ヤンヤン 夏の想い出 A One and A Two

監督:エドワード・ヤン
主演:ウー・ニエンジェン、エレン・ジン、イッセー尾形、ケリー・リー、ジョナサン・チャン

台北で暮らす中流の5人家族。友人と共同経営する会社の倒産の危機を迎えながら
初恋の女性と再会する父親NJ、祖母が脳卒中で倒れたためショックで新興宗教に
ひた走る母親ら、彼らの悲喜こもごもが綴られていく。結婚式で始まり、葬式で終わる
この物語は、ある「普通の一家」の営みを丹念に描いている。

台湾という国に住むある家族の出来事、というよりは、親しい友人の家族を見ている
ような気がする、そんな映画である。この映画の中で起きる出来事の一つ一つが、
自分にも思い当たるような感情を呼び覚ますのであった。とても普遍的な物語なの
である。淡々とした描写でありながらも、実に丹念に、日常の細やかな感情が描かれ
ていて、一つ一つのエピソードが心の琴線に触れ、思わず心ふるわせる映画となって
いる。

母親ミンミンの弟アディの結婚式の日、おばあちゃんが倒れて昏睡状態となった時か
ら、平和な一家に少しずつ波風が立つ。意識を失ったおばあちゃんに、家族はみな話
しかける。ところが、ミンミンは、おばあちゃんに話すことなんて何もない。毎日が退屈
な日常の繰り返しなのだから。そのことに気がついた彼女は、宗教に救いを求め、修
行のために家を出てしまう。高校生の娘ティンティンは、おばあちゃんが倒れてしまっ
たのは自分がゴミを出し忘れてしまっておばあちゃんが代わりに出しに行ったためだと
思いこみ、自分を責める。みんな少しずつ、不幸になってしまったように見える。

アディの結婚式で初恋の女性シェリーと再会し揺れるNJ。隣の美しい少女リリーのボ
ーイフレンドと付き合うようになるティンティン。美しくて音楽の才能に恵まれていてお
金持ちなリリーだが、彼女も満たされない思いをしている。憧れの少女にイタズラをし
て先生に叱られるヤンヤン。いろんな出来事が起きて、みんな少しずつ傷つく。ヤンヤ
ンは、人の後ろ姿ばかりをカメラで撮りまくる。「みんなの見えない後ろ姿を、ボクが見
せてあげるんだ」と。だけど、大人たちはみな、自分の後ろ姿を見る余裕なんてないの
だ。そしてヤンヤンの撮った、自分の後ろ姿の写真を見て愕然とするのである。

物語のクライマックスは、NJが日本人ゲームプログラマーの大田と契約するために日
本に出張するエピソード。NJはシェリーとデートし、思い出の場所を巡り、ふたりで熱
海まで行く。もう一度やり直そうと言うシェリーだが、NJはその一歩が踏み出せない。
同じ頃、ティンティンはリリーのボーイフレンドだったファティとホテルに行くのだけど、
ファティもその場から逃げ出してしまう。父と娘が同じような状況に置かれる様がシンク
ロするところのドラマティックさが絶妙なシークエンスである。
そして、せっかく日本まで契約しに出張したのに、NJは会社から大田との契約をご破
算にしろなんて言われてしまう。つくづく、人生は思い通りにはならない。

祖母の膝の上でうたた寝したティンティンは泣く。「なぜ、世の中はこんなにも夢と違う
の」と。まだ15歳の彼女なのに、本当にいろんなつらいことばかりが起きたのだ。その
とき祖母の意識が回復して、彼女に優しく微笑むのだった。しかし祖母はその後すぐ息
を引き取ってしまう。祖母の葬式のために修行から帰ってくるミンミン。そこで彼女は、
満たされていないのは自分だけではない、山ではみんなが同じことを彼女に話しかけ
てきた、というのだ。

おばあちゃんの葬式でヤンヤンが読んだ弔辞の言葉が、まるで宝石のように美しく、知
恵にあふれている。「ボクは大きくなったら、人が気付かないことを教えてあげたり、人
が見たことのないものをみせてあげたりしたい。」人々の後ろ姿を撮り続けたヤンヤンだ
から言えた言葉である。お葬式といえば悲しい場なのに、ヤンヤンのこの言葉により、と
ても希望に満ちた終わり方をしている。人間は死ぬことによって、残された者に希望を与
えていくのではないかと思わせるのだ。死というのは、誕生に結びついていくものなのだ。

