監督:ステファン・エリオット
出演:アシュレイ・ジャッド、ユアン・マクレガー、ジュヌビエーブ・ビジョルド、k.d.ラング
英国大使館で働く諜報員のEYEは、局長の依頼で、彼の息子ポールとその愛人を追っていた。
博物館で愛人らしき女の写真を撮ったとき、8年前妻に連れ出され、それ以来会っていない娘
ルーシーの姿が一瞬よぎった。女とポールをハイテク機器で偵察するEYEは、ポールが目隠しさ
れ、服を脱いだ女に刺し殺される場面を見てしまう。
ジョアンナという名前のこの女を追跡するEYEは、彼女がカツラで変装し、名前を変え、アメリカ中
を旅しては次々に言い寄る男たちを殺していく場面を目撃する。EYEは、職務を放棄して、魅せら
れたかのように彼女をどこまでも追い、ついに、地の果てアラスカまで到達する。そこで彼を待っ
ていたのは…
謎めいた物語だ。ジョアンナがなぜ、男たちを殺していくのか、動機はまったく不明。彼女は幼い
時に父親に捨てられ、以来父親に対するコンプレックスがあったらしいということは判明するが、
その心の闇だけでは、彼女が殺人を重ねていく理由として弱い。また、EYEがすべてを捨てて、
取り憑かれたように彼女を追跡して行く理由も説明されていない。生き別れた娘への思い、幻影
がずっと彼につきまとっているが、娘への思いだけでは彼の行動の説明にはなっていないのだ。
わざとそのあたりの心理描写を省いているとしか思えない。
ラブストーリーなのに、最後の最後まで二人が出会わないというのも、不思議さに拍車をかける要
素だ。そう、この作品にはそういった理屈はいらないのだ。
独特の雰囲気にクラクラしてしまう作品なのである。言うまでもなく、アシュレイ・ジャッドは妖しく
美しい。フェンディの華麗な衣裳をまとい、ヒッチコックの映画に出てきそうなファム・ファタールの役
にはまっている。ディテールに凝った小道具使いの巧みさ。彼女が変身するために使うカツラの数
々。いく通りにも変身したアシュレイの姿は、目を楽しませてくれる。彼女が愛するジタンのタバコ
とコニャック。星占いが好きな女という設定で、いつも魚座のペンダントをぶら下げている。しかし、
これらの小道具たちは、話の筋そのものにはほとんど関係していない。敢えて言うなら、彼女の保
護観察官であった女性、ブロート博士が、やはりジタンやカツラを愛用していたことから、二人の不
可思議な関係を推理させるだけだ。
もう一つの小道具が、「スノーボール」と呼ばれる、街の名所に雪が降っている置物。全米を転々と
するEYEは、各地でこれを蒐集する。それは、生き別れた娘ルーシーの幻影に対してのプレゼントな
のである。この置物の中の風景で、また舞台が変わったことを知らされるという凝った構成になって
いる。しかも、全米を転々としながらも、その街らしさは、「スノーボール」の中の名所以外は全く発
揮されず、名前と髪型を変えていく根無し草のジョアンナと、息を潜めるように彼女を追いかけてい
く孤独なEYEは、この世界から隔絶された存在であることを強調されている。
現代を舞台にしていながら、どこかこの映画は昔のフィルム・ノワールを思わせるクラシックさがあ
る。ずっとジョアンナを向かい側から覗き盗聴するEYEの姿は、「裏窓」を思わせる。フェンディの
衣裳も高価なアンティークだ。サンフランシスコでジョアンナが住む家を見張るためにEYEがこもっ
たのは、教会の鐘楼。最後にジョアンナが逃れるアラスカのダイナーも60年代ぽいし、ニューヨー
クでジョアンナが滞在するホテルの内部にしても、丸い螺旋階段を仰ぎ見るカットがあり、昔の映
画を観ているかのようだ。色使いもどこかセピアっぽいほの暗さ。そんな中、EYEが最先端のハイ
テクを駆使してジョアンナを見張るというミスマッチさ加減がユニーク。
途中までは男をどんどん殺していくジョアンナの悪女ぶりと、カツラによる変装の格好良さぶりにし
びれるが、途中、盲目の金持ちの男の恋人になったあたりからちょっとテンポが悪くなる。父親ほど
の年齢のこの男に対しては、ジョアンナは本当は愛を感じていたのかも、と思えるあたりからだ。そ
してEYEがジョアンナをただ見張るだけでなく、彼女の危機を救ったり、逆に危機を招いたり、直接
