監督:黒沢清
出演:加藤晴彦、麻生久美子、小雪、武田真治、役所広司
大学生の亮介や園芸会社に勤めるOLのミチの周辺で、少しずつ奇妙な出来事が起きる。
自動的に回線接続され開かれる怪しげなインターネットのサイト、携帯電話から聞こえる謎
の「助けて」という言葉。そして一人、また一人と人間が消えていき、街は無人と化していく。
私たちはなぜインターネットをしたり、電話で人と話すのだろうか?それは人とつながってい
たいから?インターネットを始めた大学生亮介に、同じく学生の春江が問う。彼女は続ける。
「人間なんてつながっていないよ」って。人は、誰かと一緒にいても、結局は一人。一人で生
まれ、一人で死んでいく。しかしそのことに気がつかない人達が孤独を感じてネットにアクセ
スする。彼らは、一人で生きていくことに耐えられなくなって、「幽霊に出会いたいですか」「あ
かずの間の作り方教えます」という死者からの甘い囁きに身を委ねる。彼らは自ら命を絶った
り、黒い滲みとなって死者に取り込まれ姿を消す。しかし、死は「永遠の孤独」に他ならない
のだ。死の世界に閉じこめられ永遠にさまよう彼らは、「助けて」というメッセージを絶えず発
信し続け、また一人、生者を自分たちの世界に誘って孤独を癒そうとする。
彩度を極端に落とした映像が不穏な空気を漂わせる。今まで生きていた人間が、死の世界
に取り込まれ、土塊のように崩壊して黒い滲みになって消えていく様は実に恐ろしい。やが
て亮介やミチの周囲から人々が消えていく。世界は確実に終末へと向かっていく。誰一人乗
客のいない電車の行き先は、どこでもない場所。テレビのニュースでこともなげに淡々と読み
上げられる、大量の行方不明者の名前と顔写真。(これだけ多くの人達が姿を消しているの
に、まるで大したことではないかのように淡々と読み上げられているのが背筋を凍らせる)黒
煙を上げて墜落する飛行機。そして極めつけが、人影のまったく途絶え、廃墟を思わせる銀
座の街。しかしこの静かな終末は不思議と美しい。きっと、本当のこの世の終わりの姿はこ
んな形をしているのではないかと思わせるのである。
亮介も、ミチも、春江も、みな一人で暮らしている。孤独には慣れ親しんできたはずの彼らだ
った。でも、死はどんどん彼らの生活を浸食していく。この映画には、登場人物たちの背中越
しの映像が多く登場する。極めつけは、春江が自分の部屋にたくさん並べたパソコンに映る、
彼女の後ろ姿。それらの後ろ姿は、間違いなく「幽霊」の視点なのである。いつのまにか、家
族も、同僚も、友だちも、みな姿を消している。「死」はこんなにもカジュアルに、日常的に身に
降りかかってくるという恐ろしさ。だけど、現実の私たちの生活だって、実はこんなにも死がす
ぐそばに存在しているのかもしれないんだよ。
この不気味な現象の原因を説明してみるのが、武田真治演じる、春江の先輩。いわく、死者
の世界がいっぱいになってしまって、彼らは生者の世界に浸食していく。偶然、死者と生者と
の間の回路を作る方法を発見した人がいて、死者たちが現世に入り込み、生者たちを乗っ取
ってしまうと。その回路とは、赤いテープで入り口を縁取られた「あかずの間」だと。死と生との
境界線はそんなにもあっさりと作られてしまうのであった。
煙突から飛び降りる人間をワンカットで捉えた衝撃的な映像。開かずの間の中で人間に向か
って歩み寄り、ときには転ける幽霊。幽霊を見てしまって、魂の抜け殻のようになってしまった
人間の姿。恐ろしい、だけど絶望的な気持ちにはならないのはなぜだろう。
カタストロフィを描いている作品ではあるが、不思議と希望が存在する。船に乗ったミチは「私
は今、最後の友だちといます」と画面から語りかける。ついに黒い滲みになってしまった亮介。
だけど、滲みに変わり果ててしまったとしても、亮介は亮介なのだ。本当の友達、孤独ではな
いということってそういうことなんだ、とミチはここで発見したのである。そして、最後の希望を求
