アメリカン・サイコ American Psyco

監督:メアリー・ハロン
出演:クリスチャン・ベール、クロエ・セヴィニー、ジャレド・レト、リース・ウィザースプーン、ウィレム・デフォー

パトリック・ベイトマンはウォール街の証券会社のエグゼクティブ。マンハッタンの一等地のシック
なアパートに住み、服はチェルッティのスーツ。肉体を美しく鍛え、肌の手入れも怠らず、婚約者も
いて仲間たちと最先端のおしゃれなレストランに繰り出す日々。しかし、彼は殺人への衝動を抑え
切れなくなっていた…。ブレット・イーストン・エリスの問題作を映画化。

この映画の舞台となっている1980年代の狂騒には、記憶がある。私が大学に入ったのが1987年
なので完全にリアルタイムであのバブリーな雰囲気を知っているわけではないが(就職とともにバ
ブルが崩壊したのだ)、見覚えのある記号がうじゃうじゃ出てくる作品だ。とってもこっぱずかしい。
実は原作も発売と同時に買ったのだけど、あまりの記号の羅列と残酷な殺人シーンの連続に辟
易したのだった。映画のほうは、見事に黒い笑いをちりばめていて、あの原作と比べると、映画化
そのものは成功している部類に入るのではないかと思う。オープニングの、血が滴っていると見せ
かけて実は高級レストランのデザートソースだった、という見せ方などは実に見事。

パトリック・ベイトマンの日常と言うのは見事なまでにカラッポだ。一流会社のエグゼクティブというこ
となのだけど、仕事をしているシーンなんてほとんど登場しない。オフィスにいるときも、真面目そう
な秘書のクロエ・セヴィニーを使ってお店を予約したり、ヘッドフォンで流行の音楽を聴いていたり、
仲間と私用としか思えない電話をしていたり、なのだ。そういうエグゼクティブでも勤まった時代だっ
たということだろうけど。

すべてが記号で構成されている生活。中でも、重要なのが名刺だったりする。オフィスで集まった
ヤング・エグゼクティブ(死語)たちが名刺を見せっこするシーンなんて、もう大笑いだ。一人一人が、
まるでカードゲームのように名刺を出す。「う、このなんたらかんたらの色合い、高級感あふれるフ
ォント。やられた…」なんてベイトマンの心の声が効果音つきで聞こえてきて、冷や汗タラリ、なの
である。そして、一番見栄えのする名刺の持ち主であるアランに嫉妬を覚えるベイトマン。実は私
もバブルの頃、合コン相手にもらった名刺の束を友人と見せ合って、どっちの名刺が強いかという
遊びをしたことがあったんだけど。

ベイトマンのアランに対する嫉妬はそれだけではなかった。彼が予約しようとした最先端のお店に
予約を断られてしまったのに、アランは一発で予約できたというではないか!嫉妬はやがて殺意
になる。名刺やレストランの予約が原因で人を殺しちゃうんだからスゴイ。

殺人の方法だって、徹底的に戯画化されている。ナルシストのベイトマンは、アパートメントにもロバ
ート・ロンゴ(「JM」の監督ね)やシンディ・シャーマン(「オフィス・キラー」の監督ね)のアート作品を
飾りスタイリッシュな家具をそろえているわけだが、殺人道具にも凝っている。磨き上げられたナイフ
たち。銀色の斧。殺人で部屋が汚れることに耐えられないので、あらかじめ新聞紙を敷いておき、レ
インコートを着込んでおくのだ。そして気分が高揚し、いよいよ殺すぞ、というときには音楽の薀蓄を
傾ける。薀蓄の対象となるアーティストがヒューイ・ルイスやホイットニー・ヒューストン、フィル・コリン
ズと徹底的に80年代的通俗アーティストとというのも、彼のカラッポさ加減を示していていい。

ベイトマンの殺人衝動は嫉妬の対象ではない人物にまで向いていく。娼婦とか知り合いの女性など
など。獲物と3Pしている姿をビデオに納め、セックスの最中も鏡に向かってポーズをとる姿にはもう大
爆笑。彼にとっては、セックスよりも、セックスしている美しい己の姿に快感を感じてしまうのである。
そして「悪魔のいけにえ」のビデオを見て、スッポンポンでチェーンソー振り回して獲物を追い掛け回
すんだから、もう狂っているとしか言いようが無いけど、ひゃ〜お腹痛いよ、というくらい笑えてしまう。
もう彼の殺意は誰にも止められないのだ。