的にかかわり合おうとし、そして単なるストーカーに近い面を見せていくにつれて、作品の最初のク
ールさが失われていく。
しかし、意識的に心理描写や心の通じ合いを省いたこの作品は、際だって個性的で、強い印象を
残すものだ。ストーリー展開が重要なのではなく、雰囲気を楽しむ作品なのだ。ブロート博士役の
ジュヌビエーブ・ビジョルド、k.d.ラング、そしてアイドルのイメージとうって変わってどこから見ても怪
しいジャンキー男を演じたジェイソン・プリーストリー(ビバリーヒルズ青春白書)と、キャストもクセが
ある。とても「現在の」ハリウッド作品とは思えないスタイリッシュさだと思ったら、監督はあの「プリ
シラ」のステファン・エリオットだった。
監督:アンディ・テナント
出演:ジョディ・フォスター、チョウ・ユンファ、バイ・リン
1862年、タイ宮廷に家庭教師として赴任したアンナ。彼女はシャム国王モンクットの58人の子
供たちに、英語を教えるだけでなく、世界に対する視野を広めるために派遣されたのだ。当時、
ベトナムはフランス領インドシナとなり、またビルマ(ミャンマー)はイギリスの領国となっていて、
国境は絶えず緊張感が漂っていたが、タイは独立を保っていた。イギリス領を押し通すアンナに、
最初宮廷の人々は強い抵抗を示したが、やがて国王とアンナはうち解けていく。
ジョディ・フォスターという女優が、アンナという役に合っていたかどうかは難しいところだ。もともと
大変なインテリである彼女が、知性あふれる家庭教師にふさわしいのはいうまでもないが、ここで
の彼女は、どうもちょっとかさついた女という雰囲気があって、好感を持たれにくい気がする。初め
て彼女が国王に謁見する場面では、周囲の反対を押し切って、平伏することを拒否するが、「オイ
オイ、郷に入っては郷に従えと言うではないか」と思った。最初は相手の国の習慣に従い、やが
ては故国の風習も理解してもらうというのが、初めて会う人への礼儀じゃないの、しかも相手は一
国の主だというのに。ということで、彼女には鼻持ちならない部分を感じてしまったのである。国王
にも、「あなたは夫を亡くしてから、女という部分を忘れてしまったのではないか」と言われるが、最
後まで女らしい部分をみせてくれない。そして、終始国王をリードするエラそうな存在となり、余計
なお世話をすることで困った事態を招いたりするのだ。
(終盤での、側室タプティムの悲恋部分で彼女は強烈なしっぺ返しを食らうわけだが)
そして、イギリスの高官たちを招いての晩餐会でも、宮廷の人々は西洋風の衣裳を着て、ナイフと
フォークの使い方を必死で勉強するが、せっかくの素敵なタイ風の民族衣装で晩餐会を開くことの
何がいけないんだろうか?まあ、それが史実であるから仕方ないのだけど、やはりどうしても西洋
的価値観の押しつけを感じてしまう。東洋のすぐれた点を彼女が理解したのかどうか、よくわから
ない。ここでも、映画における政治的に正しいことであることの難しさを感じた。
そういうことを置いておけば、それなりに楽しめる映画ではある。まずは、絢爛豪華なセットと繊細
で華やかな衣裳は目の保養になる。リゾート地で名高いランカウイ島でロケしているので、緑の濃
さ、美しい海などの自然も目に眩しい。国王のやんちゃな娘がとてもかわいい。そして、なんとい
ってもチョウ・ユンファは素敵だ。堂々とした存在感、優しく温かい微笑み。国王としての威厳がちょ
っと足りない面はあるけど、完全にジョディ・フォスターを喰っている。晩餐会の後にアンナに指輪を
贈り、「あなたの指がさびそうに見えたから」なんてしびれるような台詞を言ってくれる。別れ際、ア
ンナの頬を指でなぞるところも最高にロマンティックで、はにかんでいる、控えめな愛情を表現して
いて腰がくだけそう。それなのに、ダンスの場面も思ったより短いし、音楽もあの有名な「Shall We
Dance」を使ってくれれば良かったのにあまり目立っていなくて、余韻が十分残らず、酔うことがで
きない。
あと、もう少し宮廷内の裏切りに至る経緯とか、周辺国の政治状況も説明してくれたらわかりやす
くなったのではないかと思う。決して悪い映画ではないけど、せっかく「エバー・アフター」という大
