カノン Seul Contre Tous

監督・脚本:ギャスパー・ノエ
出演:フィリップ・ナオン、ブランダン・ルノワール

馬肉屋を営む男。彼は娘を乱暴したと勘違いしてアラブ人を刺し刑務所に入り、出所して
きたところから物語は始まる。出所した彼に馬肉屋の職は見つからず、店を開くために仕
方なく彼はカフェを営む中年女性と関係して北の町リールに移る。しかし彼女に邪険にさ
れ、彼は彼女のお腹の子供を殺しパリへ。彼が刑務所にいた間施設に預けられていた口
の利けぬ娘を捜しにいく。

主人公、馬肉屋の親父が強烈。90分ほどの作品のうち80分くらいは、禍々しい狂気の
光を血走った目に湛えた彼の呪詛が延々と垂れ流される。彼は、世の中でモラルとされ
るものをすべて憎む。移民やゲイを憎み、太った愛人を憎み、刑務所に入っていたばかり
に彼に職が見つからない世の中を憎む。彼の子供を身ごもっていた愛人の腹を蹴り上げ
て流産させても、彼には罪の意識は微塵もない。その強烈な憎しみは、銃声のような効
果音とともに、畳みかけるように吐き出されている。

彼だけでなく、この映画の世界は、彼の心象風景のように寒々しい。リールからパリに舞
台が移っても、風景はほとんど変わらない。とても花の都とは思えない陰鬱な街並みを、
銃を片手に行進する親父。彼が愛するものは二つだけ。口の利けぬ娘と、馬肉屋の仕事。
それ以外のすべてを憎んでいる。

彼は、娘を愛するがゆえに起こした行動のため、馬肉屋の仕事を失い、これまで真面目
に働いて手に入れた店も失い、娘も取り上げられた。そんな境遇に彼を追い込んだ社会
が憎い。それはもう被害者意識の世界である。そのドロドロの情念を醜い全身から噴き出
させている誇大妄想狂の親父の姿。観ていて気持ちよいものではない。
いや、この映画の大部分は、不穏な効果音と相俟って観る者にとってはほとんど拷問で
ある。余計な部分を削ぎ落としたスタイリッシュな表現で語られていなかったとしたら、も
う映画館から逃げ出していたかもしれない。

ところが、終わる10分前に、突如物語は急展開する。あらゆるモラルを超越し、インモラ
ルな世界の中に、馬の肉のように生々しいけれども、限りなく美しい結末が待っているの
だ。アッと驚くような強烈な「愛」にあふれたエンディング。この最後の10分が素晴らしい。
汚濁の中に美を見た思いがした。これまで我慢してみていた甲斐があった。人間の本能
の中に存在する「愛」とは、まさにこの映画の中に登場した「愛」のではないか、と思った。
彼らはその「愛」なしではもはや生きていけない。だけどお互いに何も求めず、ただそこ
にいるだけで事足りる、お互いのほかには何もいらない、そんな愛。

インモラルではあるかもしれない。だけど、こんな神々しいまでの愛が、かくのごとくシン
プルに提示された作品を、私は他に知らない。

愛のコリーダ 2000 L'Empire des Sens

監督:大島 渚
出演:松田英子、藤竜也

旅館の女中であった阿部定は、料亭の主人石田吉蔵と出会い、ふたりは愛し合うように
なる。夜も昼も、狂ったように交わり会い、ほとんど片時も離れないふたり。そして、ふたり
の愛は死に向かって一直線に突き進んでいくのだった…。日本の恋愛史上最もセンセー
ショナルな「阿部定事件」をモデルにした作品。

強烈な作品である。全体の三分の二ほどは、定と吉蔵のベッドシーン。それも赤裸々と
しかいいようのないシーンの数々が綴られている。私が観たヴァージョンと、実際に公開
されるヴァージョンとではもしかしたら差があるのかもしれないが(最終審査が終了する
前の段階で観たもので)、一部ぼかしがある以外は局部まで映っていて、「本番」なの
がわかってしまうほどだ。しかしながら、不思議といやらしさというものが全く感じられな
い。定という女性の、純粋すぎる、そして率直すぎる愛が痛いほど伝わってくるため、か
えって爽やかな印象まで与えられてしまうのだ。

定はただ一途に吉蔵を愛している。その愛し方は半端ではない。何しろ、ずーっと愛す
る男から離れないのだから。離れないというのは、文字通り体が離れない(つまり結合
している)ということである。定、そして吉蔵は他のこと(社会生活とか、家族とか)をすべ
てうっちゃって、ただひたすらに性愛に没頭する。食事もとらず、彼らが滞在する宿の女
中たちが部屋に入ってこようと気にせず、セックスを続ける。性愛以外のすべてを切り捨
てて、彼らはふたりだけの小宇宙を作り上げていたのだ。定にとって、生きることのすべ
ては吉蔵との性、そして愛なのであった。

激しすぎる愛をぶつける定に対して、戸惑いながらも彼女のすべてを受け容れる吉蔵。
そして定は吉蔵に愛の快楽を与えるためにはどんなことでもした。ついに、究極の快楽
とは死であるということを発見してしまったふたり。定の愛が、彼の命を奪うほどのもの
であるということに気がついても、彼はもうすべてを定に委ねることにしたのだった。愛
(エロス)は死(タナトゥス)と隣り合わせである。そして愛が極まった瞬間、愛と死とが
一致してしまうということになるとわかっていても、それを受け容れた吉蔵のこの上なく
幸せそうな表情が、観る者の胸にも刻み込まれた。

