Diary Backnumber 32


2003年5月31日

おいビルマの軍事政権は一体何をやってるんだ(asahi.comより)。

東南アジアの指導者達はよく欧米政府とか人権団体とかの指摘に対して「アジアにはアジアの人権のあり方がある」っていう言い方をする。けど、インドネシアでの一件(これその後が報道されないけど、どうなってる?)といい、その「アジアの人権」っていうのは、つまりこんなもんなの?


2003年5月20日

インドネシアでまた戦争らしい(asahi.comより)...。

確か東ティモールが独立する時も、住民投票で総意として「独立」が選択されたのに対して、インドネシア政府は国軍とその意を受けた「民兵」とかいう組織を動員して東ティモールを破壊し尽くして逃げたんだっけ。そのことを思い出す。

こないだのイラク戦争の時も、アメリカが仕掛けた戦争によってイラクの人々が犠牲になることと、一方で独裁政権が続くことによって犠牲になる人々と...とか問題はすごく深いところで色々あったんだけど、個人的な意見をいうと、イラク戦争の時に「反戦」って答えを出した人、実際そういう行動に出た人は、今回のこのインドネシアで起きていることにも注目するべきだと思う。っていうか、事がアメリカとイラクの間で起きたことならば注目も批判もするのに、「イラク政府が自国民に対してしたこと」とか、「インドネシア政府が独立を望む自国民に対してやってること」に対してはそうじゃないっていうのは、そりゃダブルスタンダードだ。


2003年5月15日

先週末に開催されたCARTのドイツ戦でのこと。2001年の9月に開催された第1回大会、最後の13周を残してあの大事故に見舞われたアレックス・ザナルディが、ハンド・コントロールで運転できるように改造したチャンプカーで、その最後の13周を走り切った(cart.comより。英語(^^;)そうです。記事にあるラップタイムを見て、ムービー(記事の右上の「VIDEO HIGHLIGHTS」参照)を見ると、結構普通にレーシングスピードで走っちゃってる。それこそこのまんま復帰できちゃうんじゃないかと思わせるんだけれども...残念ながらというか、プロドライバーとして走ることはもうない(crash.ne.jp)そうだけど。近いうち、何かもてぎでのホンダのイベントにでも来てもらえないだろうか...って、「(この1年半で)一番スピードを出したのは自家用車でだったことを考えると」ってあんた...おい(^^;。


2003年5月6日

えーと掲示板すらほったらかしにしてますがいちおー生きてます(^^;。連休中は人間こんなに寝てられるもんかと思うほど寝てました(^^;。

んで、ちょっと風化気味ですけど連休入りの頃に気になったニュース。夏の電力消費のピークは、家でクーラーつけて高校野球見てるせいじゃないらしい(asahi.comより)とゆー。むしろ逆で、その時期は家庭での電力消費は谷底だと。

何かどっかの環境保護関連の文章で「個人がいくら環境対策を頑張っても、それで浮いた分の何倍もを企業が無駄に使ってしまう」みたいな話っていうのを見たことがあるけど、何かそのサンプルみたいな話だな。しかも、家庭で省エネとか節電とかをやる前提としては、メーカーがエネルギー効率に優れた商品作ってくれないことには話にならないんだよね。


2003年4月30日

つい11日前に加藤大治郎を失ったばかり、そして、ちょうど日本からF1へ巣立っていった一人、ローランド・ラッツェンバーガーを失ってから9年になる今日、ニュージーランドの英雄であり、スバル・ラリーチームが誇る英雄でもあったポッサム・ボーンが亡くなられました。(SUBARU モータースポーツ公式サイトより)。

そういえば、スバルがWRCに本格参戦を始めて...主力マシンをレガシィから初代インプレッサに切り替えた直後ぐらい。転戦スケジュールと車両のローテーションの関係だかでまだアジア・オセアニア地域のイベントをレガシィで戦っていたその頃。ニュージーランドだかオーストラリアだかで、かのマルク・アレンにもコリン・マクレーにも叶えることの出来なかった、レガシィでのWRC初優勝を成し遂げたのがポッサムだったはず。そしてあの時、確かまだナビゲーターは故ロジャー・フリースでした。