胆な作品を監督したアンディ・テナントの作品なのだから、もう少し冒険してもらって、アンナという
女性も知的なフェミニストというだけでない、違った面を見せて欲しかった。
監督・脚本:東 洋一
出演:筒井道隆、細山田隆人、つみきみほ、鈴木ヒロミツ、宇崎竜童、中嶋朋子
川口浩二は東京のデザイン会社で働く29歳。都会の生活に苛立っている。そんな彼の元へ、故
郷である熊本県に住む父が死んだという知らせが届く。そして、そのすぐ後に、兄の息子で中学
1年生の拓也が郵便局に強盗に入り、捕まったという知らせも。彼は父の葬儀のため、実家へ帰
る。家族のゴタゴタ。恋人凛はインドの病院へ働きに行くという。仕事上のトラブル。様々な問題を
抱えた浩二は、故郷で自分の少年時代を振り返る。そして、大人とのコミュニケーションを拒否し
ている拓哉との交流。二人は、自分の心の居場所を見つけられるのだろうか。
都会で、デザイン会社のプロデューサーという一見かっこいい仕事をしている浩二。しかし、彼は
ここでの生活にすっかり疲れていた。バスに乗れば、席で化粧したり、携帯電話で大声で話す若
い女がいて、思わず電話を投げ捨てたくなるし、街行く人々も何が忙しいんだか、みんな携帯電
話でしゃべりまくっている。クライアントの広告代理店の部長には理不尽に罵倒されるし、上司は
親切なように見えて、ただごまかしているだけ。狭い世界で汲々としている自分を尻目に、恋人は
広い世界へと旅立とうとしている。浩二は何かを待っていた。彼の部屋に張ってある「タクシー・ド
ライバー」のポストカードは、今のふわふわした現状を抜け出したい彼の気持ちの表れである。
都会でも、田舎でも、世の中は少しずつ変わっていき、これまでと同じようにな接し方では、今の
子供には通用しなくなってきた。年ばかり取っても、大人になれるとは限らない。
祖父が亡くなった日に、郵便局で強盗を働いた拓也は、「13日の金曜日」のジェイソンと同じマス
クをかぶっていた。彼は保護観察を受けることになったが、保護観察官にも、教師にも、さらには
父親やおじである浩二にも何も言わない。彼が一体なぜ強盗を働いたのか、その理由は誰にも
わからない。ようやくつぶやいた一言は「大人はみんな仮面をかぶっている」。拓也の母親は、彼
が幼いときに男を作って家を出た。祖父の葬式に出席するため、数年ぶりに母親はやってくるが
噂話がすぐ広まる田舎では、みんなが彼女の陰口を叩いている。
この映画では、「仮面」というものが象徴的に使われている。
川を泳いで渡った、少年時代を思い出した浩二は日暮れ時に、仮面をかぶった謎の男に遭遇す
る。また、浩二は、拓也がかぶっていたのと同じようなマスクをかぶった少年3人組に襲われる。
仮面をかぶることで、新しい自分になれるような気がした浩二は、片手にバタフライナイフを持ち、
白いマスクをかぶって拓也の部屋に飛び込む。それから、拓也は次第に浩二に心を開いていくの
だ。彼自身が仮面をかぶった大人であるのだけど、「俺もお前と同じなんだよ」という気持ちが伝
わったのだ。
もやもやした毎日を送る青年浩二。父と二人で故郷に暮らし、迷える少年拓也。年は離れている
けれども、二人は同じ悩みを抱えていた。今のままではダメだ。だけど、どうやって、このふわふわ、
もやもやした毎日から抜け出せるのだろうか。暴力的な衝動が走ったり、人を傷つけようとしたり、
郵便局に強盗に入ったり、そして気に入らないクライアントを殴ったり。しかし、彼らは触れあううち
に、そんなことはしなくても、道は見つけられるということを知る。まだどんなふうに道は開けていく
のかわからないけども。
熊本県の球磨川流域の美しい自然。その中で、謎の仮面の男など現実とも空想ともつかない不
思議な出来事が起きたり、謎めいた感じのものが登場する。それらの意味を考えすぎるとわけが
わからなくなってしまうが、それは、心の中の迷いとか、ふわふわした浮遊感、曖昧さを象徴して
いるのではないかと思った。それでも、しかし必死に扉を開こうと模索する二人の姿は、目にしみ
るような緑、川を必死に泳いで渡り泳ぎ切る前には少しだけ大人の表情を身につけてきた少年の
姿、そして、ラスト、ハーレーダビッドソンにノーヘルでまたがって疾走する浩二の姿のようにすが
すがしさを感じる。