
Jesus
Pastor(ヘスス・パストール)がアメリカン・バレエ・シアターに入団したとの知らせを聞くや否や、いつどの作品に出演するかも知らない段階で、さっさと航空券やらホテルやらチケットやら手配してしまったのだ。決定した時、私はまだ次の仕事が決まっていなくて、どうせ無職で暇だからいけるだろう、と高をくくっていたのである。が、前の仕事が終わってすぐ、次の仕事が決まってしまい10月から来て、というわけで目の前が真っ暗に。だが、「どうしても行きたいんで」と話したらOKが出た。というわけで、仕事的には映画監督と俳優の来日を控えた時期であったけど、なんとかいける目処がついた。
仕事を4日間休むのだけでも大変で、前の日は結局大雨の中、終電に駆け込む事態に。当日の朝も仕事の電話を何本もかけたり。なかなか人生楽じゃない。
朝4時まで荷物のパッキングに費やし、眠たい目でスーツケースを抱えて区役所に立ち寄り、不在者投票を済ませたらもう成田エクスプレスに乗れるか乗れないかの瀬戸際みたいな時間だ。品川で乗ったほうが早いと同行の友人に携帯メールで教えられ、なんとか目的の電車に駈け込めた。
今回の飛行機はノースウェスト。マイレージのカードも持っているしとても安いのはいいのだが、思いっきり真中の席でお手洗いに立つのも難しい状況。それなのにろくに寝ることもできない。つらい…。飛行機の中で映画「リーグ・オブ・レジェンド」を上映していた。イヤホンもつけていなかったし、うつらうつらしながら観ていたのだが、あのドリアン・グレイがキャラクターとして登場するのである。演じるはスチュアート・タウンゼンド。「クイーン・オブ・ヴァンパイア」でレスタトを演じた美形俳優だ。普通ドリアン・グレイといったらああいう色白美青年よね、ヘススみたいな濃いお兄さんがドリアン役というのは大丈夫なのかしら、と少し不安に思う。
JFKに着いたら、雨だった。しかも寒い。気温14度くらいと聞いていたのに、服の用意がない。タクシーでマンハッタンに向かうが、大変な渋滞で1時間半ほどかかってしまった。ホテルはMajestic。小さなホテルでロビーなどもほとんどないが、ピカソの絵が飾られていたりしてなかなか内装も素敵である。「No1ジーンズと同じ名前ね」と名乗ったEdwinというラテン系のお兄ちゃん(なかなかかわいい)が部屋に案内してくれた。部屋もとてもきれいだしインテリアも新しくてぬくもりのある落ち着いた感じ。が、狭い!部屋が狭いのはホテル代が高いニューヨークだから当然だと思っていたが、ベッドが小さくて普通のホテルだったら一人分のベッドだろう、という感じだ。カップルで泊まるにはちょうどいいだろうけど。でもシティセンターのすぐそば、57番街の地下鉄の駅の真上という場所も最高なので、文句はない。
しかしニューヨークがここまで寒いとは思わなかったので、レザーのジャケットなどは持参していたのだがコートを持ってきていなかった。この気温では、コートがないと死んでしまう。というわけで、友人と私は5番街のH&Mへと向かった。ここはロンドンやニューヨークに行けば必ず立ち寄るお店で、お洒落な服がとても安いお値段で手に入る。早速私と友人はコートを購入。私は黒いシンプルでスリムなシルエットのウールのコートを買った。わずか70ドルで。部屋に戻り着替えてカフェイン錠を服用しいざシティセンターへと出陣!するとエレベーターホールで、日本人二人連れの方に遭遇。彼女たちもシティセンターへ向かうというのだ。すぐ近くの部屋に泊まっているという。なんという偶然。
11月6日20:00〜 Contemporary Works
シティ・センターは1923年に建てられたムーア様式の建物で(要するにちょっと中近東風)、ファザードに埋め込まれたペルシャ的な模様が非常に美しい。だが、マンハッタンのビルの谷間に位置しているため、その美しい姿の全部をみることは困難である。面している55番街は大変交通量が多く、写真を撮るのも大変。内部は、ロビーは狭いがとても品格のある建物となっている。2階席にクロークとバーがあり(1階にもあるが小さい)こちらは広広としている。残念ながらパンフレットは今回制作されていないが、Tシャツなどのグッズと、ダンサーたちの履き古しのバレエシューズ(サイン入り)が売っていた。プリンシパル150ドル、ソリスト75ドル、そしてコール・ドは20ドルだ。少し探してみたけどヘススのはなし。ゴメスのなどは発見することができた。席を案内する係員に、キャスト評や簡単な作品解説が載っている小冊子Playbillを渡される。
