宣教戦略シンクタンク「RACネットワーク」福田充男
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第8章/第9章/第10章/付録/後注]
神は動き回っておられます!イエス様は言われました。「目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈りいれるばかりになっています」(ヨハネ4 :35)。
私たちは収穫のためにコンバインを用意しなければいけません!
3年前、私たちは数年ぶりにイギリスに帰りました。私たちはイギリスに滞在中、聖霊による2度目の力強いムーブメントの一端を担う特権にあずかる、 ということを神からはっきりと示されました。私たちは1960年代、70年代に、神がイギリスにおいて驚くべき仕方で働かれるのを見ました。 人々がもっと主を体験したいと飢え渇いていたので、教会がイギリス全土において、自然発生的に、家々で開拓されていきました。その働きの中から、「ハウスチャーチムーブメント」として知られるものが生まれました。 今ではこれらの教会に、イギリスにおける福音的なクリスチャンの約3分の1が集っています。現在『ニュー・チャーチーズ(New Churches )』として知られるこれらの教会は、しばしば町の中で最も大きな教会となっています。すべての小さな村や村落に一つ(あるいはそれ以上の)このような教会があります。 しかし、それらの教会の影響力は、その数以上に大きな広がりを見せています。
何年かの間、私たちはもう一度このような聖霊によるムーブメントの一端を担うことができますようにと祈っていました。私たちの願いは、これが「小さき者」による草の根のムーブメントになることでした。 そこにはスーパースターはおらず、だれかの帝国を建設するのでもなく、聖霊が支配され、イエス様のみが高く上げられ、すべての栄光が彼に帰せられるのです!
2000年9月、私たちはインドで教会開拓に関するカンファレンスを行いました。それまでに何度も使っていた資料をもとに教えていたのですが、神は私たちに、考え方においてパラダイム・シフトをするようにと迫られました。 教会を急激に開拓することができるということを、単に口先で言うのではなく、心から信じました。それはおそらく、神がインドでなしておられる驚くべきことをそのカンファレンスで聞いていたからだったでしょう。 ある教会開拓者は、2007年までにインド中部のすべての村に家の教会を開拓するというビジョンを抱いていると私たちに語ってくれました。村の数は、わずか1万7000です!。 これをアメリカに置き換えるなら、すべての団地、近所、学校、老人ホーム、ビジネス街、病院、工場において教会を生み出すということです!。そして私たちは、もし家の教会のどれか一つが一年に一度「増殖」するなら、よくやっていると思っていたのです。
このときから、多くのことが起こりました。カンファレンスに参加した人たちからの話を通して、私たちはへりくだらされ、また祝福されました。私たちがアメリカに戻ってから2週間のうちに、複数の教会が始まったという報告を受けました。 ある女性は若者たちのチームと共に、わずか2週間のうちに4つ、または5つの教会を周辺の村々に開拓しました。別の若い男性は、そのセミナーから1ヵ月も経たないうちに、彼が属しているジプシーの人々の中で2つの教会を始めました。
これらのことやその他の報告を聞いて、私たちも言い訳することはできないと決意しました!。そこで去年、私たちは思い切って出て行き、多くの教会を開拓しました。よく言っても未熟な教会ですが、しかし少なくともそれらの教会は開拓されたのです!
2、3の例を挙げてみましょう。私たちが開拓を手助けした教会のうち最もワクワクする教会の一つは、ある低所得者向け住宅における働きで、それは私たちの教会が数ヵ月間祈っていたことでした(「主よ、私たちを素敵な、白人たちの、中流階級の教会から解放してください!」。私たちはインドで人々に教えた、ルカ10章に記されている原則に従うことにしました。 私たちは具体的に「平安の子」を見つけることができるように祈りました。ある日、団地でプレヤーウォーキングをしていたとき、突然、土砂降りの雨が降ってきました。そこで屋根の下で雨宿りをすることにしましたが、そのとき、その住宅地に住んでいた二人の女性と会いました。 私たちは彼女たちに自分たちが何をしているか話しました。すると、彼女たちはその地域で起きているいくつかの問題について一緒に祈ってほしいと私たちを招いてくれました。何週間か後に、二人とも主を信じました!その二人は姉妹でしたが、姉のリリーは彼女の家族と私たちと共に毎週集まるようになりました。 これこそ、「ふたりでも三人でも」キリストの御名において共に集まる(マタイ18:20)という教会の最も単純な定義ではないでしょうか。そして数ヵ月のうちに、リリーのアパートに30人から40人の人々が毎週集まり、今ではその最初のグループからもう一つ新しいグループが始まりました。
教会は非常に速いペースで増殖することができます。最近、二組の夫婦が私たちを驚かせました!。一組の夫婦は、彼らの地域にいる中学生たちのために間もなく教会を始めると発表しました。 もう一組の夫婦は、まだ教会に参加するようになって1ヵ月しか経っていませんが、自分たちの家で教会を始めるために今属している教会を離れる予定でいることを私たちに知らせてくれました。すごいです!主が人々の心に教会を始めるという思いを与えてくださるとき、私たちが想像するよりもずっと速い仕方で教会の開拓がなされていきます。
