監督:リドリー・スコット
出演:アンソニー・ホプキンス、ジュリアン・ムーア、ジャンカルロ・ジャンニーニ
レイ・リオッタ、フランチェスカ・ネリ、ゲイリー・オールドマン
血塗られた「バッファロー・ビル」事件から10年が経った。FBI特別捜査官の
クラリス・スターリングは女麻薬密売人のイヴェルダと対決する。が、壮絶な
銃撃戦の末上司が殉職し、クラリスは赤ん坊を腕に抱いていたイヴェルダを
射殺したことで、世間の非難を浴び、FBIでも窮地に追い込まれる。
そんな彼女の窮地に付け込んだのが、レクターのかつての患者で、彼のせ
いで顔を失ってしまった大富豪のメイスン・ヴァ−ジャー。復讐心に燃える彼
は、クラリスの上司クレンドラーに手を回し、クラリスはレクター逮捕という任
務を負うことに。
一方、レクターはイタリア・フィレンツェで「フェリ博士」という偽名を使い、カポ
ニー宮の司書の職務を得る。そんな彼をレクターだと疑うのは、貴族を先祖に
持つ刑事パッツィ。その事実をFBIではなく、巨額な懸賞金をかけていたヴァ
−ジャーに報告し、ヴァ−ジャーは復讐の機会をうかがう。
捜査の手が伸びてきたことを感じたレクターは、クラリスに手紙を書くのだっ
た。「今でも羊たちの叫び声が聞こえるか?」と。そしてレクター、パッツィ、
ヴァ−ジャーそしてクラリスの、ハンニバル・レクターをめぐる物語が切って落
とされるのである。

この映画は、一言で言ってしまえばハンニバル・レクターからクラリスへのラ
ヴレターである。
10年前のクラリスとレクターの対話の録音テープ。彼がクラリスに宛てた手
紙を読む声。そして、偶然レクターが取ったパッツィの電話を通しての、思い
がけないクラリスとの会話。耳をヴェルヴェットのように刺激する彼の官能的
な声には思わず聞き惚れてしまう。恰幅がよくなりすぎたホプキンズの姿形
を敢えて前面に押し出さず、彼のクラリスへの愛を包み隠さない囁きを強調
する演出が成功している。
レクターの愛は、一方的で決して叶えられることがない。彼は、クラリスが彼
を拒絶する強さを持っているがゆえに彼女を狂おしく愛するのである。彼がク
ラリスの敵を一人一人血祭りに上げていくのも、すべて激しく切ない愛の告白
にほかならない。レクターは恐ろしい犯罪者だが、彼女の敵であるパッツィや
メイスン、そしてクレンドラーに較べてはるかにシンパシーを持って描かれて
いる。レクターの怪物性や複雑さを強調した原作と較べて非常にシンプルで、
ある意味究極の愛の物語となっているのだ
しかし、彼の愛というのは、ほとんどというか完全にストーカーのそれである。
高級な紙にクラリス好みの香水をたらして送りつける。クラリスを傷つけようと
するすべての者たちから、彼は彼女を守ろうとする。クラリスが欲しがっていた
グッチの靴をプレゼントする。遊園地で彼女とすれ違うときに、フッと彼女の美
しい髪に触れるところなんて、まあエッチだわ、と思ってしまうほどだ。ラストの
晩餐のシーンに彼女に着せたドレスがまた、胸元がパックリ割れていて非常
にエッチっぽい。ハンニバル・レクターという天才犯罪者がそういうことをするか
ら、凄絶な物語になるのだけど、普通のおじさんがそれをやったらただの変態
である。しかも、このハンニバル・レクター、かなりの年なのにもかかわらず、や
たら走り回るし力が強い。しかし、食人趣味で有名になったにもかかわらず、異
常性が発揮される場面はほとんどない。「洗練されていて知的で、力は強いけ
ど助平な普通のストーカーおやじ」とでもいうべきか。

