アンブレイカブル Unbreakable

監督・脚本:M.ナイト・シャマラン
出演:ブルース・ウィリス、サミュエル・L・ジャクソン、ロビン・ライト・ペン

元フットボール選手で現在は警備員をしているデビッド・ダンは列車事故に遭
うが、132人の乗客のうち131人が死んだのに彼一人が生き残った。しかも
無傷で。そして、彼の元に、漫画コレクターの男イライジャから謎のメッセージ
が届く。「これまでの人生で、病気にかかった日数は?」という内容のものだ。

物語は、イライジャが生まれたときのエピソードから始まる。極端に骨が弱く、
この世に生を受けたときにもすでに何本も骨が折れた状態で彼は生まれた。
人生のかなりの期間を病院のベッドで過ごさざるを得なかった彼は、「なぜ自
分だけがこんなに弱い体を持っているんだろう」と思いながら、コミックの世界
に耽溺する。

反面、デビッドは大惨事を生き延びた男であるが、その事実が彼自身を怖が
らせている。なぜ、自分だけが、あの事故から無傷で生還できたのだろうかと
いう疑問を持ち、毎朝、どこかもの悲しい気分で目覚めるのだった。妻との仲も
しっくりいかなくて、家庭内はぎくしゃくしている。小さな息子は、父親をまるで
化け物を見るような目で見るようになったしまうのだった。

映画は、一見淡々と進んでいくように見える。大きなクライマックスもなく、シャ
マランの前作『シックス・センス』と同様の、どこかもの悲しくて沈痛な雰囲気が
支配する。あまりにも流れるように話が進んでいくので、退屈に思えてしまうこ
とすらある。ところが、そのような流麗な流れの中に、無数の情報や伏線が張
り巡らされているのである!

冒頭、事故が起きることになる電車の車両に乗り込んだブルース・ウィリスと、
隣に座った美女との会話一つを取っても、いろんなことがわかる。美しい女性
が隣に座りそうだというので、こっそり薬指の指輪を外すデビッド・ダン。結婚し
ているけど、妻とはしっくりいっていないという情報がインプットされる。女性は
スポーツエージェントなのでスポーツの話をするが、アメフトは好きじゃない、泳
げないという彼の話が、後半の設定に大きく関わってくるのだ。デビッドが女性
に差し出した雑誌は逆さまだが、逆さまの映像はこの映画の中に実に多く登場
する。イライジャの母親の出産直後は、鏡に映った逆像だし、ウェイトリフティン
グするデビッドが逆さまの視線で息子を捉えるシーンもある。とにかく映像その
ものが凝りまくっているのだ。

(以下、ネタバレではありませんが、できればご覧になった後で読むことをおす
すめします)

このようにあらゆる伏線が張り巡らされていることに気づくと、どんな小さな情報
でも見逃してはなるものか、と画面に集中するようになる。たとえば、サミュエル
・L・ジャクソン演じるイライジャはなぜ、あの2方向に膨張した髪型なのか。紫
色のゴシックな衣裳に身を包み、ガラス製のステッキを持っているのか。よく考
えれば、その理由はわかってくるかもしれない。そして、なぜ、イライジャはまる
でストーカーのようにデビッドにつきまとうのだろうか?

ひとつだけ、ヒントとしてここに書くのは、イライジャは大変なコミックマニアで、
すっかりコミックの中のヒーローという存在に心酔しているということである。で
きることならば、自分はスーパーヒーローになりたかった。だけど、極端に体が
弱い自分は、とてもヒーローになることはできない、だったら、自分以外にヒー
ローになってくれる人を探さなくては、と彼は思ったのだった。アメリカというの
は、日本よりももしかして濃〜いぃおたくが存在しているところなのかもしれない
なあ、考えてみればバットマンとかスパイダーマンとかスーパーマンの国だもん
な、と思ったのであった。『ギャラクシー・クエスト』のサーミアン星人どころの騒
ぎではないのだ。逆に、アメリカのコミックのスーパーヒーローに対する知識が
ないと、この映画は楽しめない可能性がある。

シャマランの演出がうまいなあ、と思うの理由の一つは、巧みな目くらましであ
る。『シックス・センス』と同じフィラデルフィアの街で撮影を行い、似たような映
像トーン。主人公をめぐる「謎」の存在。主演は同じブルース・ウィリス。そして、
ハーレイ・ジョエル・オスメントに似た少年を、ブルース・ウィリスの息子役として
キャスティングしていること。観客は、思いっきりミスリードされてしまって、余計
な深読みまでしてしまうのだ。それが裏切られる快感には、しびれてしまった。

ネタバレです。読みたい方はドラッグしてください。→
この映画には、「善があるから悪があり、悪があるから善がある」という東洋的
な思想がバックグラウンドにある。そのような考え方を、映画の中で表明するこ
とが果たしていいことなのかどうなのかは、議論の余地があるのではないかと
思う。それはさておき、シャマランは、悪役に対する深いシンパシーを持ってい
るのだ。イライジャの哀しさというのは小さい頃から骨ばかり折っていたひ弱な
人間が、「自分は一体何のために生まれてきたのか」とずっと問いかけてきた
ときに、コミックの悪役を演じることであったという答えが導き出されたというこ
と。そして、自分の存在を成立せしめるために、重大犯罪を犯さなければならな
かったということだ。これ以上の悲しい存在があるだろうか。ヒーローコミックの
悪役というのは、必ずとても悲しい過去があって、それゆえ悪の道に染まってし
まったという設定がほとんどである。それゆえ、人気のあるコミックというのは、
悪役も、ヒーローに迫るくらい人気がある。魅力的な悪役が存在しなければ、ヒ
ーローものコミックは面白くないのだ。
また同時に、コミックのヒーローというのも、『バットマン』に見られるように悩める
主人公が多く登場する。彼は最初からヒーローというわけではなく、あることをき
っかけに覚醒するのである。そのことを知るまで、主人公はさんざん葛藤し、そ
して本当に自分がヒーローでり、救済者であることを、戦いを通して実感するの
だ。この映画では、主人公が、自分がヒーローとなることを自覚する瞬間がしっ
かりと描かれている。彼は普通の人間であるということをやめ、超人としてのイ
バラの道を生きていく厳しい決意をするのだ。
←ネタバレ終わり

