鈴木清順レトロスペクティブ
河内カルメン すべてが狂っている 野獣の青春 ツィゴイネルワイゼン 春婦伝
刺青一代 肉体の門
1966年 日活
監督:鈴木清順
出演:野川由美子、川地民夫、和田浩治、宮城千賀子、佐野浅夫
河内の田舎で両親・妹と暮らす工場の女工露子は、あるとき強姦され、また母親が
助平な住職に体を売っていることを知って家を飛び出す。ホステスになった彼女は信
用金庫の実直な職員に気に入られ押しかけられるが、モデルとしてスカウトされ彼と
別れる。モデル事務所の先生の家で暮らしていた彼女だが、先生はレズビアンであ
ったため、逃げ出して先生の友人の芸術家宅に居候する。そして工場主の息子であ
り初恋の男であるボンに再会するが、工場はつぶれていてボンは一攫千金の夢を追
いかけていた。二人は貧しくても幸せな暮らしをしていたが、彼は金を得るために彼
女を金持ちの妾として売り渡してしまう。金持ちは飛行機事故で死に、露子はマンシ
ョンを手に入れるが売り払って故郷へ。強欲な母親のせいで、妹までもが住職の毒
牙にかかっていた。住職を滝壷に突き落とした露子は再び、いい男との出会いを求
めて大阪へと舞い戻るのだった。
こうやってあらすじをたどっていくと、露子はむちゃくちゃ不幸な目に遭ってきた女の
ように見える。犯されたり、家庭が崩壊していたり、初恋の男にだまされたり。だけ
ど、暗さは微塵も感じない、あくまでも軽やかな映画。それはもう、露子役の野川由
美子の魅力がすべての暗い側面を吹き飛ばしているほどの強烈なものだからだ。
田舎で地味な女工として働いているときでさえ、露子はバラを口にくわえていて、大
輪の花のようだ。ホステスとして売れっ子になった彼女がカルメンのテーマを歌いな
がらカウンターの上で歌い、額縁の中で踊るあでやかさといったらもう、華やかでか
わいくて、いまどきこんな女優はいないだろう。どんなにひどい目に遭ってもけろっと
していて、決してめげない。男から男へとひらひら舞う蝶々のようだが、同時にとって
もたくましい。したたかでずるいところもあるけど、同時に情が深くてけなげだ。冴えな
い信用金庫勤めの中年男が、彼女に入れ揚げた挙句会社を首になってしまったと聞
いて、愛してはいないのに同情して部屋に住まわせてしまう。彼女がモデルになるた
めに部屋を引き払い、彼と別れるときになっても、彼は恨み言ひとつ言わず、「いい夢
が見られた。ありがとう」と微笑みながら去っていくのだ。
魅力的な女が描かれているだけでなく、とってもおしゃれな映画でもある。モデル事
務所で並んで座っているモデルたちはみんな同じ衣装で、同じ風に足を揃えている。
モデル事務所の先生の家は舞台装置のようなセットがそのまま画面に現れていて、
人物の位置関係が一目瞭然なのが面白い。妾として売られた金持ち男が、なぜか
彼女を趣味の映画に出演させて、ふすまを開けるといきなりライトでまぶしく照らした
りするといった、いかにも清順調の大胆でシュールな演出も生きている。
川地民夫演じる謎の芸術家男はとても怪しげでつかみ所がなくて素敵。ずるい男、
情けない男、いやらしい男、弱い男、といった連中は登場するが、唯一あまりセックス
とか愛とか感じさせないこの芸術家が男性陣の中で一番魅力的なのだ。金とセック
スに汚いといえば、露子の母親もそういうキャラクターだ。いくら男性遍歴を重ねても
露子が一向に汚れないのは、きっと金にもセックスにも執着がないから、なんだろう。
ある意味、男にとっての理想的な女である。そして、もちろん女性の私から見ても、
露子、そして彼女を演じる野川由美子には思わず憧れてしまうほどの輝きがあるの
だ。
1960年 日活
監督:鈴木清順
出演:川地民夫、禰津良子、芦田伸介、奈良岡朋子、吉永小百合、宮城千賀子
戦争が終わってそれほど経っていないと思しき時代。そんな時代にあっても、バーに
