監督:ダニー・ボイル
出演:レオナルド・ディカプリオ、ヴィルジニ・ルドワイヤン、ティルダ・スウィントン
ロバート・カーライル
バンコクへふらりと旅行に出たリチャードは、同じ安宿に泊まっていた男から
「ザ・ビーチ」の地図を渡される。その男はジャンキーで、手首を切って自殺
するが、リチャードは隣りの部屋に宿泊するフランス人のカップルを誘って、
ビーチへ向かう。
ザ・ビーチは真っ白な砂と青い海の文字通りの楽園。そこでは、サルという女
性を中心にコミューンが形成されていた。毎日海で遊び、島で栽培される大麻
を吸う天国のような生活。しかし、この生活も長くは続かなかった。
タイには地図に載っていない島があって、そこでは麻薬が大量に栽培されてい
るという都市伝説がある。私も、その話は聞いたことがある。そして、その島が
本当にあるものだとして描いたのがこの作品。
この作品では、カリスマに率いられたコミューンの天国と地獄を描いている。
ここでは、そこに暮らす人間たちの快楽が最大限に追求される。彼らはこの島
で暮らす条件として、現地の農民たちからこれ以上人を増やさないように厳命
されているため、この場所は秘密とされている。そして快楽の邪魔をする人間
は容赦なく切り捨てられる。サメに襲われて大怪我をした仲間は、医者を呼ぶ
ことも許されず、苦痛にのたうち回る声がコミューンの雰囲気を悪くするというこ
とで一人死ぬまで置き去りにされる。快楽に取り憑かれた人間の狂気が出てく
る戦慄すべき場面だったはずだ。しかし、残念ながら、この映画では楽園の魅
力も、人間の狂気の描かれ方も、きわめて浅いものといわざるを得ない。
リチャードは刺激的な経験を求めて、このビーチにやってくる。たしかにここには
美しい自然と大量の麻薬があり、自給自足の生活を送りながら気ままに、欲望
の赴くままに、何も考えずに暮らしていける。しかし、ビーチのメンバーはもう6年
もここに暮らしているというのだ。新しくここに加わる人間も皆無。こんな生活を6
年も続けていて、よくも飽きないものだ。そこに新たにリチャード、そしてエティエ
ンヌとフランソワーズのカップルという若い3人が加わったことによって起きる出来
事。三角関係。サルの恋人との対立。楽園の崩壊。恐ろしいほど簡単に読めて
しまう展開だ。もう少しひねりを加えることは出来なかったのかと思う。
南の小島での独特のコミュニティと、そこでの人間関係、そして狂気は都会生活、
そして現代社会の一種の鏡であり、批評でなくてはならないのだろうけど、それ
がなされていないというのもちょっとマイナス点。南の島と、都会との対比を見せ
て欲しかった。バンコクなどで狂ったように大騒ぎするバッグパッカーたちの生態
と、島で自給自足の生活をするコミューンのメンバーとは違う、と言いたいのだろ
うけど、同じ穴の狢である。彼らはタイという国の国民ではない。気ままに旅をす
る人間であり、コミューンでの生活であったとしても、それは単に少し長い時間留
まっているだけのこと。いつかはここを去り、故国に帰っていく。生活ではなくて、
欲望の赴くまま生きているだけ。だから、無責任なことをしたって平気なのだ。
唯一、コミューンでの生活が本当の生活だと考えていたのは、リーダーのサルだ
った。
コミューンの人間たちと好対照なのが、実際にこの小さな島にすむ農民たち。彼
らは、大麻の栽培で生計を立てているが、それは生活のために必要だからして
いることであり、それゆえ、自分たちの権益を守るのにも必死だ。彼らは自分の
生活を守るためには、侵入してきた外国人を射殺することすら、何とも思わない。
しかし、残念ながら、この映画では、彼らが生活するのに必死であるという描写も
まったくなく、ただ自分たちの利益を守るためには平気で人殺しをする野蛮人とし
て描かれてしまっている。(タイ政府も怒るわけだ)
何よりこの映画がダメなところは、主人公のリチャードがこれだけいろんな経験を
したというのに、アメリカでの生活に戻った時、何も変わっていなかったということ
だ。リチャードに届いたスランソワーズからのメールでは、楽園が地獄に変わる前
の、楽しい姿の写真が添付されていた。楽園のダークな部分はすべて忘れ去ら
れ、残るのは楽しい思い出ばかり。リチャードが果たしてそこでの生活で何かを得
たりすることができたのか、何かが変わったのか、まったく描かれていない。ただ
南の島に行きました。変わった経験や冒険もしたし、命すらも危なくなりました。
でも、なんとか無事に帰れました。おしまい、めでたしめでたし、というそれだけの