有名な「定 吉 ただふたり」の文字を血で吉蔵の体に書きしるし、彼の性器を切り取
った定。愛の神話がここで完成したのであった。

センセーショナルな物語を、端正で耽美的な映像で切り取っているというのも、この作品
の持つ官能性を際だたせている。日本家屋特有の襖や障子を活かした画面構成、モノ
トーンに鮮やかな赤を際だたせた色彩設計。陰影に富み、幽玄という言葉が似合う美術。
これらの繊細な美しさが、この映画に品格を与えている。情念をあふれさせていて強く奔
放で純粋な女・定と、包み込むような優しさの吉蔵の人物像も鮮烈。24年経った今も色
あせない強いインパクトを持った、これぞ究極の愛の物語だ。それでもぼかしが残ってし
まっているということが非常に残念である。この美しい作品を汚してしまっているからだ。

さよならS Le Petit Voleur

監督:エリック・ゾンカ
出演:ニコラ・デュヴォシェル、ジャン・ジェローム・エスポジト、ジョー・プレスティア、エミリー・ラファルジュ

オルレアンのパン屋で働く少年S(エス)は、ある日パン屋を飛び出し、友人の女の子
の給料を盗んでマルセイユへと旅立つ。そこで彼はボクシングジムを経営するギャング
の仲間となる。ボクシングで体を鍛えながら、Sは強盗の手伝い、娼婦たちの監視、そ
してボスの’目’と呼ばれる男の祖母を世話する仕事を与えられる。しかしひ弱な彼は
ボクシングもなかなか強くならず、強盗に入っても役立たない。そして彼はギャング団
から逃走するのだが…。

パン屋の下働きとして閉塞した毎日を送っていたSは、こんな退屈な日常から逃げ出し
たくてたまらなかった。彼が手っ取り早く自分を変える道として選んだのは、犯罪に手を
染めるという安易なもの。だけど、彼は半端な少年だ。犯罪者になるために白昼の強盗
を手伝うが、ワルになりきれない彼は足手まといになるだけ。せこい仕事しか与えられ
ない。ひょろりとした体つきで、ボクシングもサマにならない。でも、ちょっとした悪知恵は
働くから、試合では相手の怪我した部分に攻撃を加えるというずるいやり方で勝つ。半
端者のSがギャング団で見たのは、彼が逃げてきたこれまでの平凡な日常よりももっと
つらい、汚れた世界だった。

Sは平気で人を裏切ることだってできる。優しいガールフレンドサンドラの給料をくすね
て街を出ていく。夢を語っていた彼女をせせら笑ったのである。仲間たちと空き巣に入
って警察に包囲されたとき、彼はボスの’目’を窓から突き落として一人逃走する。その
上、世話をしていた老女の年金さえも奪おうとするのだった。しかし老女はスペイン内戦
で活躍した元女兵士で力が強く、Sは彼女に勝てなかった。そんな彼を、ギャングたちが
見逃すわけがなかった。道端で、Sは背後から近づいてきた仲間たちに喉を掻き切られ
る。手痛い代償を払い、彼は元のパン屋での生活に戻っていくのだった…。

上映時間が63分と極めてコンパクトにまとまり、無駄がなくキュッと締まった作品。音
楽も一切使われず、説明的な台詞もない。ドキュメンタリーを思わせる手法を取ってい
る。Sは無口な少年だ。顔立ちは整っているが、存在感が薄い。それゆえ、「S」という
仮名でしか呼ばれない。しかし、それだけに彼の閉塞感と痛みがずしんと伝わってくる。
素手で壁を殴り指を血だらけにするシーンは本当に痛そうだが、それ以上に痛みを感じ
させるのが、喉を切られるシーン。背後からざっくり喉を切られ、血を噴き出しながら倒れ、
地を這う彼の苦悶に歪む表情が延々映される。こんなはずではなかったのに…という彼
の思いが伝わり、観ている側にダイレクトに痛さが伝わってくるのだ。

肉体的な痛みの次に、精神的な痛みを伝えるのがラストの、パン屋でのシーン。
怪我から回復したSは、元のパン屋に復職する。喉の傷跡が痛々しい。これまで以上
に無口になっている。うつむいたくらい表情で、黙々と真面目に働く。手にした給料から
サンドラから奪ったお金を返すために封筒に入れる。彼は閉塞した世界から逃れようと
しても、結局飛び立つことはできなかった。大きな代償を払い、もう二度と飛び立つこと
はないだろう。もしかしたら彼は平凡さの中に幸せを見つけるかもしれない。少なくとも
ギャング団に残っているよりはいい人生を過ごすことはできるだろう。希望は残されてい
る。だけど、こんな残酷な結末はない。Sの心の痛みがずしりと伝わってくる。

そんなSと対照的なのが、サンドラである。表情に乏しいSと違って目を輝かせ、自分
の夢を語る彼女はとても魅力的だ。たとえ彼女がS同様地道に働く毎日を続けていた
としても、彼女には未来を感じる。Sに金を奪われたところで、きっとへこたれないであ
ろう。彼女と、Sとのシークエンスを冒頭に持っていてコントラストをつけ、さらにSに金を
くすねさせることで、彼のどうしようもなさを強調するという構成が非常にうまい。

Sはどうしようもない少年だ。だけど、誰の心の中にも、Sに似た存在がいるのではない
か。美しく、格好良くは生きられないけど、今いる場所から飛び立とうとしている存在が。
彼の心の痛みは、私たちの心の痛みでもある。Sの喉を掻ききったカミソリのように心に
ダイレクトに突き刺さる、痛くてたまらない映画だ。