アメリカ中にいる、私たちと似たようなことをしている人々から、私たちは毎日のように電話やE メールをもらっています!。ここオースティン市でも、私たちがまだ聞いたことのない様々なグループが、どこからともなく、新しく起こされています。より伝統的な教会からも関心が寄せられてきています。 神は家の教会が示しているものを見るようにと、ご自身の民にチャレンジを与えておられます。それは1960年代初頭に主がイギリスにおいて力強く働かれたときと非常に似ています。この働きは、伝統的な状況にいる人たちも、すでに教会開拓の新しいパラダイムに移行している人たちも、両方を必要としています。
たちは海で泳ぐことが大好きです。ボディー・サーフィンをするとき、「あなた向けの」波が来るまで立って待ちます。ほどよい場所で待ち、ほどよい大きさの波がはじけたその時に、波に乗り、波の勢いがあなたを岸にまで運んでくれるまで、力一杯キックします。私たち向けの波はそこまで来ています。 私たちはほどよい場所にいて、波はまさにはじけています。そしてこの聖霊の波は、勢いを増しています。では、この現在進行中のドラマが、私たちが大学生であった60年代後半から70年代の前半にかけてどのようにして始まったか、分かち合いたいと思います。
私たちはイギリス・ロンドンにあるバーツ病院の医学部の学生だったのですが、聖霊の力強い働きの一端を担う特権に預かりました。今振り返れば、真実のリバイバルであったと言うことができますが、その当時は何が起きているのか分かりませんでした。 しかし私たちにとって非常に小さな働きに思えたものが、医療に従事する人たちも、そうでない人たちも含めて、文字どおり数千人の人たちの人生に触れるものとなりました。この本は、ある面では、その当時のリバイバルの源を理解するためのものです。 なぜあれほどまでに長い期間、人々の生活において有意義な変化をもたらしたのか、解き明かしたいと思います。
振り返ってみると、その当時一緒に学んだ多くの原則は、今の教会生活においても適用できるということに気づきました。私たちは若い学生たちの集まりでした。自分たちが何をやっているか、どこに向かって進んでいるかほとんど分かりませんでした。 しかし、聖霊が何かすばらしい、ワクワクすることをしておられることは知っていましたし、聖霊が導かれるところに従っていく準備ができていました。
今私たちは、アメリカや世界中で起きていることの中に、似たようなワクワクしたものがあることを感じています。最近連絡をとったイギリスの友人の話や、世界の様々なところで神がなされている良いみわざを見る機会がますます増えていることを通して、私たちは教会の将来に大きな希望を抱いています。
私たちが歴史から学ぶことのできる一つのことは、私たちが歴史から何も学んでいないということである、と言われてきました。悲しいことに、このような循環はしばしばクリスチャンたちの間でも見られます。 リバイバルについて学ぶとき、先の聖霊の働きによって生まれたグループが、その後に起こる聖霊の働きの妨げになるという事実を発見することは稀なことではありません。 アメリカにおいて、今、教会開拓に対する関心が高まっています。私たちは新しいモデルが探求される中、聖霊がご自身の方法でこの国全体に多くの教会を増え広がせようとされるときに、先のすばらしい教会開拓の波を通して始まった教会が、現在出現している新しい教会の妨げとならないことを祈っています。
イギリス社会は今、ポスト・キリスト教文化と見なされています。このことは、過去20年間にわたる教会内でのリバイバルが、今のところは、ただ神の民の間における偉大な出来事となっているにすぎないことを示しています。 多くの人々が主を見出し、彼らの生活は変えられましたが、社会自体は、まだきちんと立ち上がって、そのことに気づくというところまで導かれていないのです。リバイバルを求めて多くの祈りが積まれてきましたが、西洋においては、私たちはまだ祈ってきたことが実現しているのを見てはいないのです。
ではあなたはこう言うかもしれません。「60年代後半と70年代にリバイバルがあったというあなたのコメントは、それ以来だれもがリバイバルのために祈ってきたということと矛盾しませんか。」私は全く矛盾していないと思います。 それは神の御国が今ここにあるけれども、まだ来ていない、という神学的な概念に似ています。神は主権のうちに、ご自身の聖霊によって60年代と70年代にみわざをなされ、今日もその実が結ばれています。 生み出された数多くの教会と、変えられた何千人もの人々の生活は、神による真のリバイバルであることを証明しています。しかしこれは、イギリスの福音的なクリスチャンたちが忠実に祈ってきていることの、ほんの前味にしか過ぎないのです。 教会はカリスマ運動と『ニュー・チャーチ・ムーブメント』によって触れられてきたかもしれませんが、社会はまだ有意義な仕方で変えられているのではないのです。それが、私たちがまだ待ち望んでいるリバイバルの段階なのです。