たむろしてジャズを聴き、青春を謳歌する若者たち。若者グループの中でも美しい少
女、敏美と二郎は惹かれあう。しかし、二郎は、戦争未亡人である母親が、資産家の
男性南原から援助を受けていることを快く思わず、屈折していく。敏美の愛を素直に
受け入れることもできず、和解を望む南原との対話にも応ぜず、二郎は破滅に向かっ
てまっすぐに突き進むのであった。
鬱屈した若者を演じさせれば右に出るものはないのではないかと思うほど、ここでの
川地民夫はうまい。未亡人である母親が金持ちの男に金をもらって、その金で親子
がなんとか暮らしていけているという事実が、彼には受け入れがたい。好きな女の子
にも素直に愛を告白できず、ようやく彼女と結ばれるときにも、金を投げつける。焦燥
感、鬱々とやり場のない感情を内に秘めている様子は見ていて痛々しくてたまらない。
彼に恋する少女・敏美を演じる禰津良子は、彼とうってかわって明るい娘だ。ちょっと
バタ臭い顔立ちと長い手足。ショートカットの良く似合う美少女。こんなに魅力的な彼
女に思われているのに、なんてつれない二郎。それでも彼を愛し、けなげにも彼につ
いていき、立ち直らせようとする敏美。二郎にはもったいないくらい。二郎のブラックホ
ールのような暗い情念は、彼女までも道連れにしてしまうのだった。
これはひとつの世代間闘争の物語でもある。二郎が敵視する男南原は善人だ。二郎
の母を愛し、金銭的に援助している。二郎とも分かり合えるようになりたいと願ってい
る。だけど、二郎は、妻子ある南原に母親が養われているという事実が許しがたい。
善人面した南原の化けの皮を剥いでやろうと思っている。そんなとき、敏美の友人の
少女が望まぬ妊娠をして中絶費用に困り、金持ちである南原に援助交際を願い出る。
その現場に母親を連れて行き、「それ見たことか」という二郎。しかし、ここで、母親が
本当に南原を愛していたこと、彼女だって女だということを思い知らされる。その事実
にさらに二郎は絶望するのであった…。そして、彼は最後まで南原を拒絶する。
絶望した二郎が、大人に対する怒りをぶつけるように、敏美とともに盗んだ車を乗り回
し逃げ回る場面は、ヌーベルバーグの影響が見られる。自在に動き回るキャメラ。前
田憲男によるモダン・ジャズ。彼らの表情の、正面からクローズアップ。若さの象徴と
でも言うべき、躍動感があふれていて、胸が締め付けられるような切なさがあるのに、
小気味良い。そして、あらかじめ予想されていた、ふたりの鮮烈な死。
彼らが集まっていたバーの常連の記者は「すべてが狂っている」と書き記すのだった。
しかし、その言葉こそが、新聞記者や南原と、二郎や敏美の世代の埋めがたき溝を
象徴するものである。大人にとっては、「いまどきの若者は狂っている」と簡単に片付
けるだろうが、若者は、若者なりに真剣に生き、悩み、愛していたのだから。そのこと
は、どの時代にあっても、変わらない。若者たちのファッションや生態、風俗はその時
代を色濃く反映しているが、青春の苦悩の多くはどの時代にあっても、普遍的なもの
なのである。
1963年、日活
監督:鈴木清順
出演:宍戸錠、川地民夫、渡辺美佐子、小林昭二
元刑事の錠次は、対立する二つのやくざ組織にもぐりこみ、対立をあおって共倒れさ
せようと画策する。かつての同僚・竹下が女と情死したが、愛妻家の彼に限ってそれ
はない、と陰謀の匂いをかいだのだった。そして意外な真相が明るみに出ることにな
る。
大藪春彦原作のハードボイルド作品。冒頭の心中現場、モノクロの画面の中に一輪
赤い花が挿してあるところから、鈴木清順特有の映像美学が炸裂している。錠次が
入ったキャバレーでは、華やかな店とマジックミラー一枚隔てた向こうで、バイオレン
スシーンが展開。錠次の陰謀に気が付いた野本興業の社長が、ガラスに錠次を押し