お話になってしまっている。So what?という感じ。
ただ、アイドル映画としては大変良くできるいる。レオナルド・ディカプリオ演じる
リチャードのキャラクターは単なるモラトリアム坊やで特に魅力的ではない。しか
し、やはりレオが演じるととても素敵に見えるから大したものである。特に後半、
リチャードが一人になり、ジャングルの中で生活し、野生化したときの彼の躍動
する肉体は魅力的。お腹は少々出ているものの、ハリのある体、あのまなざし。
海中でのラブシーンはため息がでるほどロマンティック。彼の得意の演技力も存
分に発揮されている。
また登場場面は少ないが、リチャードに島の地図を渡すジャンキーを演じたロバ
ート・カーライルは、「トレインスポッティング」のベグビー以来のブチ切れた役で
忘れられないインパクトを残す。彼がいなければ、この映画はかなりつまらない
ものになってしまったに違いない。レオとカーライル、それとサル役のティルダ・
スウィントン以外の役は、正直重要性がなく、物語の途中で忘れ去られている
くらいだ。
監督・脚本:ジャスミン・ディズダー
出演:エディ・ジンジャーノビィテ、シャーロット・コールマン、ダニー・ナスバウム
1993年、ロンドン。この映画はロンドンに住むボスニア難民たちと、彼らを取り
巻くイギリスの人々を描いた群像劇で、5つのエピソードが交互に展開する。
一話目は、バスの中で乗り合わせた二人の難民が、大喧嘩を始め、二人とも大
けがをして入院する。片方はクロアチア人、もう一人はセルビア人で、ボスニアで
お互いに銃を向け合った間柄だったからだ。しかし、病院側は何を考えたのか、
彼ら二人と、ウェールズ人のテロリストを同室にした。隙があればお互いの点滴
や酸素吸入器を外そうとする二人。
二話目。熱狂的なフーリガンで麻薬中毒の青年グリフィンは仲間とロッテルダム
でのワールドカップ予選を観に出かけた。イングランドが負け、ヘロインを打って
意識が朦朧とした彼は空港で貨物の中に倒れ込む。ところがその荷物は、ボス
ニアへの救援物資で、彼は戦場のまっただ中に落下する。国連軍に助けられた
彼が目にしたのは、野戦病院での生き地獄だった。
ボスニア難民のペロは、生活保護を受けるため役所に行くが、英語ができない
彼は「LIFE」の意味が分からない。パブでその意味を通りすがりの人に尋ねた彼
はトラブルに巻き込まれ、交通事故に遭い入院する。彼の担当の医師は、上流
階級の娘ポーシャ。ふたりは恋に落ちるが、政治家の父ほか彼女の家族はイン
テリを気取っている割には偏見を捨てきれない、というのが3話目。
家庭内にトラブルを抱えた産婦人科医のモルディのもとへ、臨月の若い妊婦ジェ
ミラが深刻な顔をしてやってきた。ボスニア難民の彼女は、実は兵士に強姦され
て身ごもったので、子供を産みたくないという。
最後の話の主人公は、ボスニアの戦場を取材するBBCのレポーター、ジェリー。
彼は野戦病院で地獄を目にし、足を撃ち抜かれて帰国する。帰国後の彼は様子
がおかしくなり、治ったはずの足を切断して欲しいと医師に懇願する。「ボスニア
症候群」にかかってしまったらしい。
一見無関係に見えるこれらのエピソードだが、登場人物は皆どこかで繋がっている。
そして、共通したテーマが存在している。戦争という現実は大いなる不幸である。
戦争によって、本当にたくさんの不幸がもたらされた例がたくさん語られている。た
とえば、幸せな新婚夫婦の妻が、犯されて敵の子供を妊娠してしまうなんて、信じ
がたいような悲劇である。また、グリフィンは戦場で、幼い少年が爆撃で家族と視力
を失い、レポーターのジェリーは国連軍の兵士が麻酔なしで足を切断されるところを
目の当たりにする。
しかしながら、どんな悲惨な出来事が起こったとしても、それを乗り越えられる力を
持っているのが人間の素晴らしいところだ。たとえば、難民のペロと女医のポーシ
ャが結婚式を挙げるとき。ペロは告白する。彼はボスニアでは人をたくさん殺してし
まったと。そんな現実からどうしても逃れたくて、彼はイギリスにやってきた、生まれ
変わるんだと。この衝撃的な事実を結婚相手に告白するのに必要な彼の勇気、そ
してそんな彼を優しく受け入れるポーシャの愛。このエピソードには素直に感動して
しまった。
この映画は直接戦争を描いたものではない。戦争によってもたらされた悲劇を乗り
越える人間を描くと共に、戦争というのは、一見無縁と思える人間にも密接に関係
することがあるのだし、決して無関心であってはならないと言うメッセージが秘めら
