夜になるまえに Before Night Falls

監督:ジュリアン・シュナーベル
出演:ハビエル・バルデム、オリヴィエ・マルティネス、アンドレア・ディ・ステファノ、ジョニー・デップ

キューバに生まれたレイナルド・アレナスは、ハバナの大学時代に知り合ったペペ・マ
ラスの影響もあり、同性愛者のサブカルチャーに参加し、小説を書き始める。ところが
60年代の後半にはカストロ政権は芸術家や同性愛者に対して弾圧を加えていた。ア
レナスの2作目の小説はキューバからこっそり持ち出された。フランスで出版されたそ
の作品「めくるめく世界」は賞を受賞して、一躍彼の名は有名に。しかし彼は無実の罪
で逮捕され、逃亡を企てるが失敗し、2年間の刑期を終えた後も作品を破棄することを
強制される。1980年、彼はアメリカに亡命するが、やがてエイズに侵され、そして19
93年に親友ラサロに看取られ、その生涯を閉じるのであった。

実在の人物を描いた伝記映画ではあるのだが、なんとも異色の仕上がりとなっている。
何よりも印象的なのが、この映画でオスカーにノミネートされたハビエル・バルデムの
凄すぎる演技、インパクトの強い大きな眼。そして、燦燦と降り注ぐキューバの太陽と、
ハバナの街並みのコロニアルな美しさと猥雑さ。ゴムタイヤに乗って逃亡を企てるアレ
ナスが、真っ青な海の水に洗われて打ち上げられ、全身ずぶ濡れになって「それでも
自分は生きている」という表情を見せたところや、ニューヨークに亡命後、降り続ける雪
を体に浴びてラサロとともに歓びいっぱいに戯れるところの詩的な映像(ここで台詞を
一切排しているのが、効果的で、この一瞬のきらめきを印象付けている)は、流石画家
出身のシュナーベルらしい、力強さを感じるのだった。

レイナルド・アレナスという人間が果たして的確に描かれているのかどうかは、正直自
分にはよくわからない。彼という人間そのものを描くことを目的にした映画ではないよう
に思えるのだ。実際の彼は、非常にお盛んで日夜男性のナンパに励んで、退廃的な
生活を送っていたようだが(それでエイズになってしまうわけだ)、その彼のワイルド
だった部分は排除されているので、リアリティには欠けているのだ。まとまりにも欠け
ていて、散文詩のような映画となっている。しかし、彼の生きていた60年代のキュー
バがどんな場所だったのか、そして、亡命後の彼の、同性愛者と亡命者という、二重
の意味での孤独を感じていた心情は、真に迫ったものである。この孤独感の表現にお
いては、ハビエル・バルデムほど的確に、情感豊かに表現できる役者はいないのでは
ないかと思った。あの深くて吸い込まれそうな大きな眼の力がすごい。アレイナスとい
う人間そのものにしか見えないのだ。

刑務所を出所するときに、彼は自分の作品を破棄することと、殺されることのどちらか
を選ばされる。苦渋の選択を迫られた彼は、命を取られるよりは、ということで作品を
破棄することを選ぶのだが、その苦悩は、ハビエル・バルデムの肉体を通して痛いほ
ど伝わってくる。これまで彼は作品を世に送り出すために、刑務所内で手紙の代筆サ
ービスをして紙とペンを手に入れたり、受刑者のアナルを使って運び出そうとしたり、
とてつもない苦労をしてきたのだ。キューバ時代は絶えず死の恐怖にさいなまれ、怯
える彼。だけど、亡命地のニューヨークでも、彼の苦悩はやまない。同性愛者ゆえに、
彼は祖国を追われたのである。彼がインタビューに答える映像が挿入されるが、「僕
は同性愛者で反カストロ、どこの世界からも疎外されている」と切々と訴え、その深い
孤独が胸に突き刺さる。しかも、彼はその後まもなく死を宣告されたも同様の病に倒
れるのだから…。

