ミテキ・クドー(パリ・オペラ座バレエ) インタビュー
Once hidden backstage, she now dances on air
BY AMBER HAQ, CONTRIBUTING WRITER Asahi Herald Tribune 04/29/2006
ミテキ・クドーは小さい頃、パリ・オペラ座のガルニエ劇場の舞台の後ろに隠れ、
両親が踊るところを釘付けになって見ていた。
「今日に至るまで、このイメージは私の中に大事に持っているわ」。
振付家の工藤大弐と、70年代にヌレエフのパートナーを務めた伝説的な元エトワー
ル、ノエラ・ポントワを両親に持つ彼女は言う。
世界で最も高いステイタスを持つバレエ団のメンバーであるミテキにとって、オペラ
座は第二の家である。「オペラ座の廊下をもう30年も歩いてきたわ」「子供の頃、
私はママの楽屋に行って夜の公演の準備をするところを見るのが好きだったの。
疾風のような動き、メイク、素敵な衣装や、バレエシューズの糊の匂いをはっきりと
覚えているわ。私にとって、それは妖精たちの宇宙のようだった」
ダンスが駆り立てる自由、美そして畏敬の念にインスピレーションを得て、ミテキ
は、自身もいつか観客の前で舞台に立つだろうと知っていた。
静かな少女時代を送ったミテキは7歳からダンスを始め、10歳でパリ・オペラ座学
校に入学し、”子ねずみ”となった。子ねずみとは、学校の小さな生徒たちの愛称で
ある。15歳のときに、ミテキはオペラ座の厳しい入団試験に合格した。
「ダンスは私の遺伝子の中にあると思うの。幼い頃から、私は動きや音楽に対するセ
ンスがあったわ。何時間でも踊って回ったの。でも、私がバレエを職業として選ぶか
どうかという時がきたとき、特に母はその選択をためらっていた」
「母は、そのような選択に伴う困難や挑戦を理解していた。厳しい訓練、修養と肉体
的な努力が小さな子にとっていかに大変であるかということを。でも、私は決して
へこたれなかった。ダンスは私の情熱だから、私にとっては犠牲ではなく、私の生きる
道だったの」
ミテキはプロのダンサーとして20年間踊っており、スジェの地位に昇格した。
オペラ座バレエの一日は大変な疲労を伴うものである。クラスやリハーサルは早朝始
まり夜遅く終わる。年間に160もの夜公演がある。それに加え、カンパニーでは同時
にいくつもの振付作品に取組み、海外ツアーの予定も頻繁にある。
リハーサルが行われているホールを歩くと、汗、緊張感と忍耐の感覚を味わうことに
なる。「とても競争の激しい機関なの。厳しい階級制度があり、地位や主要な役の数
は常に限られている。人間関係においても、常にライバル関係にあるわ。それと関わ
っていくのはとても難しくて、勝利もあれば思い違いもある。誰もが、自分に値する当
然の報いを受けることになるわ」
ミテキは、クラシック・バレエとコンテンポラリー・ダンスの両方の分野における、
世界中の最も有名な振付家たちの作品を踊ってきた。ヌレエフ版の「白鳥の湖」や
「くるみ割り人形」、ピナ・バウシュの「春の祭典」、ジェローム・ロビンスの「イン・ザ・
ナイト」そして最近では勅使川原三郎の「Air」に出演した。
パリ・オペラ座のために勅使川原によって振付けられた「Air」は2003年に初演
された。アメリカの作曲家ジョン・ケイジによってインスピレーションを得た、日本の
振付家/ダンサーによる詩的なこの作品。3月にオペラ・ガルニエで上演された最新
のプロダクションに出演した13人のダンサーの一人がミテキである。
「音楽によって私はどこまでも運ばれていく。動きの中に、呼吸の感覚があるの」
ミテキが踊るところを見ると、彼女は空気と戯れ、空気がまるで彼女の体の延長
であるかのように思えてくる。
ミテキにとって、音楽は最も重要なものである。「音楽が私を導き、私が表現しよう
としている感情と交流する助けとなっているわ」
異なった種類の音楽は、同じ感情的な反応を引き起こすのだろうか?ダンスによる
悲しみの表現は、ケイジの音楽とショパンでは違ったものになるのか?
