監督:リサ・ブラモン・ガルシア
出演:マーサ・プリンプトン、ポール・ラッド、コートニー・ラブ、ベン・アフレック
クリスティーナ・リッチ、ギャビー・ホフマン、ケイシー・アフレック
ジャニーン・ガラファロ、ケイト・ハドスン
1981年の大晦日、ニューヨーク。恋人に振られたばかりのケヴィンは、5年来の
親友ルーシーとパーティに向かうためタクシーに乗る。大晦日が誕生日のケヴィン
は、ブータレていて、ルーシーは誕生日プレゼントとして彼にタバコを1カートンプレ
ゼントする。しかし彼らはこのタバコをタクシーに置き忘れる。陽気なタクシーの運
転手は、この日彼のタクシーに乗った乗客たちにタバコを勧めながら、彼らの恋の
やきもきに首を突っ込んでみる。一方、モニカは自分のアパートでクリスマスパー
ティの準備をし終わり、客が来るのを待っているが、誰も来ない。唯一部屋に来た
ヒラリーに当たり散らし、自分は嫌われているのではないかと思い悩む。
そして、恋をしたくてたまらない人たちには、大晦日の夜、数々のドラマが生まれる
のであった。
まだエイズが蔓延する前、そしてヘルシー志向が今のように広がっていなくて公
共の場所でタバコが吸えた古き時代。セックスのリスクを考えず、お気楽に恋愛
ができた自由で脳天気な時代。主要なキャラクターが18人もいるという群像劇だ
が、みんな同じタクシーに乗り、そして最後に目指すのはモニカの部屋でのパー
ティ、パーティの前にお目当ての人と食事をしたり、バーで素敵な異性を物色した
りすることでドラマが生まれる。モニカの部屋で、最後ドラマはきれいに収束する。
バラバラにする無く、多くの個性的な登場人物をうまくまとめ上げている。
出演する俳優たちがみんな一癖あったりすることがとてもプラスに働いているのだ。
理屈をこねるよりも、楽しんだ方が勝ち、という映画である。この晩だけは誰か素
敵な異性と帰らなければ、次の一年間は男性にあぶれてしまうというジンクスを信
じてがんばる女の子たち。初めて寝た男性との翌日のデートに、緊張のあまり粗相
してしまうウブな女の子。異性としては意識しているものの、なかなか一線を越え
られなくて他で恋を繰り返すふたり。そのへんにいそうな、平凡だけど愛すべき登場
人物たちには思わず感情移入してしまう。大晦日、浮かれまくっている街の中でパ
ーティ会場を見つけられなくて取り残された気分になったり、気合いを入れて準備し
たパーティに誰も来てくれなかったときのさみしい気分。とっても身近な感じがして
好感が持てる。狂言廻し的な役割のタクシーの運転手が、またとても楽しくていい
味を出している。
楽しい雰囲気を盛り上げるのが、80年代のヒット曲の数々。クイーンやロキシー・
ミュージック、クール&ザ・ギャングなどのメジャーな曲から、一発屋で消えてしまっ
たナンバーまで、とても懐かしい。全般的にはポップでチープでキラキラした雰囲気
の音楽が多い。これらの音楽が、まさにこの1981年という時代を象徴していたか
のようだ。ついでに、エルヴィス・コステロも本人として出演までしていて、かなり笑
わせてくれる。音楽は彼が監修しているとのことで、実にセンスがよい。映画が終
わった後、カウンターに「サントラありますか?」と尋ねては「売り切れてしまったん
ですよ」という答えに残念そうに立ち去る人が多かった。自分がちょうど中学生の
頃流行ったこれらの曲を聴くと、思わず甘酸っぱい想いが甦る。
脳天気で明るく、キラキラしていた時代、80年代に青春を過ごした人には、必見の
映画だ。登場人物が多い分一人一人のキャラクターが深く描けていないかもしれな
いけど、共感する部分は必ずあると思う。
監督・脚本:中江裕司
出演:西田尚美、村上淳、平良とみ、登川誠仁、平良進、アシュレイ・マックアイザック
都会に疲れ、故郷・沖縄のあぐに島に戻ってきた奈々子。祖母のナビィおばぁ、祖
父の恵達おじぃの家に居候する。恵達は本土からやってきた風来坊の福之助を家
に連れてきた。音楽にあふれた島の暮らしを楽しむ奈々子。しかし、ナビィの様子
がちょっとヘンだ。子供たちにナビィを追跡させてわかったのは、ナビィの60年前