この映画が素晴らしいと思うのは、映画が、アレナスの幼少時のエピソードから始まっ
ているところだ。彼の母親は美しい女性だったが、彼が生まれてまもなく、彼の父親と
別れた。彼女のたった一度の恋だった。父親は何度か彼に会いに来たが、母親は決
して彼を許さなかった。母親の家族の中で育ったアレナスは、自分が望まれない子供
だったと子供ながらに感じていて、そのことが、一生彼につきまとうことになる。父親に、
母親に望まれない子供だった彼は、同性愛者で、反カストロということで、キューバと
いう国にも捨てられる。望まれない子供という立場でありながらも、彼の少年時代は、
キューバの湿った緑の中で過ごされ、実に美しい自然にあふれていた。美しい場所で
の少年時代だっただけに、さらに悲しい。彼が亡命した先のニューヨークでの暮らしは、
キューバよりは自由だったかもしれないが、あまりにも寒々しく、キューバでの苦悩に
満ちながらも生き生きとした猥雑な生活に比べ、孤独感を深く感じさせる侘しいものだ
った。最後に紹介される彼の詩は、まさに望まれない子供として一生を過ごさなけれ
ばならなかった彼の、魂の痛みを感じさせるのだった。望まれていなくても、彼は母親
や故郷を懐かしく思いながら、異国でその生涯を自ら閉じることになった、その悲しみ。
地球上には、彼の安住の地はなかったということだったのだろうか。

猥雑さ、孤独、苦悩が渾然一体となった、まさに彼の書いてきた「詩」のような美しい
映画である。刑務所のシーンで登場する、ジョニー・デップ扮する異形の美しき女装者、
そして同じくデップが演じる美男の将校のエピソードが、この映画にビザールな、ファン
タジーのような非現実的な味わいを加えている。

コレリ大尉のマンドリン  Captain Corelli's Mandolin

監督:ジョン・マッデン
出演:ニコラス・ケイジ、ペネロペ・クルス、ジョン・ハート、クリスチャン・ベール

第2次大戦下、ギリシャがナチスに敗北したために、イタリア軍の占領下に入った小島
ケファロニア島。そこに駐屯するためにやってきた音楽を愛するイタリア人コレリ大尉と、
島の医師の娘ペラギアが恋に落ちる。が、イタリアの敗北と共に、同じ枢軸国のドイツ
軍がイタリア軍を攻撃するという悲劇的な出来事が起こる。

音楽を愛する陽気なコレリ大尉の役は、いかにもニコラス・ケイジにお似合いである。
イタリア軍が島に駐屯すると聞いて、島の人々は戦々恐々としているのだが、実際に
やってきたコレリは、美しいペラギアを見て「斜め左の方角に美女発見!」なんて行進
しながら叫ぶのである。コレリら、イタリア部隊の面々は、なんだか戦争中なのが嘘に
思えるくらい明るい。ケファロニア島の美しい海岸線で、娼婦達を連れて乱痴気騒ぎを
起こし、高らかに歌を歌う。そんな彼らに最初は眉をひそめていたペラギアであるが、
次第に「歌を歌うのがなぜ悪い?」というコレリに惹かれていくのだった。ちょっとこの
映画に弱い点があるとしたら、それは、ペラギアがコレリになぜ惹かれたのか、という
プロセスが十分描かれていないということだ。唐突に彼女が心変わりしたようにしか
思えず、恋の盛り上がりの部分にも欠けているので、いろんなことが起きる割には、
ドラマチックな感じがしない。

ちょっと薄味なメーンの恋愛部分に対して、脇役のキャラクターが非常に良く描かれて
いる映画である。まずは、医師であるペラギアの父。ペラギアは父親に医学の手ほど
きを受けており、彼は彼女は良い医者になると信じているのだが、この小さな島では、
女性が医師になるということなど考えられなかった。それでも、父は娘の才能を信じ、
粗野な漁師である婚約者のマンドラスにはもったいないと感じていた。父親が語る恋
愛についての金言が、また素晴らしいのである。彼は物語の語り部として有効に機能
している。

