へススを追ってマドリッドへ 〜 Jesus
Pastor ヴィクトル・ウラテ ガラ鑑賞記 in Madrid
ABT シティセンター公演2003
ABTメトロポリタンオペラハウス公演2004
ジーザス・パスター(Jesus Pastor, ヘスス・パストル)のインタビュー記事翻訳へ
ヘスス関連サイトリンク集
![]()
ヘススの経歴(biography)
BunkamuraのPHOTO
GALLERY ページ(ヘススの写真があります)
ジーザス・パスター(スペイン語読みではヘスース・パストル)は、日本ではAMP(アドヴェンチャーズ・イン・モーション・ピクチャーズ)の「白鳥の湖」のザ・スワンおよびザ・ストレンジャーを演じたバレエ・ダンサーとして知られている。
映画「リトル・ダンサー」の終盤に登場したこの舞台、印象的な飛翔を見せたアダム・クーパーが出演することで人気を呼んだこの舞台。オリジナル・キャストのアダム・クーパー、東京バレエ団のプリンシパルとしてすでに知名度があった首藤康之に対して、ジーザス・パスターって誰?という謎の存在だったのが彼。この「白鳥の湖」の日本公演はキャストは当日発表と言うわけで、多くの人たちは、アダム・クーパーに当たることを期待していた。あとで漏れ聞いた話によると、当日券に並ぶ人たちも、「今日のスワン役はジーザス・パスター」と聞いてかなり帰ってしまったりしていたようだ。
かく言う私も、初めて「白鳥の湖」東京公演を観に行き、キャスト表を受け取ってスワン/ストレンジャー役のところに「ジーザス・パスター」と書いてあるのを見て、ちょっとがっくりしたくちである。「この謎のスペイン人って誰」なんて友人たちと話していた。ところが、実際に観てみると、その踊りは今までに観たバレエの中でも群を抜けて素晴らしく、かつ今までかつて観たバレエとは全く違っていたのだ。私はバレエはそれほど多く観ているわけではなく、しかもかなりブランクがあったのであまり自分の見方は信用ならないところもあるのだが、それでも、世界バレエフェスにも行ったことはあるし、それなりの有名ダンサーの公演は観たことがある。これは一体なんだ!と驚いたのだ。スワンのときの、回転する時の滑らかで美しい動き、柔らかさ。ジュテのふわっと舞い上がる軽やかさ。顔立ちがあまりにも可愛らしすぎて、悪の魅力の強いストレンジャー役はあまり似合っていない気はしたのだが、新しい世界への扉がここで開かれた気がしたのだ。
気がつけば高いお金を払って(もはやチケットはソールドアウトになっていたので)ヤフーオークションでチケットを入手し、再び彼が出演した回を観る。最初から、この日はアダム・クーパーが出演しないことはわかっていた。それでも、やっぱりどうしても観たかったのだ。そして一週間しか経っていないにもかかわらず、その短い間でさらに安定感と表現力を増し、妖しい魅力を振り撒く彼の虜になったのだった。高く跳び、くるくると優雅に回転できる幸せを噛み締めているかのようにスワンを踊る彼はもはや人間ではない。かといって動物でも鳥でもない。何か違う、この世の生き物ではない何か、幻のようなものを目にしたのである。魔法をかけられていたのだ。散り際の慟哭の表情、頭につくほど高く反った脚、スリスリと王子に擦り寄る優しい姿…。もうどうしようもなかった。気がつけば再追加公演も入手していた。それなのに再追加公演でヘススを観ることができたのは一度だけ。アダム・クーパーのスワンを観ることはできたが、ヘススの舞台を見た後では、強いカリスマ性はあってカッコいいけど、体が重い、脚がぐらついている、と大きく膨らんでいた期待には追いつけなかった。そ してへススが、アダムの呪縛とは離れた全く新しいスワン/ストレンジャー像を作り上げていたことに気がついたのだった。
