ロマンスX Romance X

監督:カトリーヌ・ブレイヤ
出演:キャロリーヌ・デュセイ

小学校の教師をしているマリーは、美しい恋人ポールと、白で統一された生
活感のない部屋で暮らしている。ナルシストのポールは、マリーとのセックス
に興味を失っており、マリーは彼のことを愛しているのに、抱いてもらえない
ことに不満をもつ。やがてバーで行きずりの男を拾うようになるマリー。そして
彼女の勤める学校の校長であるロベールは、彼女を緊縛し性の調教を試み
るのであった…。

愛とセックスとの関係というのは、人間にとって永遠の課題だろう。マリーは、
恋人が自分を抱こうとしないのは、愛されていないからなのではないかと疑う。
「どうして私を抱いてくれないの」と恋人に泣き喚く。だけど、そんなふうにしつ
こく抱いてと言われても、かえって冷めるというのが人間というものだ。ポール
という男性は、もともと植物みたいな存在で、そもそもセックスには余り関心が
ない。難しそうでインテリに見える本を読んで、男友達やひとりでさっぱりとした
和食を食べて、自分を美しく見せる方法を研究する、といったタイプの人間な
のだ。マリーはセックスと言うものを過大評価しているのではないか。セックス
がなければ恋愛とは言えない、正しいパートナーシップではないと考えて、セ
ックスにこだわりすぎている。愛は、セックスだけが全てじゃないと思うのは私
だけではないだろう。それに、ナルシストで自分のことしか考えていないポー
ルは、恋愛向きの男とは思えない。どうしてマリーは彼に見切りをつけられな
いのだろうか?それは、ポールが彼女の合わせ鏡のような存在だったからだ。
彼女も、過度の潔癖症に守られたナルシストなのである。

セックスに満たされないマリーは、男を求めて夜中にバーに入り、男を誘う。彼
女が出会ったのは、パウロという男性。たくましい肉体を持つセックスの雄神の
ような男だが、傷ついたマリーをいたわり、彼女を送り出すときには優しくキス
をする。それなのに、マリーはあっさりと一晩だけで彼とお別れ。それだけでな
く、道行く男性に金をもらって犯されたり、そして勤務先の学校の校長に縛られ
たりと一種性の地獄めぐりを始めるのだ。

マリー役のキャロリーヌ・デュセイは綺麗だが、まったく色気を感じさせず神経
質で潔癖な様子が、好んで着る白い衣装、後ろできちんとまとめた髪によって
印象付けられる。そんな彼女が、受難のマリアのように、進んで流れ者のよう
な男に犯されたり、校長の赤と黒で統一した怪しい部屋で猿ぐつわを噛まされ
ては恥ずかしいところを丸出しにされて屈辱に震えるのである。あれほど恋人
とのセックスを望み、それを理想化しているのに、彼女にとって、セックスは「汚
れ」だという意識が根底にある。だから、ポールのような植物的な男性を好んで
いるわけなのだが。彼女の見る恐ろしい夢の中では、彼女を含む女性たちは
上半身と下半身が婦人科のカーテンを思わせるような壁によって区切られ、壁
の外では女性の下半身ばかりがいくつも並んでいる。男たちは、下半身しか見
えない女性に、ペニスを突っ込むのである。つまり、マリーは、恋人とのセック
スの不在とその不在を埋めるための性の地獄めぐりの最中、体と心がバラバ
ラになってしまったのだ。マリーが検査のために訪ねた婦人科でも、彼女の剥
き出しの陰部を何人もの医師がじろじろ覗き込むという神経を逆なでする場面
がある。

校長に縛られて、珍しく似合わない赤いドレスを着て食事を楽しんだ後、マリー
はポールにセックスをせがみ、なぜかその日彼は応じてくれる。校長とのSMプ
レイに歓びを見出すようになった彼女は、セックスの最中「愛なんてくだらない」
と心の中でつぶやくが、妊娠してしまう。校長に緊縛され、すべての羞恥心を捨
て、新しい快感を知ったことで自分を解放しつつあった彼女は、妊娠によって生
まれ変わった。子種を得た後、マリーはあれほど愛していた不実な恋人を殺し、
赤ん坊を産む。子供を手に入れた彼女にとって、もはや奇麗事の愛なんて不要
になったのだ。性の地獄遍歴の結果、心と体がバラバラになった時期を経て、
彼女は本当に自分が欲しいものとは何なのか、自分は本当は何者なのか、と
いうことを知るのであった。