めて彼女は船で南へと向かう。広い海原までは、まだ終末は忍び寄っていないのかもしれない
…。
死ぬってことはどんなことだろう。死後の世界ってどんな感じなのか。幽霊になるというのは
どんなものなんだろう。私が日常的に考えていることが提示されていて、なんとも考えさせら
れる映画であった。映画館を出たら、映画に出ていたのと同じ銀座の街。見慣れたはずの街
が、いつもと違って見えた。パソコンに電源を入れるのも、電話に応答するのも、しばらく怖く
なった。
監督:是枝裕和
出演:ARATA、浅野忠信、夏川結衣、伊勢谷友介、寺島進、りょう、遠藤憲一
とあるカルト教団が水道水に新種のウィルスを投げ込み、大量無差別殺人テロを引き起こし
た。5人の実行犯たちは教団の手で処刑され、教祖も自殺した。そして3年後の夏、実行犯
たちの遺族4人は、実行犯たちの灰が撒かれた山奥の湖に向かう。彼らは毎年命日に墓参
りするような形で集ってきたのだった。4人は湖面に手を合わせ、乗ってきた車に戻ろうとした
ところ、車は消えていた。日没まで街へ歩いて帰ることは不可能な山奥。そこへ現れたのが、
脱会信者である男坂田だった。5人は、実行犯たちが最後の夜を過ごしたロッジで一夜を過
ごす…。
このプロットを一読してわかるように、カルト教団のモデルはかのオウム真理教だ。100人以
上の人を殺した恐ろしい実行犯たちは、出家するまではごく普通の人々であった。しかし、あ
る日彼らは愛する家族を捨ててカルト宗教に帰依し、恐るべき犯罪行為を行ってしまう。彼ら
加害者たちの家族の心情は、みな共通して「あの人が、なぜ」だ。宗教に走ってしまうような
心の空白を与えてしまったこと、彼/彼女の気持ちをわかってやることができなかったこと、
止めることができなかったこと。みな、自分たちを責め続けた。しかし、事件から3年の月日が
過ぎ、遺族たちは日常の生活に追われて生きている。四六時中、事件や、実行犯たちのこと
や、被害者たちのことを考えて生きているわけにも行かない。できれば、このような恐ろしい事
実からは目をそむけて生きていたい。湖に向かう4人が、まるでピクニックに行くような浮かれ
た様子なのは、できるだけ恐ろしい記憶を忘れて生きていたいからだ。家族を失った深い悲し
みに加え、事件が起きてからしばらくは、彼らも世間から殺人者の身内として後ろ指を指され
ていたのだろう。そのようにあまりにもつらい現実からは逃避したいのが当然だ。
しかし、携帯電話も通じなければ人家もない山奥で、遺族4人と元信者が一人で一夜を明か
すことになってしまったら、どんなに辛かろうと失った彼ら実行犯たちとの想い出話になるのは
避けられない。しかも、実行犯たちが最後の夜を過ごしたロッジで、ところどころに、彼らの痕
跡が残されている場所なのだから。
この山小屋での一夜は、死者たちとの対話の場であった。予備校の教師をしているきよか。彼
女の夫は、理想の教育を目指して共に出家しようと誘った。だけど彼女は別に理想を追求しよ
うなんて思っていなくて、今のままでいいという。そんな彼女に夫は「お前は昔と変わったよ」
と言う。一度は家に戻ってきたけどマインドコントロールが解けない夫を彼女は追い出して、そ
れが彼に会った最後だった。変わったのは自分なのか、夫なのか彼女は悩み続けている。
大学生の勝。彼の兄は真面目な医大生だったが大学を辞めて出家するという。兄に対して「別
にいいんじゃないの?兄ちゃんみたいな人がいても」と笑って別れた。兄が何を考えていたか
なんて彼は考えたこともなかったのだ。
建設会社に勤める実。突然彼の妻が、バカにしていた後輩と出家するという。彼女の「家庭の
中になかった生き甲斐があるのよ」という言葉に愕然とするが、宗教なんて現実逃避だよと実
は反論する。しかし彼女の「あなたの現実は【ほんとう】なんですか」という言葉に彼は激怒。
だけど【ほんとう】ってなんだろう、今の自分の生活はほんとうじゃないのか?と自問自答する
ことになる。
そして花屋の店員である敦。仲のよかった姉を彼は失った。「終わって始まる歴史に参加する