あの長い原作を2時間にまとめるために、エピソードを相当削った形跡がある。
ハンニバルが幼い日に妹をナチスに食べられてしまったトラウマから、食人趣
味に走ってしまったという顛末。ヴァ−ジャーが、幼い少年を何人も飼っていて、
少年の涙をカクテルにして飲むのが何よりの喜びだという変態趣味。ヴァ−ジ
ャーのレズビアンの妹マーゴと、看護人のバーニーとの友情。そして、クラリス
のファザーコンプレックスが、ハンニバル・レクターにシンパシーを感じる理由の
ひとつとして登場する部分。メーンのプロットを説明するために省かれたのだろ
うけど、主要キャラクターの人物像の描きこみまで削ってしまったのはいただけ
ない。特に、クラリスの人物像が圧倒的に薄っぺらになってしまっているのだ。
この映画のクラリスは、ハンニバル・レクターに一方的に思慕されていることに
戸惑っている、ごく普通のFBI女性捜査官に過ぎなくなっている。彼女の心の
闇が全く描かれていなくて、せっかく芸達者なジュリアン・ムーアを充てたのに
もったいないことである。
また、メイスン・ヴァ−ジャーについても、原作での彼の圧倒的な怪物性の片鱗
も伺うことができず、ただの「顔のなくなってしまった大金持ち男」で終わってしま
っている。脇でそこそこ描けていたのは、パッツィくらいだろう。ジャンカルロ・ジャ
ンニーニの好演もあり、功名心と、美しい妻を満足させるための金銭欲に負けて
しまった、くたびれてはいるけれども高貴なところも感じさせる渋い男になってい
た。
映像に関して言えば、さすが映像派といわれるリドリー・スコットだけあって、フィ
レンツェ編の夜の映像の光と影の使い方は圧倒的。パッツィが殺害され、臓物を
撒き散らす場面ですら美しいのである。原作がもっとも力点を入れていたフィレン
ツェ編での、「アメリカ人の、ヨーロッパに対するぬぐいがたいコンプレックス」がふ
んだんに感じられる。屋外オペラのシーンの素晴らしさたるや、パッツィの妻フラ
ンチェスカ・ネリのイノセントな美貌と相まって、もう悶絶してしまうほどのとんでも
ない美しさである。でも、リドリー・スコットはサスペンスを撮るのは下手だ。残虐
シーンはあっても、緊迫感が全然感じられないのだから。ヴァ−ジャーだってあま
りにも簡単に死んでしまうし。

さて、問題のエンディングについて、である。
(以下、ネタばれとなってしまうので未見の方、原作を未読の方は注意ください)
原作では、ハンニバル・レクターはクラリスに薬剤を注入し、意志の力を失わせ、
彼女を自分のモノにする。美女と怪人のカップルは、優雅な生活をしながら世界
中を旅する、二人は末永く幸せに暮らしました、という非常にビザールでキッチュ
な終わり方をする。男にとってはひとつの夢だろうけど、女性人からは猛反発を
食らうエンディングだったわけだ。こんな終わり方をする映画なんかに出られない
わ、とジョディ・フォスターが役を蹴ったのも当然だ、と誰もが思っただろう。
で、映画版はというと、まず、クラリスはクレンドラーの脳みそを食べない。彼女に
はレクターと同類の食人族にさせてはなるものか!というハリウッド的なドグマが
まずここには現れている。そしてクラリスはレクターに手錠をかけ、警察に通報し
逮捕させようとするが、レクターは逃げてしまうのだ。多分、多くの人が、「こういう
終わり方だったら、何もジョディ・フォスターは降板することなかったじゃない!」と
思っただろう。あのドレスから零れ落ちそうな胸が象徴する、オトナの官能性はジ
