蝶の舌 La Lengua de Las Mariposas |
監督:ホセ・ルイス・クエルダ
出演:フェルナルド・フェルナン・ゴメス、マヌエル・ロサノ
1936年、スペイン、ガリシア地方の小さな村。8歳の少年モンチョは喘息もちでみんな
より遅れて小学校に入学することになる。先生に叩かれるのではないかと学校に行く
のが怖くて仕方がなく、やっと登校してもいきなりおもらしをしてしまったが、担任のグ
レゴリオ先生は心優しく、家まで彼を迎えに来てくれる。そうしてモンチョと先生の交流
が始まった。先生は、モンチョに本当に色んなことを教えてくれた。ところが、スペイン
内戦が始まり、ファシストに共和派が弾圧される。そして、悲劇が…。
モンチョが先生に導かれ、知の冒険を繰り広げていくプロセスが素晴らしい。濃い緑色
が映える美しい自然の中で、グレゴリオ先生は、さまざまな知恵をモンチョに伝えてい
く。ティロノリンコというオーストラリア産の鳥の求愛行動とか、蝶の舌が渦巻状である
のはなぜ、とか。春になるとクラスのみんなを森に連れて行って生きた知識を授ける。
子供たちの知性の芽生えが伝わってきて、まばゆいほどのきらめきが感じられる。残
酷な結末をうすうす感じているだけに、後には失われてしまう心の交流が悲しいほどに
美しい。
モンチョはアウローラという可愛い女の子のことが好きだ。引退した先生が蝶を捕まえ、
これから顕微鏡で舌を見に行こうとというときに、彼女の声が聞こえる。「ティロノリンコ
のようにしなさい」と、先生に白い花を差し出されたモンチョが、彼女たちのいる川まで
降りていって花を渡す。正直、結末のことをうすうす感じていた私は、「先生と一緒に蝶
の舌を見たらいいのに」とちょっと思った。でも、このラブシーンがすごく美しいのである。
アウローラが裸で水浴びをしていたのはかなりどっきりしたけれども、内気なモンチョが
先生に背中を押されて、勇気を振り絞って告白するところは胸がきゅんとした。
それだけに、その直後に悲劇的なラストが襲ってくるのがあまりにも悲しい。これまで
の、先生と少年たちのキラキラと眩しい成長と交流の物語だったのに、いきなり残酷
な展開になってしまうのだ。これまで親しく交流してきた友人や師を、告発し非難しな
ければならないなんて。幼いモンチョも例外ではなく、もともと共和派に反対していた
現実主義者の母親に、「お前も叫ぶのよ」と強制されてしまう。捕らえられ、引っ立て
られる恩師に、石を投げなければならないなんて。でも、最後にモンチョの口から、先
生との交流の中で登場した言葉が出てきたときには、映画館の場内は堰を切って号
泣の嵐が起き、私も思わず泣いてしまった。あの言葉は、果たして先生に届いたのだ
ろうか…。ここまでモンチョと先生との触れ合い、心の教育が丹念に描かれてきたか
らこそ、あのラストが身を切り裂かれるほど感動的なんだろう。戦争の残酷さ、愚かさ
がいやというほど身にしみて、打ちのめされる。
本筋とは直接関係ないけど、モンチョの兄と中国人の女性とのエピソードがまた、こ
の上なく美しいのだ。兄アンドレスとモンチョが演奏旅行で訪れた町の滞在先には、
口の利けない美しい中国人女性がいて、年の離れた夫と暮らしている。ずっと中国
人女性に憧れていたアンドレスは彼女に恋をする。アンドレスは本当はサックスが
上手なのに、吹いている真似だけでいいといわれてしまう。だけど、この日の演奏
では、彼は立ち上がって美しいソロ演奏を披露し、中国人女性は彼の演奏を聞いて
涙を流す。そして、物言えぬ彼女は、帰っていくアンドレスたちを追いかけて見送る
のだった。交わす言葉一つなければ、指先さえ触れ合わないのに、視線だけで愛
を伝える、息もとまりそうになるほどの濃密なラブシーンで、胸を焦がすような美しさ
がある。
引退の日、先生は子供達に、「自由に飛び立ちなさい」と熱い言葉を捧げる。国内
情勢が切迫してきて、ファシスト側が優勢となってきたときに、自由の大切さを力説
した先生の行為は、致命的なものだっただろう。しかし、命を賭けてまでも子供達
にその精神を伝えてきた彼の素晴らしさは、ここで彼らの胸に刻み付けられ、そし
てモンチョの最後の言葉を呼んだのではないだろうか。
ムッシュ・カステラの恋 LE GOUT DES AUTRES |
監督:アニエス・ジャウイ 脚本:アニエス・ジャウイ、ジャン=ピエール・バクリ
出演:アンヌ・アルヴァロ、ジャン=ピエール・バクリ、アラン・シャバ、アニエス・ジャウイ
ジェラール・ランヴァン、クリスティアーヌ・ミレ、ウラディミール・ヨルダノフ
ムッシュ・カステラは中堅会社の社長。仕事にさほど熱意がなく、妻アンジリックは
夫より犬に深い愛情を注いでいる始末と、冴えない日常。社長なら英語ぐらい話さ
ないと、とコンサルタントが教師の女性をよこしたが、英語は苦手と早々に追い返す。
その夜、付き合いで見に行った芝居の主演女優が昼間の教師クララであることに
気付き、カステラ社長は思いがけず彼女に恋してしまう。かくて英語のレッスンに
熱心に通い、クララから本や戯曲を借り、趣味趣向が違う彼女に涙ぐましいアタッ
クをするカステラ社長であった。やがてクララの周りの芸術家たちと交流して芸術
の楽しみ方を覚え、心境面も変わっていく彼と、周囲の人々の恋愛模様を描く心
温まる作品。
ムッシュ・カステラは一見、そのへんによくいるおやぢだ。禿げていて、口髭があっ
て、仕事にも大してやる気はなく英語も喋れないし、芸術についても全く造詣がな
い。性格はとても良いのだけど、デリカシーに欠けるところがちょっとある。そんな
彼が、突然恋をした。しかも、英語の先生にして小劇場の女優!これまでのカス
テラ社長の世界とは全く違ったところに生きている女性なのだ。彼は、彼女に気に
入られようと一生懸命努力する。全然興味のなかった英語を勉強し、彼女に捧げ
る手紙を書く。彼女の芝居仲間が集まるバーに顔を出し、芸術談義に参加しよう
とする。本当に涙ぐましい努力だ。一番涙ぐましいのは、「髭は嫌い」と言われて
すぐに剃ってしまうということ!
