eXistenZ イグジステンス

監督:デビッド・クローネンバーグ
出演:ジェニファー・ジェイソン・リー、ジュード・ロウ、イアン・ホルム、クリストファー・エクスルトン
    ウィレム・デフォー、サラ・ポーリー

アレグラ・ゲラーはカリスマ的な人気を誇る天才ゲームデザイナー。彼女が開発した新しい仮
想現実ゲーム「eXistenZ」の新作発表会の会場で、彼女は会場にいた男に狙撃され、怪我を
負う。彼女を会場から連れだしたのは、見習社員のテッド・パイクル。狙撃されたときに傷つい
たゲームを修復するため、パイクルはバイオポートという穴を体に開け、二人は「eXistenZ」の
世界に入り込む。しかし、アレグラは反「eXistenZ」主義者に命を狙われ続ける。

なんといっても、クローネンバーグ独特の内臓感覚、フェティッシュな美を楽しむための作品で
ある。「eXistenZ」というゲームをプレイするための道具は、なんと怪しく気持ちワル美しい造形
を誇っていることか!!!メタフレッシュ・ゲームポッドという名前のコントローラーは肉の塊の
ようで、ゲームをプレイするために押すとぷにぷに蠢く。有機体なので生きていて、デリケート
なため病気になったりすることもあるのだ。コントローラーはへその緒か腸のような形状をした
アンビコードというコードで、人体に繋がれる。ゲームをプレイする人は、脊髄の末端、お尻の
上にバイオポートという穴を開けてアンビコードを差し込むのだ。アンビコードを挿入する際にう
まく差し込めるように、バイオポートを舐めたりするところの身震いするようなエロティシズムに
は戦慄さえ覚えてしまう。バイオポートは脊髄に開いた穴であるため、開けるのに失敗すると
下半身不随になる危険性もあるのだが、そんなリスクを背負ってまでゲームをプレイしたいと
いう、人間の倒錯した欲求の大きさには驚くほかはない。クローネンバーグの前作「クラッシュ」
ほどではないにしても、究極の変態である。

「eXistenZ」は、一種のRPGゲームで、プレイヤー自身がバイオポートを通じて自分自身の中
枢神経にアクセスし、ゲームの中に入り込み、ゲームの登場人物になるというものである。ゲ
ームの中という仮想現実が、本当の現実に感じられてしまう究極の体感ゲームだ。現実だと
思っていたことが現実ではなくてゲームの中であったりする。ゲームの世界と現実の世界の
区別が付かなくなってしまう人が出てくるのも当然だし、ゲームの中に入った自分の分身が、
思いもよらない行動に出ることにより、現実世界の自分すら危機に陥ることもある。したがって
ゲームの存在が危険なものであると認識し、ゲームを想像した人間の命を付け狙うというのも
あり得る話である。「It's just a game」とアレグラは繰り返す。たかがゲーム、であるが、ゲーム
の創造者は、その創り出したものゆえに命を狙われる、それだけこのゲームは危険な存在な
のだ。ゲームのために平気で人を殺したり、騙したりする人もいるほどだ。

仮想現実の世界そのものというのは、最近のSF映画ではよくある設定であり、どちらかとい
うと食傷すらしてしまっている。
この映画の面白い点は、映画を観ている観客さえも、どこまでが現実の世界であり、どこまで
がゲームの中の世界なのかわからなくなってしまうことだ。気がつくと、見事に騙されている
自分がいる。エンディングでいきなりビックリするような結末が待っているのだ。それすらも、
ひょっとしたらゲームの中なのかもしれない…。

アレグラを演じたジェニファー・ジェイソン・リーの存在感が圧倒的。彼女は、心からこのゲーム
を愛していて、ゲームポッドをいとおしそうに愛撫する場面を観ると、彼女がそれに人格を感じ
てしまっていることを感じてしまう。ゲームの修復のためには、さっきまで見ず知らずの他人だ
ったパイクルの体に穴を開けさせてしまうことまでする。誰を信じることもできず、ゲームがすべ
て、という彼女は、ゲームの中の世界でしか生きられない存在だったのかもしれない。

アイアン・ジャイアント The Iron Giant

監督:ブラッド・バード
声の出演:イーライ・マリエンタール、ハリー・コニック・Jr、ジェニファー・アニストン、ヴィン・ディーゼル、
       クリストファー・マクドナルド

