監督:サム・ライミ
出演:ケヴィン・コスナー、ケリー・プレストン、ジョン・C・ライリー、ジェナ・マローン
ビリー・チャペルは大リーグの名門チーム、デトロイト・タイガーズに入団して
19年目のベテラン投手。数々の栄光に包まれた野球人生を送ってきたが今
期はやや不振。そして対戦相手ヤンキーズの優勝がかかった試合に先発する
日に、オーナーがチームの身売りと、彼の移籍を打診してきた。移籍の打診は、
ビリーが栄光に包まれている今のうちに引退したほうがよい、という勧告でもあ
った。しかもその日、5年間つきあっていたガールフレンドのジェーンが、別れを
告げたのであった。万感の思いを胸に、ビリーはマウンドに立つ。
ビリー・チャペルは「野球バカ」である。野球好きの父に育てられ、40歳になる
今日まで野球中心の生活を送ってきた。5年間つきあってきたジェーンと結婚
に踏み切れないのも、どうしても彼女とのことは野球の次になってしまうからだ。
野球を取ってしまったら何も残らないような男だが、彼は彼なりに不器用に、誠
実に生きてきた。
そんな彼が、野球生活の岐路に立たされる。一流の実績を残し、野球殿堂入り
だって夢ではないと言われてきた男も、もはや不惑の年。体力も衰えてくるし、
お腹も出てくる。ちょっと哀愁が漂い始めているが、まだまだ現役でやれると信
じている。その上、試合の当日に恋人に振られ、球団の身売りと引退勧告まで
受けてしまう。ダブルパンチだ。しかし、この試合に負けるわけにはいかない。
タイガースにとっては消化試合だが、相手のヤンキーズは優勝がかかっている。
意地にかけても、負けるわけには行かない。
この映画は、もしかしたら最後のマウンドになるかもしれないこの試合を中心に、
ビリーの脳裏に浮かぶジェーンとの5年間を描いている。2時間の試合の始まり
からゲーム終了までをほぼリアルタイムに、丁寧に映している。そして、試合の
迫力が素晴らしい。私も何回か球場に足を運んで野球を見たことがあるのだが、
この映画では、本物の野球の試合を球場で見ているような気分になる。汚い野
次を飛ばす観客。本物の解説者による実況。そして、一球一球に魂を込め、打
者に語りかけるビリー・チャペルの鬼気迫る投球。5万人もの観客が詰めかけた
スタジアムでも、彼は「ノイズ消去」することができる集中力を持っている。
自分の野球人生の意地と誇りを賭けた投球は見事で、ビリーは完璧に近いピッ
チングを見せている。そんな彼でも、イニングが進むにつれて、もともと本調子で
なかった肩がしびれてくる。痛んでくる。ストライクが入らなくなったり、甘い球を
投げてしまうこともある。集中力が落ちて「ノイズ消去」できなくなる。ホームラン
性の当たりが出たときでも、チームメイトたちは必死に守って、ひとつの塁をも渡
さない。彼らのプレイに胸が熱くなる。中でも、ビリーの女房役であるキャッチャー
のガスが、チーム一の鈍足で必死に走るところには感激。
とここまで書いてきたように、野球の場面がとにかく素晴らしい映画である。ケヴ
ィン・コスナー自身が野球好きで、これまでも野球映画に出演していただけあって
ユニフォームが似合うし、ピッチングも本格的。それと、ヒーローとは言っても引退
の瀬戸際に立たされた哀感漂う役がはまっているのだ。空港のモニターに群がり、
野球談義をしたり、ビリーの投球に一喜一憂する人々の姿も、リアリティがある。
しかしながら、試合の迫力、野球への思いが熱いのに対して、もう一つの物語の
核であるラヴストーリーがちょっと弱い。試合のシーンの合間に、ビリーとジェーン
の5年間が語られるという構成なのだが、野球の熱い場面を、このラヴストーリー
がぶつ切りにしてしまうという大きな欠点もあるのだ。ジェーンは「私はグルーピー
とは違う」と訴え、ビリーがスーパースターだとは知らなかったし、出会った人と簡
単に寝るような女ではないと語る。シングルマザーとして娘を育てながら仕事も頑
張る女性である。とても等身大で魅力的ではあるけれども、でも描写にちょっと深
みが足りない気がする。基本的には「待つ女」になってしまっているからだ。ただ、
新しいキャリアを求めてロンドンへと旅立つ日、空港のロビーのテレビでビリーの
投球する姿を見守る姿には、熱いものを感じさせてくれた。