付けてサディスティックな拷問を加えたりするシーンはとても有名だけど、改めて見て
もとってもスタイリッシュ。野本の事務所は映画のスクリーンの裏にあって、映画が裏
側から覗けるというのも、見たこともない映像のひとつで思わずはっとさせられる。
印象的なのは、この特異な映像効果だけではない。キャラクターも一人一人濃いぃの
だ。なんといっても、一番強烈なのは、主人公ではなく、野本の弟ヒデ。鈴木清順作品
には欠かせない川地民夫が演じているのだが、『すべてが狂っている』の悩める少年
とは打って変わって、オカマっぽくて怪しげなカミソリ使いを怪演している。「おまえの
母さんはパンパンだったんだって?」という一言を聞くと、その言葉を発した人間の顔
をカミソリで切り刻んでしまう、残酷だけどナイーブな男なのである。(そして、そのこ
とがラストへの伏線になっているのは、非常にうまい)彼の、端正な容貌に秘められ
たサイコで危なそうな感じ、繊細さと凶暴性の二面性が非常に魅力的だ。今回のレ
トロスペクティブで、私はすっかり川内民夫という俳優に魅せられてしまった。
野本もサディスティックな人物で、錠次をガラスに押し当て、爪の隙間にナイフを押し
込むといった拷問を加えたりするだけでなく、自分の情婦までもいたぶったりするの
だが、殴られた彼女が部屋の外に倒れこむと砂塵が巻き起こり、外が砂漠になると
いう鮮烈で幻想的なシーンが用意されている。そして亡くなった刑事の妻を渡辺美
佐子が演じているということで、何かあるなと思ったら本当に何かがあった!
視覚的に大変優れていて、見たこともないビザールな風景とキッチュなキャラクター
が出てくるだけでなく、ハードボイルド・サスペンスとしても良くできていて、オチがゾ
クっとするほどカッコよく決まった作品だ。鈴木清順の作品としては、娯楽性と完成
度、そして個性のバランスがよく取れている映画ではないか。
監督:鈴木清順
出演:原田芳雄、藤田敏八、大谷直子、大楠道代、麿赤児
内田百閧フ『サラサーテの盤』ほかいくつかの短編を脚色。士官学校の教官青地と
友人の中砂は、旅先で一人の芸者を呼ぶ。やがて鎌倉に帰った二人だが、中砂が
結婚したと聞いて彼の家を訪れた青地は驚く。彼の妻は、芸者と瓜二つであったか
らだ。すき焼きをつつく二人の男の横で、妻、園はこんにゃくをちぎり続ける。彼らは
サラサーテの演奏による「ツィゴイネルワイゼン」を聴く。なにやらレコードがつぶやい
ているような気もするのだが、何を言っているのかは聞き取れない。
青地の妻周子の妹は病弱で入院している。彼女の見舞いに訪れた青地は、妹から、
周子が中砂とともに見舞いに来たと聞かされる。中砂と妻の中を疑う青地。中砂は
「とりかえっこ」することを提案してくる。
やがて園は娘を産むが、出産後亡くなる。中砂の元に新しい乳母がやってくるが、こ
れが園にそっくりであった。それもそのはず、彼女は温泉芸者の小稲なのであった。
やがて中砂もこの世を去る。彼の死後数年たち、小稲が、中砂と園の娘を連れて青
地を訪れる。中砂が辞書をあなたに貸しているから返して欲しい、と。そして小稲は、
連日中砂の元を訪れあれを返してくれ、これを返してくれと言い、青地は中砂が死し
てなお自分をもてあそんでいるような気がしてしまい、震撼する。
めくるめく奔放なイメージに彩られ、観ている自分も果たして今夢なのか現実なのか、
生きているのか死んでいるのかわからなくなってしまうほどクラクラしてしまう作品。
夢うつつの間を行ったり来たりで、心地よく酔ってしまい、物語のディテールはどうで
もよくなってしまう。144分は、なんという贅沢な時間だろう。
中砂の鎌倉の邸宅の手前にあるトンネルは、この世と冥界の間のトンネルなのだろ
うか?瓜ふたつの小稲と園との関係は?なぜ、小稲は中砂の持ち物が青地のとこ