ホールの内部は白を基調にゴールドの装飾があって、クラシックで非常に美しい。このホールのキャパシティは2753人だが、今回は3階席は使われておらず、またオーケストラも入るということで1900人とのこと。ステージも小さめでとても親密な空間を作り上げている。2階席にも行ってみたが、最前列は非常に舞台に近くて大変観やすそうだ。
今日の座席はH列(9列目)の左寄り。隣には、一人はAMPのアンドリュー・コルベット似、もう一人はジョージ・クルーニー似という大変ハンサムな男性カップルが座っていた。この方たちに限らず、観客には見るからにゲイのカップルという方たちがたくさんいらっしゃっていて、多くは見目麗しい男性なのだ。
そして幕が上がり、ついに始まった。
Petite Mort(小さな死)
振付:イリ・キリアン 音楽:モーツァルト ピアノ協奏曲23番、21番
出演:Melissa
Thomas Daranion
Reed Yuriko
Kajiya Julio
Bragado-Young Sarawanee
Tanatanit Danny
Tidwel Erica
Cornejo Angel
Corella Michelle
Wiles Marcelo
Gomes Luciana
Paris David
Hallberg
キリアンがネーデルランド・ダンス・シアターのために振付けた作品で、「小さな死」とは言うまでもなくオルガスムスのこと。世界バレエフェスティバルでオーレリ・デュポンとマヌエル・ルグリがその一部を踊ったのは観たのだが、今回のように12人のダンサーが登場するフルヴァージョンを観るのは初めて。
まずは肌色のパンツのみを身につけ、足元に剣を置いた6人の男性ダンサーが登場。脚で剣を持ち上げ一振りすると、ステージ後方へと走り大きな布を前にかぶせるように持っていく。後方にはコルセットのような肌色の衣装を身につけた女性ダンサー6人がいて、やがて一組ずつソロを踊る。触れている部分は極めて少ないのに、二つの肉体が濃密に絡み合う。静止する。モーツアルトの冷ややかなピアノの響きが、会場に凛とした緊張感を生み出している。このソロの醸し出す微妙なエロティシズムが作品の肝である。大きく体を反らせる体勢を取ったりするので、強靭なサポート力と安定性が求められる。息遣いが聞こえてきそうなほどの静けさ。一番テクニックが光っていたのは、なんといってもマルセロ・ゴメス。さすがにプリンシパルだけのことはあり、安定して美しい演技。相手役のミシェル・ワイレスもこのカンパニーのソリストとしては一押しの存在のようで、とにかく動きが綺麗だ。日本人ダンサー、加治屋百合子はほっそりとしていて愛らしい。6組のソロがそれぞれ異なっているのも面白いし、一人一人の体が、肉体というよりはトルソもしくは肉の塊のように見えているのも少しゆがん
だエロスを感じさせる。
だが、途中で張りぼてのような黒いドレスが女性ダンサーと一緒にツーと入ってきたとき、場内は笑いに包まれてしまって、個人的には今までの張り詰めた緊張感が途切れてしまって残念だった。アメリカ人はちょっとしたことでもすぐ笑っちゃうから。たしかキリアンはこの張りぼてのような“膜”にも、手足や頭を奪われても存在しつづける人間の想いのようなものを象徴させていると語っていたはずなのに。いずれにしても、ABTのダンサーの高度なテクニックでこの作品を見ることができたのは幸運だ。
Sechs Tanze
振付:イリ・キリアン 音楽:モーツァルト (6つのドイツの踊り)
出演:Erica Fischbach Eric Otto Misty Copeland Buck Collins Laura
Hidalgo Issac Stappas Marian Butler Kenneth Easterほか