「野球って、アメリカ国民の娯楽だったんじゃないの?」ビリーが大けがしたとき、
病院で、野球には関心のなかったジェーンが叫ぶ。この映画は、野球好きな人に
は、またとない感動を与えてくれるはずだ。男のかっこいい生き様についても、存
分に語っている。原題は「だって野球が好きだから」という意味。自分の好きなこと
について、一途に生きてきた男の人生を描き、去り際の美しさについて考えさせて
くれる作品だ。
監督:マイケル・アプテッド
出演:ピアース・ブロスナン、ロバート・カーライル、ソフィー・マルソー、デニース・リチャーズ
ジュディ・デンチ、ジョン・クリース、デズモンド・リューウェリン
英国諜報部員ジェイムズ・ボンド。彼が持ち帰った札束に仕掛けられていた爆発
装置によって、石油王ロバート・キング卿が爆死した。キング卿殺害の犯人と目さ
れたテロリスト、レナードの手から、キング卿の娘エレクトラを警護する任務を負い、
ボンドはキング卿の石油パイプラインが建設されているアゼルバイジャンに向かう。
当然のごとく、ボンドとエレクトラは恋におちるのだが…。
父親が007シリーズの大ファンであったので、私は「私を愛したスパイ」から「リビ
ング・デイライツ」までの6作は映画館で観ていたし、それ以前の作品もテレビ放映
ですべて観ていたが、ピアース・ブロスナンに代わってから観るのは初めてだ。時
代の移り変わりと共に、ボンド像も大幅に変化した感じがする。昔のボンドはとにか
く伊達男で、いつでもタキシード、ピンチに陥ることがあっても無敵の存在で、怪我
をしたこともなければ、口説いた女性は全員落とせる、といった笑っちゃうくらいすご
い人だった。しかし、この作品でのボンドはかなり人間くさくなったと言えよう。冒頭
でいきなり負傷するし、女に手が早いところは変わらないけど、落ちたと思った女性
がじつはそうじゃなかったりして…。ちょっと彼にも哀愁が漂うのであった。
冒頭のテムズ川でのボートチェイスのシーンはなかなかスリリングで良い。この作
品が遺作となってしまったデズモンド・リューウェリン演じるQのボートは、いかにも
007に出てきそうな飛び道具満載で楽しい。しかし、他のアクション場面は今一歩
である。ボンドカーも案外活躍しない。そして、もう一つの欠点は、話の筋がとても
わかりにくいことである。話の中盤にならないと、これまでの話がどういうことだった
のかがよくわからないのだ。しかし、今回の007は、アクションとか筋よりもドラマや
キャラクターが重視された作りになっているのだった。
今回の悪役、雇われテロリストのレナードを演じるのは、あのロバート・カーライルで
ある。そして、彼の設定は、脳に埋まった銃弾のせいで神経が麻痺し、痛みを全く
感じることができないと言うものだ。この設定は、悪役でありながら、彼にダークな
哀しみの影を与えるものである。なんとなく007映画の主役は「オースティン・パワ
ーズ」のドクター・イーブルみたいな誇大妄想狂的悪人というイメージだったのに、
思わず同情を誘ってしまうキャラクターとは、意外だ。カーライルは悪人風の風体を
しているものの、ボンドと同様、どこか哀愁を帯びているのだ。
(ネタバレとなります)
物語が進んで行くにつれて、実は悪の総本山はレナードではなく、エレクトラである
ことが判明する。エレクトラは、自分の愛人であるところのレナードを雇って原子力
潜水艦を爆発させ、自分のパイプラインだけ生き残らせようとするのが狙いだった。
レナードはかつてエレクトラを誘拐したのだが、「ストックホルム・シンドローム」により
(誘拐された人間が、自分を誘拐した人物に親しみを感じること)エレクトラはレナ
ードを愛するようになったのだ。しかし、銃弾によって感覚を失ってしまったレナード
は、彼女を抱くこともできない。ここで、またレナードの哀しみが胸に響いてしまうの
だった。エレクトラを軸に、ボンドとレナードが対峙するという図式になる。しかしなが
ら、レナードの登場シーンが少なすぎるため、せっかくのカーライルの好演も、この
図式を明確に浮かび上がらすことができないのが、少々残念だ。
また、ボンドとエレクトラとの間の感情も、十分描かれているとは言えない。ソフィー・
マルソーはエレクトラの役柄にとてもはまっているけど、デニース・リチャーズが演じ
