監督:ミヒャエル・ハネケ
出演:イザベル・ユペール、ブノワ・マジメル、アニー・ジラルド
エリカは幼い頃からピアニストになるために母に厳しく教育を受け、恋人を作る
ことも流行の服を着ることも許されなかった。彼女はコンサート・ピアニストにな
れず、現在はウィーン国立音楽院のピアノ科の教授として働き、母の夢を実現
できなかった自分を責めていた。母はエリカが中年となった今も、一緒に暮らし
彼女を監視していた。エリカには"歪んだ性癖を持つ"という秘密があった。ある
日、コンサートで才能ある美しい若者ワルターが彼女を見初める。ワルターは
強引にエリカに愛を求め、いつしか彼女もワルターの姿を追いかけていた。そして
エリカはワルターに、誰にも語ったことのない秘密を打ち明ける決意をする。
母親の無茶苦茶な抑圧で娘が歪む、という話は実はかなりあると思う。母親と
娘の関係ってすごく微妙なシロモノだからだ。母親は娘に、自分の叶えられな
かった夢を賭ける一方で、娘が成熟して女性としての魅力を備えてくると猛烈
に嫉妬していく。この映画での、アニー・ジラルド演じる母親が、すっかり行き
遅れた娘に、どこに行っていたの、こんな派手な服を買っちゃって、と問い詰め
ているシーンなんて、まさに後者の感情が噴出しているところだ。あんな母親
がいたら、娘が歪むのも無理はない。私の母親もかなり厳格なところがあって、
高校時代は門限6時、20歳までは門限は10時、結婚するまでは12時だったし、
出かけるときもいちいち「どこの誰と会うの?その人はどういう人?」とチェック
は厳しかったし、一人で映画を見たり、街を歩くのも禁止されていたほどだった。
服装とかメイクのチェックも厳しくて、結婚している今だって、髪を染めていたり
することに対して、いつも文句を言われている。とにかく、娘が女っぽい感じの
外見をすることに対して、すごく反感を持っているようだ。私の母は、娘の私か
ら見ても美人の部類に入るので、多分娘に対してライバル意識があるのだろう。
そして、そういった抑圧の結果、女性はどういう方向に行ってしまうか、というこ
とをこの映画は描いているわけだ。エリカの変態ぶりはなかなか凄い。アダルト
ビデオの個室に入って、使用済みティッシュの匂いをかいで興奮するような女性
はなかなかいないでしょう。あのカミソリを使って性器を傷つけるところなんて、
痛くてどうしよう、という描写だが、おそらくエリカは、普通の道具を使って自慰
行為をすることを通り越して、こんな方法を取るに至ったのだろう。私はまさか
そういう変態的な次元に到達しているはずも無いのだけど、それでも、この映
画を観ていると、一歩間違ったら彼女の人生に近い人生を歩んでいたかもしれ
ない、ととても薄ら寒いものを感じてしまった。
この映画の凄さというのは、そのように抑圧されて変態になってしまったエリカ
を決して同情をこめて描かず、容赦なく突き放して描いているところにある。エリ
カの変態ぶりは、上述したように、もはや滑稽の域に達している。しかも、この
年齢まで男性経験はなく処女なので、異常なまでの耳年増になり、妄想ばか
りが膨らんでいく。ピアノを通して知り合った美青年に愛を告白されても、正常
にその愛を受け容れることが出来なくて、あくまでも自分の妄想の世界の中で
自分を愛することを要求するのだ。エリカは、ワルターに「私をこうして欲しい」と
書き綴った手紙を送るが、それは、長年の人生の中で溜めてきた情念とファン
タジーがドロドロと渦巻く倒錯した要求で、聞いているうちに笑ってしまうほどの
病的な内容の行為を求めているのだ。
だけど、そのファンタジーは頭の中で溜めに溜めてきたものなので、イザそれを
実践すると、それは全然気持ちよくも無いし、屈辱感を与えるものでしかない。
それよりももっと哀しいのは、ワルターが普通の方法でエリカにキスをして、抱
こうとしても、エリカは思わず吐いてしまうということ。彼女は現実の恋愛という
ものに耐えられない人間になってしまっていたのだ。しかも、エリカと母親は共
依存の関係で、ワルターが彼女の家にやってきた後、なんとエリカは母親と性
行為をしようとするのである!これにはもうびっくり。
エリカは表面上は、自分を極力殺して生きてきた女性である。母親が望むとお
りの人間になろうと懸命に努力してきて、すべてを犠牲にしてピアノに打ち込ん
できた。国立大学のピアノ科教授というそれなりのエリートに上り詰めたのに、
