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それは予兆だったのかも知れない。 彼の前におぼろげな姿の女性が立っていた。周りは夜だというのに、まるで炎が取り巻いている ように朱色に明るい。 女性は笑っていた。 なぜ、笑う? そう女性に問いかけ、おぼろげな姿の彼女が答えようと口を動かした時、彼は現実に戻された。 夜の静寂を破ってリズミカルなメロディが携帯電話から流れてくる。 「くそっ。誰だ、こんな時間に……」 夢の中から帰還した加納貴明は布団から這い出して、テーブルに置いてあった携帯電話を取って 通話ボタンを押す。 「やあ、貴明」 親友の佐倉隆史の声が聞こえてきた。貴明は頭を掻きながら近くの置時計を見ると、夜中の三時 だと確認できた。 「どうしたんだよ。こんな時間に?」 思考の半分以上が休眠している状態で受け答える。 「神の船に乗るんだ」 隆史は唐突にわけの分からないことを言った。 一瞬、貴明の思考が完全に止まり、お互いに何も言わない沈黙の時間が続いた。 「……何だって?」 貴明の思考はなんとか動き出したが、寝ぼけた頭で理解しようとしたことに、そもそも無理が あった。やはり、親友の言っていることはまるで分からず、もう一度聞き返すしかなかった。 「神の船だよ。もうすぐ世界が破滅する。だから、僕は神の船に乗って、みんなを助けるんだ」 隆史は前から妄想僻のあるやつだったが、ここまでひどいとは思わなかった。 「いい加減にしろよ。そんな冗談を言うために俺を電話で叩き起こしたのか?」 貴明は憤慨した。眠りから引きずり出され、あまつさえ世迷言を聞かされたら誰だって怒る はずだ。例にもれず貴明も気分を害した。 「冗談じゃないってことは、そのうち貴明にも分かるよ。ありがたく思ってくれよ。君も神の船の 一員となるよう、僕が推薦しておいてあげたんだから」 「神の船? 推薦? なんだそりゃ」 「じゃあ、僕はもう行くよ。最後に親友の声が聞けて良かった。さよなら」 そして、通話は唐突に切れた。 「ふざけやがって!」 貴明はもう少しのところで携帯電話を叩き壊すところだった。 「学校で会ったら覚えてろよ」 その後、なかなか寝付けず寝不足の朝を迎えることになった。そして、貴明はあの電話のせいで 気分が晴れず、もやもやとしたわだかまりを残したまま学校に向かった。 そして、貴明は思い知る。 隆史が言った「さよなら」が本当に別れの言葉だということに。 ご機嫌斜めの貴明が妙な違和感に気づいたのは、教室に入って自分の席に鞄を置いた時だった。 「……!!」 自分でも驚くほど勢いよく後ろを振り返った。 「……誰だ?」 教室に一人、貴明の知らぬ少女が席に座っていた。 その席は貴明のよく知っている者の席だった。 いつもそこには朝一番に学校に来る奴が座っていて、貴明に向かって「おはよう」と挨拶してくる 奴が座っていて、貴明も寝ぼけ眼で「おはよう」と挨拶を返して、それからそれから……。 ……そう、あの席は隆史のものだ。なのに、今は見知らぬ少女がその席に平然と座っている。 「隆史は……どうした?」 貴明は見知らぬ少女に、異常な質問を投げかけた。 見知らぬ少女は貴明を見つめると、可愛らしい口元を歪めて、くすくすと笑った。 「隆史君はもう乗っていったよ」 流れるような声だった。貴明の耳にしか聞こえないようなか細い、だが明瞭な声だった。 「乗っていったって……、何に?」 問うたことをすぐに後悔した。 この後に続く少女の答えなど聞きたくなかった。隆史の妄想だと冗談で済ませたかった。 だが、少女は現実だと、それを告げる。 「神の船に」 この時から、貴明の現実が崩壊した。 貴明編その1<了> |