そして確かあの頃のアジ・パシでは、三菱ギャランを駆る「クロコダイル・ダンディー」ロス・ダンカートンとポッサムが毎度のように熱戦を繰り広げていた。今のWRCでのスバルや三菱の成功の基礎っていうのは、あの当時彼らが激戦を繰り広げて積み上げてきたものでもあった。一方の雄ダンカートンは数年前に無事に競技生活を全うしたんだけれども...残念でならない。ポッサムのご家族と関係者の皆さんにお悔やみ申し上げます。

ポッサム・ボーンの公式サイト(英語)


2003年4月26日

この週末のフォーミュラニッポン美祢ラウンド。本山がどうしても勝ちたい(トーチュウF1 EXPRESSより)っていうのは理解出来る。その願いが叶うことを願うし、本山なら出来る、とも思う。

けど、本山がやらなきゃいけない一番大切なことっていうのは、大ちゃんの2人の子供が大きくなった時に、2人のパパがどれほど偉大なスゴいヤツだったかっていうことを伝えることだと思う。それが出来るのは、大ちゃんがモータースポーツのキャリアを踏み出した最初の瞬間から共に歩んできた本山しかいないと思うから。


2003年4月19日その2。

WGPオフィシャルドクターとして知られるクラウディオ・コスタ博士の公式サイトニュースページによると「我々の若き日本人は、もし天使の声に耳を傾け、この世界に別れを告げて光の谷へ立ち入ることを選ぶとすれば、それをすることが人々にとって最も象徴的である復活祭の夜を選んだ」と・・・。

大ちゃんの家族や友人、すべての関係者の皆さんに、心からお悔やみを申し上げます。そして、愛すべきワールドチャンピオンのことを、ずっと心に刻んでおきます。


2003年4月19日

大ちゃんが依然として意識不明状態の中、今度はアジア・パシフィックラリー選手権の帝王であり、日本でもスバルでの活躍で知られるあのポッサム・ボーンが地元ニュージーランドでの事故で重体(トーチュウF1 EXPRESSより)との報が...。

そういえばポッサム、数年前にはナビゲーターのロジャー・フリースを事故で失う悲劇に見舞われて、一度は引退すら考えたものの、「彼のためにもラリーを続けて欲しい」という遺族の意向もあって現役生活を続ける道を選んだという記憶が。ともかく回復を祈る、としか言えない...。


2003年4月12日

さて明日は統一地方選一本目で...東京だと都知事選ですけど、何ていうか、平時にやたらと有事、それも災害とかじゃなくてもっぱら戦争の話を持ち出すのは、たとえ首都とはいえ地方自治体の長の仕事ではないと思う。

で、そうならそうで今度、いざ「有事」ってなった時にやたらと相手を挑発してコトをややこしくするのも、多分また地方自治体の長としてはおそらく不適切なのと違うか、とか一応意見を述べておいたり(爆)。


2003年4月6日その2。

なあ大ちゃん。富士のフォーミュラ・ニッポンでは本山が勝ったよ...。

正直、レースを終えたあとで、幼馴染みっていうか弟分っていうか、そんなホントに親しい大ちゃんの事故を知らされて涙を流しながら優勝記者会見に臨んだ(トーチュウF1 EXPRESSより)本山の心中を思うと言葉もない。そして、記事にもあるとおりで、本山の親友である服部尚貴選手をはじめ、本山つながりでフォーミュラニッポンのドライバーにも大ちゃんの知人は多いんですよね。武田雄一選手は2輪で思うようなシートを獲得できない状況で、本山と大ちゃんの支援で4輪に移ってきたんだったし。で、星野監督は4輪で帝王として君臨する前は2輪のレーサーだった。

そういえば去年のもてぎで、レーススケジュールが全て終わったあと、夕陽が射しはじめた空に救急ヘリが飛び去っていくのを見て、何となくホッとした、あの時のことを思い出した。そう。今日みたいにレース中に出番があるような事なんて...。でも、今は、彼らの仕事が成果を結んでくれることを願うしかない。