1957年、ソ連の人工衛星スプートニクが飛んだ頃。メイン州の小さな町ロックウェルに住む少
年ホーガスは、母親のアニーと二人暮らし。ホラー映画とコミックスが大好きな少年だ。ある晩、
ホーガスは鉄でできた謎の巨人を救う。巨人は空から落ちてきたのだが、自分がどこからやっ
てきて、何のために存在しているのかもわからない。体は全長15メートルと大きいが、生まれ
たての赤ちゃんのようだ。巨人とホーガスは仲良しになる。しかし鉄人の存在を知った政府の秘
密諜報員は、鉄人を脅威だと感じ軍を呼んで攻撃しようとする。

愚直なまでにストレートな物語だ。少年が宇宙からやってきた異生物と出会い、友情をはぐくむ。
この異生物=巨人は、自分は何のために作られたのかもわからない。父のいないホーガス少年
は、純粋な心を持っている鉄人に、あるときは友だちのように、あるときは父親のように接する。
そして、巨人は 言葉や物事の善悪、生と死についてホーガスから学ぶ。湖で戯れる巨人とホー
ガスの姿は実に微笑ましい。

巨人は、鹿がハンターに撃ち殺される所を見てしまう。そこで彼は銃が命を奪うものであることを知
り、また、「死」とは何かも知る。ホーガスは、「君には感情がある。それに、考えるから、魂がある。
魂は死なない」と言う。そして、人は、自分がなりたいものになることができる存在であるということ
も。
しかし、実は巨人自身が、「銃」であった。スーパーマンごっこをしていた巨人とホーガス。おもちゃ
の銃を向けられた巨人は、感情を失い、友だちであるホーガスを攻撃してしまうのだった。どんな
善良な人間でも、攻撃されてしまったら思わず反撃してしまうという隠された暴力性の存在を、こ
のアイアン・ジャイアントが兵器だったという事実が象徴している。

そして、巨人の存在を知った政府の諜報員によって軍隊が派遣される。ホーガスが巨人によって
殺されてしまったという諜報員の意図的な誤報によって巨人は攻撃される。攻撃されると、自動
的に兵器に変身し反撃する巨人。これがまた滅法強い。戦いの被害はどんどん拡大する。そして、
ついに核のスイッチが押されようとするところまでエスカレートする。

これはもちろん、この物語の舞台である1950年代の米ソ冷戦の状況を反映したものである。こ
の頃両大国は軍備拡張路線をひた走っていた。巨人をやっつけようと躍起になっている諜報員は、
反共イデオロギーに取り憑かれた男である。そして軍隊対鉄人の戦いは、先制攻撃されたという
誤解が、やがて全面核戦争へと広がってしまう悪夢を描いたものだ。そんな事態になったら、真っ
先に被害に遭うのは一般市民だ。そして、核のスイッチの命令を下した人間まで爆発で死ぬことが
予想されるというのは、核戦争には勝者が存在しないということを暗喩している。

というふうに、反マッカーシズム、銃規制、そして反戦・反核のメッセージが秘められた作品である。
しかし、そんな政治的な意図はとりあえず置いておこう。中心は、ホーガスと巨人との魂のふれあい
にあるものだから。

友情、夢、魂の不滅、そして、自分の運命は自分で選べるということ、それをこの作品はシンプル
に、ストレートに描いているのだ。巨人は兵器として生まれた存在である。だけど、人の命を奪う
兵器=銃ではなく、大好きなホーガスを助けるためのスーパーマンになりたいと巨人は思っていた。
そして、彼は、そのなりたいと思っていた存在になることができたのだ。スーパーマンのように空を
飛んで。

赤ちゃんのような心を持った巨人はとてもかわいい。とてもシンプルな造形なのだが、表情は実に
豊かだ。特に、彼の悲しいときの顔を見ているだけで、こちらも泣きたくなってしまう。ちょっとドジで
間抜けなところもいとおしい。それだけに、この作品のクライマックスは泣かせる。自分の目の奥に
深い泉があって、こんなに自分の体の中に水分があったんだと思うくらい涙が止まらない。映画を観
てここまで泣いたのは初めてだ。

また、ホーガスや巨人と親しくなる、ビートニクの青年がとてもいい味を出している。スクラップ業者
だがスクラップの中に美を見出す芸術家。こんな大人がまわりにいたことは、ホーガスにとってまた
とない幸せとなった。