それでも母親の夢であったコンサートピアニストになれなかったことで、罪悪感
を抱いている。出会った頃、「私には感情がない、知性で感情を抑える」と彼女
はワルターに言い放つが、そのように感情を抑えて来たことが、彼女のピアニ
ストとしての限界を作ってしまったのではないかと思える。ピアノの指導をする
彼女を見ていると、特にお気に入りのシューベルトの曲の時には、頑なに自分
の解釈を生徒に押し付けている、という印象がある。シューベルトという、孤独
な人生を送ってきた音楽家は彼女にとって特別な存在であり、それゆえ、ワル
ターを指導するときにも、シューベルトの演奏は禁じてきたわけだ。エリカはシュ
ーベルトの解釈を行うに当たって、音楽論の本をたくさん読み、かなり真面目に
学習して演奏してきたように思えるが、それもまた、頭の中で組み立てて解釈を
したという印象を与えるものである。
エリカという地味でちょっと怖い中年女性に恋をするという時点で、ワルターとい
う青年もかなり倒錯した趣味を持っているのではないかと思うのだが、彼は一見
とても爽やかな好青年だ。もともとはピアノを専攻していたわけではなくて、工学
部の学生であり、良家の子女であり、そしてアイスホッケーをプレイしている。彼
のルックスだったら、どんな女の子でも簡単に落とすことができるのだと思うけど
あえてエリカ、というところが変態チックだ。彼は最初はエリカの倒錯した趣味に
極力ついていこうと真面目に彼女を愛するのだが、トイレで彼女に無理矢理フェ
ラチオされてから、やがて、残酷さを露にするようになる。ホッケー場に現れたエ
リカを邪険に扱うばかりか、抱こうとして吐いた彼女とキスをして「口が臭い」と平
気で言い放つ。ストーカーのようにつきまとい彼女の家についてきて、エリカの望
みどおり無理矢理彼女の処女を奪う。そして、コンサートの日には若い女の子と
爽やかな微笑を浮かべてエリカに挨拶して去っていくのだ。エリカと出会ったこと
で、無垢な青年が悪魔性を帯びてくるこの描写には、身震いがした。ワルターの
微笑みも、爽やかさの中に、かなりの意地悪な感情がこめられているかのように
思えるのだ。それは、まっすぐな愛を捧げたところで、彼女には受け容れられな
かったことに対する復讐なのだろうか。
その姿にショックを受けたエリカは持参したナイフで、思わず自分の胸を刺す。と
ころが、ナイフを胸に刺したところで、血もほとんど流れず何もドラマティックなこと
は起こらない。おそらく、エリカは今後も、今まで通り厳しいピアノの教授として働
き、妄想にふけりながらも変わらぬ毎日を過ごしていくのではないか。それはそ
れでひどく残酷な現実である。現実は、映画のように「若い美男と年上のピアノ
教師は結ばれました。めでたしめでたし」とか、「年上のピアノ教師は恋に絶望
して自らの命を絶ちました、哀しいですね。終わり」とはならないのである。なん
という意地悪さ。
ぞっとするような、そしてとても滑稽な変態行為に耽る役柄を演じきったイザベル
・ユペールの勇気には拍手。エリカは基本的にはいつも無表情、仏頂面をしてい
るのだが、その無表情の中の微妙な感情表現は実に見事だ。最初は全くノーメ
イクなのに、ワルターとの関係の中で少しずつ化粧をして女っぽくなっていく姿は
なかなかなまめかしい。ブノワ・マジメルは非常に美しい青年なのだが、その一
見毒気の無い端正さの中に、そこはかとない悪意と倒錯性が感じられるのがい
い。あの妙に甲高い声が、変態性を匂わせるのだ。実際にも、美しいとは到底思
えない中年女優のジュリエット・ビノシュと付き合っているんだから、やっぱりもと
もとヘンな人なんだろうけど。母親役のアニー・ジラルドの偏執狂的なまでの厳し
い、悪魔のような母親ぶりも凄い。その彼女が、娘に犯されそうになるところの哀
れさといったら。
シューベルトの端正な旋律が、アダルトショップにまでついていくという音楽の使
い方。ピアノの黒と白の鍵盤を真上から映して、色んな人の指が鍵盤をなでてい
くことで、音楽の潔癖さと抑圧されたところから生まれる官能性を表現していると
ころは、身震いするほど。ピアノの鍵盤が象徴する黒と白を巧みに映像に使って
いるところも素晴らしい。エリカがフェラチオを強要する真っ白なトイレの寒々しさ
は、あの冷たい官能が燃えるラブシーンには最適の場所だったと思う。いつも薄
暗いエリカの家とは好対照を成す。人間の心理の暗い面、気色悪い面にスポット
を当てた、残酷で滑稽でクール、底意地の悪い一編。