ろにあることを知っているのか?青地と同じように、観る側の私たちも、この不可解さ
に戦慄し、足元がおぼつかなくなってしまう。
エロティックという月並みな表現では物足りないほどの、濃厚なエロス(そしてタナトゥ
ス)が漂いスクリーンから零れ落ちそうな映画である。全身に発疹が出た青地の妻周
子が、中砂の目に入ったごみを舌で舐め取る有名なシーンがあるが、何度見てもむち
ゃくちゃエロっぽい。中砂が「女は腐りかけが一番いい」と言うが、大楠道代の腐臭が
漂ってきそうなエロエロ加減といったらもうたまらない。後ほど、腐りかけの水蜜桃を彼
女が美味しそうに食べる場面も用意されている。ホームレス一歩手前のワイルドな中
砂=原田芳雄もぷんぷん匂ってきそうなセクシーさだ。ひたすらこんにゃくをちぎり続け
る大谷直子も怖い色気があるし、三人の盲目の門付けたちの関係までもがエロティッ
クだ。食事のシーンが非常に多いというのも、エロスを濃厚に感じさせる。そんなエロ
エロキャラクターたちに翻弄されまくる凡人の青地は足元が覚束なく、ただただおろお
ろし、幻惑されてしまっている。
ここでは、フェティシズムが中砂の死の知らせが入ったときの満開の桜のように咲き
誇っている。原田芳雄の眼球を舐める大楠道代の舌の感触、大楠道代が実に美味
しそうに、啜るように食らう腐りかけの水蜜桃のどろりとした感触。目玉や人妻の肉
体や水蜜桃のような舌触りだけでなく、ここでは骨にもフェティシズを感じている。初
めて小稲が座敷に呼ばれたとき、彼女は弟の葬式帰りで、焼いた後の彼の骨の話
をしていた。園も「あなたは私の骨に惚れたんでしょう。私が死んだら、桜色の綺麗
な骨が取れると思ったんでしょう」と言うし、中砂は、青地に、死んだら自分の頭蓋骨
を書斎に飾って欲しいと言うのだ。人間の命がかつてそこに宿っていたという骨という
存在もまた、エロスを感じさせるものと言うわけだ。この世界に目を眩まされている青
地は、「死んだ人間の骨格標本を作ることは可能なのか」などという問いかけを医師
にして不気味がられてしまう。
止めを刺すのは圧倒的なビジュアルの美しさ。旅館での、後ろに大きく体を反らした
小稲と中砂の濡れ場のフレーミング、構築的な美しさは完璧である。和装の大谷直
子とモダンな洋装の大楠道代の対比。そしていかにも木村威夫=鈴木清順コンビら
しいのは、中砂の死を青地が周子から知らされた場面だろう。左に原田芳雄、右に
大楠道代。二人をつなぐ電話線。カメラが左右にゆれ、双方に同じように、桜吹雪が
土砂降りのように降り注ぐ。降り注いでいたのは、中砂の魂だったのだろうか。
一種恐怖物語として終わるということがまた、この映画にどこか「取り憑かれる」とい
う余韻を観客に与えるのである。あまりもの圧倒的な、眩暈がしそうな美しさと不可
解さと恐ろしさ。しばしこの世界から抜け出ることが困難になってしまったほどの体験
であった。
1965年 日活
監督:鈴木清順
出演:野川由美子、川地民夫、玉川伊佐男、初井言栄
第二次世界大戦の中国、天津。日本軍の北支戦線に同行するのは、従軍慰安婦の
一行。強圧的な中尉に反発する慰安婦の春美は、彼へのあてつけとして寝た若い
兵士三上に恋する。その結果一番危険な前線に送られた三上。彼を助けようと戦火
をかいくぐった春美とともに、三上は中国軍の捕虜となってしまう。中国軍側は親切
にしてくれ、同行することを勧めたが、日本軍に帰れば銃殺されることは承知の上で
三上は戻ってしまう…。
野川由美子をヒロインとした清順の女性映画三部作の一篇。ここで彼女は、気性の
激しい、そして一途な愛を貫く女性を演じている。日中戦争の最前線、最果ての地に
しか見えない天津まで流れてくるのだから、彼女にはこれまで相当のことがあったに
