ルキノ・ヴィスコンティへの手紙

 

拝啓 ルキノ・ヴィスコンティ様

 

 私がはじめてあなたの映画を観たのは、あなたが亡くなって10年以上経った1988年のことでした。たまたま手にした「外国映画ベスト100」という文庫本の中で紹介されていた「地獄に堕ちた勇者ども」の紹介を見て、レンタルビデオ店から借りてきたのが始まりでした。

 その頃の私は、映画好きとは名乗っていたものの、年間10数本観る程度の人間だったのに、すぐにあなたの映画の美しき世界に引きずり込まれてしまい、すっかり映画に耽溺してしまったのです。あなたの作品との出会いがなければ、違った人生を歩んでいたのではないか、そう思うのです。

 「地獄に堕ちた勇者ども」を観て、これこそが、私が求めていた世界、私が観たかった映画だったと思いました。頭を殴られたような衝撃がそこにはありました。広くてがらんとした屋敷の中に、そっけなくうち捨てられたかのように豪奢な調度品が放置されているのは、貴族の家に生まれ子供のときからスカラ座のボックス席を指定席にしていたあなたならではの贅沢さであり、私のように東洋の片隅で育った人間には窺い知ることの出来ない高みに達した美意識を感じます。鉄鋼王の一族の食卓での、家族団欒の温かさが微塵もなく冷え冷えとした空気。その、底知れぬ暗い欲望が蠢くデカダンスの深い森に心を奪われました。ここには、人間のありとあらゆる欲望がぽっかりと穴をあけ、すべてを呑み込んでいきます。その毒々しい輪舞の鮮やかなことよ!

 何よりもあなたの映画が、誰も達することの出来ない高みにそびえ立っている理由は、「美」の持つ恐ろしさに心を震えさせてくれるからです。「地獄に堕ちた勇者ども」で描かれたナチズムは、グロテスクなまでに美しいのです。その美の化身たるマーチンを演じたヘルムート・バーガー。ここでの彼ほどの美しい生き物を私は知りません。ロケ現場を覗きに来ていた彼を抜擢したあなたの目の確かさには平伏すしかありません。冒頭のマレーネ・ディートリッヒの扮装の倒錯的な艶姿から、ラストのナチスの制服を着た麗しき悪魔まで変化してみせるまで彼が見せるそれぞれの顔には、ただただ陶酔するのみです。ナチズムは、アーリア民族の優位性、美しさ、完璧さを謳った思想であり、そしてその美しさに魂を奪われているうちに、本当に魂が奪われて、破滅へと突き進んでしまうものであるということを、この言葉を失うばかりのヘルムート・バーガーの歪んだ美が教えてくれます。

 この身震いするような恐ろしさゆえに、私は美しいものを愛します。しかしながら、美によってもたらされるかもしれない災厄を知らしめてくださったあなたには、深く感謝します。

 あなたは、「今の若い人たちに戦争の恐ろしさを知ってもらうために、この映画はもっと早く作るべきであった」と語りましたね。その言葉を、今こそ、若い人たちに伝え、この映画を観てもらわなければなりません。あなたがこの世を去ってから四半世紀が経ちました。でも、世界は少しも変わっていません。アメリカでは、信じがたいほど多くの民間人が殺されるというテロ事件が起こり、アメリカ全体が復讐の炎となって燃えています。しかし、この炎は、フリードリッヒに父親を殺された真っ直ぐな青年ギュンターが憎しみを募らせるあまり、ナチズムに取り込まれる姿に瓜二つです。美しき自由の国であったはずのアメリカでは、いまやブッシュ大統領の批判も許されませんし、平和を歌う音楽をラジオでかけることもできません。アメリカに住むアラブ民族は迫害され、次々と国外脱出しているとのことです。ユダヤ人の票を取り込むために親イスラエル政策を採ったブッシュのもたらしたことが、ナチスドイツに似てきているというのはなんという皮肉でしょう。あなたの発した警告は、今でも生きています。貴族階級の生まれでありながら、ファシズムと戦ったあなたのような人間が、今こそ 求められています。

 一本の映画を観ることが、かくのごとく世界について、生きることについて、美について教えてくれるとは。10代のうちに「地獄に堕ちた勇者ども」に出会うことができて、私は幸せだったと思います。これは、私の生涯の一本の映画です。この拙文を書くために、「地獄に堕ちた勇者ども」を再見しましたが、見終わった瞬間、もう一度ビデオを巻き戻して最初から見直したい激しい欲望にかられました。何回観ても、新しい発見があります。そして、限りない美と恐怖と頽廃に彩られた官能の瞬間にいつまでも身を委ねたくなるのです。

 映画の素晴らしさを教えてくれたあなたに出会えて、本当に幸せでした。

 

                                かしこ

初出:DAY FOR NIGHT - 映画館主Fのネット映画館
映画監督への手紙 特集より
http://www.hoops.ne.jp/~shinichifuma/letter.html