ついにAMPの韓国公演へ。一ヵ月半ぶりに観た彼のステージは、また恐ろしいほどの進化を遂げていた。特に驚いたのはストレンジャーの時の演技。エロスの化身といってもいいくらいのセクシーさ炸裂である。その腰の動きの挑発的で滑らかでセクシャルなこと!スワンのときにも、これまでになかった気高さ、カリスマ性を帯びてきて、その化けっぷりの凄まじさに、まさにダンサーとは生き物で、成長をとめどなく続けるものであると実感したのだった。この至福の瞬間、いつまでも観ていたい、この時間が続くのなら死んでもでもいいと思ったほどだった。
さらに彼の故国であるスペインでの公演があると聞くや否や、気がつけば飛行機の切符やらホテルやらが手配されており、かの地に飛んで観に行ってしまった。地元でのびのびとリラックスして楽しそうに踊る彼の姿を観て、また別の魅力を発見してしまったのだった。初めて観るクラシックのナンバーでの、グラン・フェッテのしなやかさと安定感。ダンスール・ノーブルタイプではないと思っていたのに、意外とソロルのピュアな部分も表現できる演技力。フラメンコ・ナンバーでの、クラクラするような挑発的で官能的、かつドラマティックで、リズミカルな動き。steamyな息遣いが、11列目の私にも伝わってきそうだ。しかも、彼の素敵な家族の姿まで観ることができて…。そういうわけで、完全に深みにハマってしまったのである。
ヘススはかのABT、アメリカン・バレエ・シアターに入団するという。スターダンサーの(しかもラテン系ダンサーが多い)揃った大カンパニーで、その稀有な個性を保ちつつ、さらにはばたいて欲しいと願うばかりである。そして、もう一度彼の姿を舞台で観るまで、私は死ねない、と心から思ったのだった。
ところで!残念ながら日本では(世界でもそううかもしれないけど)ヘススはまだ圧倒的にマイナーな存在である。AMP白鳥の湖の代名詞がアダム・クーパーであるし、公演の批評もアダムの舞台と首藤康之の舞台のみを観て批評したものばかりで、ヘススの舞台について触れている記事はほとんど目にする機会がなかった。たしかにヘススの知名度は他の二人に比べて劣っていたわけなのだが、先入観だけで無視を決め込むというのはいかがなものだろうか?
![]()
私自身、それほど多くバレエを観てきたわけではないので、他のダンサーとの比較を公平にできるかどうかは自信がない。また、彼のクラシック系演目は、マドリッドで観た「ラ・バヤデール」の婚約式のパ・ド・ドゥのみである。以下に書いていることは、あくまでも自分自身の直感と感性によるものであり、客観性を欠いている可能性があることを最初に断っておく。とにかく、彼にはOne and Onlyな魅力があるのだ。
回転する時の軸の安定性となめらかさ、しなやかさ
「白鳥の湖」のザ・スワン役を観て一番最初に強く感じたことである。ザ・スワンは人間ではない役なので、動物的というか人間離れした動きを見せないとならない。くるりと回って王子を幻惑する美しい姿を見せつけるときの、優美にして流麗な動きには目が釘付けになった。まるで天井から吊っているのが見えそうなくらい、軸が安定していて動きもぶれない。(それは「ラ・バヤデール」のヴァリエーションのグラン・フェッテでも証明されている)また緩急のつけかたが巧みで、メリハリが利いているため、技の一つ一つが非常に綺麗に決まる。
独特のリズムの取り方
基本的にヘススはクラシックのダンサーであり、コンテンポラリー系のダンスやフラメンコを踊る時でも足元がアン・ドゥオールになっている。だが、彼の踊りを非常に個性的にしているのは、一つ一つのポーズのキメを大事にしているため、溜めをつけて見得を切りそれから素早く次の動きを行うという、半拍程度ずらした動きを使っていることである。そうすることによって、静と動の対比が大きくなり、静止している瞬間のポーズがとても美しく見える。私にフラメンコの素養がないためうまくは説明できないけれど、クラシック・バレエにはあまり観られないラテン的なリズムの取り方を行っているのは間違いない。