違いない。慰安婦たちは兵士たちの性欲の捌け口として、一日に何人もの相手をす
る。位の低い兵士たちから順番に。サディスティックな成田中尉に反発し殴られる彼
女だが、それゆえ中尉は彼女のことを気に入るのであった。だけど、軍国主義、ファシ
スト的思想を体現している中尉を、彼女は心の底では忌み嫌っている。
とにかく野川由美子の存在感は強烈だ。そのギラギラとした目の輝き。生命力の塊
のような雄弁な肉体。ストイックな若い兵士川地民夫を、彼女は誘惑する。彼女が彼
を押し倒し、干草の積まれた物置小屋でのラブシーンは、月明かりに照らされた二人
の姿が崇高なまでの美しさを刻んでいる。そこが、地の果ての戦地とは思えないほど
の穏やかさがこのシーンには満ち溢れている。
そして彼女の激しい情念が炸裂するのは、八路軍との激しい戦闘のシーン。三上の
姿を追い求め、他の慰安婦たちが逃げる中を、彼の姿を追い求める。彼が最前線で
戦っているということを聞くや否や、真っ暗な空に光る銃弾の雨をかいくぐって彼のも
とへとひた走る。すべての音が消え、無音の中銃火が降り注ぐ中を走っていく彼女の
姿は忘れがたい印象を残す。塹壕で重傷を負って倒れている彼に寄り添って眠って
いる彼女は、穏やかな海辺にいる夢を見ている。彼女の愛は激しいが、彼といるとき
にはいつも心は穏やかになっているのである。
目覚めたら、二人は中国側の捕虜となっていた。怪我を負った三上に中国軍は手厚
い看護をし、捕虜として八路軍に同行したら悪いようにはしないという。日本軍から逃
亡した仲間もそこにいた。しかし、兵士としてお国のために死ね、という思想を叩き込
まれている三上は、彼らの提案を拒絶する。戻れば、裏切り者としての死が待ってい
るということも知っておきながら…。もちろん、春美も、軍国主義的な考え方を忌み嫌
っている立場として、そして彼に無意味な死を遂げて欲しくないという一心で、八路軍
に同行しようと彼を説得する。が、彼女の圧倒的な魅力や愛をもってしても、天皇陛下
万歳的ファシズムを叩き込まれ洗脳されてしまっている三上を翻意させることはでき
ない。そして、日本軍に戻った三上は、処刑からは逃げおおせたものの、結局は愚か
にも「天皇陛下万歳!」と唱えて無意味な死を遂げるのであった。彼と手に手を取って
逃げるつもりだった春美も、「あたしも一緒に死ぬ!」と叫んで三上とともに爆死する。
春美と三上の遺体を火葬する場に集まった慰安婦たち。韓国人慰安婦の言った言葉
が印象的だ。「日本人、みな死にたがる。なぜ生きようとしない」これは、三上と同じよ
うに「天皇陛下万歳!」と叫んで散っていった無数の若者たち、その無意味な死をもた
らしたものはなんだったのか、深く考えさせられる言葉だ。戦争の愚かさを、決してヒス
テリックになることやイデオロギーを振りかざすことなく訴えている作品なのである。
このように、この映画は第二次世界大戦時のファシズム、軍国主義を告発するもので
ある。そのような全体主義的思想に対抗する存在として、セックスの女神であるところ
の野川由美子を配置しているのだ。死と対極の存在である生命力、性の象徴である
彼女は実に魅力的なのだが、その圧倒的な魅力、激しい愛をもってしても、洗脳され
きってしまった若い兵士は翻意されることはなかった。かくのごとく、戦争の狂気の力
というのはかくも大きいものなのであった。それにしても、若い二人の無残な死の無意
味なことといったら…。春美が三上と一緒に死ぬことを選んだのも、この戦争の狂気に
これ以上対抗できないと悟ったという敗北宣言だったのだろうか。
この映画は実際には中国大陸ではなく、御殿場で撮影されたというが、吹き上がる砂
塵といい、八路軍に取り残された野川由美子が踏みしめる凍った大地といい、山脈や
石窟といい、見事に大陸らしさが再現されている。モノクロ撮影なのが非常に残念な