そして、その彼女の中に目覚めた強い意志、そして愛やセックスの呪縛から解
放されたことを象徴するのが、強烈でグロテスクなマリーの出産シーンである。
彼女の産道、肉のヒダヒダの間を胎児の頭が通り抜けていくところは、ひたすら
気持ち悪くて、子供を産んだことのない私にとってはトラウマになりそうだ。クロ
ーネンバーグの内臓感覚を思わせる、血と肉と臓物はほとんどスプラッタであ
る。たしかに、この描写を加えることで、この映画はまたとないインパクトを観客
に与えることには成功していると思うのだが…。ただ、あまりにも凄絶なこのシ
ーンは、「セックスによって固定観念を捨て自らを解放する」という作品のテーマ
性を、かえってぼやけさせてしまったように思えてならない。

マリーの白い衣装、ポールと暮らす白くて無機質な部屋。彼らが好んで訪れる
和食の店。もともとのマリーとポールの世界は、清潔で生活感のかけらもなくス
トイックだ。それに対照的なのが、妖しさ満点の校長の部屋。ダークな赤と黒に
彩られたアールデコ風キッチュな部屋で、やはり赤い衣装を身につけさせられ
縛られたマリーはたしかに美しいのだがとてもミスマッチで痛々しく、かわいそう
なだけ。緊縛姿といえば谷ナオミの色香と思っている私には、あまりにも薄味。
色彩の使い方は非常に上手くて雰囲気作りには成功した映画といえるが、マリ
ーの女教師という設定といい、助平な教授といい、美しいモデルの恋人といい、
設定は少女漫画というかレディースコミックかロマンス小説みたいだ。

本番シーンあり、映倫によるカットが話題となった作品ということで、お洒落な映
画館には不似合いのおやじ観客が客席に目立ち奇妙な居心地の悪さを感じた
が、彼らはあのグロい出産シーンに萎え萎えだったに違いない。少なくとも、題
名のロマンスというのはこの映画には不在で、あるのは自己愛とナルシズムだ
けだ。

王は踊る  Le Roi Danse

監督:ジェラール・コルビオ
出演:ブノワ・マジメル、ボリス・テラル、チェッキー・カリョ

1643年、5歳にしてフランス国王に即位したルイ14世。政治の実権を母親と宰相
マザランに握られた彼は、踊ることでしか自分の存在の証明ができなかった。イ
タリアからやってきた音楽家で舞踏家のリュリの作る楽曲に魅せられたルイは、
リュリの音楽と振り付けで舞台に立ち、王の権威を示す。美しく若い国王にリュリ
は心を奪われ、彼をよりいっそう美しく引き立てる音楽を作りつづける。
マザランの死とともに実権を握ったルイは、リュリに皇太后付の音楽家カンベール
の恋人マドレーヌと結婚することを命ずるが、リュリはホモセクシャルであり、結婚
生活は愛のないものになった。リュリが愛しているのは、王だけだったのだ。
リュリは劇作家のモリエールと組んで舞台を作り大成功したが、皇太后の側近た
ち、長老派はリュリを敵視し、権力闘争が始まる。リュリはひたすら王を愛し、同性
愛者ではない王へのかなわぬ愛を音楽にこめるのだが…。


息苦しいまでにゴージャスな映画である。実際にベルサイユ宮殿でロケされたとい
うことだが、衣装や内装も凝りに凝っていて、胸がいっぱいになりそうだった。その
中で、ひときわ燦然と光り輝く太陽王ルイ14世の美しさ。実際、全身に金粉を塗っ
てルイは舞うのである。ライオンのたてがみのような長い金色の髪。整った顔立ち
と、いつも少しあごを上に向ける傲慢な表情。やや甲高いブロワ・マジメルの声が、
さらに冷たい性格を想像させる。(フランス映画際で2時間もファンにサインし続けた
ブノワ・マジメルは実際には腰の低い好青年なのだが) この映画の魅力の80%
以上は、完璧なまでの、決して手の届かない高みに戴く神々しき美を誇るブノワ・
マジメルに拠るものだろう。「王は踊る」というタイトルから想像されるほど踊りのシ
ーンが多くないのは、かなり不満に思ったが、踊りのシーンそのものは、彼の圧倒
的な美しさを堪能できる華麗さを誇っている。

映画の冒頭、年老いたリュリは指揮棒で足を突き刺してしまい、足を切断しなけれ
ば命にかかわるという事態に陥る。ところが、「王と踊った足を切ることは出来ない」
と拒否し、彼は息を引き取るのだった。リュリは、それほどまでに王を狂おしいほど
愛していた。