2003年4月6日

この週末に鈴鹿で開催されていたWGP開幕戦、Moto-GPクラス(旧GP500。4st990cc化に伴い去年から名称変更)3周目のシケインで発生した事故で、加藤大治郎選手が意識不明の重体である(トーチュウF1 EXPRESSより)とのこと。今はただ、ケビン・マギーや、あるいはハッキネンやヴェンドリンガーみたく、また元気な姿を見せてくれることを願うだけ。


2003年4月1日

もう日付変わって2日になってる(今0:54ぐらい)からどっちみちアレだけど、エイプリルフールネタをウチでやろうと思わない...のは去年も書いたし...っていうか、うかつなこと書いて後始末に追われるのってめんどくさいし(爆)。のみならず、正直郵政公社スタートとかさいたま市政令指定都市化とか(いずれもasahi.comより)、リアルの本来大真面目なニュースのほうがよっぽどいっそエイプリルフールネタだと思いたいぐらいだし(爆)。そのために一体いくら税金使われたか、そして今後どれぐらい掛かるか、っていうのを考えたらね。で、それだけ手を加えた割に合うだけ効率化とかサービス向上とか出来るかっていえば...正直私はあんま期待してない。むしろ切り捨てられちゃって困る人が出るほうを心配する。

んで、それはともかくとしてのエイプリルフール企画なんですが...椎名へきる関連の非公式ニュースサイトとして定評のあるHequilers.comこーゆーのをやって...一部で本気にした人がいて少なからず波紋を投げかけたらしいわけですが(苦笑)。それとも最初っから「んなわきゃねーやヽ( ´ー`)ノ」と思うほうが純真さを失ってしまってるんだか分かんないですけど(苦笑)。

ただね、最初に一発笑ったあとで、でも台湾なんかは現地でCD出てる(ただし一説にはSMEはまるっきり関知してないともいうので、日本国内で買ったり日本に持ち込んで合法かは知らない(^^;)ぐらいだし、日本国内のそれに匹敵するぐらい凄い内容充実のファンページを作ったり、ライブ会場に花を贈ったりする熱心なファンの人も居たりするし...確かNewtypeとかもあっちで出てるんだよね。アニメ系のイベントで七瀬葵先生呼んだらすごいお客さん来たっていう話も聞いたし。だから台湾に関しては案外興行として成立しちゃうかもしれないとかも思った(笑)。

あと...今はもう無いけど、確か、まだJFN系でへきる以外にも積極的に声優系パーソナリティを起用してたぐらいの時期だから、多分97〜98年頃だけど、香港の人で結構本格的な声優サイトを運営してた人がいたのを思い出した。そういうのを考えると、へきるじゃないとしても、誰かが向こうでライブやるって言い出しても驚かないな(笑)。


2003年3月28日

中国製ミサイルらしい(YOMIURI ONLINEより)そうですね。<クウェートを攻撃したミサイル。「新兵器の実験場」だとか「兵器在庫処分セール」だとかいうのは、何もアメリカに限った話じゃなさそう。非難されるならこの戦争に関わる全ての国が非難されるべきだし、抗議行動もその全ての国に対してされるべきだ。


2003年3月19日、っていうか20日午前0時頃。

あと10時間ぐらいなんだっけ?<タイムリミット。

戦争を回避するためのボールのひとつを持っているのはもちろんジョージ・ブッシュJr.だけど、もうひとつはサダム・フセインの手元にある。そのことも忘れてはいけない。彼の国で絶対的権力を誇る君主が、まだ「民を守るためなら私はこの国を離れる」と言うことができる可能性はまだ残ってる。もしもそうしてくれるなら私はアンタを英雄と呼ぶよ。まあ、普通に考えれば、彼がそういう判断の出来る人物だったら、そもそもここまで事は深刻になっていなかっただろうけれども。


2003年3月16日その2。

なんか「とりあえず」ですら話がまとまらないな...。

原爆の犠牲になった人達も、9月11日のテロで犠牲になった人達も、これからもし対イラク開戦ってなった時に犠牲になる人達も、1人1人それぞれの命の重さとか人としての尊厳とかは同じだと思う。