る女性科学者が出てきた分出番も減ってしまっているため、彼女が父親やボンドに
対して持っている複雑な感情が表に出てこないのだ。
といった欠点はあるけれども、さすが007、と思うのはそのサービス精神。まるで自
分の死を予感していたかのようなQの退場シーン。そして、その跡継ぎとなるべく情
報部に配属されていたのは、かのモンティ・パイソンのジョン・クリースだ!イスタン
ブールでのエキゾチックなカジノの場面では、ボンドは女性の衣裳が透けて見える
特殊なサングラスをかけたりしているし、ソフィー・マルシーのスケスケ衣裳、デニー
ス・ウィリアムズの巨乳と男性の目の保養は十分に保証されている。エレクトラの手
に落ちたボンドが縛られるのは、中世の処刑椅子。こういう妖しげなエキゾチズムの
表現は、個人的に好きだ。
飛び道具、セクシーなボンドガール、ボンドカー、MI6(英国情報部)の愉快な面々、
危機一髪、そしてラブシーンで終わるラストと、007のお約束事はすべて守られてい
る。なんだかんだいって、楽しめる。ただし、やっぱりルナシーのエンディングテーマ曲
はやめてほしかった。終わってウキウキした気分になっているのに、日本語の歌が流
れると思いっきり興ざめだ。
監督:クロード・シャブロル
出演:サンドリーヌ・ボネール、ヴァレリア・ブルーニ=テデスキ、ビュル・オジェ
ジャック・ガンブラン、アントワーヌ・ドゥ・コーヌ
ブリターニュの海沿いの小さな町に住むルネとヴァレリアの夫婦。ヴァレリアは往診
専門の医師をしており、ルネは売れない画家で、生活のために子供たちに絵を教え
ている。ルネの教え子である10歳の少女エロディが、教室の帰りに何者かに乱暴
され殺された。新任の女刑事ルサージュが捜査に乗り出すが、最後にエロディを目
撃したルネが疑われる。一方、町の名士である人気作家デモとヴァレリアは急接近
する。少女殺しの犯人は誰なのだろうか、そしてルネとヴァレリアの夫婦の関係は
どうなっていくのか…。
ルネはかつて事故に遭ったため、足がやや不自由だ。画家としての才能はあり、彼
の作品が町のコンサートホールに飾られているくらいである程度の評価は受けてい
るのだが、成功しているとは言い難い。しかも、この町ではよそ者だ。その上、彼は
世渡りが下手でクライ性格の人物。彼の描く絵の色使いもとても陰鬱である。対し
て、ヴァレリアは医師というキャリアがあり、明るく外向的な性格。彼女と結婚してい
ることで、ルネは外界との接点を保つことができるのだ。この夫婦はとても愛し合っ
ているように見える。中でも、ヴァレリアなしでは安定した生活を送ることのできない
ルネの、彼女への愛情は並々ならないものがある。彼には、深い愛情のあまり、常
にヴァレリアの顔色を伺い、自分を抑えつける傾向が見受けられる。決して健全な
関係とは言えないものだった。
そんなところへ、少女殺しの事件が起きる。内向的で非社交的なルネの性格、しか
もアリバイがない。女刑事が彼の元へやってくる。絵画教室には、生徒が一人もい
なくなる。小さな町は噂で持ちきりだ。ということで、ルネは精神的に追い込まれる。
一方、ヴァレリアに接近するのが、人気作家のデモ。彼はマスコミにも頻繁に出る
有名人で、色男。夫を愛していても、小さな町に埋もれている生活に飽き足らなくな
ってきたヴァレリアが彼にクラリと来ても無理はない。ルネは、ヴァレリアとデモの間
に何かがある気配を察知し、猜疑心、嫉妬心の虜になる。
「青」という色彩が、この映画を象徴する存在となっている。もともと、ルネは青い、陰
鬱な絵を描いていた。人間に興味を失い、人物画を描かなくなったということで、彼ら
の家は、ルネの描いた風景画やだまし絵で埋め尽くされていた。だまし絵というのは、
「嘘」の象徴であるし、足が悪いというのは、性的能力の欠如の象徴であるし、彼が
人間に興味を失っているということを表すものであるように見受けられる。
そんなところへ、デモに青い色が似合うと言われたヴァレリアが美しい青のワンピース
を買った。急にルネはヴァレリアの肖像を描きたくなってデッサンを始める。何者かに
取り憑かれたかのように、激しい筆致でルネはヴァレリアの肖像を描きまくる。
青いワンピースを持ち、ヴァレリアは女友達と旅行に行くと偽ってデモと密会するが、