ところが、その懸命の努力がなかなか実を結ばない。髭を剃っても、クララはおろ
か誰も気がついてくれない。クララの仲間達と芸術談義をしようとしても、その教
養のなさがバレバレで、だけど人の好い彼はバカにされていることにも気がつか
ない。それでも健気な彼は一生懸命だ。クララのお仲間の画家の個展に出かけ
ていっては、絵を買ってきてしまい、部屋のインテリアに全然似合わないのに飾
ってみる。そして、保険会社に無理矢理つけられたボディガードと運転手の男3人
で、ずっと彼女のことを待っていたりする。男3人が日長待っている姿はすごく滑稽
だけど、どこか微笑ましい。そして、ムッシュ・カステラがどんどんいい男に見えて
くるから不思議だ。
この映画がうまいなあ、と思うのは、ムッシュ・カステラという人物を中心に据えな
がらも、周りのキャラクターが一人一人、説得力を持っていてそれぞれすごく可笑
しい部分が見えてくること。たとえばカステラの奥さんアンジェリクは、犬が大好き
で、野良犬がはねられそうになると車を止めて助けようとする心優しい部分も持っ
ているくせに、自分の趣味を人に押し付け、夫には何の興味も持っていなかった
りする。自分の家を悪趣味な花柄で埋め尽くすだけに飽き足らず、カステラの出
戻り妹の部屋の内装もやってあげる、と親切の押し売り。それに対して、いつも不
機嫌そうな妹は、あからさまにイヤな顔をしているのに、アンジェリクはそのことに
は全然気がつかないし。まったくハタ迷惑なんだけど、彼女には悪意は全然ない
んだよね。
そして、さらに面白いのが、カステラ社長にくっついてまわる護衛のフランクと、
運転手のブリュノ。ブリュノとフランクが、カステラ社長が芝居見学をしている間
に暇つぶしに入ったバー。そこのウェイトレス、マニーは、ブリュノが昔寝たことが
ある女性だったのだけど、彼はすぐに思い出せなくなったりして。なんかよくあり
そうなシチュエーションで思わずニヤリ。ブリュノとマニーは付き合い始めるのに、
いつのまにかマニーと付き合っているのはフランクに変わっていたりする、だけど
お人好しなブリュノは怒っているわけではないのも面白い。元警官のフランクは
マニーが小遣い稼ぎに麻薬を売っているのが気に食わないので時々喧嘩にな
ったりする。でも、人間不信に陥っているフランクと、そろそろ自分の年齢が気に
なりだしたマニーという孤独な二人はなかなか離れられない。
マニーを演じているのが、監督のアニエス・ジャウィなのだが、すごくいい女だ。
年も若くないのにバーのウェイトレス兼麻薬の売人という不安定であまりほめら
れない稼業、しかも美人でもないのだけど、酸いも甘いも味わっている大人のカ
ッコいい女性なのである。そんな彼女が、フランクが目を離した隙に殴られてし
まったカステラ氏の怪我の手当てをしてあげて、初めて彼が髭を剃ったことに気
づくくだりは、非常にいい。彼女こそが、カステラ氏のよさを一番よくわかってい
るのだ。マニーとも親しいクララは、ちょっとぎすぎすしていて、どっちかというと
あんまりいい年の取り方をしていないんじゃないかと思うのだが、それでも精一
杯誠実に生きていて、憎めない年増女である。いや、嫌味なカステラ氏のコン
サルタントにしても、悪い人ではない。悪い人は誰一人出てこない映画なので
ある。
さてさて、お話のクライマックスは、カステラ氏が先日買った絵の作者に、自分
の会社の壁画を描かせようとするところから始まる。いくらカステラ氏をちょっと
バカにしていたとはいえ、クララは彼が騙されているんじゃないかと心配になる。
だって、ムッシュ・カステラは芸術のことなんて全然わかっていないのに、大枚
はたいて自分の会社に壁がなんて描かせるんだから。いくら私に気に入られた
いからといって、そんなお金の使い方をするなんて…。ところが、「だが君は僕
が本当にあの絵を気に入ったとは考えなかったのか?」 というお返事。いや、
こっちもやられた!と思ったのだった。人を馬鹿にすれば、自分もバカにされち
ゃうのよ。目から鱗落ちまくりだったのは、クララだけでなく、私もであった。いや
いや、耳が痛い。彼女も、ようやく自分の過ちと偏見に気づき、固定観念から自
由になれるのである。そう、この映画は、頑固さを捨て、偏見を捨て、自由に軽
やかに生きることの素敵さを描いているのだった。
そして、見事なエンディングへの持っていき方。うまいです。たとえ恋は実らなく
ても、恋を通して人は成長できるものなんだな、と爽やかな気分で劇場を後に
することができたのだった。