人並みはずれた体の柔らかさ
バレエのダンサーの体が柔らかいのはあたりまえなのだが、ヘススはその中でも柔軟性が際立っている。マシュー・ボーン版「白鳥の湖」の2幕のコーダで見せる、体を大きく反らせてのフェッテ(ジュテ・アチチュード・アン・クルヴェット・デリエール )では、足と頭がくっついてしまうほどだ。身長が低いゆえ手足もさほど長いわけではないというハンディを背負っている彼だが、特に背中がとても柔らかいため、腕がとても長いように錯覚してしまうし、また足の甲の反りもとても大きいので欠点をかなりカバーできている。特にザ・スワンという人間ではないキャラクターを演じる上では、人に飼いならされていない野性的な部分を表現するのに、この自在にしなる肉体が役に立っている。後で述べる独特のラテン的な妖艶さ、やや両性具有的なセクシャルな部分を表現するのにも最適な身体特性だ。
踊ることの至福を体じゅうで表現できること
ヘススのダンスの魅力の大きな要素として、自分が自由に踊れることの幸せを全身で表していることがあるといえる。ダンスとは何か。人間が重力という呪縛から解放されて、はばたくことができるということも、ダンスに私たちが惹かれる理由の一つといえると思う。私たちが自由に生きたいと思っても生きられないのに対し、バレエダンサーは地面への束縛を逃れ、解き放たれた存在である。重力からの飛翔という事実に、私たち観客は憧れ、恋焦がれる。もちろん、鳥のように高く飛べることだけでなく、体の関節を自在に曲げることができ、思いのままに感情を表現できるということも、また”自由”の素晴らしさを伝えるものである。(跳躍も高く、重力を感じさせないほど軽やかである。「ラ・バヤデール」のパ・ド・ドゥのバリエーションのマネージュでも、トゥール・ザン・レールを挟み込んでのフェッテが高く、静止して見えるほどであった)
ザ・スワンを演じている時のヘススは、王室という窮屈な場所に閉じ込められがんじがらめになっていた王子に、自由に生きることの幸福を教える存在であった。自分を縛り付けるものから抜け出せたときの世界はこんなにも美しい、ぼくの世界に飛び込んでいけば、そこには輝ける毎日があるんだ。その世界観を体現していたのが、ヘススが演じていたザ・スワンだった。そしてヘススの踊りは、ザ・スワンを踊っている時のみならず、純粋に踊ることの喜び、ひいては生きていて、愛して、ひたむきに一つのことにたゆまず努力して、情熱を傾けて、という彼の人生を表現しているものなのである。だからこそ、私は彼の踊りに魅せられたのである。
情熱的な演技表現とキャラクター作り
ダンサーがフィギュアスケートや体操の選手と違っている部分。それは、身体能力の高さはもちろん必要だが、ダンスは芸術であるからして表現力を求められているということ。高く跳んだり、体のブレが少なく柔らかいことも重要だが、同時に、物語を語る上で欠かせない感情表現、演じるキャラクターへの理解、観客の心を揺り動かす演技力も欠かせない。ヘススの演技はというと、「白鳥の湖」のザ・スワンとザ・ストレンジャーのほかには、ガラで短いパ・ド・ドゥしか観ていないのでなんともいえない部分もある。が、これらを観る限りでは、直情的でパッショネイト、豊かな感情表現をだすことができるダンサーであることが確信できる。ヘススの踊るキャラクターは、時には優しく、時には妖しく、危険な薫りを漂わせたかと思うと一転してイノセントだったり無邪気だったり、と変幻自在。とにかくパッションが噴き出るかのような艶やかでかつストレートな感情表現が特徴的だ。まだ抑えに抑えた感情や微妙な苦悩などの表現は得意じゃないかもしれないけど、4幕のザ・スワンを観る限りでは繊細で儚い表情を作ることもできることが証明されている。マドリッドのガラのときの「ラ・ バヤデール」ソロル役の時も、来るべき悲劇を予感させるような、100%は幸せではないような、そんなはかなげで危うい表情とマイムを見せてくれた。