のだが、野川由美子が戦火をかいくぐって走り抜けるシーンの、鮮やかな花火のよう
な銃火は、彼女の情熱のほとばしりを見事に表現している。音までもが消えている非
現実性が、いかにも鈴木清順的だが、この場面の美しさを際立たせている。そして二
人が散る場面の爆発も、愛の成就を象徴させる花火なのであった。
監督:鈴木清順
出演:高橋英樹、和泉雅子、花ノ本 寿、伊藤弘子、日野道夫、松尾嘉代
やくざ者の鉄は、大学で絵を学ぶ弟健次のために金を稼いでいたが、あるとき二人は
誤って鉄を狙うヤクザを殺してしまった。裏日本に流れ着いた二人は大陸へ逃れようと
するが、だまされ無一文に。そこで、二人は隋道工事を請け負っている土木会社の飯
場で働かせてもらえるようになる。鉄は土木会社木下組の社長木下の娘みどりに惚れ
られ、一方、健次は木下の美しい妻に恋焦がれる。そして、木下組の仕事を奪おうとす
る暴力団が隋道を爆破し、かなわぬ恋に胸を焦がして飯場を飛び出した健次が犯人と
疑われる…。
なんてあらすじはあるのだが、この映画の見所は、ありきたりな任侠物のストーリーで
はなく、斬新な映像感覚だ。健次が斬られたとき真っ赤に染まる画面。そして、復讐の
ために組に単身乗り込む鉄=高橋英樹の大暴れシーン。土砂降りの中真横に疾走す
る鉄は、反対側から駆けて来た徳平=日野道夫から傘を受け取りタッタッターと傘を持
ってさらに画面の端まで走り抜ける。このとき、思わず「待っていました!」と声をかけた
くなる。
そして、あまりにも有名なシーンなのだが、鉄が乗り込んだ組の本部は、襖を開けても
開けても真っ青な襖が登場し、さらに今後は真黄色の襖がいくつもいくつも登場していて、
騙し絵のようだ。たった一人で、鉄は敵のヤクザを何十人もバッサバッサと斬り捨ててい
く。そして、最後は、畳の下からの呷りショット!なんと畳が透明のガラス板に化けてい
て、大見得を切りながら敵を斬る高橋英樹の姿が真下から覗けるのである。足の裏どこ
ろか、褌まで見えそうだ!この間15分間の異様なまでのテンションの高さは、さすが語り
草になるだけのことはある。あまりにも過剰な虚構性には、頭がくらくらしてしまうどころか、
鼻血が出そう!なるほど、このシークエンスは歌舞伎的で、メリハリが利いた「法螺話」的
な世界だ。高橋英樹の、どこかコミカルで陽性のキャラクターともマッチしている。
が、もちろん、この最後の15分間のクライマックスだけの映画ではない。絵を学んでいた
健次の、美しいおかみさんへの恋は切ない。恋焦がれた彼は彼女の姿の絵を何枚も何
枚も描くのである。川を流れていく似顔絵たち…。そして、しまいには、薄暗い蔵で彼女
をモデルにした観音像まで彫る。彼女にこの像を渡そうとしたくだりには、思わず涙。一方、
鉄に恋したみどりは、とてもお転婆で鉄火肌のおきゃんな娘。思わず「味噌汁で顔を洗っ
てきな!」なんて啖呵を切ったりしてるのである。彼女を演じる和泉雅子の可憐なこととい
ったら!現代のそんじょそこらのアイドルの数十倍可愛らしくて魅力的なのである。そんな
キュートな娘に想われていながら、「流れ者に女はいらねえ」と刑務所に入る鉄の姿は、
ストイックで男の美学を感じさせる。男といったら、妻に横恋慕する健次を許し、支度金を
渡して旅立たせる木下組の親方も、男らしくて寛容で素敵だ。
監督:鈴木清順
出演:野川由美子、宍戸錠、和田浩治、松尾嘉代、河西郁子、富永美沙子
敗戦直後の東京。兄がボルネオで戦死したマヤは、パンパン(娼婦)となる。4人の娼婦
たちは縄張りを作り、廃屋に住み着く。彼女たちの間には、タダで男と寝るのはご法度、
その掟を破ったらリンチと追放が待っているのであった。その住処には、一人の復員兵新
太郎も住み付き、彼は娼婦たちに好かれるのだが…。
戦後の混乱期に、たくましくしたたかに生きる娼婦たちの姿を描く。彼女たちは、鉄の掟を