こちらもキリアン作品で、「小さな死」にも出てきた張りぼてドレスが再登場。アマデウス風のカツラに衣装、白塗りメイクの男性ダンサーたちと、同じく白塗りメイクで髪をぼさぼさにした女性ダンサーたちがユーモラスなダンスを繰り広げる。時々、白粉が舞い、剣を口にくわえたり、さらに張りぼてドレスから出ている頭を殴ると頭が消えてしまったり、張りぼての下からニョキっと足が生えて背の高い二人羽織状態になったりとおかしなシーンの連続。私はあんまりこういうのは好きではないのだけど、アメリカ人には大変受けていた。
Dorian
振付:ロバート・ヒル 音楽:ショーソン、シューマン、ショパン
出演:Dorian: Jesus
Pastor
The Picture: Carlos
Lopez
Sibyl Vane: Xiomara
Reyes
Lord Henry Wotton: Victor Barbee
Basil Howard: Carlos
Molina
さて、待望の「ドリアン」である。ヘススのABTで踊る姿を初めて観られるというわけだ。物語はオスカー・ワイルドの「ドリアン・グレイの肖像」に基づいている。
美しく純真な心をもつ美青年ドリアン。(PlaybillにもExtraordinary beautiful
young manと書いてある) 画家のバジルはドリアンの肖像画を描き、紳士ヘンリーにそれを見せる。紳士はその絵の美しさに打たれ、ドリアンに面会したいと願う。バジルは、ドリアンの美しさはその純粋さから来るもので、紳士の存在は彼にとっては毒となると反対する。が、ドリアンは紳士に会い、彼に魅せられる。ドリアンは初めて自らの肖像画を見てその美しさにおののく。紳士は、ドリアンの美しさが年齢とともに失われていくであろうことを嘆き、ドリアンは若さと美しさだけが唯一価値のあるものだと思うようになる。ドリアンの代わりに肖像画が年老いて醜くなるが、ドリアンはいつまでも若く美しい。が、その純粋無垢さは失われていくのであった…。
ヘスス演じるドリアンは白いクラシックなスーツに薄いグレーのベスト。髪を撫で付けている。う、美しい…。舞台に登場したヘススは、純白のスーツが象徴するようにイノセンスの塊としか言えないような無垢な存在として立っている。でもやっぱり顔は濃い。前回「Dorian」でドリアンを演じたのが、金髪の貴公子デヴィッド・ホールバーグ(肖像役がゴメスだったため黒髪のカツラをかぶっていたようだけど)だったのだが(未見)、ヘススは登場した時から、無垢でありながらもどこか暗い影を背負っているデカタントな気配がある。肖像画を覆っている布が除けられ、光り輝くような、まるで薔薇の花々を背負ったような美しさの肖像画が現れると、ドリアンの表情はパッと明るく輝く。肖像画を演じるのはカルロス・ロペス。ロペスはどちらかというと元気でやんちゃなイメージのあるダンサーだが、ここでは貴公子然とした端正な佇まい。肖像画から出てきたロペスをうっとりと見つめるヘスス。「こんなに美しい人間がこの世に存在するなんて!」熱っぽい、ねっとりとした視線が交錯する。鏡に映った像のように二人はユニゾンの動きをするのだが、思わず唇が触れそうになる色っぽいシーン
もあって、どきりとする。しかしあくまでもこの時点では、ドリアンは汚れなき存在であり、スワンのストレンジャーのようなセクシャルな男ではない。それどころか、最後までドリアン自身は無垢なのだ。果たしてこの演出が成功しているのか、意見が分かれるところであり、新聞などに掲載された批評の多くは、ドリアンの変化が描かれていないことに不満を表明していた。
ヘスス=ドリアンとロペス=肖像画が鏡像のごとくユニゾンで踊るシーンは、鳥肌が立つほど均整の取れた美しさである。ヴィクトル・ウリャテバレエ学校の同期であり、身長も同じくらいとあって息は見事に合っている。見比べると確かにヘススのほうが粘っこい踊りを見せてはいるものの、ほとんど違いは気にならない。特に第4アラベスクの美しさといったらもうため息が出るほど素晴らしく、夢見ごこちで過ぎていった。柔らかく繊細なのにピタっと気持ちよいほど静止して時を止めてしまう。シティセンターの狭いステージの上でも、ふわっと浮き上がるような大きなジュテを二人そろって跳ぶとこれまた息を止めてしまいそうになる。ただ、ロペスが正面を向いてへススが背中を見せているシーンが多いため、彼の顔を見ることができなかったのは少々残念だった。ロペスのほうはというと、ドリアンの汚れの部分を背負っているためか、最初から自信たっぷりで冷たく醒めた表情。