大きな瞳のエキゾチックな顔立ちであるため、表情が非常にわかりやすく見て取れるのも魅力。「白鳥の湖」日本公演の後半以降での、ストレンジャーの時に見せる妖艶な視線には、まるで背筋をそーっと触れられているかのような魔性があり、忘れがたいものがあった。へススがアダム・クーパーが作り上げたスワン/ストレンジャー像とは全く違う、新しいスワンの人物像を作り上げたこと。しかも人間でもなければ鳥でもない、獣性と聖性を併せ持った”愛と死の天使”的クリーチャーとして演じたことは、評価されてしかるべきだと思う。
情熱的な演技ができるのは何故か。それは、ひとえに、彼が持てるすべてをダンスに注ぎ込み、常に100%ベストを尽くしていることが観客にも見てとれる演技をしているからなのだ。もちろん、それはプロのダンサーとして当然にことではあるが。
アンドロギュヌス(両性具有的)濃密なエロティシズムとイノセンス
前述の通り、へススが演じたザ・スワンは人種や性を超越した“ザ・スワン”としか言いようのない生き物を体現したものである。体の柔らかさや、しなやかなライン、愛らしい顔立ちもあって、彼のダンスはマスキュリンな印象というよりは両性具有の、ギリシャ神話の神を思わせる。女性的というわけではない。性別を超越しているのだ。だが時には少年のようなイノセンス、時には自分の魅力に気がついていないゆえ無邪気、だけど挑発的な少女のような魅惑を放ち、その微妙な境界線上を揺らいでいる存在。王子にザ・スワンが擦り寄るときには、柔らかに甘えるように、その身を王子に任せて彼の世界へと誘う。そのとき漂うエロスは、とても純粋で根源的なもの。邪な感情などない、一点の曇りもないような、ただただ親しくなりたい、守護天使になりたい、愛を与えてそして愛されたいというピュアな感情が昇華された結果が、“生への渇望”であるエロティシズムとなるわけだ。
一方でザ・ストレンジャー役。物語の設定上はギラギラとした、上昇志向を秘めたジゴロのような男がザ・ストレンジャーだ。ヘススが演じたストレンジャーは、アダムの演じた危険で邪悪な、悪魔のような男ではない。誘惑と欲望とセックスのゲームを無邪気に楽しむ、天使の顔をした小悪魔というイメージ。ストレンジャー役のヘススは、そのラテン的な特質が生かされた、快楽主義的なアプローチで王女たち、女王、そして王子に迫る。男性的な魅力が光っていたアダムに対抗するには、あまりに可愛らしすぎなところがあるが、大きな黒い瞳が陰影を帯びたうら若いラテン・ラヴァーという存在には、抗いがたい魅惑がある。AMPの王女役を演じたダンサーたちは大柄で成熟した女性というイメージが強いため、ヘスス・ストレンジャーは年下で未成熟ながらも、背伸びをして精一杯悪ぶっていてその若さ、青さがセクシーな少年という印象を刻み付ける。それなのに、登場シーン後のソロでは、ゆるゆるの腰の濃厚で官能的な動きをみせつけ、股間までも強調するといういやらしさ!愛らしい顔をした少年の中の蛇が、鎌首をもたげたという感じ。その少しやんちゃで、茶目っ気のある妖艶さで、舞踏会の 場にいる者すべて−気取った男性たちも高慢そうな女性たちも誘惑してその魅力の虜にしていく様子は圧巻であった。
