地獄の黙示録 特別完全版 Apocalypse Now Redux |
監督・脚本:フランシス・F・コッポラ
出演:マーティン・シーン、ロバート・デュバル、マーロン・ブランド
ベトナム戦争末期、エリート将校の座を捨て、戦線を離脱しカンボジアの奥地に自分の
王国を築いたカーツ大佐を、秘密裏に暗殺することを命じられたウィラード大尉。哨戒艇
でナン川を遡った先で彼が見たものは…。
オリジナル版に未公開シーンを53分加えた特別完全版。今回加えられたのは、慰問に
来ていたプレイメイトたちとのふれあい、フランス人植民者との出会い、そしてカーツ大
佐との対話などである。よりセクシーでユーモラス、深い作品にしようとしたとコッポラは
映画祭の観客へ宛てたメッセージで語った。
<反‘欺瞞’映画の普遍性>
コッポラはこの映画を「反‘欺瞞’映画」と呼んだ。戦争には、多くの嘘や欺瞞が存在す
る。生活物資を輸送しているだけの市民に銃弾を浴びせた後で、病院に運ぼうとする
のも欺瞞。戦線から離脱し二重スパイを殺したカーツ大佐を暗殺せよという指令が出る
が、民間人を殺すことなんてベトナムでは日常茶飯事のように行われているのに、軍人
としての判断でスパイを殺したカーツがなぜ…とウィラードは思う。ウィラードは、カーツ
の経歴やレポートを読むうちに、この男にどんどん魅せられていく。
すでに敗色が濃いベトナム戦争の情勢を、偽って伝える政府のコメントを掲載した雑誌
記事をカーツは読み上げる。「裁こうとする者はいつか滅びる」と彼は言い残す。
そして「彼らは若者に爆撃で人を殺すよう訓練する。だが、指揮官たちは、猥褻である
という理由で、飛行機の機体にFuckと書くのを許さない!」と彼はテープレコーダーに
録音するのだ。 サーフィン狂いのキルゴア中佐は、ベトコンに邪魔されずにサーフィン
をしたいがために、ワーグナーを大音量でかけ、ゲーム感覚で村を爆撃する。カーツと
キルゴア、どちらが狂っているのだろうか?
この特別完全版では、戦争をめぐる欺瞞について、オリジナルよりもさらに強調されてい
る。現実に反する雑誌の記事のエピソードも、今回付け加えられたもの。また、フランス
人に営まれている農園でのエピソードもそうだ。フランス人は、「ベトミンを生んだのはア
メリカではなかったか」と問う。これは、オサマ・ビン・ラディンを生んだのがアメリカだった
という事実と見事に符合しているではないか。そう、この映画は、22年後の世界情勢ま
でも見事に予言しているし、戦争をめぐる欺瞞と狂気は、いつの時代も普遍的なものな
のである。
<戦争の狂気とは?>
「戦争の狂気」とは良く使われる言葉だが、ひとくちに「戦争の狂気」といってもそれは一
体なんなのか。この映画の中では、戦場特有の高揚感が実に見事に再現されている。
暁の空をヘリコプター編隊が飛んでいく。大音響で鳴り響く「ワルキューレの騎行」の陶
酔感。「ニーベルングの指輪」の中で、死を呼ぶ女神が空を飛翔していくのと同じように、
ヘリコプター群はロケット弾を放ち空から死をもたらす。スクリーンを見つめる私たちも、こ
のうねりの中に取り込まれ、村や森が爆音を上げながら炎上するさまを美しいと感じてし
まうのだ。若い兵士達は興奮し、キルゴアは彼らを賞賛する。その官能、エクスタシーの
魔力に抗することは難しい。
川を遡って行く途中にあったド・ラン橋は、電球で飾り立てられ暗闇の中、ドラクロアの絵
画のように美しく浮かんでいる。そこにいる兵士達は、指揮官を失い、ジミ・ヘンドリックス
をかけながらドラッグ漬けになり、めくら滅法に撃ちまくるのみ。サイケデリック・トリップの
真っ最中で、完全にいかれているのだ。戦争という日常的に殺戮が繰り返される毎日の
中で、兵士達は麻薬とロックに溺れ、感覚を麻痺させていく。この狂った状況そのものが、
ここの兵士達の指揮官といってもいい。そして、哨戒艇のクルー達も少しずつ狂っていく。
旅が続いていき、川幅も狭くなっていくにつれて、木には墜落したヘリや死体が無残にぶ