そうだとして...イラクだけじゃない、世界中で、これまで圧政の下で失われてきた人命とか、今危険にさらされている人命とか、それもみんな同じだけの重さの命なんだよ。

犠牲をゼロにするっていうのがどうしても無理な話だとしたら、「最低限」っていうんならどうしたらいいんだろうと。で、そこで答えが「目の前で起きるかもしれない争いをとにかく止めること」じゃないかもしれないし。どうであれ、最初に「考える」っていうのは必要だろ、ってだけ言っとくか。


2003年3月16日

何ていうか、「中間派頑張れ〜」っていう感じ<イラク情勢

アメリカの、というかジョージ・ブッシュJr.の出方が横暴すぎるっていうのはやっぱり思う。けど、一方で、おそらくは世界一明確に「平和」へのビジョンを持っているであろうドイツ以外の主要大国を見ると、「国家的武器商人揃い踏み」の「自称戦争反対派」の顔触れにも、やっぱり不信感をぬぐえない。彼らの目的は真の平和じゃなくて、「お得意様支援キャンペーン」なのかもしれないと。少なくとも彼らの売った武器が、湾岸戦争では多国籍軍に対して(そして皮肉なことに、それを組織した国のひとつは武器を売った張本人だった)火を噴いたし、独裁者が自国民や少数民族を抑圧するための道具にも使われた。今回「平和解決」を言い出すなら、それまでの行動への説明が必要でしょ。「理屈」を重んじる国ならなおのこと。

そして、世界に広がってる、日本でもすごく盛り上がりを見せてる「反戦運動」っていうものにも、もちろん同意する部分だってあるけど、疑問に感じる部分もある。ひとつはやっぱり、「一方の当事者(=つまりはアメリカ)」だけを標的にしたものであること。なんか「10月からアメリカ大使館前で抗議行動をしてる」っていう人が居るそうだけど、それじゃイラク大使館の前には行かなくてもいいの?っていうのを割と素で疑問に思うし。「バグダッドへ人間の盾になりに行く」っていう行為にしても、やっぱりそういう意味ですごく極端過ぎる行為だと思うし。それが向こうに都合よく利用される可能性っていうのをどう考えるかと。

っていうか、「目に見える戦争がなければ平和」って考えるのはすごく違うと思うんだよ。もし今回、ここで戦争を回避できたとして、彼の地で抑圧の下で死を待つしかない人達の運命っていう問題をそのまま先送りすることにしかならない。その問題をどう解決するかについて「戦争以外の答え」っていうのを提示できないままの「反戦」っていうのは、実はすごく無責任な行為なんじゃないかと思う。それは「武力こそが、アメリカ式民主主義こそが全てを解決する」っていう戦争大好きお坊ちゃん、ブッシュJr.のやり方と、立場がちょうど反対側なだけで、ものすごくよく似てるんじゃないかなと。

原爆投下の歴史的評価として、アメリカなんかだと「原爆投下が戦争の終結を早めた」っていう考え方も結構有力じゃないですか。そう言われるのは私もやっぱり生理的にダメなんだけど、でも一方で、それが無かったら、果たして当時の日本は戦争止める気になったんだろうか。そして、もしあのまま戦争が続いていたら、その先に何が起こっていたのか、っていうのも思ってしまう。それでどう、っていう答えは出しようがないんだけど。

確か湾岸戦争の時、フセインに戦争続行を諦めさせた理由の一つっていうのは、後にアフガニスタンでテロリストの潜む洞窟を片っ端から吹き飛ばすのに使われた、「バンカーバスター」って言われる爆弾の原型みたいなものが、フセインが避難先として用意していた、とてつもなく頑丈なはずの地下シェルターのひとつを破壊することに成功したから、とかいう話も聞いたことがある。そんな途方もない武器を作っちゃう方も恐ろしいんだけど、逆にそうまでされないと、自国民がどれほど犠牲になろうと、自分自身の身に危険が及ぶ状況になった瞬間に態度が変わる側っていうのもさぁ...と思うし。そういう色々を思っちゃうと、「どっち」って簡単に答えは出せない。