一歩手前で思いとどまる。帰ってきた彼女を出迎えたのは、青いワンピースを脱ぎ捨
て、顔を見せない男に裸体をさらすヴァレリアの絵だったのだ。その凍り付くような恐
ろしい絵を前に、ルネは妻を抱きしめ、何事もなかったかのように二人はベッドにつく。
しかし、本当の恐ろしさはこれからやってくるのだった。
デモとルネが青く、濃い霧に覆われた海をボートで漕ぎ出す場面の不吉な美しさ。彼
の心の闇を象徴するかのようだ。そして第2の事件が起きる。ますます心の迷路の
中に迷い込むルネ。女刑事の活躍で、少女殺しの犯人が判明する。最後に、ヴァレリ
ア、ルネ、デモがそれぞれついていた嘘も明るみになってくる。そして、ようやく対等の
夫婦関係を獲得したかに見えたふたりだったが。
どんなに愛し合っていて、一緒に暮らしていても、お互いの本当の心はわからない。
嘘が明るみに出て、許しが得られ和解したあとでも、またこれから先もお互いに嘘を
つかずに、この夫婦が生きていけるかどうかは誰にもわからないのだ。これこそが、
人間の本当の「心の闇」といえる。美しく禍々しい映像の中に、人の心の暗部が巧み
に描き出された作品である。
監督:小泉堯史
脚本:黒澤明
出演:寺尾聰、宮崎美子、三船史郎、原田美枝子、吉岡秀隆、仲代辰矢
剣の腕前は天下一品だが、世渡りが下手で不器用な性格が災いして浪人の身分
に甘んじている三沢伊兵衛。彼とその妻たよは、大雨のため安宿に足止めを食らう。
安宿で伊兵衛は、疎んじられている夜鷹おきんに優しく接し、賭け試合で得たお金で
宿の貧しい宿泊客たちとささやかな宴を催して、人々に温かい気持ちを運んでくる。
ひょんなことから剣の腕を見込まれ、伊兵衛は宿場町がある藩の若殿様重明に「剣
術の師範にならないか」と招かれる。
この映画を観るのは東京国際映画祭に続いて2回目だが、2回目の方がさらに感動
してしまった。三沢伊兵衛はきわめて高潔な人間である。彼は剣術の腕が素晴らしく、
勝負をしても誰も勝つことはできない。なのに決して奢ることもなければ、欲もない。貧
しい人、卑しい身分の人にも優しく接する。こんな善良な人間はどこにもいないのでは
ないか、と思うのが普通なのだが、寺尾聡の演技がきわめて自然なので、こういう素
晴らしい人間が本当にいるんだ、と思ってしまうのだ。そのストイックな表情、優しくあ
たたかい微笑みは素晴らしい。彼を支える妻たよの、たとえ貧しくても、まわりの人々に
とって心温まるような存在でいてくれるのだったらいい、という最後のセリフや、城から
の使者を一喝する言葉には、思わず涙が出てきてしまいそうになった。殿様重明を演じ
る三船史郎のセリフ廻しはたどたどしく不安定だが、重明のまっすぐさ、豪放磊落さを
的確に表現していて、なんとも魅力的である。
伊兵衛の性格は、御前試合の中で遺憾なく発揮されている。彼と対決する侍たちが攻
める気持ちで彼に飛びかかっても、軽やかに避け、自分からは攻撃は仕掛けない。勝
とうという欲が一切ないからだ。でも必要最低限の一撃で、相手に勝つことができるとい
う、たぐいまれな才能を持っている。しかし、そんな彼でも、殿様の重明が真剣になって
槍を持ってきたときには、ついつい本気を出してしまって池に叩き込んでしまい、丁寧に
謝りすぎたために重明は思わずムッとしてしまう。強すぎるために、恐縮したらかえって
相手は馬鹿にされたと感じてしまい、性格はとても良いのに憎まれてしまう。だから、彼
は宮仕えがうまくいかないのだ。
ラストのシーン、目に眩しい緑の山の中で剣を振り、「未練は切って捨てました」と清々
しい表情で語る伊兵衛。「わたしも元気と言っていいと思います」と答えるたよ。目の下
には美しい岬の景色が広がり、晴れ晴れとした気分にさせてくれる。伊兵衛を追って重
明の馬は走るが、果たして彼が追いつくかどうかはわからない。でも、たとえこれから先
伊兵衛が浪人生活を続けたとしても、きっとまわりの人々に愛され、感謝され、貧しくと
も楽しくいい人生を送れるのだろうな、と思わせる。
たとえ報われなくても、精一杯優しく生きている人間に対する賞賛の気持ちが、この映画
にはあふれている。最近の映画ではなかなか観ることのできない、愚直なまでの誠実さ
が感じられる作品。
東京国際映画祭の感想