それにしても、最後のイライジャの台詞には、思わず涙。こんなにも悲しい存在
であるとは。デビッドにも、これから先、世界を救う者としての苦悩を背負う人生
が待っていることが暗示され、実に苦い幕切れとなっている。これも、アニメとか
コミックとかに親しんでいなければ、彼らのその哀しみは理解できないものなの
かもしれないけど…。思わずゾクゾクしてしまうほとの圧倒的な悲劇性と心の震
えがもたらされた、見事な幕切れであったのだ。

大ヒット作『シックス・センス』の後に、これだけ娯楽性よりも作家性を優先させ、
大衆的ではないが完成度の高い作品を作ってしまったシャマランには、思わず
脱帽である。

ふたりの男とひとりの女 Me, Myself and Irene

監督:ファレリー兄弟
出演:ジム・キャリー、レニー・ゼルウィガー、クリス・クーパー
実直な白バイ警官のチャーリーは気が優しくお人好しな男。しかし、薬を切らせ
ると凶暴で下品なハンクに豹変してしまうのだった。そんなチャーリーは、任務
で指名手配されていた女性アイリーンを護送することになり、彼女に恋するのだ
ったが、もう一人の人格であるハンクも彼女を愛するようになり…。

ファレリー兄弟の前作『メリーに首ったけ』に続き、下品で差別的なギャグが盛り
だくさんの映画。チャーリーの妻の浮気相手が黒人のコビトで、次々と生まれた
三人の男の子たちはどう見ても黒人の血が流れている。そんなすごい皮肉な状
況でも、愛情を持って子供たちを一人で育てているチャーリーって本当にイイ奴だ。
だけど、街中の人々が、子供たちは彼の子でないことを知っているため、誰から
もバカにされきっていて可哀想な彼。唯一、子供たちだけがパパを尊敬していて、
成績優秀のいい子たちに育った。「いい人」であることが知らず知らずにストレス
になっていたチャーリーは、彼の悪の部分を集めたもう一つの人格ハンクを作り
上げてしまっていた。

物語の中盤では、アリビノのホワイティという青年も登場して、ここでまた差別ギ
ャグの出番となるわけだが、このように思いっきり差別を描いているということで、
逆に差別というものの意味の無さを描いている点は、非常にうまいのではないか
と思う。障害者やマイノリティだって、全員善良で無力なわけではなく、妻の浮気
相手のようにIQが非常に高かったり、邪悪だったりする訳なのだ。マイノリティだっ
て同じ人間なんだから、という視点で描いているのはかえって好ましい。

下品なところも当然出てきて、特に、豹変した後のハンクがぶっといソーセージを
チャーリーのお尻に突っ込んだりするところなんて笑い死ぬかと思うくらいおかし
い。ハンクに切り替わると、急にちんちんが大きくなったり。だけど、映画の全体の
雰囲気はほのぼのとしているので、本当はとってもエグいのにさらっとして見てい
られる。逆にもう少し毒があってもよかったのではないかと思うほどだ。

得意の動物ギャグもある。序盤の倒れている牛を相手に必死に格闘するところと
か、鶏が先か卵が先かで3人兄弟が得意の頭脳を駆使する(その結果がとても
下品)ところとか、妙に牧歌的なのが楽しい。

そして当然のことながら、二重人格者を演じたジム・キャリーの演技は相変わらず
凄まじい。人格が入れ替わる瞬間の変化もすごいのだけど、後半になって二つの
人格が瞬時に切り替わって喧嘩を始め、『ファイト・クラブ』のエドワード・ノートンの
ように自分殴りを始めたりなんだか凄いものを見せられたような気がする。ここしば
らく彼はシリアスな作品に挑んでいたわけだけど、そこで磨きをかけた演技力が、
ひさびさのこういうおバカな作品にバッチリ活かされているのはさすがだ。ここに、
彼のコメディアン魂の発露を見た。

ハッキリいって脚本のできはよくない。なぜアイリーンが追われることになったのか
という説明がわかりにくいし、途中で、追っている連中の存在がどうでもよくなって
しまっている。せっかくクリス・クーパーというクセモノの役者を悪役に起用している
のにとてももったいない。過激さにも慣れてしまったのか、思ったほど強烈な下品さ
もないし、とにかく全体的にとってもヌルイ映画なのである。

でも、ジム・キャリーの顔面ゴムのような表情の変化などの笑わせ技や芸達者な
ところは見られるし、独特の牧歌的、ほのぼのムードはイマドキ珍しくていい感じ。
お父さんのことが大好きな天才黒人三人兄弟のキャラクターもいいし、決して美人
ではないけどかわいいレニー・ゼルウィガーも魅力的。疲れた頭には癒しになるよう
な、楽しい作品である。