リリィ・シュシュのすべて |
監督/脚本:岩井俊二
出演:市原隼人、忍成修吾、蒼井優、伊藤歩、大沢たかお、稲森いずみ、市川実和子
田園が美しい地方都市。中学二年の蓮見雄一は、実の母と新しい父親とその連れ子
の弟との3人家族で暮らしていた。学校ではかつては親しかった星野に執拗ないじめ
を受け、窒息しそうな毎日。そんな雄一にとって、カリスマ的なアーティスト、リリイ・シ
ュシュだけが「リアル」だった。自分の部屋に引きこもり、自ら主宰するリリイ・シュシュ
のファンサイト「リリフィリア」の中だけが、彼の本当の居場所…。
最近良く使われる「リアル」ってなんだろう、って最近しょっちゅう考え込んでしまう。「DI
STANCE」という映画でも頻繁に使われていたけど、リアルというのが本当の自分の人
生、生き方で、リアルでないっていうのは空ろであり世をしのぶ仮の形であり、そして
「終わりなき日常」ってことなんだろうか。でも、私たちは、「日常」を生きていかなけれ
ばならないんだよ。とにかく、この映画の主人公である雄一は、みんなでカツアゲした
お金で一緒に沖縄に行って帰ってきて以来、親しかった優等生の星野にいじめられる
ようになる。彼は現実を忘れ、歌姫「リリィ・シュシュ」の世界に逃げ込んでいくのだ。
彼のサイトに集まるリリィファンたちのチャットや書き込みが映画の中に挿入されてい
くのだが、正直私には、彼らのメッセージが非常に気色悪くて、思わず吐きそうになる
ほどだった。リリィという存在を神聖視し、「エーテルを発散しているのは彼女だけだ」
とか自分達でしか通じない形而学上の記号で話している。リリィをあまりにも絶対視す
るあまり、カルト宗教の信者のように完璧に思考停止に陥っているその姿は、アイタタ
タタ…って感じでとてもじゃないけど、観ていられない。しかし、逆にいうと、そこに集う
人間はみな現実に疲れ果て、リリィの音楽の世界と電脳空間に逃げ込んで、お互い
を癒してほしがっているってことなんだ。「私を判って」「私を助けて」「私を癒して」とい
う叫び声が聞こえてくる、これらの空間は気持ち悪いんだけど、そうでもしないと、彼ら
は生きていけないってことなんだろう。まだ中学生だというのに、ここまで生きにくいと
いう事実は確かに哀しい。
この映画の主人公は雄一なんだけど、彼はリリィのファンサイトをやっているだけで、基
本的に自分で何かをするという人間ではない。ある日、どちらかというといじめられる側
であった星野が、クラスのいじめっ子をやっつけてから急速に権力を身につけ、雄一は
星野の「パシリ」となる。万引きを強要されたり、それからクラスの少女詩織に売春を
強要し、さらには、もう一人の少女、いじめられても打たれ強く凛としている陽子の集団
レイプに荷担する。結果、詩織は自らの命を絶ち、陽子は決して屈しないという強い意
志を表明するために髪を剃り落とすのだった。構造的に見ると、一番悪いのは、このピ
ラミッドの頂点に立っている星野なのだろうけど、でも、観ている側が一番苛立たしく思
うのは雄一だろう。雄一は弱い。死を選ぶことも出来ず、陽子のような抵抗を行うことも
できずに、星野の言いなりになっているだけだ。彼がこの連鎖を断ち切る勇気があれば、
これらの悲劇は起きずに済んだだろう。彼は卑怯者だ。しかし、おそらく私たちが雄一
の立場にいたら彼のように行動したのではないか、とこの映画は言わんとしている。
特に、詩織という少女の描写は実に秀逸である。携帯のストラップをジャラジャラとたく
さんつけていて、一見、何の痛みも感じていないように見える美少女の彼女が、ご飯
を食べながら「あたし、太ってしまえばもう仕事をしなくても済むのよね」とつぶやく。
そして売春によって得たお金を道端で踏み潰し、水の中にジャブジャブ入っていく姿
には、胸をかきむしるような痛切な哀しみがあった。
中学生くらいの年代って、たしかに生きていく上で一番つらいことが多かった年だった
記憶はあった。そして、そのときの生きづらい感覚というのは、たしかにこの映画を見
ている最中に甦ってきて、ものすごく痛かった。私だって中学生の時にはいじめられた
ことがあったわけだし。そして今の子供は、私たちの時代にはなかった「援助交際」と
か「電脳社会」が存在していて、もっと生きづらい生を生きているのかと思うと、胸が潰
れる思いがする。
だけど、私は自分を信じたい。同じ立場にいたとしたら、雄一のように表面的には何も
変わっていない(しかし、内面的には深く傷ついている)卑怯者ではなく、陽子のように
誇り高い殉教者になるか、それとも詩織のように散ってしまう人間でいたいと思う。誰
よりも深く傷ついているということが、卑怯な行動のエクスキューズになるとは、私には
到底思えないのだ。しかも、彼はリリィの世界という逃げ込む先があった。
ラストには、雄一の逃げ込んでいたリリフェリアという世界が崩れるのだ。リリィのコン
サートで初めてで会うはずのネット上の友人「青猫」の正体が明かされることで。
そこにはあまりにも救いのない結末が待っていたのであった。雄一は最後の希望にも
見放され、そしてついに「何もしなかった彼」が「何か」をしてしまう。「何かをする」とい
うことは、彼にとって進歩の一つであったかもしれないけど、同時に、あまりにも残酷
なことであった。その行動は、彼にとっての「神」であったリリィが命じたことなのかもし
れない。
すべてが終わった後で、美しい田園風景の夕日の中、ヘッドフォンでリリィの曲に耳を
そばだてる雄一の姿は、一枚の絵のような息苦しい美を感じさせてくれた。こんなにも
美しい場所で、美しい音楽を聞いていながらも、胸の中には嵐が吹き荒れている。美
しい風景と現実の醜さの対比の残酷なこと。それでも、私たちは、この苦しい毎日を生
きぬかなくてはならない。生き抜かなければ、大人にはなれないのが、今の子供達な
のだろう。
ものすごく辛い映画であるし、沖縄のパートのあまりにも観づらく汚らしい映像の部分は
何とかならなかったのかと思う。サイトへの書き込みが一瞬キリル文字のような表示を
されるのも、目に辛い。だけど、自分のハートにずしんと響いて、しばし取り憑かれる映
画である。