それは夏休み最後の日。
 辺りは暗闇に包まれ、静まり返った深夜。
 僕はたった一人で学校に忍び込み、そして屋上の扉の前に立った。
 ドアノブに僕の手が伸びる。
 屋上の扉は僕を拒むことなく開いた。


「あら、来たのね」
 その女性はさも当たり前のように言った。
 屋上の真ん中に立つ女性。そして彼女の周りでゆらゆらと揺れる花々。
 白い花園に立つ儚げな女性がこちらに笑顔を向けた。


 そもそも僕がこの「隠された花園」の噂を聞いたのは入学してから間もない時だった。
 その噂とは、見た者が我を忘れてしまうほどの凄い花園がこの学校に存在するということ。一瞬に
して現れ、そして一瞬にして消える幻のような花園らしい。
 この学校を卒業したオカルト好きの先輩から聞いた話だった。先輩が残していった超常現象研究部
なる怪しげなクラブの部長を引き継いだ僕は、その噂話に迫った。
 粘り強く辺りの生徒に事情を聞いて、それらの断片的な情報を繋ぎ合わせていくと、花園の出現は
夏休み最後の日の深夜、場所は学校の屋上となる。
 僕の夏休みのほとんどは、この最後の夜へと向かうための準備に費やされた。
 でも、そんな周到な準備もこの幻想的な光景の前では無用だと思い知ることになった。


「これはいったい……」
 揺らめく花園に圧倒されて、僕の声は喉の渇きでかすれていた。
「なんだと思う?」
 花園の中心に立つ女性の笑みが悪戯なものに変わっていた。
 僕は改めて、その白い花を見る。
 ぼんやりと地面から三○センチほど上を漂う白い物体。それは……花などではなかった。
 女性は両手を広げて白い物体を差し示して言う。
「これは死んだ人間の魂。全部そう」
 これ全部って……、花園と例えられるほどだから数え切れないほど無数にある。
「魂? そんな馬鹿な」
 超常現象研究部の部長にとって、それはあるまじき言葉。だけどこの異常な現象はすでに僕の理解
の範疇をあっさりと超えてしまっている。
 戸惑う僕に、彼女は淡々と語る。
「夏は色々な人が事故で多く死ぬ。だけど、人生の半ばで死んだ人は、自分がどこへ帰って行くか知
りもしない。ましてやその準備さえできていない。帰るべき場所を知らない魂は、こうやって漂うだ
け……。だから私がこうして、魂の帰還を知らないこの子たちを導くためにここに集めるの。……夏
の最後の日に」
 噂の真実を言い終えた女性の長い髪が風もないのに揺らめいていた。それさえも今は幻想的だ。
「あなたはいったい……何者なんですか?」
「ふふ……なんだと思う?」
 女性に逆に質問されて怖くなった。この女性の真実の姿を知ったら、いったいどうなるのだろう。
「いえ、知らなくていいです」
 そんな気弱な僕に、答えを見せつけるかのように、女性は身を翻して僕に背を見せた。
「さあ、時間よ。みんな」
 彼女は誰に向かって呟いたのだろう。それは訊かずとも明白だ。彼女の周りで揺らめくものが、
まるで身震いするかのように震えているからだ。


 女性は手を空へ向かって差し伸べる。そして呪文のような複雑な言葉を、彼女は紡ぐ。
「還りなさい。空の彼方へ」
 最後に呟いた言葉だけが僕の耳にはっきりと聞こえた。
 白い物体は、ゆっくりと動き始める。上に向かってそれは加速をつけていく。


 無数の白い花びらが風で舞うように……、それは昇っていく昇っていく昇っていく!
 魂の輝きが無数の星に混じり、花火のような幻想的な美しさを描く。
 そして花火が一瞬の美しさを残して消えるように。全ての白い物体は、夜空に吸い込まれるように
消えた。


 一瞬にして現れ、そして一瞬にして消える花園。それは死んだ人の魂が空へ帰る儀式。
 それがこの噂の答えだった。
 だけど、僕には噂の謎はより一層増えただけだった。なにより謎なのは目の前の女性。
 女性は深く息を吐くと、僕のほうに顔を向け……、信じられないことを言い放った。
「来年の夏はよろしくね」
 実にあっさりとした口調だった。もうそれが決定事項だと言わんばかりだ。
 つまり……それは来年、この魂の帰還を僕にやれということなのだろう。
「えっ、どうして僕が!」
「あら、まだ私が誰か分からないの?」
 女性は再び悪戯な笑みを僕に向ける。この笑顔に何もかも騙されそうな感じだ。
「……神名先生」
 その答えはあっさりと僕の口から出た。それを認めたくないからこそ「女性」だとか「彼女」
なんていう言葉で誤魔化していたのだ。
「はい正解」
 目の前に立つ女性は、この学校で評判の美人教師であり、そして……僕が所属する超常現象研
究部の顧問だ。
「来年の夏にも同じことするからね」
 もう神名先生の中では部の行事として決定されているのであろう。
「がんばってね、部長さん」
 引き込まれそうな人懐っこい笑顔に、僕は圧倒されていた。


 夏の最後の日、僕は学校の屋上で神名先生と出会った。
 その出会いは必然か偶然か。僕の意志か、それとも先生の企みか。
 でも、もうそんなことはどうでもいい。
 「よろしくお願いします」
 僕ははっきりと言った。

 来年の夏は……とてもとても忙しくなりそうだ。