アメリカにおいては、霊的な雰囲気はかなり異なります。文化的には、クリスチャンであることはまだ受け入れられています。しかし実際には、バーナ氏の著書『The Second Coming of the Church (訳注:教会の再臨、の意)』にはっきりと示されているように、クリスチャンと未信者との間にほとんど違いがみうけられません。 ポルノを定期的に見ている人の人数や、離婚してしまう夫婦の割合などにおいて、この世と教会との間にほとんど、あるいは全く違いがないとは悲しいことです。
現在のキリスト教界の雰囲気を、イギリスにおける60年代や70年代当時のものへと変えるにはどうしたらよいでしょうか。自分たちの教会のメンバーだけでなく、すべての福音的な教会のメンバーたちに、神の御国のために堂々と態度をはっきりさせるようにチャレンジする、新しい教会が続々と生み出されていく波が必要です。 現在の教会制度が実際のところは社会に影響を及ぼしていないことを認識した上で、このような変革は、社会自体が神の御国によって深いインパクトを受けるための道を備えることはできないでしょうか。
この状況において、二人のイギリス人医師である私たちは、アメリカにおける教会開拓について人々が理解するために何らかの役に立つことはできるでしょうか。 私たちの経験は非常に限られていますが、私たちは何年もの間、多くの教会が生み出され、それらの教会がその小さなサイズとは釣り合わない大きな影響力を及ぼしてきたことを見る特権に預かりました。 私たちは、アメリカに来てから約14年になります。アメリカに来た初期の頃、私たちはより伝統的なタイプの、4つの異なる教会で教会生活を過ごしました。アメリカの文化とアメリカの教会生活を吸収するためにその時期に体験したことは、この本を書く上で大きな助けとなりました。 4つの教会のうち一番最後に所属した、テキサス州オースティン市にある『ノースウエスト・フェローシップ』において、トレイとメリーアン・ケント牧師夫妻が、オースティン市内の私たちが住んでいた地域においてわたし何かを始めるようにと強く勧めてくれました。 私たちは彼らと共に奉仕し、その教会がとても効果的に新しいクリスチャンを生み出していたのを見る特権に預かりました。その教会が私たちの住んでいたところから離れた、市の反対側の場所へ移ることになったとき、私たち自身で何かを始める時が来たと感じました。
それから2年間、私たちは、お金の扱い方に関する聖書的な原則の大切さを理解するための、ビジネスマン向けのバイブルスタディーのグループを導いてきました。そしてこのグループは、この学びに定期的に参加するすべての未信者の人たちが主を見出すところまで成長しました。 それから私たちは、日曜日の朝に、子ども向けのバイブル・ブレックファスト・クラブを始めました。このグループには私たち自身の子どもたちと、近所にいる彼らの友だちが集まりました。そして、この子たちのほとんどがクリスチャンになりました。 さらにこの子たちの親たちも主を見出しました。そこで私たちはこの両方のグループを集めて、これを「教会」と呼ぶことにしました。私たちの家に収まりきれなくなったとき、他の家々でも集まるように教会を増殖しました。今では、オースティン市の南部全体に、このようなハウスチャーチが約20起こされています。
テキサス州の丘陵地の中心に位置する南オースティンで今起きていることは、アメリカ中に教会を生み出そうとしている聖霊の多くのみわざの一つに過ぎないことを私たちは認識しています。聖霊はこの国の多くの人々に対して、新しいパターンに従う、新しい教会が必要であることを見るように働きかけておられるようです。 「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝える」(マルコ16:15)2という主からの召命を受けていることを、普通の人々が認識しています。聖書には、聖職者と信徒という区別はどこにも記されていません。シナイ山で律法を授けられて以来(出エジプト19:6)、神は祭司の王国が打ち立てられることを望んでおられます。 信徒と有給の働き人、またフルタイムとパートタイムの奉仕者とを区別する聖書的な理由は全くありません。私たちはみな、「神の国とその義とを第一に求める」ように召されています。
教会には見切りをつけたけれども、イエス様には全く従っているというクリスチャンは何千人もいます。この本を出版するにあたっての私たちの願いは、彼らが出て行って教会を始めることを助け、力を与えることです。 これらの教会においては、建物やプログラムや有給の働き人にではなく、「すべてのメンバーが働きをする」ことに焦点が当てられます。 スタッフと建物を維持するという貴重な資源のほとんどを内向きの理由で使う代わりに、教会は自分たちと関わってくれるのかと待ち望んでいるこの世に対する宣教やあわれみの働きのために、同じ資源を用いることができるのです。
[はじめに/第1章/第2章/第3章/第4章/第5章/第6章/第7章/
第8章/第9章/第10章/付録/後注]
©著作権:2002 Tony and Felicity Dale 2006 日本語版発行
発行者:日本バプテスト宣教団(SBC IMB PacRim JO)メディア部
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