んだ」と嬉しそうに、無邪気に話し、大好きなひな菊の花をちぎる彼女だった。
これら実行犯たちは、悪人ではなかった。人一倍純粋で真面目な人達。あまりにも純粋なた
めカルトに取り込まれて恐ろしい殺人に荷担することになる。彼らを責めることは簡単だ。彼ら
は家族に囲まれて幸せだったしひとりぼっちでもなかった。何不自由なく生きていた。だけど、
この世界を変えたいと強く願って、そのためには人の命を奪ってもかまわないと思うようになり、
目的のためには手段を選ばなくなってしまった。彼らの宗教「真理の箱舟」では、この世が洗
い流されて選ばれた人間のみが残るべきだという教義を持っていた。
こんな恐ろしい考え方をする人間と、彼らが捨てた家族や友人たちとは一体何が違っていたの
か、あっち側の世界に行ってしまった人と、こっちの世界に留まった人との距離って、遠いよう
で実はそんなに離れていない。では、一線を越えてあっちの世界に行ってしまった人達は、な
ぜ一足飛びにその世界に去っていってしまったのだろうか。彼らのようにあまりにも純粋な人達
を受け容れる受け皿がこの世界にはなかったのではないか、恐ろしい事件を起こした原因が
私たちの社会にあるのではないか、というのがこの映画の主題である。
テロ事件の直前に教団から逃走してこっち側の世界に留まったのが、元信者の坂田だった。
なぜ逃げ出したのか、刑事の取り調べに対して彼は「怖くなった」と説明するのだったが、果た
してそれは彼の本心だったのか。それとも狂信の世界から目を醒ましたのか。彼は、あんな事
件を起こした実行犯たちと一緒にして欲しくないとうそぶくのだが。でも、彼と、残りの人達との
違いって紙一重だったのではないか。
【ほんとう】って何?理想の社会って何?そのような疑問が頭の中に渦巻いても、それに対する
答えって見つからないし、そのような疑問を口に出そうものなら、まわりから「へんな人間だ」と
白い目で見られるかも知れない。あまりにも純粋な魂を持った人間の居場所は、家庭や社会で
はなくカルト教団だった。というのは現代の大いなる悲劇である。
このように現代に生きる人間の魂のあり方について深く考えさせられる作品である。あちらの世
界に去っていってしまった人=実行犯、こちらの世界に留まった人=遺族たちの当時の心の動
きは実にリアルに胸に迫って描かれているし、彼らの間のわずかな距離感は絶妙に描かれてい
る。が、現在形の部分の描写に心を打つものがないのがとても惜しい。事件から3年も経ってい
たら、風化する部分もあって当然だ。事件現場近くで一夜を過ごすことによって、彼らは死者と対
話をし、少しでも彼らの気持ちに近づこうと葛藤する。でも、結局彼らは過去を反芻するだけで終
わっていて、自己満足のように癒されているだけに見えてしまう。
この一夜を経て彼らがどのように変わっていったのか。そして【ほんとう】とはなんだったのか、
このような境遇に実行犯たちを追いつめてしまった今の社会の問題とは何なのか、というところ
まで突っ込んで欲しかったと個人的には思う。このままでは「実行犯たちはちっとも悪くなかった、
社会が悪かった、以上」だもの。社会のどこに問題があったのかということなんて一つも描かれ
ていない。作り手の意図に反して、純粋な彼らをわかってやることができない家族が悪かった、
という結論に受け取られかねない。敦の家族は実は存在していなかったというオチがあるが、こ
のオチにどれほどの意味があったのかもよくわからない。このような大いなる悲劇を経て、残され
た家族が終わりなき日常を生き続けるわけなのだが、事件の影を背負いながらも前向きに生き
ぬいていく彼らの姿が見たかった。
この映画は、現在のシーンはドグマ形式に少し似ている方法論で撮影されている。(もちろん、
回想シーンが多くの部分を占めると言うことでドグマではないのだけど)撮影手法もドキュメンタ
リータッチで手持ちカメラを多用し、人工的な照明も使われていないので夜のシーンになると画