ョディには出せなかっただろうけど。
要するに、クラリスは最初から最後までレクターの思いが通じていなくて、悲しいこ
とに彼はやっぱり片思いだった(簡単になびかないところがまた彼女らしくて素敵
だと変態マゾの彼は思っているだろうが)。彼女はFBI捜査官としての任務を全うし
ようとする意思が非常に強くて、彼にまったく心を動かされることもなかった、彼女
のファザー・コンプレックスの部分も刺激されなかった、という結論だったわけだ。
多分政治的には正しい終わりかたなんだろうけど、なんだかあたりまえすぎてつま
らない。ハリウッド超大作だから、原作の、あの悪意に満ちた終わり方ができなか
ったのはわかるけど、もう少し工夫してよね、と思ってしまう。結局ハンニバル・レク
ターを取り逃がしてしまうし、ヴァ−ジャーは殺されるし、クレンドラーは脳みそ抜か
れるし、クラリスだって今後ますますFBIで窮地に陥ってしまうか首になってしまう
のではないか?というのは余計な心配か。

話題の、クレンドラーの脳みそが主役の晩餐シーンだが、最初はちょっと気持ち悪
かったものの、どう考えてもギャグとしかおもえないほど滑稽であって、怖さは全く
感じなかった。大体、クレンドラー役のレイ・リオッタは愛嬌がありすぎて、ああいう
ことをされても「ザマミロ」とは思えないのである。もうちょっと嫌味で酷薄そうな人
が演じていたら違っていただろうけどね。どうせコミカルにやるんだったら、クレンド
ラーの幼児退行現象や、彼の歌をもっと入れるくらい徹底したら、ブラックな感じが
もっと出たかもしれない。結局クラリスが脳みそを食べないところといい、どうも中途
半端である。
とまあ、散々ここまで文句をたれてしまったけど、グロテスクで美しい映画には仕上
がっているので、十分楽しめる作品にはなっていると思う。ただし、上述したように
人物の描写が全然抜け落ちているし、ハンニバル・レクターもとても単純化して描
かれているので深みが全くなく、「見ている間は面白かったけど、そのうち観たこと
も忘れてしまう映画」となってしまうことだろう。まあ、映画なんて見ている間楽しけ
ればいいんだけどね。
監督:三池崇史
出演:遠藤憲一、内田春菊、渡辺一志、不二子、中原翔子
テレビのニュースキャスターだった父親山崎は、番組を降板させられ、いじめに遭っ
ている息子のドキュメンタリーを撮ろうとしている。母親恵子は息子から凄まじい家
庭内暴力に遭い、その苦痛を癒すためにクスリにおぼれ、売春をしている。娘は家
出し援助交際で生活し、息子はいじめに遭っている憂さを晴らすために、母親に暴
力を振るう。そんな崩壊しきった家庭に突然やってきた謎の男。そしてなぜか、家族
に大きな変化が現れるのであった…。
『DEAD OR ALIVE』『漂流街』の三池にデジタルビデオを渡して映画を作らせてしま
ったものだから、きっとすごいものができるだろうと思ったけど本当にむちゃくちゃな
作品になってしまった。ありとあらゆるインモラルと家庭の崩壊を描き、それがさらに
カタストロフィへと向かったと思ったら、あっと驚く大団円、家族が再生してしまうの
である。崩壊しきった家庭に、第三者が入り込むことで家族が再び向き合い、癒さ
れ、再生するという物語は恐ろしく陳腐なものである。このテーマの作品はそれこそ、
ごまんとある。『ユリイカ』だってそういうテーマの作品だ。しかし、この映画は、そ
の筋書きの陳腐さを極め、パロディとしてしまうことで笑い飛ばしているのだ!