れている。特に、イギリスという、難民を受け入れ、多民族国家になりつつある国で
は、戦争は無縁の話ではない。イギリスに住むごく普通の市井の人からの視線で
戦争を描いているというのは、なかなか面白い。
ペロが愛する医師のポーシャの家は、上流階級で、彼女の父は政治家だ。政治家
である以上、彼はテレビではきれい事を述べている。しかしいきなりどこの馬の骨と
も知れない難民のペロがやってきたとき、ポーシャの家族は偏見を露わにする。無
神経にも彼に「民族浄化をどう思うか」などと平気で聞いたりするのだ。ペロは生活
保護費の説明の時に聞いた「LIFE」という言葉の意味がわからず、フーリガンに尋ね
るのだが、「国に帰れ」と罵倒される始末。ペロの住むアパートの隣には不法入国者
が住んでいるのだが、毎日のように彼らは摘発されては強制送還されている。
こんな風に、移民や難民がイギリスにやってくることにより、様々な軋轢が生じるわけ
だが、しかし異なる文化の人たちが触れあい、受け入れあうことによって、お互いに
幸せになっていくのだというメッセージが、辛辣だけどユーモラスなエピソードによって
語られている。
中でもおかしいのが、クロアチア人とセルビア人の二人が同じ病室に収容され、虎視
眈々と相手を殺そうとするエピソード。最初は強い憎しみを持っていた二人が、看護婦
の取りなしと、カードゲームによって和解する。また、ジャンキーなフーリガンのグリフィ
ンが持っていた麻薬が、野戦病院で足を切断する兵士の麻酔薬として役立ち、彼は一
躍ヒーローとなって更生するというエピソードもユニークだ。悲劇の中でもユーモアを忘
れないことで立ち直るというユーゴスラビア人の強さを感じさせてくれる。
ただ、イギリス人を主人公にしたエピソードを盛り込んで公平な視点を入れようとした
のだろうが、エピソードを詰め込みすぎて、やや物語がばらけているというのが惜しい。
妊婦ジェミラの担当医やBBC記者の夫婦不仲のエピソードはちょっと余計だったかもし
れない。また、すべてのエピソードがハッピーエンドで終わっているのも、もっともっと厳
しいであろう現実を反映していないのだろうと思わせる。しかしながら、戦場の真上に
偶然落ちてきたグリフィンの物語が象徴するように、この映画はあくまでもファンタジー
なのではないかと思うのだ。希望を抱かせてくれるファンタジーだったら許されるのかな、
と思う。
監督:石井輝男
出演:吉田輝雄、大木実、土方巽、小池朝雄、由美てる子、由利徹、暗黒舞踊団アスペクト館
精神病院に入れられた青年医師の人見広介は、そこを脱出し、同じ子守歌を知ってい
たサーカスの美少女初代の話から、裏日本へと逃れる。彼は自分とそっくりの富豪の
息子菰田源三郎 が死んだことを知り、源三郎になりすます。しかし源三郎の妻の千代
子は毒殺され、不気味な出来事が次々に起こる。広介は源三郎の従姉妹静子や使用
人の蛭川とともに、源三郎の父丈五郎が住む島へと出かける。その島で、丈五郎は人
工的に奇形人間を作って、独自の桃源郷を作っていたのだった。
江戸川乱歩の「パノラマ島奇譚」をベースに、「人間椅子」「屋根裏の殺人者」「孤島の鬼
」などをごった煮的に集めて石井輝男が作った作品。生まれつき水掻きがある奇形の丈
五郎を演じる土方巽の強烈な存在感もすごいが、とにかく、この島の描かれ方が凄すぎ
る。美少女と醜い男(近藤正臣が演じているが、もちろん全くわからない)をくっつけて人
工的に作ったシャム双生児や、美女に金粉を塗って作った生きている置物。ここでは
奇形人間こそが美しく、正常な人間は醜いので奴隷にされるという逆転したユートピアだ。
近親相姦、奇形を正面から扱い、神をも恐れない石井輝男の怪物的なイマジネーション
が、どこかチープで作り物っぽい美術によってフルに発揮され、めくるめく陶酔の世界へ
と導いてくれる。
終盤、唐突に登場してすべてを解決する明智小五郎の怪しい存在感もおかしいのだが、
これぞ江戸川乱歩の世界なのではないかと思わせてくれる。
この映画には深すぎる愛が脈々と息づいている。怪物そのものの奇人丈五郎によって愛
人を殺され、奇形人間との子供を産まされ、そして洞窟に長年繋がれていた丈五郎の妻
ときが、それでも夫を愛しているとはなんという凄まじい愛だろうか。そして思いがけず
妻の愛を知ってしまった丈五郎の慟哭。広介の出生の秘密と、シャム双生児秀子との許
されない愛。花火と共に「おかあ〜さ〜ん」の声が鳴り響くラストの衝撃は決して忘れられ
ない。