像が粗くなる。さらに、きっちりとした脚本は用意されていなくてアドリブの部分が多いと言うこと
で、登場人物たちの生々しい感情を描くのに成功している。幾たびか登場する湖のシーンの、息
を呑むほどの深い美しさなど、技術的にも実に素晴らしい映画だ。特にクライマックス、敦の姉が
愛したという「サイレント・ブルー」の時間の湖と燃え上がる桟橋のシーンは、ここしばらく見たこと
がないほどの凄惨な美を感じる。人の心の闇と光を象徴させるような美に触れることができただ
けでも、この映画を観る価値はあると思う。私たちに問題提起をするという意味でも、野心的で勇
気のある作品だと思う。だけど、私個人と、実行犯たちとの間の距離は、この映画を観ることによ
って少しも縮まることはなかった。距離を縮めることができる人も中にはいるとは思うが。私が純
粋ではないということなのか。被害者の視点が欠けているのもちょっと気になった。
監督:青山真治
出演:役所広司、宮崎将、宮崎あおい、斉藤陽一郎、利重剛、国生さゆり、椎名英姫
バスジャック事件で難を逃れた運転手の沢井と中学生の兄妹。事件の2年後、「誰かのために
生きる」ことで自らの生を取り戻そうとする沢井は家庭が崩壊した兄妹の家を訪ね、奇妙な共同
生活を送った後、彼らはマイクロバスであてのない旅に出る。
沢井は、必死に自分の生を取り戻そうとあがく。別れた妻に「誰かのために生きてみようと思う」
と言い、兄妹たちと共同生活を始めるのであった。相変わらず兄妹は何も言葉を発しない。彼ら
の家に遊びに来た兄妹の従兄秋彦を加えた奇妙な暮らしが始まる。ただ一人、饒舌で「軽い」
秋彦がこの共同体の中で浮いているのだけど、彼の存在は、残りの三人が社会につながって
いく媒介となっていた。
日常生活を突如襲った理不尽な暴力。深い心の傷を受けた被害者は、簡単には癒されない。
犯罪の被害に遭った者は月日が経とうと、補償されようと、復讐を果たそうと、忌まわしい記憶
を忘れることなんてできないのだ。
その上、この映画に登場する兄妹と沢井は、被害者であるにもかかわらず、周囲から色眼鏡
で見られてしまう。妹の梢は犯人にレイプされたなどという酷い噂が流れるし、沢井は、近所
で起きた連続殺人事件の容疑者扱いされる。兄妹の母親は家出し、父親は半ば自殺のよう
な形で事故死する。兄妹は、たったふたりで、、ほとんど言葉を発することもなく散らかし放題
の真新しいログハウスで生活している。彼らの心象風景を象徴するかのような寒々とした生活
だった。被害者たちには何の落ち度もないのに、彼らは犯罪という理不尽な暴力に晒されただ
けでなく、次々と不幸に襲われてしまったのだ。
そう、事件が起きた日から、彼らにとって人生は辛いだけのものとなってしまった。平穏な生活
から暴力的に放り出され、多くのものを失った。それでも、犯人に虫けらのように殺された他の
被害者たちと違って、彼らは生き延びた。彼らにとっては、人生はこれからも続いていくのであ
る。では、2年たっても血を流し続けている深い心の傷と闇を抱えて、彼らは一体どうやって生
き抜くのか。
沢井には、濃厚な死の匂いが漂っている。彼の咳はどんどんひどくなり、血まで吐くようになる。
その上、親しくしていた同僚の女性までもが連続殺人事件の被害者となり、彼は重要参考人と
して警察の取り調べを受ける。少しずつ衰弱して行くかのように見える沢井は、その生命力を兄
妹に分け与えることで死に向かっているかのように思える。そこまでして、彼が「誰かのために生
きようとする」のはなぜか。事件によって失われてしまったかのように見える兄妹の人生を、彼の
力で取り戻してあげようとする行為によって、自分自身の人生も取り戻せると思ったからだろうか。
この映画は、3時間37分という大変な長尺である。3時間37分かけて、沢井と兄妹が再生する
プロセスをじっくり描いているわけだ。というか、それだけの時間をかけないと、彼らの再生は不可
能なのではないかという作り手の考えで、そのような長さになったのだと思う。兄妹が言葉を発さ