ドリアンは最初、自分が美しい存在であることに気がついていない。肖像画を見て初めてその事実に気づく。その時の表情が幸せそうなだけに、後半の転落が切なく胸に響くのだ。ヴィクター・バービー演じる上品に紳士に出会ったドリアンは、美の魔力にとり憑かれる。画家バジルが絵を破壊しようとするのを止めてしまう。紳士にパーティに連れて行かれ、そこでその美貌を褒め称えられて素直に喜ぶ。そして女優のシビルに出会って恋に落ちる。
女優役のシオマーラ・レイエスは好演しているといえる。小柄だが可愛らしいし、当時の時代の先端を行っているような、フラッパーっぽいファッションも似合うしコケティッシュな魅力が光る。ステップもあくまでも軽やかで、ちょっとオーバーアクト気味なのが、いかにも“女優”している。楽屋を訪ねたドリアンが彼女に愛の言葉を囁き、だが、この二人のパ・ド・ドゥのところで急にテンポが悪くなるというかもたつきが感じられてしまった。もともとヘススはリフトが決して得意じゃない。マドリッドでの「ラ・バヤデール」ではもう少しうまくなったかな、と思ったのだが今回はダメだった。ちゃんと上がらないし、一回はリフトしなくてはならないのを端折っているのがわかってしまった。とにかくぎこちない。急にこの役に決まったから、彼女と一緒の練習が十分できなかったのかもしれないが。そうすると、女優とドリアンの間の感情が通い合っていないことが感じられてしまうので困ったものである。これまではもう目をキラキラさせて見入っていたのに、今度ははらはらし通しだ。
そして今度は肖像画が女優のところにやってきて彼女を冷たくあしらう。ヘススとシオマーラとのパ・ド・ドゥの後にロペスとシオマーラのパ・ド・ドゥがあると(設定上は、ドリアンと肖像画は女優には同一人物に見えている)、リフトの力量の差が明確に出てしまうのは、ヘススのファンとしてはつらかった。ロペスとシオマーラの踊りは実にスムーズで美しいのだから。あまりにも整然としているところに、肖像画の冷たさ、残酷性が現れているのだが
そして、ロペス扮する肖像画=Dorianのalter egoは女優を冷たく捨てて女優は服毒自殺。その死を知ったドリアンは衝撃を受けるが、退廃的な生活にのめりこんでいく。肖像画は醜くなる代わりに、身につけているベストの色が薄いグレーから茶色へと代わっていき、ドリアンの心の穢れを象徴させている。ピアノをドラマティックに弾くドリアン=ヘススは、ヘススというダンサーではなく、一人の青年が自分の人生の予期せぬ悲劇の音色を奏で、それがやがて自らの葬送曲となっていく痛ましさがある。横たわり阿片に耽溺するドリアン。純白の衣装のまま阿片をくゆらせている姿はデカタントだが、同時に、こんなに美しくイノセントだった青年がこうなってしまうのか、と非常に痛々しい。ドリアンの物語というのは、美と若さに対する執着の恐ろしさというのもあるが、イノセンスの喪失の痛みの方が実は勝っているのではないか、とヘススの演技を見て思ったのだ。姿かたちの美しさと、純粋無垢な心の美しさ、どちらを失うことがより哀しいことなのだろうか?そう、もう一つのキーワードは“喪失”だ。失うことを恐れるあまり、人間は愚かな行動に出てしまう。ドリアンの悲劇とは、喪失に
まつわる悲劇なのである。
肖像画のベストは赤黒く変化し、イノセンスの喪失とともに、アイデンティティが崩壊していくドリアン。彼の美しさを映し出す鏡のような存在であった肖像画。だが、その肖像画を通して自分の美しさに気付いてしまったドリアンは、そのことにより傲慢さを身につけ、彼の美しさを形成していた純粋無垢さを失う。ドリアンと肖像画の力関係がこのあたりで変化してくる。ドリアンは、ドリアンの美しさ、ピュアな部分を表しているのに対し、肖像画は、ドリアンの心の醜い部分や高慢さ、残酷さを象徴しているのだ。ドリアンがどんどん混乱し、弱弱しくなっていくのに対し、肖像画は力強く悪魔のように立ちはだかる。ここは善と悪との戦いなのでもある。ドリアンは肖像画との戦いを試みるが、必死の抵抗も空しく、簡単にひねり潰される。勝ち目のない戦いに必死に身を投じていくドリアンを演じるヘスス、この部分の苦悩をにじませながらもイノセンスを保とうとする痛ましさというのは彼の新境地ではないだろうか?
