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(気がつかなかった……この私が!) 唯我独尊を地で行く美音には翔一の存在を察知できないことが信じられなかった。 「自分だけが『絶対』だと思うと、痛い目にあうよ」 翔一が美音の心を見透かしたように言う。 その言葉に、美音は目をつり上げて憤怒する。 「黙れ」 再び、言霊。誰もが従わざるをえない強制力。 「開放」 だが、同時に翔一も呟く。 何か大きな力が干渉したかのように、部屋に「キン!」と甲高い金属音が響く。 (すごい……) 涼子はあっけに取られていた。動きも何もない静かな戦いだが、とてつもなく大きな力が働いている ことは、はっきりと感じられた。 「え……? 打ち消された?」 美音は何も起きない部屋をきょろきょろと見回して、驚きの声を上げた。 彼女が放った強制力は、ものの見事に翔一の一言で霧散したのだ。それは彼女にとって屈辱的な行為以外 の何物でもない。 そして、その感情は不条理にも怒りへほうへどんどん蓄積されていく。 「このおぉぉぉっ!」 怒りを叫びに変えて、美音は翔一に突っ込んで行った。 「涼子ちゃん」 翔一の目が涼子のほうを向く。今にも襲いかかってくる美音など我関せずといった感じで涼子に語りかける。 「な、なに?」 「君の力、貸してもらうよ」 「え?」 何を言っているのか分からなかった。力を貸すといっても、涼子の力は……。 「鍵」 翔一の、たった一言の詠唱。 その瞬間、涼子には分かってしまった。 彼がなぜこんなに強いのか。 理解した瞬間、彼女に宿っていた影が離れ、翔一のもとに向かった。 (うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉん!!) 獣の咆哮。 それは涼子から無理矢理に引き剥がされて、怒っているかのように聞こえる。 いや、実際に怒っているのだろう。咆哮の主は、本当に涼子から引き剥がされたのだから。 すべては翔一の配下にあった。もう咆哮の主だけの力では彼女の元に戻ることは叶わない。 「私のリュウズが……離れた」 それは初めての体験。彼女に宿った時から片時も離れたことのなかった影が離れた瞬間。 解放的でもあり、同時に心の中に空虚を感じ、恐ろしくもなった。 いったい彼は何なのだ? 涼子は自分自身に問い、そしてほぼ同時に解を見つける。 そうだ。 翔一自身には何の力もない。ただ、「鍵」あるだけだ。 他人の力を強制的にこじ開ける「鍵」だけが。 今まで強かったのは、美音の力を無理矢理こじ開けて、自分のものとしていたからだ。 あらゆる万物の力を借りることができる「鍵」を持つ少年。 それが、瀬野翔一だ。 だけど、どうしてそんな得体の知れないものを彼が身につけているのか。 それを涼子が理解する前に、美音と翔一に宿った影(本来涼子の力)がぶつかる。 再び、物理的な破壊が部屋を揺るがした。 だが、そんな膨大な力の衝突にも関わらず、美音は揺るぎもなく立っていた。 「…………どうやらここまでのようね」 涼子の影の怪物を従えた翔一を前にして、美音は深くため息をついた。 「出直したほうが良さそうね」 実を言うと、美音の諦めのよさは天下一品だった。 勝機がないと悟るや、くるりと翔一らに背を向けて、まだ煙が立ち込める闇へと早々に消えていく。 「気まぐれでよかったね」 構えを解いた翔一が涼子に笑顔を見せた。 「え、な、何なの!」 突然の美音の撤退に事情が呑み込めない涼子は独りうろたえるだけだった。 そんな彼女のそばまで来た翔一は影が宿る右手をそっと差し出す。 「これ、返すよ」 言うなり、涼子が今まで背負ってきた影が再び、凄い勢いで舞い戻ってきた。 「すごいね、この影。……リュウズって言うの?」 翔一は何気なく問うているが、涼子は混乱の極致で、まともに言葉さえ出てこない。 「ま、いいや。それじゃ、明日学校で」 翔一は飄々とそれだけ言うと、美音と同じように消えた。 「何なのよ、いったい……」 大穴が開いた部屋に冷たい風が吹き抜ける。 涼子は腰が抜けたようにへたり込んでいた。 「ああ、今日は……」 大穴から見える月を見て、思う。 今日は眠れそうにないな…… 見当外れな考えだけが頭の中をぐるぐると駆け巡っていた。 そして、翌日。 あんな壮絶なことが起きたのに、このマンションには彼女以外に入居者がいないことが幸いして、 静かな朝を迎えた。 とりあえずぼろぼろになった部屋の惨状は後回し(見ないこと)にして、学校へ行く準備を黙々と進める。 「……私ものんきよね」 自嘲気味に呟く。 尋常じゃないことが起きたというのに、今やっていることが学校へ行く支度とは、本当に 笑ってしまいそうだった。 そして学校。 現実逃避の手段として学校に来たが、そこに元凶の少年も通っていることを、それはもう見事に すっかり失念していた。 「おはよう」 教室には彼がいた。瀬野翔一が。 そして、昨日の出来事などなかったかのように、当り前に挨拶してくる。 「おはよう」 なんとか冷静を装って挨拶は返すことができた涼子だったが、すぐに立ち尽くすことになった。 「おっはよ! 涼子ちゃん」 そんな明るい声に、涼子は持っていた鞄を…………落とした。 「……うそ」 涼子の頬が、ひくひくと引きつり始めた。 ……教室の一番後ろ。 …………窓際の席で。 ………………涼子と同じ制服に身を包んで。 神名美音が微笑んでいた。 涼子編その5 <了> |