そして、婚約者であるマンドラス。これまでは、どちらかというと嫌味なエリート役ばか
りを演じていたクリスチャン・ベールがこんな無骨な青年役を演じられているというのに
驚いた。マンドラスは、レジスタンスのために戦っていたのだが、無学なため、ペラギ
アが手紙を書いても、読めないし字が書けないので、返事を出すことが出来ず、次第
に彼女の心は彼から離れてしまう。なんとも切ないエピソードだ。ペラギアの心がコレ
リに傾いたことを知ったマンドラスは当然激怒するわけだが、しかし、なんと、マンドラ
スは、ドイツ軍に処刑されそうになったコレリを救出し、そして、彼の島からの逃亡を助
け、黙ってペラギアの前から去っていくのである…。男だぜ。

もう一人非常によく描けているキャラクターがいる。イタリア軍とともに駐留するナチス
・ドイツの将校ウェーバーだ。彼はナチスといっても金髪碧眼ではなく、オーストリアの
小さな村の出身で、不器用で堅物な田舎者の青年だ。次第に彼らは親しくなり、村の
ダンスパーティではウェーバーはペラギアの親友である娘に恋心を告白するが、それ
は後に大変な悲劇にいたることになってしまうのだ。

ドイツ軍がこの島に侵攻し、イタリア軍が撤退を強いられたとき、コレリに親しみを感じ
ていたウェーバーは「文通しよう」と申し出るが、コレリはそれに対して首を縦に振るこ
とは出来なくなかった。そして枢軸国同志であるはずのドイツ軍とイタリア軍が戦い、ド
イツの圧倒的な勝利の後、イタリア軍兵士はみな処刑されることに。最後までためらう
ウェーバーだが、動揺しながらも兵士達を射殺。まだ息のある兵士達を前に、止めを刺
すべきかどうかで彼は苦しむ。そして、コレリにだけはとどめを刺せなかったのである。
島を去るときのウェーバーの苦い涙。彼は、このことで一生苦しむのだろう。憎むべき
敵であるナチスドイツの将校とて、人の子であり、このように苦悩したことをきちんと描
写している。ウェーバーがもし軍人となっていなければ、おそらくはこのような殺戮とは
無縁の平和な人生だっただろうに、なんと戦争とは残酷なものであろう…。

ラストにとってつけたように地震が起きたり、ちょっと無理のあるハッピーエンドで終わ
っていたりするなど、詰めが甘い部分が目立つ作品である。他にも、コレリの親友の
兵士が、処刑されるときになって、体を張って結果的に彼の命を救うのであるが、なぜ
そこまでして彼はコレリを助けようとしたのかも描かれていない。原作を読むと、この戦
友は、コレリに同性愛的な感情を抱いていて、愛する男性を守ろうとしたため自分を犠
牲にしたのだとわかるのだが…。

このように欠点は目立つのだが、
シネマスコープの横長の画面に、ケファロニア島の真っ青な海、海岸線、ギリシャ特有
の白い建物群などが広がるところは、美しくて爽快で気分がいい。イタリア兵たちの悲
劇を背景に、登場人物たちの葛藤がきちんと描かれている人間ドラマを見ると、ああ、
ちゃんとした映画を観たな、という満足感を得ることは出来た。

ブロウ Blow

監督:テッド・デミ
出演:ジョニー・デップ/ペネロペ・クルス/レイ・リオッタ/レイチェル・グリフィス/ポール・ルーベンス 
    フランカ・ポテンテ

60年代末、ドラッグ・ビジネスに入り込み、アメリカのコカイン密輸の大立者になってい
った実在の人物、ジョージ・ユングが栄光の頂点に上り詰めながらも、最後には身を持
ち崩していく様を描く。

実在の人物の回想という形式で綴られるドラマとしては、どうしてもスコセッシの「グッド
フェローズ」を想像してしまうのだが(レイ・リオッタも出演しているし)、「グッドフェローズ」
と比較すると、ジョージ・ユングの人生の栄光の頂点の描かれ方は非常に弱い。ユング
は、なんと全米のドラッグの85%を握っていたというとんでもない地位にまで上り詰めて
いたのだ。コロンビアの悪名高きメデジン・カルテルと独占流通契約まで結んでいたとい
うから、どれほど悪辣でコワモテの男かと思いきや、色男のジョニー・デップなんだもの。
しかも、この映画でデップが演じるジョージ・ユングは、ドラッグビジネスでぼろ儲けした
商売人にはとても見えず、善良で勤勉なのに不遇な人生を送った父親に対する優しい
気持ちを持ち、父の愛に応える為に必死にのし上がっていった男として描かれているの
だ。