「そうよ、毎回違うの」
ミテキは日本を何回も訪れたことはあるが、住んでいたことはない。しかし、日本バ
レエフェスティバルや何度ものオペラ座の来日公演といったプロジェクトに取り組ん
できた。
「思春期に、毎年私は祖父母の家に一ヶ月間滞在していたわ。日本の文化は私は
とても親しみを感じる」「小さな頃、私は他のフランス人の子供と自分は違っている
といつも感じていた。私は、父によって伝えられたいくつかの価値観にこだわった。
私は、静けさを欲していて、自然と常に近くにいたいと思っていたし、日本のアートと
表現に敏感な感覚を持っているの」
ステージの上、それはオペラ・ガルニエの豪華な舞台の中で、ミテキは軽やかで
自由で、言葉を超えた、今感じたばかりの感情を表現していた。
「多くのアジアの文化に共通している内面の静けさを、私は強く感じている。それが
私のアイデンティティの一部であると信じているし、私自身が自分の動きの中で表現
するように、私の中に伝えられているの。それが、私のダンスの日本的な次元なのか
もしれない」
「私が舞台の上にいるとき、私は、自分が時を越えた存在であると感じるわ。バレ
リーナは観客のために踊っているけれども、それにもかかわらず、私は自分が世界
でたった一人であると感じる。それは魔法のような感覚」
ミテキは自分の役柄を理解するために大変な努力を払う。「私にとって、役柄に何ら
かの意味があるということはとても大事なこと。私が踊るのが抽象的な作品であったと
しても、なぜ私がそれを踊るのか理解しなければならない。これがなければ大変な
困難を伴うの。私は、感情を感じる必要がある。それは、内面で共鳴しなければ
ならないわ」
一つのプロダクションの中で、ミテキは、グループで踊ったり、パートナーと踊った
り、そしてソリストとして踊ったりすることもある。
「ある意味においては、一人で踊る方が簡単ともいえるわ。群舞の中で踊るのは、用
心深さが必要なの。きちんと並び、同じ高さに腕を上げるといったことに。同じ空間を
共有しているから。しかしながら、群舞の中には違うエネルギーがあり、うきうきした
気分になることもあるわ」
パ・ド・ドゥについては、ミテキは、同じスジェで夫であるジル・イゾアールと共演
することが多い。「パートナーと踊ることは、美しいわ。二つの肉体がハーモニーを
なしているから」
ミテキはダンスと家庭生活を中心にした忙しい生活を送っている。ダンサーという
世界にはめずらしく、彼女には二人の子供がいる。
「母であることは、ダンサーにとっては大変なこと。妊娠するということは、舞台を
しばらく休まなければならないということだから。元の体に戻ることはとても大変
で、しばらく時間を要するの。バレリーナはこのことを受け入れ理解しなければ
ならず、注意深く妊娠期間を選ばなければならないわ」
ミテキの楽屋のテーブルには、子供たちの描いた絵や写真が飾られている。
「5歳の娘は来年バレエを始めたいと思っているし、下の子も同じ道を選ぶ
と思う。彼は音楽を聞いたとたんに体を揺らすわ」
このことは、家族の中に新しいバレエダンサーの世代が生まれることを意味
するのだろうか?
「難しい選択だけど、夫も私も、ダンスによってもたらされる喜びを知っている。
これは私たちの人生だわ。子供たちにとっては、どうなのかしら?」
ミテキは微笑み、瞳を輝かせる。それは本当のことなのかもしれない。
ダンスは単に遺伝子の中に存在しているのだ。
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Herald Tribune /Asahi Shimbun