定めている。金を取らないで男と寝るのは、自分たちのセックスの価値を下げ、商売の邪
魔になるのでご法度だというわけだ。その掟に反した娼婦はリンチを受け、丸坊主にされ
てさらし者になる。彼女たちは文字通り体を張って生き抜いていくのだ。
しかし、そんな彼女たちの心を奪ったのは、一人の復員兵。魅力的な若い男に、娼婦たち
は色めき立つ。面白いのが、一人一人の娼婦にシンボルカラーが与えられ、彼女たちはい
つも色鮮やかなシンボルカラーの衣装を着ているという大胆な表現。彼女たちが一人一人、
新太郎への思いを独白するシーンでは、衣装だけでなく、背景までも、赤や緑、青といった
色に染まり、その印象的なショットがリズミカルに展開するのだ。マヤがその男に惹かれる
のは、ボルネオで戦死した兄のことを思い出させるから。兄の形見の、寄せ書きが書かれ
た日の丸を大事そうに持っているマヤであった。そして、酔っ払いその日の丸を被って歌い
踊る新太郎。日の丸が、新太郎とマヤとの接点になるのである。
この映画では、国旗、ひいては国家というものが非常に重要な要素を語っている。
冒頭とラストには、高い位置に掲げられたアメリカの国旗が登場する。回想シーンで、娼婦
になる前のマヤはアメリカ兵に犯され、黒人の牧師に助けられる。しかし、娼婦として町に
立ち客引きをするマヤを偶然その黒人牧師が見てしまい、こんなことをしてはいけないと彼
女を諭す。マヤは牧師を犯してしまい、純潔を破られてしまった彼は自殺してしまうのだった。
アメリカと、キリスト教に対する複雑な思いが描かれる印象的なエピソードだ。パンパンとし
てアメリカ兵に金で買われるマヤを救おうとしたのも、同じアメリカ人の神父だったのだが、
そんな彼を死に追いやってしまう矛盾。
詐欺を行い追われる新太郎と、マヤは東京から逃げ出そうとするが、マヤは新太郎と寝た
ことが娼婦たちにばれてしまい、縛り上げられて凄まじいリンチを受ける。その間に橋の上
で彼女を待っていた新太郎は殺されて川に落ち、マヤの兄の形見の日の丸が川に浮かぶ
のであった…。川に打ち捨てられた死体と日の丸。高々と掲げられた星条旗が、非常に対
照的だ。
もうひとつのテーマは、この戦後の混乱期を生き抜いていくことと、愛は両立しえるのか、
ということ。娼婦たちの中に、お町という女性がいた。他のパンパンたちと違って彼女は派
手な色の衣装ではなく上品な着物を着ているため、「上品ぶっている」と罵られる。彼女も
金を取らないで男と寝たため、リンチされるのだが、体中をあざだらけにしながらも「あなた
たちには、人を愛するという気持ちはわからないでしょうね」と勝ち誇ったように艶然と微笑
むのである。新入りのマヤは、ほかの娼婦たちの顔色を窺ってお町を殴りつけるのだが、
その言葉が胸に刻まれたに違いない。やがて彼女も本当に人を愛することを知り、同じよう
にリンチされながらも、愛の勝利者となるのであった。
非常にユニークなのが、娼婦たちの住処となる地下室のある廃屋。高低差があるので、立
体的な構図が実現し、さらに梁にリンチされる娼婦が吊るされたり、生活ゾーンに下りてい
く階段を牛(!)が降りていったりするなど、建築的なアプローチのある絵面となっている。
横たわる新太郎を、それぞれ原色の衣装を身にまとった娼婦たちが取り囲むように立って
いる構図は、息を呑むほどカッコいいのだ。
地下室だけでなく、新太郎が落下してしまう橋と川、娼婦たちが客引きをする町並みなども
非常に立体的に描かれているし、ガラスに映った像のような新太郎の姿がオーバーラップ
する場面など、映像表現が実に凝っている。娼婦たちの思いが、あるときは色鮮やかにス
パークし、あるときは別の女の背中に残像のように映り、激動の時代の、激しい生き方をス
クリーンに刻みつけるのであった。