ただ、リュリの王への愛は、純粋なだけではなく、自らの権力を高めるためにも利
用されたのだ。リュリは、王の美しさを引き立てるための、きらびやかなバロック音
楽を作り、王がさらに美しく踊れるような華麗なステップを編み出す。王は、その踊
りと音楽で自らのカリスマ性を高めていき、為政に活かしたのである。そして、自分
の魅力を高めてくれるリュリを重用した。リュリは、ライバルのカンベールの地位を
奪い、劇作家モリエールと組んで画期的な音楽劇を作っただけでなく、しまいには
モリエールまでも蹴落として、音楽劇の独占上上演権までも手にする。王の虜とな
っていただけでなく、リュリは瞳を野心でギラギラさせ権力の亡者ともなり、成り上
がっていくのだった。

しかしながら、リュリの王への思いは否定される。王に見捨てられるのが不安なリ
ュリは満たされない思いから男色の館に足を踏み入れたところ、一夜をともに過ご
した美少年ののどが掻き切られているのを発見する。それは、カンベールらの謀略
であり、そのことを知った王はリュリに対して怒りをぶつける。王に対して切々と愛
を訴えるリュリであったが、王は冷たい表情で「余に愛はない」と言い放つのであっ
た。さらに、リュリにあてつけるかのように、愛人との情事を見せつけながら、そのB
GMをリュリに演奏させるのだった。

かくのごとく、叶えられない狂おしい愛に身を燃やし、しまいには王のために命まで
も捨てたリュリだが、彼はきわめて世俗的な人物である。実際、リュリという音楽家
は音楽史の中でも最も世俗的成功を享受した作曲家のひとりだということだ。その
下品さ、成り上がりぶりは映画の中で遺憾なく表現されている。リュリのバロック音
楽も非常に仰々しいし、リュリ演じるボリス・テラルはいつでも暑苦しく目をギラギラ
光らせている。王を想って狂ったように踊るところなども、やたら熱くて、その熱情に
はクラクラしてしまうほど。その息苦しく甘美な苦悶がひしひしと感じられる、ものす
ごい大熱演だ。

リュリがこのようにその熱すぎる想いを微に入細に入り描かれているのに対して、後
に太陽王と呼ばれた王ルイ14世の描写はいささか物足りない。王という絶対権力に
ありながら、最初のうちはその実権を母親と、母親の愛人であるマザランに奪われて
いる。母親を蹴落とし、絶対君主となってからも、個人的な感情を持つことそのものが
不可能な状態で、愛のない政略結婚を強いられ、友人ひとりいない。リュリに愛され
ていることはわかっていても、王という立場では、愛や友情を持つことすら叶わないの
だ。その王としての孤独は物語の筋からは理解できるものの、全く描かれていない。
それとも、描かれるに値するような「内面」が王にはなかったと言うことなのかもしれな
いが。やがて踊るには年齢的につらくなり、踊ることをやめて絶対的な君主としてヨー
ロッパに君臨したルイだが、若いときの美しさは失われ、内面の空虚さが見えてきて
しまうような薄っぺらい顔立ちとなっていた。

そして、二人の間に流れる感情も、リュリの一方的な片思いだけがしつこく描かれて
いて、王は一体リュリにどんな思いを持っていたのか、というのが見えにくくなってい
る。途中までは、リュリは王に愛されているのではないかと誤解したように見受けら
れるが、その根拠も弱い。

もうひとりの主要人物であるモリエールの描写になると、さらに物足りない。モリエー
ルは歴史上も非常に有名な人物ではあるのだが、リュリと同じく王の寵愛を得たいが
ために作品を書き、そしてしまいにはリュリに蹴落とされる人物としか描かれていなく
て、何のために出てきたのかわからないほどの存在感の薄さである。モリエールとリ
ュリが共作した音楽劇も、その魅力がさっぱり伝わってこない、非常に退屈なもので
あった。こんなにつまらないエピソードだったら、カットしたほうが良かったのではない
か?

美術、衣装、セット、ラインハルトゲーベルによる音楽の、息苦しいまでの豪華絢爛さ、
そしてそのゴージャスさにひけを取らないブノワ・マジメルの圧倒的なきらめきとカリス
マ性。わらに暑苦しいまでのボリス・テラルの熱演と権力欲。目と耳の保養には非常
に素晴らしい映画だが、劇のシーンや人間関係の描写はいささか物足りない作品と
なった。