生きているということは、後悔を積み重ねていくことになりがちである。NJは「あのとき
シェリーを追いかけていれば」と未練を残しながら生きてきた。ティンティンも、「あのと
きにゴミを出していればおばあちゃんは倒れなくて済んだんだ」と涙を流して悔いる。だ
けどおばあちゃんは(ティンティンの夢の中だったかもしれないけど)意識を回復してテ
ィンティンを許すし、NJもシェリーとやり直すチャンスはあったけど結局上手くいなかった。
人生って一度きりなのだから、「あのとき…」と思っても仕方ない。後ろを振り返るので
はなく、ゲームプログラマーの大田がNJに言ったことも、この作品のテーマと結びつい
ていく。毎日新しい自分に生まれ変わり失敗を恐れずに果敢に生きていくことが大切
なのだということ。いみじくも「人が見たことのないものをみせてあげたりしたい」と言っ
た幼いヤンヤンは、その事実に気がついていたのだ。

窓のガラスに映ったティンティンの不安げな表情。ロングショットで捉えたティンティンと
ファティの逢瀬。彼らの揺れる心情を見事に映像で捉えている。

キャスト・アウェイ Cast Away

監督:ロバート・ゼメキス
出演:トム・ハンクス、ヘレン・ハント

国際宅配便会社FedExのエンジニアで、世界を股に掛けて働くチャックは、仕事で移動中
の南太平洋上で墜落事故に遭う。ただ一人生き残った彼は、無人島に不時着する。流れ
着くのはパイロットの遺体とFedExの荷物だけ。飛行機も船舶も近くを通らない。チャックは
脱出を試みるが、荒波に阻まれて大怪我をする。脱出のチャンスをうかがいながらも、彼は
椰子の実から水分を摂ったり、火を起こすことを身に付け、孤独に苦しみながらもどうにか
生き延びていく。そして4年が経ち、ようやく彼は島から脱出することを決心するが…。

墜落事故のシーンや、島からの脱出の場面のようにスペクタクル的な激しさの部分と、ト
ム・ハンクス演じるチャックがたった一人、無人島で生きていく場面の静謐さのコントラスト
が強い印象を残す作品。島に流れ着いてからは、BGMは一切なし。波や風の音と、時折
椰子の実が落ちる音だけが響く。最果ての島でたった一人生きて行かざるを得なくなった
究極の孤独感が、この静けさに表現されている。

映画の半分以上が、この無人島でのシーンで、当然のことながらトム・ハンクス一人しか
登場しない。台詞もほとんどない。それなのにまったく退屈しないのは、ひとえにトム・ハン
クスの説得力のある演技の賜物だ。無人島に到着した当初は、生き延びるためのサバイ
バルである。火を起こしたり、ココナツから水分を摂ったり、流れ着いたFedExの荷物を生
活に役立てたり。しかし、本当の試練は、この孤島での生活に馴染んだ後にやってくる。
人っ子一人いないし、通信手段もない。どんなに叫んでも誰も助けに来てくれない。生きて
この島を出られる可能性は極めて低い。一生、もう誰にも会えないかもしれないのだ。サ
バイバルに慣れてしまったら、あとは何もすることがない無為の生活である。退屈で気が
狂いそうになるのも当然だ。チャックは、恋人の写真を毎日見つめ、壁に彼女の顔の絵を
描いて話しかける。さらには、荷物の一つであったバレーボールに「ウィルソン」という名前
を付け、顔を描いて友だちとすることで、かろうじて正気を保つ。そして、月日は容赦なく流
れていく。

この圧倒的な孤独感の中で生き延びた男、という役を演じられるのは、おそらくトム・ハン
クスしかいないだろう。4年間の月日が流れた後の彼の変貌ぶりは強烈な印象を残す。
彼の、島での唯一の友ウィルソンに寄せる、友情というよりは愛情の凄まじさには、涙を
流させるものがある。ウィルソンがついに波に流されてしまったときの彼の慟哭ぶりは、友
を亡くしてしまった人間よりも激しいものであった。文明生活、人間関係、仕事、通信手段、
そして言葉までも取り上げられてしまった人間にとっての最後の「他者とのつながり」がウ
ィルソンだったのである。

そして一番難しいことは、生き延びることでもなければ、無人島での絶対的な孤独に耐え
ることでもなかった。4年間のブランクがあり、そして再び帰ってきたとき、果たして彼は元
のチャックに戻れるのだろうか?失われた4年の時間。その間に、あまりにも多くのものを、
彼は失っていた。苦難に耐えてきた彼には、つらい知らせが待っていたのだ。それでも、自
ら命を絶つことをせず、この人生を生きぬいてきた価値があったということを、彼は最後には
知るのである。無人島の中でも、文明社会の中でも、人間は孤独である。宅配便会社Fed
Exで、人から人へ荷物を運ぶという仕事をしてきたチャックは、人と人を結びつける絆の大
切さに、最後になって本当に気づくのである。