4幕のザ・スワンの表現力も圧巻。2幕ではあれだけ自由、生、そして愛の素晴らしさをのびやかに身体で表現していたスワンが手負いの姿となり、仲間に痛めつけられて命の炎を消していくのだから、その痛ましさたるや…。そんなぼろぼろの姿になっても、スワンは王子の薄幸な人生の中でわずかの時間でも愛を教え、自由を教えることができたことを歓びだと感じ、王子をソウルメイトと思い彼を守り抜こうとする、その懸命な中に生のきらめきが仄かに光り、エロスが滲み出る。このあたりの痛切なまでのヘススの表現力は、公演の回数を重ねるほど見事なものとなっていった。4幕のヘススはヘススでもなく、人間でもなければ白鳥でもない、“ザ・スワン”という名の守護天使であり(“守護天使”的な部分がもっとも表現されているのはアダムのスワンであるが)、天使でありながらも、ヘススのザ・スワンは愛をとめどなくあふれさせている、切れば鮮やかな血と共に愛が噴き出る実体(=エロス)を持った存在なのだった。
唯一無二の個性
ザ・スワンを演じている時のヘススの踊りは、群舞の中にあっても際立って何かが違う。もちろん、アダム・クーパーや首藤康之とも違う。オリジナル・キャストであり役柄をもっとも理解しているであろうアダム、カリスマ性あふれるアダムと同じ土俵で勝負しても意味はないのは言うまでもないが。ヘスス・スワンは他の二人のスワンに比べて動物的である。人間が演じていることを忘れてしまうほどだ。そのなめらかな動き、毛づくろいをするように首をもたげ、柔らかく舞う姿はいまだかつて観たことがないほど個性的であった。あまりにも個性的なことが、今後の役の幅を狭めなければいいな、と思いつつも、彼のために振付けられた作品を絶対見たいと思わせてくれる。(スコティッシュ・バレエの「アラジン」がそのような作品とのことだが) マドリッドでフラメンコ系の作品を彼が踊るのを見たときも、他のスペイン人ダンサーとは全く違ったモノを感じさせた。クラシック系がベースなのでフラメンコでもコンテンポラリー系作品でも、脚はアン・ドゥオールであり、なおかつリズム感が独特で、前述したようにギリギリまでタメて一気に動きを見せることで、綺麗にキマった動きを見せる ことができるのだ。
未完成の魅力と無限の可能性
下に書いたように、ヘススにはまだまだ欠点もある。安定性に欠けることもある。だが、日本での「白鳥の湖」6週間、韓国の2週間の間に彼は恐ろしい勢いで成長し、進化していった。役柄の理解も深くなり、踊るたびごとに新しい魅力を身につけていった。これまではややマイナーなカンパニーに所属していた彼だった。が、ABTというスタープレイヤーがキラ星のように存在しているカンパニーで、彼は自分の個性を保ちながらも、良い影響を受け、スポンジのようにいろんなものを吸収していき、さらに成長していくことは間違いない。
今後の課題
・スタミナ不足。
まだ彼の全幕ものは「白鳥の湖」しか観ていないので正確な判断はできないが、2幕の激しい動きの後は心なしか息を切らしているようであり、胸で呼吸しているのを見てしまったことも。喫煙者であるようだが、全幕で主要な役柄を演じるためには禁煙することが必要だろう。
・リフトが不得意。
もともと小柄である(推定身長173〜4cm)ということもあって、リフトが高く上がらない(もしくは上がっているように見えない)という問題点がある。AMPの女性ダンサーは比較的大柄だったというのもあったかもしれないが。
・役柄の限定。
いわゆるダンスール・ノーブルタイプではないので、王子様っぽい役柄になかなかつけないかもしれない。クラシックでは「ドン・キホーテ」のバジル、「ラ・バヤデール」のブロンズ・アイドル、「海賊」のアリなどは向いていると思われる。過去のレパートリーを見ていると、「白鳥の湖」のジークフリート王子や「パキータ」「ライモンダ」などのダンスール・ノーブルタイプの役にもついていたようではあるけれど…。また前項にも書いたように、身長が高くないため、パートナーもある程度限られてしまう。顔立ちが可愛らしいため、男性的な役柄も難しそうだ。
でも、彼ならば、自分自身の欠点も長所に変えることができるのではないかと確信させてくれるものが、ヘススにはある。大きくはばたくことを期待せずにはいられない。
(つづく)