ないというのも、言葉を取り返すことが、救済の象徴として描かれているからだ。その前段階とし
て、言葉を用いないコミュニケーションというのが使われている。留置場に入れられた沢井と、兄
妹の間のコミュニケーション手段として、壁を叩いて交信するという場面が登場する。映画の後半、
沢井、兄妹、そして秋彦の4人がマイクロバスで旅に出た先、眠れない妹梢がバスの内側を叩き、
やがて4人が壁を叩きあうという場面には不思議な感動が見られる。彼らが、他者とコミュニケー
ションを取ろうという意志が目覚めたことが感じられるからだ。そこから、「生きることを発見する」
(ユリイカは「発見する」という意味)ラストへ、少しずつ再生に向けて進んでいくのである。
しかし、あまりにも悲しいことに、理不尽な暴力は伝播する。目の前で「人間はどうせ死ぬんだ」
と言って虫けらのようにバスの乗客を殺していった犯人の姿を見たことは、少年の心に心にブラッ
クホールのような深い闇を刻みつけた。その闇の力に屈服した者は、理不尽な暴力を他者にまで
向けるようになってしまう。しかし、その行為もまた、心の闇にうち勝ちなんとか生きようとする意
思の表れであった。
そんなときに向けられた沢井の、「生きろとは言わん。死なないでくれ」という叫びに似た言葉の、
なんと悲痛に響くことか。そう、無理して生きる必要はない。深い心の傷は決して癒されることはな
いのだから、無理に癒されようとしなくてもいいのだ。癒されよう、生きようとするからかえって傷つ
くのである。では、傷ついた者は一体どうすればいいのだろうか。
その答えを提示しようとするのがラストシーンだ。兄の直樹が警察に行き、秋彦は沢井と言い争い
をしてバスから降ろされる。そして残った妹の梢が、海に入って「お兄ちゃんに、海を見せてあげた
い」と心の中でつぶやき、次に行った広々とした崖にて、「お父さん」「お母さん」「お兄ちゃん」「秋
彦さん」「沢井さん」と、彼女に関わる人達の声を一人一人叫びながら石を投げる。ついに言葉を
彼女は取り戻したのだった。沢井が「自分のためではなく、人のために生きようとして」作り上げた
絆、それこそが彼女の再生をもたらした、ということなのだろう。
このような重いテーマを、3時間37分かけて描いているのだが、登場人物の再生にそれだけの時
間がかかったという理屈はさておき、どうしてこれだけの時間がかかっているのか。とにかくゆっくり
とした、しかも一定のリズムで描写しているからだ。このゆったりとした間の間に、観客に考えさせ
る作りとなっている。しかも、キャメラが実に雄弁で、長廻しを多用しているので台詞が非常に少な
くても退屈することがない。冒頭のバスジャックシーンのぐるりと回転するキャメラワークには鳥肌が
立つほどである。アップは要所要所にしか用いられないが、それは、犯罪被害者である彼らを疎外
する社会の視点で彼らを捉えているからだ。沢井と、連続殺人事件の被害者となる女性が会話す
るとき、強い陽射しに照らされたふたりがシルエットとして映っているところなども本当に印象的な
撮影である。加えて、クロマティックB&Wの色が、バスジャック事件以来変わってしまった彼らの、
死に満たされた世界を絶妙に表現している。
このように画期的な手法で、しかも「生と死」「再生」「犯罪被害者と社会」といった普遍的なテーマ
を見事に描いているすごい作品であるが、感動のない映画である。まずは、テクニック的にあまり
にも際だっていて、テーマ性というより手法が目立ってしまうのである。そして、登場人物にも感情
移入ができない。もともと感情移入を目的とした映画ではないのは良くわかるのだが。非常に深み
があるし、ずしんとくる凄いモノを観てしまったということで感心はするのだけど、心を揺り動かすよ
うな作品ではないということだ。心が動かなかったからといって悪い作品だというつもりは毛頭ない
し、歴史に残る画期的な作品だと思うけど。(誉め言葉になっていない?)