そうやってもう何十人も人を殺しているというのに、彼の犯罪は露見しない。アランが失踪したという
ので探偵が彼のもとにやってくるが、なぜかありもしないアリバイが存在していることがわかってしま
う。それは、要するにパトリック・ベイトマンという人間が何者であるかということに、仲間たちですら関
心がないということであった。殺されてしまったアランですら、ベイトマンのことをベイトマンだと認識し
ていなかったのだから。その事実は、ナルシストの極みであるベイトマンにとっては、耐えがたいこと
であった。もっと自分という人間に関心を持って欲しいから、ということでベイトマンの殺人行為はエス
カレートするのだけど、彼の殺人の痕跡はすべて隠されてしまう。彼は一生つかまらないし罰せられ
ることも無い。弁護士に言っても、警察に言っても無駄なのだ!それは、ベイトマンにとっては捕まる
ことよりもよほど辛い、生き地獄なのであった…。それが彼に与えられた罰なのだ。

人が流行の服を着たり、ブランド物を買ったり、肩書きを手に入れたがるのはなぜだろうか。それは
自己満足であるとともに、周囲の人間に「あの人はおしゃれだ」「あの人はあんな高いモノをもってい
てスゴイ」「あの人はあんなに立派な会社に勤めている」と、よく思われたいからである。つまりは、
他人の視線によって、自分の価値を決められるということである。ところが、この物語の中で、周囲の
人間にとってパトリック・ベイトマンは、会社での地位、着ている服のブランド、よく行くレストランなど
の記号によってのみ認識されているのであって、パトリック・ベイトマンという人間に関心のある人間
は誰一人いないのだ。婚約者ですら、彼の持つブランドにのみ惹かれている。ベイトマンの住むヤン
・エグの社会では、ブランド物の服、エグゼクティブの肩書き、最先端のスポットでの夜遊びなどはあ
たりまえのことであるので、彼が必死で取り揃えた記号もすべて埋没してしまっている。唯一、彼に
記号以外の関心を持つのは、真面目でどこか垢抜けない秘書嬢だけであった。そんな彼女だったか
ら、ベイトマンも彼女だけは殺さなかったのだ。

自分という人間ではなく、自分の取り揃えている記号にのみ周囲が気を取られていることがストレス
となり、ベイトマンは殺人衝動に火をつけていくわけだ。しかし、彼は、この記号地獄から抜け出すこ
とはできない。いくら罪を重ねても「パトリック・ベイトマン」として罰せられることの無い彼は、生き地
獄に永遠に捕らえられたまま生きていくしかないのである。なんという恐ろしいことであろう。

いくら振りチンでチェーンソーを振り回し、くだらないことで人を殺したくなるベイトマンがおかしくても、
私たちも笑ってばかりいられない。冷静に考えると、パトリック・ベイトマンを笑うことができるだろうか。
私だってブランド物は好きだし、流行の服を着ていないと、少し恥ずかしくなってしまって下を向いて
しまう。自分より出来が悪いのに、給料が良くて世間体のいい会社に就職した同級生には嫉妬して
しまうし、それは仕事の内容よりも、世の中にどれくらい聞こえがいいかということがうらやましいの
である。そういう黒い欲望は誰にだってあるだろう。それが殺人衝動につながらないように、記号を
揃えるのにあくせくしているだけではなく、カラッポではない自分を作らなくてはいけないなあ、とわ
が身を振り返るのであった。私の中にも、パトリック・ベイトマンはいるのかもしれないから。

それにしても、クリスチャン・ベールはよくもこんなにカラッポでしかも殺人鬼であるリスキーな役をや
る気になったものだ。この役を熱望していたレオナルド・ディカプリオには、おそらくこの馬鹿馬鹿しい
ほどに中身の無い人格を、こんなにもユーモラスに演じることはできないだろう。かなりオーバーアク
ト気味だけど。あと、この映画でのクリスチャン・ベールはトム・クルーズに似ている気がするんだけ
ど、気のせいかな。