冒頭のベッドシーンは、なんと父親が、実の娘に対して援助交際しているという超
インモラルなもの。しかし、じめじめした部分は全然なくて、ケバケバしく毒々しい
ラブホテルの部屋で、娘は嬉々とデジカメでことの成り行きを撮影している始末。い
ざ合体、というときに娘が父親に言い放った言葉は「早漏」の一言だから凄い。
そして家の中では、布団たたきで容赦なく母親を殴る息子。息子は母親を殴るため
に、布団たたきのコレクションをしていて、押入れにはさまざまな布団たたきがぶら
下がっているのが圧巻。母親はどんなに殴られても抵抗せず、ただバカの一つ覚え
のように「顔だけはやめて〜」と半分芝居がかった様子で泣き叫ぶのみ。母親を演
じるのはあの内田春菊なのだが、彼女だとは一瞬わからないくらい老けていて、生
活感がにじみ出ていて、そのへんにいるようなくたびれたオバさんなのだ。
父親を大きな石で殴った謎の男。この男をなぜか自分の家に招き入れる父親。彼ら
の家で夕食が始まるが、夕食の最中も母親を殴る息子。料理が食卓の上を飛び交
う。それだけではない。息子をいじめている同級生たちが、ロケット花火を山崎家の
中に打ち込んでしまうのだ。「ひゅー」という音を立てて、鮮やかに光りながら家に飛
び込んでくる花火に、家族は逃げ惑い、家の中は破壊される。いろんな色に光りな
がら家を壊していく花火の光がとても綺麗で、まるでお祭りのようである。
父親は、息子のいじめドキュメンタリーを撮影しようと、元同僚で愛人だった女子アナ
ウンサーを現場につれてくる。しかし取材そのものに気が乗らない彼女。逆上した父
親は彼女を殺してしまう!そして彼女の死体を家に持ち帰り、家の温室で死姦する
のだった!
その間、母親は奇妙な訪問者に、女性としての喜びを与えられた。喜びのあまり、
乳房から母乳を勢いよく飛ばす彼女。家の床は、母乳びたしとなる。
死姦しているうちに、死後硬直のせいで父親のちんちんが抜けなくなってしまった!
母親に助けを求めると、母親は嬉々としてスーパーに走り、お酢を大量に買い込む。
合体した父親と死体を風呂に入れ、酢で満たして、家族ぐるみで死体を引き剥がそ
うとするのだ。「なんかぁ、お酢入れると柔らかくなりそうだしぃ」みたいなかる〜いノ
リである。父親が人を殺した上、死体を犯しているというとんでもない事実に、気が
つかないふりをしているのか。それでもなかなか抜けないものだから、母親愛用の
シャブの注射を打ったらやっと抜けた!ばんざいっ!と家族はみな大喜び。乳の海
に浸る息子は「僕、ちゃんと学校に行くようにするよ」。さてさて大団円、というところ
で例のいじめグループが襲ってきたが、もはや山崎家の人間には何も怖いものはな
い。「エッサー、エッサー」と斧でいじめグループの少年たちをブチ殺す。みんなでい
じめっ子たちの死体をバラバラに。そして、父親と娘が母親の乳房を片方ずつ口に
含み、赤ちゃんのような至福の表情を浮かべるのであった。めでたし、めでたし…。
これだけセックスとバイオレンスと不道徳に彩られた作品であるにもかかわらず、後
味はスッキリ、さわやかでなんだか「エエ話だのう」とつぶやきたくなるから不思議だ。
ありとあらゆる不道徳と苦悩、社会からの逸脱。それを突き抜けたとき、残された
ものは家族の愛ということか。いじめられっこの息子。援助交際する娘。キャスターを
首になった父親。シャブ中で、薬ほしさに売春する母親。みんな、社会から脱落して
しまった人たちだ。そんな彼らのすさみきった心をなぜか癒してくれる、ビジターQ。
彼が、社会から逸脱してしまった寄る辺なき人たちにも、家族という居場所があるん
だよ、と教えてくれたのだ。
そして、この作品は遠藤憲一の熱演無くしては語れない。あの脂っこい顔に漂う哀
愁。本当は大真面目なのに、すっかり壊れてしまった男の悲しみ。そして時折噴火
する狂気。この独特の狂った哀感は他の役者には出せまい。また、山本英夫による、
デジタルカメラの特性を生かした撮影も圧巻。色彩はより鮮やかにギラギラと輝き、
父親山崎が息子のいじめドキュメンタリーを撮っているという設定から、この家族の
異様さがドキュメンタリー・タッチでカメラに収められているのが怖い。カメラは小刻み
によく動き、めくるめくカメラという表現がぴったりだ。
ホント凄いものを見てしまったと、放心状態に陥るのであった。やはり三池崇史はた
だ者ではない。