の恋人、サンラーが島に戻ってきていて、二人が密会をしていたということ。サンラ
ーとナビィの60年前の悲恋について、恵達は奈々子や福之助に語り始めるのだっ
た。
大傑作と聞いて見に行ったのだが、この映画は「傑作」という括りではなく、「愛す
べき映画」と言うべきものだ。正直、下手な部分もあるし、話そのものは陳腐なとこ
ろもある。沖縄独特のエキゾチックな部分を出しすぎたきらいもある。しかしながら、
登場人物がむっちゃくちゃ魅力的なので、心に残る作品となっている。
なんと言っても、恵達を演じた登川誠仁が素晴らしい。彼は本職の役者ではなく、
「沖縄のジミ・ヘンドリックス」と称される三線の名手。かつて米軍基地で働いてい
たため、琉球弁にブロークンな英語が混じる独特の言語感覚。牛飼いの仕事に出
かけていくときも、三線の早弾きでアメリカ国歌を弾くというお茶目な爺さんだ。し
かも「福太郎くんは奈々子のことがスキだから連れてきた」と唐突に福之助を連れ
てきて恋愛沙汰を仕掛けたり、エッチな発言もしたりする。だけども、サンラーとナビ
ィの恋を知りながらも大きな愛で彼女を包み込む、沖縄の海のように広い心を持つ
男の中の男なのだ。彼女が去ってしまうことを知っていながらも、牛のセイコを売っ
て腰の悪いナビィのためにマッサージ椅子を買う恵達。ナビィをさらいにサンラーが
やってきても、歌で送り出すことができる男。こんな素敵なお爺さんがいたら即惚れ
てしまいそうだ。ナビィも、恵達の愛を感じながらも、60年前の恋を未だに忘れない
情熱を、可愛らしく表現していて魅力的。サンラーから届いた種を育てブーゲンビリ
アを長年丹精するその姿。いくつになっても、彼女は恋する19歳の乙女に戻れる
のだ。この二人の老人が、この映画を決定的に好ましいものにしている。
ナビィは、アイリッシュ・フィドルの奏者で歌手の麗子の夫であるオコナーの出身
国を、「愛しているランド」と呼ぶ。この愛しているランドという呼び名は、このあぐに
島にこそふさわしい。小さな子供たちも奈々子が福之助かそれとも幼なじみのケン
ジのどちらを選ぶかはやし立て、そして老年の域に達した恵達やナビィも、それぞ
れの愛を力一杯生きている。島の人々も老若男女それぞれ愛をあふれさせている。
もう一つの主役は、音楽だ。恵達の三線。麗子のオペラ。オコナーのアイリッシュ・
フィドル。面を着けたアブジャーマー男や本家の主人嘉手苅林昌の歌う民謡。音楽
が日常生活の中に溶けこんでいる。嬉しいとき、悲しいとき、恋したとき、みんな歌
い踊る。歌で、彼らの生活の喜びや悲しみを表現する姿は、人生の歓びを感じさせ
てくれる。苦難の歴史を持つ沖縄という土地が、人々に独特のエネルギーを与え、
それが音楽と恋とともに生きるという形で昇華され、底知れぬ情熱を伝えてくれる。
見終わった後幸せな気分にさせてくれる映画だ。
監督・脚本:ジム・ジャームッシュ
出演:フォレスト・ウィテカー、ヘンリー・シルヴァ、クリフ・ゴーマン、イザック・ド・バンコレ
ゴースト・ドッグは一匹狼の殺し屋。屋上に伝書鳩と住む読書家で、愛読書は「葉
隠」だ。殺しのオーダーは伝書鳩が運んでくる。哲人風の風貌、大柄な体を黒いパ
ーカーに包み、百発百中で殺しを実行する。
ある日、ゴースト・ドッグはマフィアの幹部ルーイから殺しのオーダーを受け取る。
ルーイは彼が若い頃に命を救ってくれた恩人だ。その殺しとは、マフィアのボス、
ヴァーゴの娘と恋仲になったフランクを始末すること。ゴースト・ドッグはそのオーダ
ーを遂行する。が、現場にいた娘ルイーズに、父親の差し金であることが気づかれ
てしまい、反対にゴースト・ドッグはヴァーゴ・ファミリーに命を狙われる羽目になる。
「葉隠」とは、「武士道といふは、死ぬことと見つけたり」の一節で有名な江戸時代
の武士、山本常朝の著書である。武士道というものの考え方が書かれている。こ
の映画では、「葉隠」からの一節が英文の字幕で美しく表記されており、これが
ゴースト・ドッグの独白の代わりとなるという興味深い手法を用いている。
「葉隠」を自分の生き方の手本としてるゴースト・ドッグの行動様式は、時として滑
