど。そして、今回、なぜかチンポウはジーハ、ジーハ
の姉キンハ、香香、そしてジンジンとモテまくり、女難状態で四苦八苦する。でも、基本はやっ
ぱり運命的な恋の物語だ。

チンポウに何回も裏切られながらも、彼を守るために命を賭けたジーハには思わず心打たれ
る。ラスト、彼女の涙を見て、人間としての人生を捨て孫悟空となったチンポウは、まったく
違った時代に違った生を生きているジンジン、サーロン、そして盗賊団の副頭領を見る。城門
の上に立ち、言い争いの上抱き合う恋人同士のチンポウとジーハを背中に、三蔵法師や猪八
戒、沙悟浄と天竺へと旅立つ孫悟空の姿は、クールで泣かせる。あのふたりが、別の生では
結ばれたと知ってうれしい、切ない気持ちにさせられた。

クンドゥン Kudun

監督:マーティン・スコセッシ

チベットの精神的指導者であり、ノーベル平和賞を受賞した第14代ダライ・ラ
マの半生を、かなり史実に基づいて再現したドラマである。 2歳の幼い少年が
チベットの辺境の村でダライ・ラマとして選ばれ、インドへ亡命する1950年ま
でを描くものだ。

このへんの物語は、一昨年公開された「セブン・イヤーズ・イン・チベット」
ですでに知っていたわけで、ことさら新鮮味を感じることはできなかった。ま
るで歴史の教科書をひも解くようなものである。出演者が全員素人のチベット
人であるのに、英語を話しているということにも違和感を感じた。彼らの演技
は素晴らしいのだけど、映画そのものは平板な印象が否めない。

敬虔なクリスチャンだというスコセッシは、非暴力主義を貫くダライ・ラマに、
現代のキリストの姿を見たのではないか。運命に導かれて幼い頃から指導者と
なるべく教育された彼の受難の姿が、イエス・キリストに重なって見えたに違
いない。しかしダライ・ラマ、さらにはチベットの高僧たちがあまりにも聖人
君子然としていて人間臭さに欠け、逆に毛沢東のいやらしさが強調されすぎて
いる。実際のダライ・ラマもおそらくこの世に残る数少ない本物の聖者なのだ
ろうけど、それにしても、ちょっと奇麗事ばかりで深みに欠ける。

反面、チベットの(実際は許可が下りずモロッコで撮影された)雄大な自然と
チベット美術や衣装の独特の色彩感覚、凛とした空気を伝える映像の美しさに
は息を呑む。フィリップ・グラスによる音楽の冷ややかな感触、ラマ僧たちの
重低音の詠唱とあいまって、トリップしそうな感覚に襲われる。さすがスコセ
ッシ、というのは映像面の冒険に現れている。鳥葬の場面はかなり気持ち悪い
けど、インドへ逃れる際、砂曼荼羅を川に流す荘厳な場面などに、チベット独
特の文化と高い精神性は十分表現されている。とりわけ、この場面はまるで一
つの絵画のようであった。

絵として見たら非常に完成度が高かったり、エピソードとしては心を打つものが
あったりするのだが、それだけに、もう少し面白い映画にできたのかもしれない
と思うとちょっと残念。

踊れトスカーナ! Il Ciclone

監督・脚本・主演:レオナルド・ピエラッチョローニ
出演:ロレーナ・フォルテーザ、バルバラ・エンリーキ

とにかく楽しくて、笑えて、温かい気持ちになれる快作。こんな彼らの人生がとても
うらやましくなってしまう。

イタリア、トスカーナ地方の小さな町。ひまわりの咲き乱れるこの町で、4割の店の
帳簿をつけている平凡な会計士のレバンテ。ちょっととぼけた農夫の父と、レズビア
ンの妹、そして神の存在を疑い、棺桶に寝たりする絵描きの弟と暮らしている。小さ
な町ではうわさ話もあっという間に広がってしまい、街中の人たちは顔見知りだ。そ
んな彼の人生を一変させてしまう、6月の嵐が突然やってきた。

ホテルの標識が曲がってしまったため、レバンテたちの家にスペインのフラメンコ舞
踊団のバスが迷い込んできたのだ。とびっきり美しいダンサーたちを見て、レバンテ
の家族も色めき立つ。レズビアンの妹はセクシーなペネロペと親しくなり、弟は彼女
たちと仲良くなれないなら死んだ方がましだと棺桶に横たわる。そしてレバンテは
キュートなカテリーナと星空を眺めながら語り合う。

そんなわけで、カテリーナに恋をしたレバンテだったが、ダンサーと平凡で真面目な
会計士の恋はうまくいくのだろうか?
何しろキャラクターがみな魅力的な映画だ。それぞれが個性的な一家なのに、みんな
とても仲がよい。レスビアンの妹セルベージャも陽気でなんだかかわいい。ダンサー
たちが家にやってきて、「神はいない」という絵を描いてきた弟が「神はいた」という絵
を描き始めるのもおかしい。こんな変わり者ばかりの一家が出てくれば、アメリカ映画
だったりしたら深刻な話になりそうなのに、ここではみんなお互いを認め合っているか
ら楽しく仲良く暮らせるのだ。

カフェのウェイトレスと自動車修理工のカップルの情事は街中に筒抜けだったのに、そ
のフランカは舞踊団のリーダーであるナルドーネと大人の恋に落ちてしまう。レバンテ
のバイクは、この嵐に巻き込まれてあわれ成仏してしまうし、彼がいつも話しかける声
だけの出演の祖父ジーノとの会話もとてもいい感じで、最後のキメ台詞で心温まる風
に物語を締めくくってしまう。
恋の嵐が騒動をもたらしながらも、みんなの楽しい人生を
切り開いていく様は軽妙で、洒落が効いていて、小粋だけど人間臭くて、すごく幸せな
気分にさせられる。

クライマックス、フィレンツェでペネロペとセルベージャ、カテリーナとその狩り好きの粗
野な恋人、そしてレバンテと、カテリーナを嫉妬させる目的で連れてきたレバンテの
元恋人カルリーナの会食のシーンは爆笑もの。酔っぱらったカルリーナの下品さと、
粗野な部分を露呈してしまうカテリーナの恋人。さらに乗り込んでくるのがセルベージ
ャの恋人、薬局に勤める美女というのもなんだか洒落ている。

脳天気で楽しい恋の嵐を見て、イタリア人ってホント人生を楽しんでいてうらやましい
と心から思ってしまった。家の前でダンサーたちが踊り始め、レバンテの家族が輪に
加わるシーンは何しろ素敵。欲を言えばもっとこの踊りを見ていたかった。