無人島での生活において、最後の希望とした天使の羽根の絵のついた小包の使い方が
絶妙。誰もいない原野の十字路でのエンディングには、深い余韻が残る。

てな感じの感想を、10人が10人とも書くような映画ではある。無人島の中の孤独と、文明
社会での孤独の対比、希望をつなぎ止めるための天使の小包、バレーボールのウィルソン
へ寄せる想いということには誰でも言及するだろうし、そういう意味ではとてもわかりやすい
映画でやや深みに欠ける部分がある。ただ、孤島での、余計な音が一切ない、それなのに
絶対に退屈しない静謐で力強い演出は、さすが職人監督のゼメキスと当代随一の演技者ト
ム・ハンクスの技によるものだ。ハラハラドキドキする場面も適所に配置されているし、観る者
誰もが思わず人生の意味を考えさせられる。見る価値は十分あるシンプルで力強い作品と思う。

BROTHER

監督:北野武
出演:ビートたけし、オマー・エプス、真木蔵人、寺島進、加藤雅也、大杉漣、渡哲也

日本を追われたヤクザ山本はLAに留学中の弟を訪ねるが、弟は黒人たちとつるんで麻薬
の売人となっていた。弟を助けるために麻薬組織の元締めを撃ったことから、山本は独自
の組織を作り上げ、イタリアンマフィアとの死闘を繰り広げていく…。

北野武独特の、省略法を大胆に使い、乾いた描写とリリシズムの両立を目指した演出が
冴える作品。静謐な画面を突き破るような突発的な暴力には、毎度のことながら目を瞠ら
される。マフィアの家を襲撃したときに、襲撃シーンを直接映さず、車のフロントガラスに映
る閃光で激しいバイオレンスを表現した場面などは実に秀逸な表現である。そして、独特
の「間」の使い方。照れ隠しのように顔を覗かせる遊びのシーンやベタなギャグなどの引き
延ばし戦術も、瞬間的な感情のほとばしりを強調するためのスパイスとして機能している。

寡黙で台詞が少ないのに、山本=ビートたけしの心象風景が観る者の脳裏に鮮やかに刻
まれていくところには思わずゾクゾクしてしまう。日本に居場所がなくなってしまった男が、
逃れるようにやってきたアメリカ。しかし、そこでも日本のヤクザの流儀を持ち込み、外国人
にも自分のことをアニキと呼ばせ、組を作ってしまうその哀しさ滑稽さ。実の弟=真木蔵人、
日本に残してきた弟=大杉漣、アメリカまで追いかけてきた弟=寺島進、そしてアメリカ人
の弟=オマー・エプスと結ばれる絆は極めて日本的だ。山本は日本人のアイデンティティか
らはどうあがいたって逃れられないのだ。ファッキング・ジャップと言われたら逆上してマフィ
アを皆殺しにするのだ。そして、山本はアメリカにも居場所を失っていく。

そう、山本のように、暴力衝動を抑えようとしても、どうにも抑えられない男は、どんな場所
に住んでいたとしても滅びて行くしかないのだ。アメリカにいようと、日本にいようとそのこと
に変わりはない。(そして、ロサンゼルスの風景も、とても脳天気なカリフォルニアの青い空
とはいかず、陰鬱で日本の風景とさほど違いがない)組を作ったのも、マフィアと全面戦争
に突入して自らの首を絞めていくのも、彼が意図してやったことではない。気がついたら、
そんなことになっていたのだ。それはもう身に染みついた性としてどうしようもないことなのだ。
そんな彼を慕うのは、日本人だけではなく、黒人やプエルトリカンなどのマイノリティの男た
ち。彼らは同じ匂いを、よそ者である山本に感じ、彼のために死んでいく。

ただ、時として暴力衝動の噴出が過剰なあまり不快感の領域にまで達するところがあった
のは、賛否が分かれるところであろう。特に、いかにも日本的な指詰め、切腹シーンがこれ
でもかと登場するのはいかがなものかと思った。これらは、山本が逃れてきた「日本的な任
侠の世界」を象徴させるものだ。ロサンゼルスに渡ってまでも、外国人にまで指つめを強制
する彼が任侠の世界の呪縛から離れられないということを、ここで表現しようとしたものだろ
う。だけど、欧米人に媚びを売っているかのような、あまりにも過度なジャポニズムは日本人
の目から見るとこそばゆい。山本の舎弟たちの死体が「死」という人文字を形づくっていると
ころは、さすがにやりすぎに思える。

また、大胆な省略法が生きているにもかかわらず、ラストで急に饒舌となっているのには少
々違和感を感じる。北野映画特有の不親切さが息を潜め、やたらわかりやすくなっているの
だ。はたしてあそこまで延々とエンディングを長引かせる必要はあったかどうかは、意見が
分かれるところだと思う。これは、北野武の映画作家としての進化というか、作家性と大衆
性のバランスを取ろうとした結果なのではないかと考えられるのだが。

キャストでいえば、圧倒的に光っているのが寺島進。背の高い黒人たちに混じって小柄な彼
がバスケットボールを奪い取ろうとチョコチョコ駆け回るところは笑わせてくれるし、加藤雅也
の前で凄絶に散った場面の男気は、他の全部のキャストを食う強烈な印象を残す。欧米人の
脳裏にも、寺島進という役者は深く刻みつけられたことであろう。