たしかに、ジョージ・ユングの人生は、所謂麻薬密売業者のステロタイプとは程遠い。カ
リフォルニアで気楽な学生生活を送っているときに、たまたま日銭稼ぎに始めた麻薬密
売ビジネスが、いつのまにかこんなにでかいことになっていた、というそれだけのこと。
だけど、あれだけの大立者になったにしては、生活もさほど派手ではなく、美しくビッチな
妻の食い物にされたり裏切られたりであっという間に落ちていってしまうので、拍子抜け
してしまうのだ。不法ビジネスであれだけの大成功を収めた人間にしては、悪の香りも
漂ってこなければ、人間のどうしようもない欲望に敗れて悪の道に走ってしまった業も感
じない。ただの父親思いの真面目でいい人で、なのにとっつかまって娘にももう二度と会
えなくなってかわいそう、というお話になってしまっているので、期待に反して非常にしょ
ぼいのである。こういう実録盛衰記の場合、頂点と奈落の差が大きければ大きいほど、
盛り上がるのだが。

ただ、ジョージ・ユングとその父親の物語、というこの映画の根底を流れるテーマは非常
によく描けていると思う。とにかくレイ・リオッタ演じる父親像が秀逸。まっとうなアメリカン
ドリームを目指して一生懸命働いたのにもかかわらず、結果的には人生の落伍者となっ
てしまい、ガミガミ口うるさくヒステリックな妻には責めたてられた男だが、でも、息子にと
って家族思いの父親はヒーローだった。必死に働いても報われない父親を見て、ユング
はまともな稼業ではなく、不正なアメリカン・ドリームを追いかける。しかし、急に羽振りが
良くなった息子を訝る父親に対し、「建設業で儲けたんだ」と、あくまでも正業でのし上が
ったことを強調するユング。だが、父親はちゃんと見抜いていたのだ。それでも「お前の
人生だから好きにしろ」という父は、息子に、自分と同じような人生を歩んで欲しくないと
願って愛情を注ぐ。反面、母親は甲斐性のない夫に憎悪を抱き、息子がろくでなしな人
生を送りつつあると気づいて、彼が瀕死の恋人を看取るために脱獄してきたときに、警
察に通報するほどのひどい人間なのだが…。

ユングも、父親同様、自分の母親と同じタイプのヒステリックな女性を選んでしまった。
妻の愛を得られなかった彼は、父親が自分に愛情を注いでくれたのと同じ愛を娘に注
ぎ込もうとするが、最後の一仕事で仲間に裏切られ、彼は長い懲役刑を食らってしまう。
愛する父親の死に目にも会えず、そして娘にも、もう会うことは叶わなくなった。幻想の
中で成長した娘の幻影に出会うユングは、栄光の頂点にいたときの颯爽とした姿では
なく、ただの醜い初老の男に変わり果てていたのだ…。このあたりのしみじみとした哀
感もなかなか秀逸。この世に残された人間のうち、ただ一人愛する娘にももう会えず、
一生牢獄の中で(実際には仮出所したらしいが)過ごさなければならない人生の空しさ
たるや。

たしかに彼の末路は悲惨である。だが、「トラフィック」のような映画を見た後だと、麻薬
王をこんなに善良な人間に描いていいものなのだろうか、と思わないこともない。また、
ユングが麻薬長者となっていったのは、60年代、70年代のヒッピーカルチャーやベトナ
ム戦争と切っても切り離せないはずだが、その辺の時代背景が、ファッションにしか現
れていないのは少々もったいない。それゆえ、社会性と華やかさに欠ける映画になって
しまった。

なお、この映画で本格的に復活したポール・ルーベンスことピーウィ・ハーマン演じる、
オカマの美容師兼ドラッグディーラーが非常に妖しく魅力的なキャラクターだった。ポス
ト・アラン・カミングスとして頑張って欲しいと思う。