稽に映る。彼は命の恩人であるルーイを主人として尊敬し、すべてに付き従う。ま
るで武士が剣術の稽古するかのように、拳銃を刀に見立てて屋上で振る。そして、
銃をしまうときにも、クルクルと八の字に廻して、まるで刀を鞘に納めるがごとくの
華麗な銃捌きを見せる。さらに、彼の住まいには仏壇まであるのだ!日本人から
見るとちょっと勘違いという風に見えなくもないのだが、不思議にも、フォレスト・ウィ
テカーの大柄でずんぐりとした体型が、重みを与えていてジャパネスク加減が奇妙
には映らないのだ。彼の独特の知的でかつ愛嬌のある雰囲気が、ストイックな殺し
屋にマッチしている。その滅びの美学を貫き通す姿勢は文句無く格好いい。
「葉隠」に登場する武士道というものは、もはや滅亡の危機に瀕しているような、古
いタイプの侍の精神を描いたものだ。ゴースト・ドッグは自分が滅び行く人種である
ことを自覚しているのだ。同じく、時代に取り残されつつあるのが、彼を付け狙うマ
フィアのヴァーゴ・ファミリーだ。何しろ、このファミリーは平均年齢が優に60歳は
超えているというロートル集団。景気も悪そうで、事務所の家賃も払えなくて催促
されているような始末。ゴースト・ドッグを始末しようと、鳩を飼っている屋上の小屋
を襲撃するマフィアたちは、階段を上っている間に息を切らしている。フランクの暗
殺を伝えに来たルーイと話し合いをする三人〜ヴァーゴ、ソニー、そして長老が登
場するシーンなどは、もう大爆笑だ。年喰っているくせにラップが得意なソニー、素
っ頓狂な大声で聞き返す長老。黒人やインディアンはみんな変な名前だ、と盛り
上がった後で部下たちを似たような名前で呼んでみたり、コワモテなのにみんな
案外お茶目。
ゴースト・ドッグやマフィアたちは「滅び行く人種」である。それに対し、ゴースト・ド
ッグが公園で出会う本好きの少女パーリーンや、フランス語しか理解できないけ
ど彼の大親友であるアイスクリーム売りのレイモンは、ゴースト・ドッグの精神を
受け継ぎながらも、未来を見つめていくキャラクターだ。中でも、英語が全くわか
らなくてフランス語で呼び込みをし、なぜかゴースト・ドッグとも通じ合っているレイ
モンは最高に楽しい。ヴァーゴの娘ルイーズ(20年代の女優のような美少女)と
ゴースト・ドッグ、そしてパーリーンが「羅生門」の本で繋がっているという関係性
もうまい。一冊の本を通し、新しい人種に、古いサムライ精神が受け継がれてい
くのだ。ストーリーだけだったらダークな話なのに(よく考えてみると、ゴースト・
ドッグとパーリーンの関係はちょっと「レオン」みたい)、レイモン、それから強盗に
襲われても強力なキックで撃退する老人など楽しいキャラクターの存在によって
オフビートな笑いも味わえるという不思議な作品だ。
日本的なモチーフをこれだけ持ち込んでいるのに、まぎれもなくニューヨークっぽい
肌触りが感じられるのは、RZAによるヒップホップの音楽の功績が大きい。これが
たとえば尺八などの日本的な音楽だったら目も当てられないようなシロモノになっ
てしまうだろうが。ヒップホップというストリート的な感覚を持つ音楽が、ゴースト・ド
ッグの、ニューヨークに生きるサムライの生き様をスタイリッシュに彩ってくれるのだ。
この映画は笑わせてくれながらも興奮させられ、ラストにはじーんとさせられる。
同時にゴースト・ドッグの中に息づいていたサムライ精神を通じて生きること、死ぬ
ことについても考えさせてくれるという深みも持ち合わせている。エンターテイメント
性と精神性を兼ね備えた傑作と言える。
監督:フリオ・メデム
出演:ナイワ・ニムリ、フェレ・マルティネス
アナとオットーは8歳の時に運命的な出会いをした。やがてアナの母とオットーの
父は再婚をして、二人は義理の兄妹となる。が、二人は、8歳の時から、お互い
のことを愛していた。青年となったオットーは母親の元を飛び出してアナの家族の
家に住むようになるが、そのことにショックを受けたオットーの母は死ぬ。愛する母
の死に責任を感じたオットーはアナの前から姿を消す。しかし、運命は、再び二人
を北極圏の空の下に呼び寄せるのだった。