2003年3月12日

へきたん誕生日おめでと〜(((( *≧∇)ノノノ(爆)

んで、さてと週末になると多分またバタバタするんでTZR号のマスターシリンダーの状態でもネタバレしとこ(爆)。

↑こんなです。

当初の予定では手前のカット部はトップブリッジ後ろ側のラインとピッタリ合う予定だったんですけど、細かいレイアウトを詰めてるうちに微妙にズレちゃった(^^;。

ちなみにこのブラケット、手前のネジ(「ウェルナット」っていう、カウルの固定とかに使われるゴムナットを使って、元々ハンドルの位置決めボルトが入ってた穴に締めてあります)はあくまで脱落防止用で、基本的な固定方法は2液エポキシ接着剤を使っての接着固定だったりします。

「接着」とかいうといかにも何かお手軽な感じですけど、意外とこれでちゃんと固定できるというか、それこそマツダ767系のアルミハニカム&カーボン混成モノコックとかルマン仕様NSXのモノコックとカーボン製センターセクションとかっていうのも、補助的にリベットを使うにはしても、基本的には似たような接着剤(おそらくは向こうのほうが強度とか耐久性の優れる高級なものだろうけど)を使ってくっつけてたんです。アルミハニカムモノコックの組み立てとかも基本的にはそんな感じ。なので。さほど力がかかるわけではない部分の固定なんて大体こんなもんで充分かなと。いや、少なくとも現状は、もしコケたりしてステーが破損するとして、接着が剥がれるより前にカーボン板そのものが割れそうなぐらい(笑)。

しいて言うと三角形のステーの左側のところに、ダミーのボルトトップとか貼り付けといた方がまともそうに見えるかな(笑)。まあ何にせよ、機能的にはこれでおおかた充分な感じ。まあ、まだブレーキランプの配線作ってないから公道は走れないんだけど(^^;。


2003年3月11日

まずは偉大なるサー・バリー・シーンに合掌(Yahoo! sportsより)。

バリー・シーンっていうと私なんかの世代だと、「往年の偉大なチャンピオン」で、2輪・4輪レースでのピットレポーターやコメンテイターとしての楽しいエピソード(なんかベルガーあたりと吊るんで色々悪さしてたらしいとか何とか(^^;)とかそういうイメージが強いけど、偉大なるチャンピオンにして、いくつもの大事故を乗り越えた「不死身の男」。そして偉大なるスーパーエンターティナー。モータースポーツが幸せだった時代の生き証人が、また一人居なくなってしまった。

そういえばバリー・シーンって言われて印象に残ってることがひとつ。いつだったかのTBC杯ビッグロードレース(90年代初頭まで、2輪ロードレースのシーズン締めくくりのお祭りレースとして秋の菅生で開催されたイベント。TV中継あり、高額賞金あり、海外著名ライダー呼びまくりの豪華レース)で、確かあれは88年か89年あたり、雨の中で平さんが独走優勝した時あたりだと思うけど、解説の人(金谷秀夫さんあたりかな?)が「いや〜まだ分かりませんよ。以前バリー・シーンが最終ラップの最終コーナーで転倒というのがありますからねー(^^;」とか言ってた(笑)。笑っちゃうエピソードな一方で、極東のお祭りレースにわざわざ来て、後続ぶっちぎってるのにコケるまで攻めちゃうっていうのも、きっと当時(多分70年代末〜80年代初頭ぐらいの話)のモータースポーツファンにとってはある意味すごく嬉しい思い出だったんじゃないだろうかと、ふとそんなことを思った。そういえば86年のTBCでは、平さんとの大バトルに負けたエディー・ローソンは、かなり素で悔しがってたんだそうな。

んで、さてと明日はSHIBUYA-AXで椎名へきるバースデイライブなわけですが、当初は仕事終わってから渋谷へ向かう予定だったんですが有給が取れたりした(笑)。ってことで明日は割とのーんびり会場入りできそうな感じ。


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