しかも、ドリアンというのは、湖に映った自らの姿に恋してしまうナルシス的な要素の強いキャラクターである。彼は、光り輝く美しさを持つ肖像画に恋焦がれているのだ。よって、ドリアンは肖像画と戦いながらも、美しさを失いつつある肖像画に対する想いを捨てることもできない。肖像画が以前のような美しさを取り戻すことを願っている。自分の美しさを知ってしまった彼にとって、唯一の拠り所であり、唯一価値があることは、及ぶものなき美しさなのだから。争いあう男女のような妖しさを漂わせたような絡み合いにもなっているのだが、その中でも、ドリアンは少しずつ力を失い生命力を弱めていく。同じように命の火を消していくザ・スワンを演じて身につけた、死を前にした被虐的な妖艶さの演技がここで生きている。そしてついに、すべての苦悩を生み出した肖像画を滅ぼそうとナイフを突き立てるが、それは、彼の命を奪うこととなる。崩れ落ちたドリアンを前に、肖像画は元の美しさを取り戻し、どす黒い赤のベストは元の薄いグレーに戻り、ドリアンの血を吸ってよりいっそう輝くのであった…。
肖像画がそっくりの姿かたちをした人間として絵の中から出てくるというアイディア、醜くなっていくことを容貌ではなくベストの色で象徴させるなど、工夫は多く見られる。多くの批評で書かれているように、ダンサーの演技も素晴らしいし衣装も美しい。突然夜空が広がるようなセットも良くできている。しかし、ドラマティックでデカタントなプロットをうまく振付に昇華できていないところが、批判を浴びてしまう原因となっているのではないか。50分ほどの作品にしては、ダンスの見せ場が少なすぎるというきらいがあるのだ。ドリアンとスワンがシンクロするようなユニゾンのダンスを見せ、息も止まるほどの美しいアラベスクやジュテがある前半に比べて、意外と後半で振付面で華やかなシーンが少なく、まるでストレートプレイを見せられているのではないかと思ってしまった。せっかくヘススやカルロス・ロペスといった才能豊かで個性的なダンサーを使っているのに、勿体無いかな。ロペスも技術的には完璧だし、少しあごを上げた仕草は高慢さをうまく顕しているものの、最初と最後の変化が乏しいかもしれない。その点、ヘススはテクニックの安定性という課題があるけど演技力につい
ては申し分ない。彼の踊りや情熱的な演技力はどの批評でも高い評価を得ているので(リフトの苦手さについて触れている記事は今のところ見ていない)、デビューとしてはうまくいったということで、よかったよかった。
というわけで、シティセンターの外で待ってみた。
数日前から来ていたという方に教えられて、シティセンターの楽屋口を案内してもらう。なんてことはない、ふつうの道沿いに楽屋口があった。先ほど隣にいたカッコいいゲイカップルなど、何人かアメリカ人でダンサーの友人らしき人たちが待っている。しばらくするとダンサーたちが出てくる。まずは顔がとても小さくて可愛い加治屋百合子さんや、コール・ドのダンサーたち。待っていた友人たちと親しげにコミュニケーションをしている。やがて、カルロス・ロペス、カルロス・モリーナ、シオマラ・レイエスとラテン系のダンサーたちが出てきた。3人でスペイン語で話している。カルロス・モリーナに片言のスペイン語で話し掛けたところ、とても気さくなお兄さんで、シオマラと一緒に写真を撮ってくれた。シオマラはほとんどすっぴんで、いかにもラテン系っぽいプロフィール写真とは全然違っていて、ちょっと儚い感じの美人でとても小柄だ。3人はとても仲良さそう。しばらく待っていると、へススが出てきた。ヘススに盛んに話し掛けているおじさんがいて、ひょっとしたらエージェントかもしれない。ヘススはすぐこっちに寄ってきて、「君たちのことは覚えているよ」と言ってくれた。
なんかびっくりするほど痩せてしまって、顔がほっそりしている。白いキャップに、日本でも着ていた黒いジャンパー、バッグを斜めがけという服装だ。キャップはあまり似合っていない。でも、相変わらずのキラキラした人懐っこい笑顔が素敵。