運命、という言葉があるが、「運命」というもの自体、いろんな解釈ができる言葉
なのではないかと思う。ただ時の流れに身を任せることも「運命」と呼ぶことがで
きるし、このようになってほしい、と自分で作り上げることのできるのも、「運命」。
アナは、運命を強く信じているだけでなく、それを動かすことのできる強い意志を
持った女性だ。
アナが8歳の時、父の死を夢で見た後、現実に父が交通事故で死ぬ。
その事実を認めたくなくて走り出した彼女が転んだところへ、サッカーのボールを
追いかけていたオットーが走ってきて、二人は見つめ合う。アンナは、オットーが
父の生まれ変わりではないかと信じる。オットーが学校の窓から投げた紙飛行機
をアナは彼が投げたものと知らずに拾う。誰がこの紙飛行機を投げたの?と母親
に訊かれて指さした男性は、オットーの父親。アナの母とオットーの父は恋におち
る。これはひとつの運命的な出会いであるが、同時に、アナが自らの手でたぐり
寄せた運命なのである。このエピソードに象徴されるように、アナは、ただ自分で
運命に身を任せているのではなく、運命を呼び寄せる力を持っている。
17年間に及ぶ運命的な愛に生きたアナとオットー。彼らの人生が、あるときはア
ナ、あるときはオットーの視点で語られ、一つ一つの章のタイトルもシンプルに「ア
ナ」「オットー」とつけられている。二人の微妙な心の揺らぎが、交互に章立てで
語られる、実に端正で緻密な構成の映画である。そして、最後の3つのエピソー
ドだけ、交互ではなく二人の視点が交わって一つの円を作り上げているのであっ
た。
アナも、オットーも、若いときに肉親の死に出会う。アナは、父の死の直後に出会
ったオットーを、父の生まれ変わりではないかと思う。オットーは、自分の家出が
原因となった母の死に打ちのめされ、アナの元を去る。別の相手を愛することが
あっても、決してお互いのことを忘れず、心の底で愛し続ける二人。そして運命の
糸は必ず二人を結びつけるのである。オットーの名前の由来は、ゲルニカの街の
そばの森にパラシュートで降りたが木に引っかかったドイツ兵の名前。オットーの
祖父が、彼を助けたのであった。そして、のちにアナの母が恋におちた男性の父
こそ、この元ドイツ兵オットーなのであった。しかも、このオットーは、アナとオットー
が青春期に二人で見た北極圏の地図にあったフィンランドに住んでいるのであっ
た。ニュースキャスターになったアナの母が伝えるゲルニカのニュース、航空便を
運ぶ飛行機のパイロットとなったオットーが運んだアナからの手紙。様々な偶然が
二人の運命を紡ぎ出す。偶然が必然となっていく。
白夜のフィンランド、沈まない太陽を見つめながらオットーは必ず来ると信じて待つ
アナ。湖畔で待つ彼女の意志の強さをあらわす、大きな瞳とまっすぐな表情が印象
的だ。彼とこの北極圏の空の下で出会える、運命が二人を再びめぐり合わせようと
している、人生最大の偶然を信じているが、本当に彼はやってくるのだろうか・・・。
あまりにも完璧な構成の映画であるため、最後の方までは、ほとばしる情熱とは
無縁だ。しかし、静かな愛の炎が終始美しく燃えている作品である。淡々としてい
るがゆえに、彼らの運命の切なさが痛切に伝わってくる。青みがかった美しい映像
とともに、見るものの心を打ちのめす作品といってもいい。「運命」とは、「生」とは、
「死」とは、「愛」とは、と問いかける作品でもある。
監督:ヨハンナ・ハルド
出演:グレテ・ハヴネショルド、クラース・マルムベリィ、ベアトリース・イェールオース
5歳になったばかりの少女ロッタちゃんはスウェーデンの小さな街ヴィンメルビーに
両親と兄、姉の5人で暮らしている。ロッタちゃんはかわいいけれども、同時に意志
が強く、自分に自信がある女の子。
ロッタちゃんは、お母さんにちくちくするセーターを着るようにと言われて断固拒否し、
隣のベルイおばさんの納屋に家出をしてしまう。口笛が上手だけど、スキーのスラロ
ームだけはちょっと苦手。家族のピンチの時には機転を効かせて彼らの危機を救っ
たりする。彼女の活躍が素敵な奇跡を呼んだりするのだ。