ら下がり、そして川岸からは原住民が放つ弓矢が襲い掛かる。原作であるコンラッドの「
闇の奥」にも登場するシーンだが、私はヘルツォークの『アギーレ神の怒り』を思い出さず
にはいられなかった。『アギーレ』では、アマゾンの奥地の禍々しさに登場人物たちが狂
っていくのだが、この映画でも、原住民の放った槍が刺さって瀕死のチーフが、こんなとこ
ろまで自分を連れてきたウィラードに対する憎しみを募らせて彼に襲い掛かるという展開
になる。地獄と化してきた船上の旅で、彼らは確実に狂っていったのだ。
川の行き止まり、そこがカーツの築き上げてきた恐怖の王国であった。無数の死体や生
首が転がる地獄絵図のような場所。その奥に、異様な風体の巨漢カーツがいた。彼の姿
が暗闇の中でなかなか見えてこないのが、恐怖を煽り立てる。原住民達の王として祀り
上げられ、殺戮を繰り返すこの男は完全に狂っているはずだった。しかしながら、彼は戦
争というもの、欺瞞というものを的確に分析する冷静さを保っていた。狂気に陥ったとされ
るカーツだが、彼の心は狂っていなかった。魂だけが狂っていたのだ。アメリカという国が
国益のために始めた空しい戦争、その愚かさと欺瞞に気づいてしまったカーツは、軍に戻
らず、この地に残った結果、この恐怖の未開王国の王として祀り上げられてしまったのだ。
カーツは病んだ魂を抱えていて、もはや故国に帰ることも叶わない。遠く離れたベトナムで、
こんな残酷な王国を作り上げてしまったおのれの怪物性を憎み、アメリカという国家を憎み、
戦争を憎んでいた。「こんなにも引き裂かれてしまった人間を見たことがない」とウィラードは
独白する。カーツを演じたマーロン・ブランドの、異様でありながらも傷ついた獣のような目が
実に忘れがたい印象を残す。
カーツは兵士ではなく、一人の人間としてのウィラードと対峙することを望んでいた。そして、
自分のこの状況に救済をもたらすのは、同じように「欺瞞」に気づいてしまったウィラードしか
ないと考える。そして、彼は自らの命をウィラードに差し出すのだった…。ウィラードによるカ
ーツ殺害のシーンは、まるでギリシア悲劇の中にある、父殺しのように荘重なものであった。
ウィラードは川で沐浴し、カモフラージュのメイクをして、カーツと同様の野生化したような風
体となるが、これもまた、親殺しの聖なる儀式のために必要なプロセスであった。
ウィラードがカーツを殺すことは、軍によって与えられた任務であったが、しかし、このカーツ
殺しは、軍が、そしてウィラードがカーツを裁いた結果のものではない。カーツの魂を救うた
めのものであり、そして、この欺瞞と狂気、さらには地獄の王国にとどめをさすものであった。
戦争は、そのものが狂気である。と同時に、戦争で本当に起きていることについて、嘘がつ
かれる。戦場でワーグナーを聴きながら、ロックンロールを聴きながら、ドラッグに酔いながら
人を虫けらのように殺してしまうことが、戦争では正当化される。そして、「正義」の名のもと
で戦争が行われる、というその欺瞞性に気づいてしまった人間をも狂気に陥らせてしまうと
いう、その圧倒的に「負」の部分を、3時間23分続く異様なまでのハイテンションで描ききった。
真実を隠蔽し、嘘と欺瞞に満ちた報道を垂れ流す。空爆した後で援助物資を空中投下する
アメリカは、この映画の中で登場する物資輸送船での殺戮シーン、「マシンガンを乱射して
やつらを真っ二つにした後、バンドエイドを与える。偽善だ」にぴったりと符合する。そしてタ
リバン政権を裁こうとするアメリカが、アフガニスタンに空爆を仕掛けて多くの市民が殺され
ている今こそ、「地獄の黙示録」は全ての人が観なければならない映画となっている。
それにしても、美しく燃えさかるジャングルにヘリコプターの音が重なり、そしてザ・ドアーズ
の「ジ・エンド」がかかるオープニングの陶酔感とはなんだろう。こんなドラマティックなオープ
ニングを持つ映画が他にあっただろうか。