ワーナーマイカル系のシネマコンプレックスでしか上映されないのだが、子供にも、大人にもぜひ
観てもらいたい素晴らしい作品。音楽、声優、作画、デザイン、もちろんストーリーのどれを取っても
一級品だ。

クッキー・フォーチュン Cookie's Fortune

監督:ロバート・アルトマン
出演:グレン・クローズ、ジュリアン・ムーア、リヴ・タイラー、クリス・オドネル、チャールズSダットン、
    パトリシア・ニール

アメリカ南部、ミシシッピ州のホーリー・スプリングス。そこに住む老女クッキーが自殺した。死に別
れた夫に天国で再会するための幸せな旅立ちだった。しかしながら、クッキーの姪で狂信的なクリ
スチャンのカミールは、家族の中から自殺者が出るなんて家の恥だと考え、ちょっと頭の弱い妹コー
ラと共謀し、クッキーの死を他殺に見せかける。生前クッキーと仲が良く、彼女の身の回りの世話を
していた黒人ウィリスが容疑者として逮捕される。そして家出中だったカミールの姪エマが戻ってき
て、小さな町は大騒ぎ。やがて町の人々の様々な秘密が暴かれる。

南部特有のゆったりとした空気の中、ブルースとスライドギターの音が流れる。のどかな小さな町
では、住人は皆知り合いだ。クッキーもいかにも南部の女性という雰囲気で、ウィリスと「嘘を見破っ
たかどうか」で自分の点数をつけるゲームに興じている。ウィリスは夕方のニュースが起きるまでは
決して酒は飲まないが、毎日行きつけのバーからワイルド・ターキーの小瓶を失敬しては、翌日新し
い瓶を返却する、律儀だがいたずらっぽい、いい感じの男。

そんな平和な生活を破ったのが、クッキーの死。小さな町ではこれまでなかったであろう、殺人事
件だ。そして、逮捕されたのが、クッキーの銃を手入れしていたため指紋を残していたウィリス。し
かし誰も彼が犯人だと信じていない。町の保安官は、ウィリスが無罪と信じる理由は、と聞かれ、
「だって彼は釣り仲間だから」と答える。挙げ句の果てには、留置場の中でウィリスと保安官、弁護
士がスクラブルという文字合わせゲームに興じる始末。とても殺人事件の捜査が行われているとい
う雰囲気はなく、あまり変わらない日常が続いている。カミールの姪で、ウィリスに可愛がられてい
るエマは、志願してウィリスと同じ留置場に入り、そのすぐそばで、保安官のボーイフレンドとセック
スを楽しんでいる、そんなことが許されるようなゆるい場所なのだ。

町の人々のほとんどは暢気だが、一人だけ違う人物がいた。それが、クッキーの姪カミール。オー
ルドミスの彼女は、教会で戯曲「サロメ」の演出を行っているが、作者のオスカー・ワイルドに自分の
名前を共作者として並べてしまうような虚栄心の強い女。クッキーが自殺しているところを発見して
も「自殺なんてしやがって」と悪態をつき、偽装工作を行い、さらに宝石箱からクッキーのアクセサリ
ーまで失敬してしまう。そして、頭の弱い妹コーラの口を封じる。クッキーの家が犯罪現場として立
入禁止になっても平気で上がり込み、勝手に模様替えまでする始末。カミールを演じるグレン・クロ
ーズの怪演ぶりったらすごい。カマトトでイヤ〜な女を実に楽しそうに演じている。(メイクは黒柳徹
子そっくりだし!)負けず劣らず強烈な印象を残すのが、コーラ役のジュリアン・ムーア。本当に頭
のネジがゆるんでしまったように見えてしまっている。コーラはカミールの芝居でサロメを演じること
になっているのだが、演技派女優であるジュリアン・ムーアに妙ちきりんな下手くそ演技をさせてい
るところが、とてもおかしい。

終始のんびりとしたペースで進む物語。だが、クライマックスを、カミール演出、コーラが主演の「サロ
メ」の上演中に持って来ているのはとてもうまい。カミールの嘘が少しずつばれていく様子の見せ方
も巧みだし、最後のコーラの復讐もまた痛快だ。そして最後に暴かれるウィリスの意外な秘密。なん
とも鮮やかな幕切れだ。アルトマンの名人芸が発揮された、楽しい作品になっている。