ちょっとワガママでだだをこねたりするけれども、そんな彼女を、まわりの大人たち
はむやみに叱ったりすることもない。温かい目で見守って、彼女のプライドは守りつ
つ優しく諭していくところがとてもいい感じ。近所の人たちも、みんなロッタちゃんが
大好きで、彼女を大きな愛で包んでいる。
ロッタちゃんは、他の映画にでてくる子供と違って、大人に媚びたりせず、ちゃんと
自分の考えを持って、自信を持って行動し、生きているところが素敵。だからといっ
て生意気なわけでもないし憎らしくもない。まわりをハッピーにしていく不思議な力を
持っている。そして、ふくれっ面がなぜか似合うのだ。
ロッタちゃんを演じるグレテ・ハヴネショルドは金髪の美少女だが、しっかりとした意
志の強さを感じさせる顔立ちで、表情も豊か。そして、彼女のファッションがまたとて
もおしゃれ。大きすぎるサイズのセーター、下着姿(!)そして赤いドレスや毛皮の帽
子が金髪と白い肌に映える。ロッタちゃんの住む家や、家出先の納屋のインテリアも
さすが北欧と言うべきか、とても洗練されていて、雑誌のグラビアを見ているかのよ
う。
子供向きの話なので、少々起伏に乏しい面もあるけれども、見ていてとても温かい
気持ちになれる作品だ。ロッタちゃんの可愛がっているブタクマのぬいぐるみ「バム
セ」が思わす欲しくなってしまう。
監督・脚本:ランド・ラヴィッチ
出演:ジョニー・デップ、シャリーズ・セロン、クレア・デュヴァル
スペンサーは宇宙飛行士で、スペースシャトルに搭乗している。彼は船長と船外で
行動していたときに爆発が起こり、二人は2分間、交信不能状態に陥る。そして無
事に帰還したのだったが、しばらくして船長は原因不明の死を遂げ、船長の妻も自
殺。スペンサーの妻ジリアンは双子を妊娠するが、その頃から、夫スペンサーの様
子が奇妙になっていく。スペンサーは果たして、宇宙に飛び立つ前のスペンサーな
のか、それとも、何者かに乗っ取られたのだろうか?
宇宙から帰ってきた夫の様子が明らかにおかしい。ラジオから流れるノイズを聴い
てばかりいる。船長夫妻の不審な死。船長の妻も同じく双子を妊娠していたという
事実。スペンサーが宇宙人に乗っ取られたのではないかと疑わせる要素はたくさ
んある。しかし、同時に、ジリアンはもともと鬱病を患っていて入院した経歴があっ
た。その上、スペンサーがNASAを退職して民間企業の重役に就任したことにより、
住み慣れたフロリダを離れ、慣れないニューヨークでの暮らしが始まった。友人もな
く新しい職場で仕事をしなければならない。がらんとした部屋に一人取り残される
恐怖。その上、妊娠してしまったということが彼女の不安定な精神状態に追い打ち
をかける。もしかしたら、夫の変貌は単なる妄想なのかもしれない・・。
ジリアン役のシャリーズ・セロンは、宇宙人の子を妊娠してしまい、自分もその宇宙
人に乗っ取られるかもしれないという底知れぬ恐怖と戦う妻の役を熱演している。
一方では、それは単なる妄想なのかもしれないということを観る者に思わせる、その
情緒不安定な様子もよく伝わっている。ただ、小学校教師という仕事の割にはスタ
イルが良くて美しすぎるのが難点。原題は「宇宙飛行士の妻」というタイトルである
からして、主役は彼女なのだが、もちろんジョニー・デップの演技は上手い。上手す
ぎる。宇宙に出かける前の彼と、帰ってきてからの彼は明らかに別人に見える。笑
っていても決して目は笑っていないのだ。かなり怖い。ジリアンの妹を演じたクレア・
デュヴァルや、NASAの職員役の俳優も熱演している。しかしながら、この映画は失
敗作としかいいようがない。
まず、どうでもいいようなシーンがやたら長く、重要なはずのシーンは短くて説明不
足。ジリアンの夫への複雑な感情も描き込み不足。最後の方に現れる、宇宙で一
体何が起こったのかを説明するシーンなどを観ても、実際何が起こったのか良くわ
からない。ラストの場面も、なんだかいきなりC級のホラー映画みたいになってしま
っている。後日談も説明不足で、結局どうなったの?という感じ。せっかく撮影が美
しくていい雰囲気を作っていたり、俳優ががんばっていたりしていたのに。